北方元寇秘録

大澤伝兵衛

文字の大きさ
上 下
2 / 94
第1章「安藤五郎討伐」

第1話「時光、蝦夷ヶ島に降り立つ」

しおりを挟む
「うーむ。寒い、本当に秋なのか?」

 蝦夷ヶ島えぞがしま――現在の北海道の交易拠点である箱館はこだてに港に船から降り立った若者は、まだ暦の上では初秋にもかかわらず肌を刺すような寒気に身を震わせ、ついつい愚痴を口にした。剛健ごうけんを旨とする武士としてはいささか褒められたものではないが、まだ未熟な部分が表に出てしまったのだろう。

 だが、愚痴をこぼしても仕方のない位の寒さであるのは事実だ。若者は薄い麻布の着物しか着用していない。かなりの薄着であり防寒性には欠けている。若者の考えではこの様な薄着でもまだ耐えきれると考えていたし、実際途中通過して来た陸奥国むつのくにも北国ながらそれ程寒さを感じることは無かった。陸奥国は蝦夷ヶ島と海を挟んだだけの近場である。海を渡っただけでこれだけ気候が変わるなど、若者の予想を超えていたのだ。

「若。この地ではこの位の寒さは当たり前ですし、これから冬を迎えねばならないのですぞ。さようなことでお勤めを果たせるとお思いか?」

「トキミツ。これから向かうのはもっと北だ。そんなのでホントにダイジョブか?」

 若者の独り言に対して、すぐさま厳しい言葉が投げかけられる。

 先に発言したのは中年の男性で、名を丑松うしまつと言う。外見からすると武家の従者といった風情である。

 また、次に発言したのは、年齢不詳の髭面の男で、名をオピポーと言う。獣の毛皮を荒々しく身に纏っており、その外見から奥州に古くから住まう蝦夷えみし末裔まつえいであることが見て取れる。ここまで、古風な格好は今時珍しいのだが。

 そして、若者の名前は、撓気時光たわけときみつと言い、若くはあるがこの風変わりな一行の長である。

「若。先ずは輸送してきた品を積み卸しましょう。人足を集めてきますので、しばしお待ちを」

「うん。頼んだぞ丑松」

 撓気氏は武士でありながら交易にも手を付けている。アイヌとの交易で手に入れた品々を、幕府の要人である有力御家人に売却、または上納したり、京の都まで売りさばくことはかなりの利益を生んでいる。

 交易で得られる利益こそが、撓気氏が代々弱小御家人に落ちぶれながらも、不死鳥のごとく復活する原動力の一つである。

 アイヌとの交易をはじめたきっかけは、数十年前の奥州藤原氏征伐にさかのぼる。この時、時の将軍である源頼朝みなもとのよりともの命で戦いに参加していた撓気時光の先祖は、奥州の地の本来の主とも言うべき民族――蝦夷と交流を持った。

 この際、蝦夷と血縁的にも文化的にも近く、古くから交流を持っていた蝦夷ヶ島の民――アイヌの事を紹介され、それから交易を続けているのだ。

「ふむ。こんなものかな。刀、弓、農具それに米が主な物だな。これだけあれば、かなりの羽が手に入るだろう」

 アイヌは自らで鉄製品を作ることが出来ない。そのため和人から鉄製品を買い、劣化してくると鍛冶屋が打ち直して使い続けるような生活をしている。このため、鉄製品はアイヌへの有力な商品だ。

 また、蝦夷ヶ島は寒すぎるためか稲作が出来ない。アイヌはひえあわの様な別の穀類を栽培しているが、いつしか和人が持ち込んだ米を食するようになり、食生活に大きな位置を占めるようになっている。これも有力な商品である。


 そして、逆にアイヌから得られる交易品は、鮭や獣皮、昆布、そして鷲や鷹の羽である。これは武士にとって命ともいえる弓矢の材料として最高品質の物として珍重されている。これらを売り捌けば、かなりの利益となる。

