北方元寇秘録

大澤伝兵衛

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第3章「大陸侵攻戦」

第53話「知っていた裏切り」

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 プレスター・ジョンの軍勢の包囲を突破し、ヌルガン城を離脱した時光達は、カラプトに戻るために元来た道を急いでいた。トナカイに引かせたソリにより雪道ではかなりの速度を発揮しているものの、敵は強力な騎兵により機動力に優れた蒙古軍である。気を抜けば簡単に追いつかれてしまうことだろう。

 もしも追いつかれた時、即座に応戦するために弓兵を配置する様子は、古代の戦場において主戦力であった戦車の様である。この時代の最強兵科はと聞かれれば、騎兵、それも髙い機動力と長射程の攻撃力、そして組織力を備えた蒙古騎兵を挙げる者が多いだろうが、この雪により足場の悪い状況においてはトナカイ戦車も捨てたものではない。しかも、このトナカイ戦車に乗るのは弓兵として音に聞こえた鎌倉武士と、古代中国の史書にもその弓の腕前が記されているアイヌなのだから。

 しかも、このトナカイ戦車には、蒙古軍から鹵獲した火薬兵器である震天雷も乗っているのだ。もしも蒙古騎兵や騎士が追撃してきたとしても、起爆させながら逃げるだけで敵の損耗を図ることが出来る。何しろ敵の方から射程の短い震天雷の効果範囲に突っ込んでくれるからだ。もっとも、轟音とともに光を放って爆発する震天雷に突撃できる恐れ知らずの馬などいないかもしれないが。

「よし! 休憩だ! 何かあったらすぐに出発できるように余り離れるな! それに四周への警戒も怠るな!」

 ある程度ヌルガン城から離れ、安全が確保出来たと思えるところまで到達した段階で、時光は一時休憩の指示を出した。本拠地であるカラプトまでの道のりは長い。トナカイを使い潰してしまっては途中で敵軍に追いつかれてしまうだろう。

 今のところ追撃が来る様子はなかった。トナカイを活用した偽装工作により、至近距離で震天雷を爆発させたことによる衝撃からまだ立ち直れていないのかもしれない。通常の広い戦場で震天雷を使用した場合、その爆発や四散する破片による効果はその轟音から来る印象と比べて意外に低いが、ヌルガン城で時光が実施したように至近距離で爆発させた場合は別だ。木っ端みじんに爆発四散した仲間だった残骸を見た敵兵は、さぞやその心胆を寒くしたことだろう。

 さらに、もう一つ置き土産としてヌルガン城の各地に震天雷を爆発させる準備をしてきており、今頃あちこちで爆発しているはずだ。流石に捕虜に危害を加えるような震天雷の配置はしていないが、敵は後処理にしばらく追われることだろう。

「若、今回の計略はまさに神算鬼謀といっても良いくらい当たりましたが、何故、我々が火牛の計を使う事を敵が予想していると思ったのですか? その予想が当たったからこそ、その裏をかくことが出来たのですが」

 時光の家来である丑松が不思議そうな表情で尋ねた。作戦の細部の理由や内容については誰にも知らせていない。情報が漏れることを警戒して個別に作戦準備をさせたのだ。全体を知る者は指揮官である時光しかいなかったのだ。

「それはな。ニコーロ達を城の外に出してやっただろう? 彼らがプレスター・ジョンに俺達がトナカイを大量に集めていることを教える事が分かってたから、その裏をかいたんだ。これまでの敵の軍略の力量を見れば、火牛の計を予想してくることくらい当たり前だったからな」

「なんと? ニコーロ殿が敵に寝返ったのですか? 何故ですか? そしてどうしてその事に気が付いたのですか?」

「簡単な事だ。前にニコーロが息子を連れて来ると言ってただろう? そしてプレスター・ジョンの軍勢の中にはニコーロと同じ赤い髪の青年がいた。流石に偶然ではないだろう。それに戦場となっている城にいつまでも残留しているというのは、それだけ中の勢力と親しいという事だ。昔一緒に戦った者が敵になったのは残念だが、まあ仕方あるまい」

 ニコーロ達が敵に与していた事については、時光はそれ程残念そうにしていない。この時代の日本の武士にとって味方が急に敵になり、族滅するまで戦うなど日常茶飯事なのだ。

「そして、何故彼らがプレスター・ジョンに味方しているのかというと、これは想像だがキリスト教と関係があるんじゃないかな? プレスター・ジョンの配下はキリスト教徒揃いだ。そういう信仰の繋がりで助力している可能性は十分あると思われる。俺はそういう感覚は分からないが理屈ではありえるだろう?」

 武士は思想や信仰ではなく土地に行動を縛られる存在である。よって時光には同じキリスト教徒だから味方するという気持ちはあまり理解できない。しかし、日本でもこの時代の仏の教えにおいて、念仏や法華経などを核心として連帯する者達が増えていることは、時光も知っている。

「ふむ。神の教えの下に集い、そのために戦うというのは十分に考えられることですな」

 ドミニコ会の修道士であるグリエルモは時光の考えに得心したようだ。信仰心というものは時として国を超えて人々を結集させる。例えば十字軍などがそうだ。もちろん世俗的な思惑もかなり多く含まれているのではあるが、それでも宗教的な熱狂がなければ基本的に自分の利益のために戦う諸侯が聖地奪還のために戦うなどあり得ないだろう。

「おや? そうするとグリエルモ殿も同じキリスト教徒であるからして、プレスター・ジョンに味方するということになってしまいますが?」

 丑松の疑問は当然である。何しろヨーロッパの人間であるグリエルモが、日本人やアイヌに協力する必要は元々無いのである。

「は? 奴らはネストリウス派で異端ですぞ。何故そんな奴らに加担しなければならないのですか?」

「でも、ニコーロ殿達はネストリウス派ではないのでしょう?」

「彼らはヴェネツィア出身ですからな。自分たちの利益のためには異端に味方するなど朝飯前でしょう」

「あ、そうですか」

 ヴェネツィアは地中海においてその商業力により強力な地位を手にしている国家である。キリスト教国家なのであるが、商業的利益を追求するあまり、キリスト教徒としては適切とは言い切れない行動に出ることがある。イスラム国家と協力したり、同じキリスト教国家であるはずの東ローマ帝国の首都であるコンスタンチノープルを攻略したりだ。

 これらの所業により破門されたりすることも度々ある。

 純粋で敬虔なドミニコ会の修道士であるグリエルモにとっては、これらの行為は信じられないのだろう。

「まあ、そういう訳だ。前に俺達と一緒に蒙古軍相手に戦ってくれたから、蒙古の手先という訳ではないのだろうが、プレスター・ジョンとはキリスト教繋がりで連帯しているのだろう」

 ここまで言ったところで、時光はあることに思い至る。ここまで収集してきた様々な情報から判断すると、この地域を支配しているプレスター・ジョンは蒙古の民でありながら、蒙古の皇帝に完全に服従しているとは言い難い。プレスター・ジョンはチンギス・ハーンの血を引いているものの、チンギス・ハーンにその地位を追い落とされた者の血も引いており、蒙古帝国の主流からは外れている。

 この辺りの事情に、戦況の打開策がありそうだと時光は何となく考えた。
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