忍者同心 服部文蔵

大澤伝兵衛

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第四章「集結する忍者」

第十話「決着」

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 囃子の又左の屋敷の間近に、稲生が率いる北町奉行所の捕り方が潜んでいた。まだ森の中から出ておらず、息を殺している。

「一体いつまでこうしていれば良いのだ? 粟口。このままでは日が暮れてしまうぞ。夜討ちは攻めかかるに良いかもしれんが、盗賊相手では何人か逃げられてしまうかもしれん」

「諏訪様。少々お待ちを。この後服部から合図があるはずです。なんでも頼もしい助っ人が来たとかで、今協力して準備を進めているはず」

「その通りだ。大人しく待つしかあるまい。それに服部の力量は信用してよかろう。ほれ、そこを見るがいい」

 稲生が手にした軍配で示す方には、忍び装束の男が数人縄で縛りあげられて転がされていた。恐らく屋敷の周囲に哨戒に出ていた囃子の又左の手下だろう。彼らに見つかって報告されていたなら既に逃げられていたかもしれない。

「はい、よくぞ見つけたものです」

「ふむ、流石忍者同心といったところか」

 敵の警戒の目を潰した文蔵達の働きに、諏訪達も感心している。

 講談では忍者の活躍は怪しげで派手な忍法を使ったりと華々しく語られるのだが、本来の忍び働きとはこの様なものである。忍者ではない文蔵であるが、期せずして本来の忍者と同様の働きをしているのは何かの導きだろうか。

「おや? 門が開きましたな。それに誰かが手招いている様だが」

「あれは御広敷番頭の伊賀崎殿では? 一体何故この様な所にいるのだろう」

「まあ我々も、江戸を騒がした囃子の又左を捕えるという理由でここまで来たのは特例ではあるのだがな。大奥で勤務する者がここにいるのはそれに比べても妙な事だ」

 稲生達は伊賀崎達が忍者総取締の称号をかけて競っているなどという事は当然知らない。ましてや、将軍吉宗が面白半分でその争いを認め、忍者を名乗る者達に休養を認めているなど知ろうはずがない。休養どころか本来江戸から離れられない彼らが自由に行動する事すら認めている。

 天下人とは退屈なのだろう。

「まあ良い。あれが合図だろう。皆の者、突入するぞ! 一人たりとも逃すな! それに捕まっている子供たちは操られているかもしれぬ。殺すなよ!」

「おお!」

 北町奉行所の捕り方達は、粟口を先頭に鬨の声を上げて屋敷の突入した。彼らの中には粟口の様にかつて囃子の又左を取り逃がした者が数人いる。かつての恥を漱がんと、気迫は十分である。

「しかし逃げられはしませんかな」

「そうならないためにも、敵が態勢を整える前に一気呵成に突き進む事が肝要だ。粟口達が大声を上げているのも、敵を冷静にさせないための策であろう。まあ、もう一つか二つ相手の意表を突く策があればありがたいのだが……む?」

 不安そうな諏訪に、稲生が落ち着いてこれからの戦いの予想について語っていると。屋敷の奥から轟音が響いた。中から黒煙が上がっている。

「ふふ、どうやら服部めがやってくれた様だな。これで敵も恐慌状態に陥るであろう。者ども! 今だかかれ!」
 稲生の号令に突き動かされるように、北町奉行所の捕り方は一丸となって屋敷の内部に突入した。




「少々やり過ぎたかな」

「いや、ちょうど良いと思うぞ」

「そうか、ならもっと使うとしよう」

 屋敷の廊下を、文蔵達は速足で進んでいた。

 文蔵の横には火付盗賊改同心の百地が並んで進んでいる。彼の手には火薬玉が握られており、その一つがまた火縄によって点火され、近くの襖が開けられるや否や放り込まれた。

 火薬玉は一呼吸おいて爆発し、部屋の中は黒煙で見えなくなった。爆発する前に何人かの忍者がいた様にも見えるのだが、彼らがどうなったかは煙に隠れて見えない。また、悲鳴や呻き声も聞こえない。

「今、誰か居た様な?」

「おい、敵の忍者の中には薬で操られている者もいるのだ。無差別に攻撃するな」

「これは拙い事をしたか」

 百地に薮田が咎める様に言った。薬に操られているとはいえ相手は自分達を殺しに来るのだ。手加減出来るとは限らない。だが、それでも救えるものなら救いたいのが偽らざる感情なのだ。

「いや、今の部屋にいた連中は、右手の甲に焼き印があった。拐かされた子供は左手に焼き印がある。助けるのはそっちだけで良い」

「うむ、しかしお主今の一瞬でそこまで見分けたのか。流石服部の名を持つ忍者なだけはある。だが、服部の筆頭も、忍者総取締も渡さぬぞ」

「そういう事はどうでもいい。兎に角敵に集中しろ」

「言われるまでもない」

 服部成定は、文蔵の事を同じ服部の名を持つ者として評価しているのか、それとも敵視しているのか分からない口調で言った。文蔵にはそれが鬱陶しいのだが、成定が無駄口を叩きながらも油断していない事は理解している。軽くたしなめただけだ。