「おかしい……」

 荷運びの作業の様子を見ていた時光の耳に、オピポーの怪訝そうな声が聞こえてきた。

「どうした? オピポー。何が可笑しい」

「普通なら人足にアイヌの民が混じっているものだ。しかし、この地に着いてからまだアイヌを見ていない。普通ではない」

 オピポーに言われて時光も辺りを観察する。確かに周辺にはアイヌらしき姿は見ることが出来ない。辺りにいるのは、和人が主であり、大陸から訪れたらしい宋人が多少混じっている位だ。

 対岸の奥州最北端の港である十三湊とさみなとと同じく多種多様な人で賑わっている。
 
 そして、珍しい事に赤い髪と青い目をした者まで三人ほど見ることが出来た。時光は彼らの事を書物に見える羅馬ローマペルシャの人間なのではないかと推測する。気持ちとしては彼等に話し掛けて様々な話を聞きたいところだが、生憎今は任務中である。

 もっとも時光はアイヌを見たことがないので、オピポーに似た風体の者だろうくらいにしかおもっていないのだが。

「理由は二つばかし思い浮かぶ」

「ほう?」

 即座に予測を案出した時光に、オピポーは興味深そうな声を上げる。

「一つ目は、この箱館の地の和人と何らかの問題が起きてしまい、ここに近寄ってこないこと」

 蝦夷ヶ島には、罪人が島流しとして送られてくることも多い。つまり気性が荒く、問題を起こしやすい和人が多いのだ。彼らがアイヌと衝突したとしても何ら不思議ではない。

「二つ目は、北からの蒙古の影響だ。俺は、蝦夷ヶ島の北から蒙古の手が伸びていると聞いて調査しに来た。もしもその影響が大きければ交易どころではないだろう」

「言われてみればそうかもしれん。それにしてもトキミツ。よくそんなことを即座に考えたな。俺にはそこまで考えが及ばん。武士とはそういうものなのか?」

「まあ、それに近い。俺は若輩じゃくはいだが軍略は多少勉強しているからな」

 時光は十四男という立場から、自分に譲られる土地が十分残っているなどと甘いことは、全く持って思っていなかった。そのため、幼いころから大陸の兵法書である「孫子」や「呉子」、日本の兵法書である「闘戦経とうせんきょう」などを学んで自らの価値を高めるのに余念がなかった。

 今、こうして偵察なり戦いなりの任務が与えられている状況は、時光にとって願ったりかなったりなのである。

「若。人足衆に聞いてみましたが、箱館とアイヌの間で小競り合いなど無いらしいですぞ」

 丑松が時光とオピポーの会話を聞いていたらしく、人足に聞き取った結果を報告した。これを聞いた時光はうっすらと笑みを浮かべた。

 やはり北の大地に夷敵の手が迫っているらしい。これは、この地に平穏に住まう民からしてみれば不幸なことだが、時光の様な武士にとって見れば立身出世の好機である。危機が大きければ大きいほどそれに比例して功績が大なるものになる。

 土地を相続出来るか危ぶまれていた時光が、大身たいしんに成りあがれる機会などそうは無いのだ。時光としてはこの機会を逃すまいと心に決めている。

 そして、機会を逃さず必ず勝利するというのは、撓気氏に先祖から伝わる家訓のようなものなのだ。

「それでは皆の者。これよりイシカリに向けて出発する。各々決して荷を落とさぬように気を付けよ」

 時光の指示の元、人足達は交易品を背負い、列を組んで歩き始めた。蝦夷ヶ島は箱館など都市部周辺しか道路が整備されていないので、アイヌの集落まで荷物を運ぶとすればやはり人力が一番である。

 一行は道に詳しいオピポーを先頭に、ゆっくりと町の外に向かって歩いていくのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

朝敵、まかり通る

伊賀谷
歴史・時代
これが令和の忍法帖! 時は幕末。 薩摩藩が江戸に総攻撃をするべく進軍を開始した。 江戸が焦土と化すまであと十日。 江戸を救うために、徳川慶喜の名代として山岡鉄太郎が駿府へと向かう。 守るは、清水次郎長の子分たち。 迎え撃つは、薩摩藩が放った鬼の裔と呼ばれる八瀬鬼童衆。 ここに五対五の時代伝奇バトルが開幕する。

陸のくじら侍 -元禄の竜-

陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた…… 

赤松一族の謎

桜小径
歴史・時代
播磨、備前、美作、摂津にまたがる王国とも言うべき支配権をもった足利幕府の立役者。赤松氏とはどういう存在だったのか?

