忍者同心 服部文蔵

大澤伝兵衛

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第二章「江戸城の象」

第四話「昇進」

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 囃子の又左に関する捜査は遅々として進まなかった。そもそも一味の一員を捕縛したとはいえ、たった一人、しかも一味は大々的に活動していたのは十数年前の事だ。これでは捜査がはかどらないのも無理はない。そもそもあまりに昔の事件であるため、吟味与力達もそれほど熱心ではないのだ。

 それは同心達も同じである。事件は時間が経てば経つほど解決は困難になる。わざわざ過去の事件を掘り返して、余計な手間など取りたくは無いのだ。

「と言う訳さ。お前もあまり余計な事に嘴を挟まないのが処世術というものだぞ」

 先輩同心の一人、坂田が訳知り顔で言った。別に余計な事をするなと怒っている様子は無い。単に世間知らずの新入りに、要領の良い仕事のやり方を教えているという風情である。

「馬鹿野郎、余計な事を言ってんじゃねえぞ。若い奴に変な癖がつくだろうが。真面目にやれ。真面目に。ただでさえこいつには、忍者だとかなんだとか、そんな下らん話がついているだぞ」

 筆頭格の粟口が即座に坂田を叱責する。短い付き合いであるが、粟口は相当な堅物である事が文蔵にも分かってきている。

 粟口は立ち上がると、同心詰め所を立ち去ってしまった。おそらく与力の誰かに意見具申にでも行ったのだろう。

 粟口が居なくなると、叱責されたばかりの坂田が軽く手を顔の前で振った。気にするなとでも言いたいのだろう。坂田はもっと気にした方が良いのではないかと文蔵ですら思うのだが、どうやら定町廻りの同心では坂田の方が多数派の様だ。役人としては褒められたものではないが、下っ端役人などこんなものかもしれない。それに町奉行所の同心は三十俵二人扶持しか貰っていない軽輩であるし、役柄からして庶民と接する機会が多い。となれば自然に役人らしさ、武士らしさが抜けてしまう。

 下々の実情に通じていると言えば聞こえは良いが、厳しい言い方をすれば堕落していると言えばそうだ。

 だが、庶民と直接接する機会の多い町方同心が固いばかりでは息が詰まってしまう。それに、凶悪な犯罪者と立ち向かうには杓子定規ではいけない。

 その様な適切な感覚を身につけるのは、生半な事ではいかない。ここの詰め所にたむろしている連中が同心として適切な心構えを兼ね備えた素晴らしい同心であるかどうかは不明である。だが、少なくとも完全に堕落した者はいないと文蔵は踏んでいる。

 不浄役人と呼ばれる事もあり、役目柄役得が多いが、それに溺れる者は極僅かである。

「そう言えばお前、少々早いが見習いから正式な同心に昇格するらしいぞ?」

「左様でございますか?」

 先輩同心の一人、月野が粟口が遠ざかったのを見計らってそんな話題を口にした。

 文蔵はつい最近見習いとして採用されたばかりだ。しかも、当初配置された裏方の役職では読み書きに疎いため全く役に立たず、正直言って昇格するだけの功績を立てた気がしていない。

 そんな心情を月野に言ったところ、先日の黒雲の半兵衛捕縛がかなり評価されているのだと教えてくれた。

 黒雲の半兵衛が狙った日本橋一帯の大店は、大名や大身旗本とも付き合いがある。野放しにしておいてはまた襲撃を食らうとも限らない。それをたちどころに捕縛したのであるから、北町奉行である稲生の面目も保たれたというものだ。何せ、黒雲の半兵衛は長期にわたり関東一円を荒らし回っていたのだ。南町奉行所や火付盗賊改をはじめとする数多の治安を司る役所が成せなかった事を成したのである。稲生が採用を決めた同心見習いがだ。

「そんな訳で、お奉行様が大層お喜びだとさ」

「左様でございますか」

 文蔵は昇進には興味が無いが、活躍を認められたというのは嬉しい事である。それに、文蔵の手柄は協力してくれた朱音達の手柄でもある。それに、同心として不適格と言う事になり召し放ちになっては、また部屋住みの身に逆戻りだ。実家で父や家長である弟に邪険にされた事は無いが、それでもまた厄介になりたいとは思わない。

「ま、本当ならもう少しで黒雲の半兵衛を捕まえたのは粟口さんなんだけどな」

「え? そうなんですか?」

 黒雲の半兵衛に繋がる情報は、殆ど無かった。そのため、文蔵は相手をおびき寄せるために情報を流す様な真似までしたのだ。それなのにもう少しで粟口が捕らえたであろうとは如何なることなのか。

「ああそうだよ。これまでの奴らの犯行の手口や、地道な聞き込みで連中のねぐらは見つけ出したんだ」

「そうそう、ちょうどそれと同じ時に、黒雲の半兵衛一味が護送中の手下を取り戻そうと襲撃を仕掛けた様だな。そこにお前が運よく居合わせて、捕まえたって訳だ」

 運良くと坂田や月野は思っているが、実際のところは文蔵が裏で仕組んだことだ。その結果引き起こされた襲撃で火付盗賊改同心である百地が怪我をしている。

 文蔵は真相については黙っておくことにした。

 そして、自分達が奇策を弄して辿り着いた黒雲の半兵衛に、正攻法で迫った粟口達先輩同心の実力に、恐れ入る思いであった。
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