忍者同心 服部文蔵

大澤伝兵衛

文字の大きさ
上 下
5 / 39
第一章「火付盗賊」

第五話「火盗忍者 百地」

しおりを挟む
 火付盗賊改を名乗る男の出現に、文蔵達の戦いを物見高く見守っていた町人達も、そそくさと目を逸らして立ち去り始めた。それだけ火付盗賊改の名を恐れているのだろう。だが、文蔵は平然としたものだ。

「火付盗賊改? 一体なんだそれは」

「何だってってお主……、お主こそ何を言ってるんだ」

「すみませんね。火盗の旦那、ちょいとばかしうちの旦那は色々常識に疎いんで。おい、おめえら先に行っとけ」

 火付盗賊改は、町奉行所とは別の捜査機関である。幕府が成立した頃は町奉行所のみで治安を守っていたのだが、江戸が発展するにつれ凶悪化、増加する犯罪に対応しきれなくなったのだ。そのために設置された組織が火付盗賊改である。軽易な犯罪を取り扱う町奉行所と違い、火盗では重大犯罪しか対象とせず、しかも拷問も辞さない強硬な捜査方法と権限は江戸中の悪党を震え上がらせている。

 まあ恐れているのは、冤罪を恐れる良民もなのであるが。場合により旗本屋敷にすら踏み込むので、武士すら疑われる事を恐れている。

 兎に角その様な組織なのであるから、江戸の町で火盗を知らぬ者はいないはずである。

 とは言っても文蔵は、幼少で拐かされて以来各地を旅芸人として周り、最近まで江戸に足を踏み入れなかったのだ。知らぬのも無理はない。しかも実家に戻ってからは、部屋住みとしてあまり外と交流してこなかったのだ。

 百地が唖然としている間に善三の手下たちは破落戸を乗せた戸板を運び去った。その間に善三が火盗に関して文蔵に教えてやる。

「ああなるほど、そういうお役人さんでございましたか。それで一体何の用で?」

「貴様、拙者を舐めているのか?」

「とんでもございません」

 文蔵は侍としての話し方に慣れていない。旅芸人仲間同士の荒っぽい話し方か、芸人として見世物小屋で客を相手にしている時の丁寧な話し方か、仲間内で話している時かの極端なものだ。その事情を知らぬ百地からしてみれば、馬鹿丁寧な話し方は慇懃無礼としか思えないのだ。

「まあ良い。奴らは先日の火付けの一味との調べがついている。こちらに引き渡せ」

「先月の火付け?」

「ぶんぞ……服部様が火事場泥棒を捉えたあの一件でしょう」

「ああ、あれか」

 文蔵も己が同心に登用されるきっかけとなった事件を思い出す。あの事件はまだ解決していないと先輩同心から聞いている。火盗も捜査を継続しているのだろう。

 そうなると困るのが、あの男達を引き渡して良いのかだ。善三に教えられた火盗の役柄からすれば、火付けの一味を引き渡すのが正しいように思える。町奉行所と火盗の関係が分からないので判断に困ってしまう。

「はようせい。全く忍者などと町民どもからおだてられてのぼせおってからに」

「ん?」

 百地の口から意外な言葉が出て来た。文蔵が忍者と勘違いされ、瓦版などを通じて評判になっているのは確かだが、その様な事に言及されるとは意外であった。

「別にのぼせ上ってなんかいませんよ。そもそも忍者なんかどうだって良いじゃありませんか」

「貴様、何を言う。やはり服部などに我等伊賀忍者の棟梁が務まらなかったのは自明の理であったか」

「何言ってんすか?」

 一人でぶつぶつ言い始めた百地を見て文蔵は混乱した。

 文蔵は知らぬ事であるが、百地は伊賀者の末裔だ。戦の世が終わって徳川の治世が始まった時、伊賀者は先手組や百人組、小普請組など様々な役職に分けられた。

 無論、忍者としての役目を期待されての事ではない。そもそも、伊賀者の中に忍者はそれ程多くは無いのだ。

 そして百地はその数少ない伊賀忍者の末裔であり、本人も忍者としての修業を幼少期より積んでいる。

 そのため、生粋の忍者で、しかも忍者としての任務を表だってする事なく生きてた百地からすれば、文蔵の様に目立つ上に人々から賞揚される忍者と言うのは目障りで仕方がないのだ。