「この先です。この先には拐かされた子供が入る事は許されませんでした」

「つまり、この屋敷の中枢って訳だ」

 たえの案内で文蔵達は広い屋敷の中を進んでいるのだ。囃子の又左の隠れ家は、増築に増築を重ねたのか非常に分かりづらい内部構造をしている。普通に突入したのなら、迷って敵に時間を稼がせたり、分断されて各個撃破される可能性がある。だが、たえのおかげで迷いなく進む事が出来るのだ。

「気合入ってるじゃない。小さい頃から知ってるけど、こういう文蔵は初めて見た」

 文蔵の近くに寄って来た朱音が、からかう様な表情と口調で言った。確かに文蔵は、どこか流される様な生き方をして来た。旅芸人をしていたのも葛葉屋一座に拾われたからだし、武士の身に戻ったのも偶然離れ離れになっていた父親と再会したからだ。そして同心になったのも火事場での活躍が稲生の目に止まり勧誘されただけであって、自主的に動いたわけではない。

 だが、初恋にすらなっていなかった恋に破れ、これまでの自分の生き方を省みて思ったのだ。これからは、少しでも積極的に生きていこうと。

 そしてどうせ積極的に生きるのなら、かつての自分の様な存在を生むのを防ぐために生きようと思ったのだ。

 だからこそ囃子の又左の調査を手を尽くして進め、隠れ家を突き止めた後は奉行の稲生に進言し、自らの手で壊滅させるために動いたのである。町奉行が江戸を離れた甲斐の国で捕り物をする許可を得るため、これまで知己を得た田沼や家重にも無理を言ったものである。

 この様な骨折りは、これまでの文蔵には考えられない事だった。この姿を目の当たりにしていたので、朱音には微笑ましく感じられているのである。

「あそこがこの屋敷の核心か! あの扉丈夫そうだが、何処かに何か道具は……」

「どきな。俺が何とかしてやるぜ」

 屋敷の中心部に到達した文蔵達の前に、丈夫そうな扉が立ちはだかった。鉄張りの見るからに頑丈な作りで、これを破壊するのは骨だろう。忍者達には開錠技術を持っている者もいるが、それも時間がかかるのは間違いない。

 だが、善三は他の者を扉から離れる様に言い、自分も少し間合いをとると勢いをつけて肩からぶつかっていった。怪力芸で全身これ筋肉の善三は、とても肉がぶつかったとは思えない固い音を立てて扉をこじ開けようとする。

 一度目は大きな音を立てただけだったが、二度三度とぶつかるうちに扉が変形していく。そしてついに扉が弾け飛び、部屋の中が見えて来た。

「すまん。俺はここまでだ。後は任せた!」

「善兄、ありがとうな。すぐにかたをつけるからそこで待っててくれ」

 扉をこじ開けた善三であったが、流石に無事では済まなかった。叩きつけた肩は骨が折れたのか、腕がだらんとしている。また、内部で出血しているのか青黒く無残に変色している。

 だが文蔵は善三に構わず進む。長い付き合いの二人は、互いにそうすべきだと理解しているのである。

「そこ!」

 部屋に文蔵が入った瞬間、後ろから多羅尾の鋭い声がした。次の瞬間、文蔵の横を二つの物体がすり抜けていき、部屋の中でどさりと何かが床に落ちる音がした。

 そこには、二人の忍者が倒れている。彼らの眉間や喉元には手裏剣が刺さっている。部屋に潜んで奇襲を狙っていたのだが、それを見抜いた多羅尾が先手をうって始末したのである。

「姿を見せろ。囃子の又左! 隠れても無駄だ!」

「ふっ。儂の隠形に気付くとは流石よな。忍んでやり過ごそうとしたのだが。普通なら儂の配下を倒した時点でこれ以上伏兵はいないと気を緩めるところだが」

 どこかからともなく声が響き、初老の忍者装束の男が姿を現した。何も無い空中から瞬く間に出てきたようであり、その恐るべき技を伺わせた。

 この男、特徴的な鷲鼻で、顔には深い皺が刻まれている。また、額には古ぼけた鉢金が巻かれている。

「ふむ。儂の操り人形を正気に戻しおったか。そうでなくてはここまで来れぬわな」

「あいつが囃子の又左です。恐るべき男です。注意してください」

 たえが身を震わせながら言った。幼い頃に拐かされ、薬で操られながら忍者として育てられてきたのだ。怒りや恐怖の感情が入り混じっているのだろう。

「いや、俺は暗号を解読してここまで来たのだぞ? この女は関係ない」

「そうだそうだ。伝説の鉢金はどこにある。元々それが目的で来たのだぞ」

「な、なんだお前らは? うぬ、よくよく見れば徳川の狗どもではないか。武田の忍びの恨み、ここで晴らしてくれよう!」

 空気を読まず場違いな発言を始めた忍者達であったが、囃子の又左は彼らに気を向け始めた。何やら徳川についた忍者達と、囃子の又左の先祖である武田の忍者には因縁があるらしい。

