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最終章「北方蒙古襲来」
第78話「潜入行」
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何かの集団が夜陰に紛れて近づいているのを感じ取ったイスラフィールは、即座に小屋に置いてあったアイヌの衣装を身に付けた。アイヌの成人男子には欠かせない長い髭も、付け髭を付けて再現する。アイヌは敵の主力であり、この蝦夷ヶ島の大半を支配する民族である。間違いなく接近する敵集団に含まれており、アイヌに変装することはそれに紛れる事が出来るはずだ。
中東の生まれのため肌が少し浅黒く、この点はアイヌとは全く違うが、月の光の無い暗闇はその弱点を補ってくれるだろう。
また、例え昼間であっても、カラプトの雪原で以前戦った時は敵の大将に接近し、毒の塗られた刃を突き立てる事に成功した。運よく相手は生き延び、今も敵の指揮官として立ちはだかっているのだが、イスラフィールはまた同じように始末することは可能と考えている。
一点心細い点があるとすれば、武器が短剣しか用意できないという事である。イスラフィールの得意な武器は、故郷の地域で流行していた湾曲した刀身を持つ半月刀であるが、これを携帯していては流石に怪しすぎる。残念ながら隠しやすいが威力や間合いに難がある武器しか携行できない。
それでも暗殺するだけなら十分であるとの自信はあるのだが。
準備の整ったイスラフィールは、小屋の外に音も立てず出た。実際に外に出てみると、敵が近づいて来るのをより鮮明に感じ取った。明白な音や光などの兆候は無いのだが、これは戦士の勘の様なものだ。
敵に接近する前に、ひとまず人足たちの長のいる小屋に立ち寄る。今後の行動について指示を出すためだ。敵の接近については当然のことながら人足たちは気が付いていなかったので、イスラフィールに教えられて驚いた様子だったが、イスラフィールの実力を良く知る彼らはすぐに信じた。
作戦は、イスラフィールが敵の指揮官を暗殺し、混乱したところを一気に制圧するという単純なものだ。戦闘訓練を受けていない彼らには、これ以上複雑な作戦は期待できないし、彼我の勢力の規模を考えると十分と言えた。荷物の運搬や船仕事で膂力はあるので、混乱している敵を一方的に叩けるのなら、立派な戦力になるはずだ。
人足たちと別れたイスラフィールは、いよいよ敵集団への潜入を試みる。敵が通るであろう経路を予想すると、その近くの茂みに身を隠して待ち受けた。
草木と気配を同じくして、しばらく待機していると予想通り武装した敵の集団が現れた。
イスラフィールの見たところ、その数は二百と言ったところであり予想と大きく変わらない。これだけの規模の集団でありながら、音を全く立てずに進軍することが出来るのは、恐るべきことである。イスラフィールにも同じことをより高いレベルですることは可能だ。しかし、彼は暗殺者としての厳しい訓練によりそれを体得しているのに対し、相手は狩猟生活の中で自然に身に付けているのだ。
味方に出来たらどれだけ心強いだろう。
そんな事を考えながら機会を見計らい、好機とみるや流れるように集団に加わった。あまりにも自然な動きであったので、イスラフィールの事を見咎める者はいなかった。アイヌも相当夜目が効くのだが、イスラフィールは単に闇に紛れただけでなく、気配の殺し方や相手の意識の隙間を狙っての行動だったので、気が付けなかったとしても仕方がない。
集団に入り込んだイスラフィールは、敵の指揮官の居る場所に向けて移動を開始する。指揮官は声を出して集団を指揮しているのではないが、この集団は一つの意思によって動いている。声も出さずに自らの意思を浸透させるのは見事な事であるのだが、だからこそその位置を掴みやすいと言える。
イスラフィールは集団を率いる意思の根源へ、怪しまれないように慎重に歩みを進めた。
そしてついに指揮官を発見した。それは以前イスラフィールが意識不明の重体に追い込んだ人物で、日本から来たタワケトキミツなる武士だ。彼はその軍事的な力で蝦夷ヶ島とカラプトの現地住民をまとめ上げ、プレスター・ジョンによる征服を数年にわたり防いできた。
個人的武勇もさることながら兵法にも通じており、漢人の士大夫階層出身で知識人のウリエルもその点を高く評価している。また、歴戦の騎士であるミハイルは、それまで見たことがない火薬による兵器を敵から奪って使いこなしたり、それを氷上で大量使用することで氷を砕き、敵軍を海に叩きこむなど、柔軟な発想を持ち合わせていることを褒めていた。加えて何度もトキミツと相対したガウリイルは、高く評価している様だ。
イスラフィール自身も、毒の刃で負傷しながら生き延び、治りきっていないのに部隊を指揮して逆転勝利を収めたその闘志に賞賛の念を抱いている。
トキミツを仲間に加えることが出来たなら、味方の武将として心強いし、さらに南下して日本を制圧する時に知識の面などから頼りになることだろう。
しかし、残念ながら最早その様な未来は無い。
どうやって包囲網を突破してこの地域まで潜入したのか知らないが、明日ここを出港する船に積まれた黄金は、プレスター・ジョンのモンゴル帝国打倒への第一歩であるし、イスラフィールの一族再興の悲願がかかっている。