 もちろん、文蔵は忍者ではないのだが、百地にとってそんな事は関係が無い。

 ややこしい事にこの伊賀者という集団は、徳川家康に仕えた有名な武将である服部半蔵とあまり良好な関係ではなかった。服部半蔵は忍者として語られる事が多いが、実際はその父祖の代より伊賀の里を出て仕官していたため、実際の所忍者と言うには無理がある。その遠い血縁関係から服部半蔵の下に伊賀者が配置されたのだが、元々伊賀において有力では無かった服部家の下につく事を面白く思わない伊賀者は多かった。

 それでも武将としての服部半蔵の武功故に従っていたのだが、服部家の代替わりによりその不満は爆発した。結局服部家は没落し、伊賀者達も様々な役職に分割して管理される事になった。

 それ故に伊賀忍者である百地としては、服部に連なる者に反感を抱いているのである。

 もっとも、文蔵の家は服部半蔵とは何の血縁も無い。服部半蔵と伊賀者の関係が冷え切っている際に文蔵の祖先が色々と半蔵に便宜を図ったために、その謝礼として服部の名を与えただけだ。

 つまり文蔵にとっては百地の反感は筋違いでありどうでも良いし、百地にとってはその様な事情は知るべくも無いのである。

 だが、百地に悪意をぶつけられた事により文蔵の肝は決まった。

「断る。とっ捕まえたのは俺達だ。もしも渡して欲しければ、正式に町奉行所に申し入れな。それをするなとまでは言わねえよ」

「おのれ、この下忍めが……」

 下忍というのが百地にとっては相当の悪口であるらしいが、忍者という存在に価値を感じていない文蔵にとってはどうでも良い事である。それよりも、いきなり現れて喧嘩を売って来た百地の悔しそうな顔が心地よい。

「じゃあな。出遅れ忍者さん」

 文蔵は善三を連れて、悔しがる百地を残して町奉行所に向かった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

時雨太夫

歴史・時代
江戸・吉原。 大見世喜瀬屋の太夫時雨が自分の見世が巻き込まれた事件を解決する物語です。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

三国志 群像譚 ~瞳の奥の天地~ 家族愛の三国志大河

墨笑
歴史・時代
『家族愛と人の心』『個性と社会性』をテーマにした三国志の大河小説です。 三国志を知らない方も楽しんでいただけるよう意識して書きました。 全体の文量はかなり多いのですが、半分以上は様々な人物を中心にした短編・中編の集まりです。 本編がちょっと長いので、お試しで読まれる方は後ろの方の短編・中編から読んでいただいても良いと思います。 おすすめは『小覇王の暗殺者(ep.216)』『呂布の娘の嫁入り噺(ep.239)』『段煨(ep.285)』あたりです。 本編では蜀において諸葛亮孔明に次ぐ官職を務めた許靖という人物を取り上げています。 戦乱に翻弄され、中国各地を放浪する波乱万丈の人生を送りました。 歴史ものとはいえ軽めに書いていますので、歴史が苦手、三国志を知らないという方でもぜひお気軽にお読みください。 ※人名が分かりづらくなるのを避けるため、アザナは一切使わないことにしました。ご了承ください。 ※切りのいい時には完結設定になっていますが、三国志小説の執筆は私のライフワークです。生きている限り話を追加し続けていくつもりですので、ブックマークしておいていただけると幸いです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

毛利隆元 ~総領の甚六~

秋山風介
歴史・時代
えー、名将・毛利元就の目下の悩みは、イマイチしまりのない長男・隆元クンでございました──。 父や弟へのコンプレックスにまみれた男が、いかにして自分の才覚を知り、毛利家の命運をかけた『厳島の戦い』を主導するに至ったのかを描く意欲作。 史実を捨てたり拾ったりしながら、なるべくポップに書いておりますので、歴史苦手だなーって方も読んでいただけると嬉しいです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...