不屈の葵

ヌマサン
歴史・時代
戦国乱世、不屈の魂が未来を掴む! これは三河の弱小国主から天下人へ、不屈の精神で戦国を駆け抜けた男の壮大な物語。 幾多の戦乱を生き抜き、不屈の精神で三河の弱小国衆から天下統一を成し遂げた男、徳川家康。 本作は家康の幼少期から晩年までを壮大なスケールで描き、戦国時代の激動と一人の男の成長物語を鮮やかに描く。 家康の苦悩、決断、そして成功と失敗。様々な人間ドラマを通して、人生とは何かを問いかける。 今川義元、織田信長、羽柴秀吉、武田信玄――家康の波乱万丈な人生を彩る個性豊かな名将たちも続々と登場。 家康との関わりを通して、彼らの生き様も鮮やかに描かれる。 笑いあり、涙ありの壮大なスケールで描く、単なる英雄譚ではなく、一人の人間として苦悩し、成長していく家康の姿を描いた壮大な歴史小説。 戦国時代の風雲児たちの活躍、人間ドラマ、そして家康の不屈の精神が、読者を戦国時代に誘う。 愛、友情、そして裏切り…戦国時代に渦巻く人間ドラマにも要注目! 歴史ファン必読の感動と興奮が止まらない歴史小説『不屈の葵』 ぜひ、手に取って、戦国時代の熱き息吹を感じてください!

国殤(こくしょう)

松井暁彦
歴史・時代
目前まで迫る秦の天下統一。 秦王政は最大の難敵である強国楚の侵攻を開始する。 楚征伐の指揮を任されたのは若き勇猛な将軍李信。 疾風の如く楚の城郭を次々に降していく李信だったが、彼の前に楚最強の将軍項燕が立ちはだかる。 項燕の出現によって狂い始める秦王政の計画。項燕に対抗するために、秦王政は隠棲した王翦の元へと向かう。 今、項燕と王翦の国の存亡をかけた戦いが幕を開ける。

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

陣代『諏訪勝頼』――御旗盾無、御照覧あれ!――

黒鯛の刺身♪
歴史・時代
戦国の巨獣と恐れられた『武田信玄』の実質的後継者である『諏訪勝頼』。  一般には武田勝頼と記されることが多い。  ……が、しかし、彼は正統な後継者ではなかった。  信玄の遺言に寄れば、正式な後継者は信玄の孫とあった。  つまり勝頼の子である信勝が後継者であり、勝頼は陣代。  一介の後見人の立場でしかない。  織田信長や徳川家康ら稀代の英雄たちと戦うのに、正式な当主と成れず、一介の後見人として戦わねばならなかった諏訪勝頼。  ……これは、そんな悲運の名将のお話である。 【画像引用】……諏訪勝頼・高野山持明院蔵 【注意】……武田贔屓のお話です。  所説あります。  あくまでも一つのお話としてお楽しみください。

日本国転生

北乃大空
SF
 女神ガイアは神族と呼ばれる宇宙管理者であり、地球を含む太陽系を管理して人類の歴史を見守ってきた。  或る日、ガイアは地球上の人類未来についてのシミュレーションを実施し、その結果は22世紀まで確実に人類が滅亡するシナリオで、何度実施しても滅亡する確率は99.999%であった。  ガイアは人類滅亡シミュレーション結果を中央管理局に提出、事態を重くみた中央管理局はガイアに人類滅亡の回避指令を出した。  その指令内容は地球人類の歴史改変で、現代地球とは別のパラレルワールド上に存在するもう一つの地球に干渉して歴史改変するものであった。  ガイアが取った歴史改変方法は、国家丸ごと転移するもので転移する国家は何と現代日本であり、その転移先は太平洋戦争開戦1年前の日本で、そこに国土ごと上書きするというものであった。  その転移先で日本が世界各国と開戦し、そこで起こる様々な出来事を超人的な能力を持つ女神と天使達の手助けで日本が覇権国家になり、人類滅亡を回避させて行くのであった。

処理中です...