死んでもらうより他にない。イスラフィールは懐から短剣を抜き放ち、必殺の一撃を加えんと集中を強めた。
だが、トキミツのすぐ真後ろに辿り着いた時、トキミツがイスラフィールの方へ振り向いた。
中東の生まれのため肌が少し浅黒く、この点はアイヌとは全く違うが、月の光の無い暗闇はその弱点を補ってくれるだろう。
また、例え昼間であっても、カラプトの雪原で以前戦った時は敵の大将に接近し、毒の塗られた刃を突き立てる事に成功した。運よく相手は生き延び、今も敵の指揮官として立ちはだかっているのだが、イスラフィールはまた同じように始末することは可能と考えている。
一点心細い点があるとすれば、武器が短剣しか用意できないという事である。イスラフィールの得意な武器は、故郷の地域で流行していた湾曲した刀身を持つ半月刀であるが、これを携帯していては流石に怪しすぎる。残念ながら隠しやすいが威力や間合いに難がある武器しか携行できない。
それでも暗殺するだけなら十分であるとの自信はあるのだが。
準備の整ったイスラフィールは、小屋の外に音も立てず出た。実際に外に出てみると、敵が近づいて来るのをより鮮明に感じ取った。明白な音や光などの兆候は無いのだが、これは戦士の勘の様なものだ。
敵に接近する前に、ひとまず人足たちの長のいる小屋に立ち寄る。今後の行動について指示を出すためだ。敵の接近については当然のことながら人足たちは気が付いていなかったので、イスラフィールに教えられて驚いた様子だったが、イスラフィールの実力を良く知る彼らはすぐに信じた。
作戦は、イスラフィールが敵の指揮官を暗殺し、混乱したところを一気に制圧するという単純なものだ。戦闘訓練を受けていない彼らには、これ以上複雑な作戦は期待できないし、彼我の勢力の規模を考えると十分と言えた。荷物の運搬や船仕事で膂力はあるので、混乱している敵を一方的に叩けるのなら、立派な戦力になるはずだ。
人足たちと別れたイスラフィールは、いよいよ敵集団への潜入を試みる。敵が通るであろう経路を予想すると、その近くの茂みに身を隠して待ち受けた。
草木と気配を同じくして、しばらく待機していると予想通り武装した敵の集団が現れた。
イスラフィールの見たところ、その数は二百と言ったところであり予想と大きく変わらない。これだけの規模の集団でありながら、音を全く立てずに進軍することが出来るのは、恐るべきことである。イスラフィールにも同じことをより高いレベルですることは可能だ。しかし、彼は暗殺者としての厳しい訓練によりそれを体得しているのに対し、相手は狩猟生活の中で自然に身に付けているのだ。
味方に出来たらどれだけ心強いだろう。
そんな事を考えながら機会を見計らい、好機とみるや流れるように集団に加わった。あまりにも自然な動きであったので、イスラフィールの事を見咎める者はいなかった。アイヌも相当夜目が効くのだが、イスラフィールは単に闇に紛れただけでなく、気配の殺し方や相手の意識の隙間を狙っての行動だったので、気が付けなかったとしても仕方がない。
集団に入り込んだイスラフィールは、敵の指揮官の居る場所に向けて移動を開始する。指揮官は声を出して集団を指揮しているのではないが、この集団は一つの意思によって動いている。声も出さずに自らの意思を浸透させるのは見事な事であるのだが、だからこそその位置を掴みやすいと言える。
イスラフィールは集団を率いる意思の根源へ、怪しまれないように慎重に歩みを進めた。
そしてついに指揮官を発見した。それは以前イスラフィールが意識不明の重体に追い込んだ人物で、日本から来たタワケトキミツなる武士だ。彼はその軍事的な力で蝦夷ヶ島とカラプトの現地住民をまとめ上げ、プレスター・ジョンによる征服を数年にわたり防いできた。
個人的武勇もさることながら兵法にも通じており、漢人の士大夫階層出身で知識人のウリエルもその点を高く評価している。また、歴戦の騎士であるミハイルは、それまで見たことがない火薬による兵器を敵から奪って使いこなしたり、それを氷上で大量使用することで氷を砕き、敵軍を海に叩きこむなど、柔軟な発想を持ち合わせていることを褒めていた。加えて何度もトキミツと相対したガウリイルは、高く評価している様だ。
イスラフィール自身も、毒の刃で負傷しながら生き延び、治りきっていないのに部隊を指揮して逆転勝利を収めたその闘志に賞賛の念を抱いている。
トキミツを仲間に加えることが出来たなら、味方の武将として心強いし、さらに南下して日本を制圧する時に知識の面などから頼りになることだろう。
しかし、残念ながら最早その様な未来は無い。
どうやって包囲網を突破してこの地域まで潜入したのか知らないが、明日ここを出港する船に積まれた黄金は、プレスター・ジョンのモンゴル帝国打倒への第一歩であるし、イスラフィールの一族再興の悲願がかかっている。
死んでもらうより他にない。イスラフィールは懐から短剣を抜き放ち、必殺の一撃を加えんと集中を強めた。
だが、トキミツのすぐ真後ろに辿り着いた時、トキミツがイスラフィールの方へ振り向いた。
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