「そもそも伝説の鉢金は我ら武田の忍びの物だ。それを服部半蔵めに奪われたのだ。取り戻して何が悪い。ここで貴様らを倒して、儂が日の本一の忍者になってくれるわ! 伝説の鉢金が欲しければ奪ってみるが良い。儂が身につけているのがそれだ!」

「おお! あれを取り戻した者が忍者総取締だ。早い者勝ちだぞ!」

 そう叫んだ成定が、いの一番に突っ込んだ。目にも止まらぬ歩法で一挙に間合いを詰め、それと同時に抜刀して切りかかった。いや、間合いを詰めただけではない。接近して一足一刀の間合いに入ったと見えた次の瞬間、囃子の又左の背後に回り込んでいた。恐るべき体術である。流石に伊賀の里で忍者の古老から技を伝授されただけの事はある。

 また、抜刀術も見事の一言である。武芸者としても一流で、真正面から切りかかったとしても勝てる侍はそうはおるまい。

 忍者と武士の技の融合であり、これ程の技を身につけた者は古今稀であろう。

 だが、

「青いわ!」

 囃子の又左は振り向きもせず、後ろ蹴りで応戦した。鳩尾に足を強打された成定は、もんどりうって倒れ伏す。

 若く実力確かな成定があっけなくやられたのだ。この男、単なる悪党ではない。

 だがそれに怯む忍者達ではない。即座に手裏剣や火薬玉、鉤爪付き投げ縄を投擲する。

 だが囃子の又左はそれも対応する。手裏剣は一寸の見切りで回避され、火薬玉は起爆する前に断ち切られて不発に終わる。投げ縄は絡みついたと思ったら、次の瞬間それは木箱に変わっていた。縄を引っ張って囃子の又左の態勢を崩そうとした薮田は逆に態勢を崩してしまう。

「はは、ぬるい。ぬるすぎるぞ! 所詮徳川の狗など、真の忍びでは無いと言う事か! これならば、面倒な事などせず儂自ら江戸城に乗り込んで、将軍のくびを……むむ?」

 忍者達を一蹴した囃子の又左は気が昂って何やら叫んでいたが、急にしゃがみ込んでしまう。そして自らの足を見た。そこには、足首に噛みついている蝮の姿があった。

「こ、これは?」

「いや、なんかごちゃごちゃ言ってるからさ。黙ってもらおうかなって」

 囃子の又左の足首に噛みついている蛇、それは朱音が飼い慣らし、いつも懐に忍ばせている蝮であった。

 当然毒がある。

「ひ、卑怯な……」

 流石の武田忍者も、蝮の毒に対する完全な耐性は持っていない様だ。体を震わせ、立つのがやっとの様である。

「いや、卑怯とか、あんたに言われたくないわよ」

「おのれ、こんな所で果てるものか! 我らには使命がある。いつの日か武田家さいこ……」

「黙りな」

 何かを言おうとしていた囃子の又左は、文蔵の蹴りを側頭部に食らい、意識が途切れて崩れ落ちる。

 囃子の又左が巻いていた、伝説の鉢金は蹴りの衝撃で外れ、床に転がり落ちた。

「ふう、ようやく黙ったか。本当は俺だけで倒したかったのだがな」

「何一角の武士みたいな事いってんのよ。あんなのまともにやって勝てるわけないじゃない」

「いや、武士になったんだけどさ……まあいっか」

 文蔵はまだ息のある囃子の又左を縄で厳重に縛り、引きずりながら部屋の外に出ようとした。もうそろそろ稲生達が屋敷の制圧を終える頃で、捕らえた頭目を差し出したなら皆喜ぶだろう。

「お、おい。服部文蔵! お前、囃子の又左が落とした伝説の鉢金はどうする気だ。お前が倒したのだから、お前の物だろう。俺は服部の名にかけて忍者総取締になりたいが、ここでこっそり拾って自分の物だと言い張るほど落ちぶれてはいないぞ」

 動けるようになった成定が、床に転がったままの伝説の鉢金を指さしながら言った。一応文蔵も、この伝説の鉢金の行方を求めて競っている事になっている。

「いらないよそんな物。俺はもっと大切な物を見つけた気がするんだ。誰がそれを持つのか、あんたらで適当に決めてくれ。行くぞ、朱音さん」

「そうね。じゃ、皆さんお先にね。たえさんも一緒に戻りましょ」

「あ、一つ礼を言わせてくれ。あんたらが手伝ってくれたおかげで、囃子の又左を捕縛する事が出来た。手伝ってくれなければ、もっと不利な状況で戦う事になり、負けていたかもしれないし、拐かされた子供も助けられなかっただろう。ありがとうな」

 文蔵が見つけた大切な物が何なのか、成定にも他の忍者達にも分からなかった。適当な事を言われ誤魔化された気もする。

 だが、何故か文蔵の言葉は彼らの心に響いたのだった。
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