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第三章「新しき世」
第六話「寛永寺潜入」
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闇の中、二つの人影がどうと倒れた。その前には剣を振り下ろした姿勢のままの二人が荒い息をして立ったいた。
手にした剣は暗闇の中でも月の光を照り返してその存在感を示している。その刀身は一般的な刀剣よりも目に見えて長く、常人では使いこなすのに相当な修練を要するだろう。つまり、こうして見事に相手を切り倒している事実から、この二人の力量が並みでは無い事が示されているのだ。
言うまでもなく、この二人は山田半左衛門吉直とアンリエット・サンソンである。二人は日本と仏蘭西それぞれの国に長い間処刑人として生きて来た一族の出身で、処刑によって培った技術により相手の命を確実に刈り取る剣技を身につけているのだ。
本来の処刑人の剣技は、罪人に無用な苦痛を与える事無く一瞬で絶命させるための、言わば慈悲の剣である。だが、一度戦いに赴けば、相手の命を奪い取る技に変わるのだ。
「かなり、強かったですね」
「ええ、本当は生かして捕らえたかったのですが、とてもそんな余裕はありませんでした。さあ、証拠を探しましょう」
吉直とアンリエットはそれぞれ倒した者達の傍らに近づくと、その身体を探り始めた。二つの遺体は二人の剛剣により袈裟切りにされ、肩から腰にかけて斜めに分断されている。そのため衣服は血に汚れ、飛び出た臓物がこびりついている。だが、それを気にする様子は見せず、二人は何かを探し始めた。
「ありました。タンプル塔の亡霊からの指示が書かれた手紙です。これで、戦いは回避できるはず」
アンリエットが血に汚れた手紙を探り出し、笑顔を見せながら吉直に示した。その整った顔は返り血を浴びながらも、月に照らされて凄絶な美しさを示している。そんな事を思って一瞬見惚れてしまった吉直であるが、すぐにその様な浮ついた事を考えている時ではないと思いなおし、心の中で喝を入れた。
アンリエットとはもう数か月共に活動し、同じ部屋で寝泊まりしていた。だが、てっきり男だとばかり思っており、女性である事を知ったのはついこの前である。それ以来何となく意識してしまうのだ。
処刑人の一族が、穢れているとの理由で世間から忌避されている。そのため、婚姻の相手は同じ職業の伝手を辿る事が多い。吉直の実父と実母も、その様にして娶せられていたと聞いている。もちろん処刑人以外にも、武士は武士と、百姓は百姓と、町人は町人と、しかも家格の見合う相手と縁組するのが世の常であり、処刑人だけが特別とは言えない。だが、処刑人の結婚相手が処刑人に限定される事が多いのは事実である。
これは仏蘭西でも事情は同じらしく、仏蘭西処刑人の棟梁として名高いサンソン家の者達も、同業者と結婚する事が多いとアンリエットが語っていた。
と言う事は……
また余計な事を考えてしまったと、吉直は再度意識を集中させた。吉直達は、江戸市中を巻き込む大規模な戦いを阻止するための任務を与えられ、そのために目標の相手を倒したのである。
もちろん、二人が追っている断頭台と世界革命団に関する事だ。
依頼してきたのは、新政府軍の実質的な指揮を執る大村益次郎と、幕府の取りまとめをする勝海舟である。
依頼の内容はこうである。
将軍を退いた徳川慶喜は、上野は寛永寺に謹慎していたが、江戸城開城の約が成され、謹慎場所を水戸に変えることになった。そして既に水戸に退いている。
だが、慶喜護衛のために寛永寺に集まっていた大勢の武士達は、そこを退く事なくむしろその数を増していた。しかも、武装してである。
その勢力は単なる旧弊の、現代の戦いでは役に立たない者ばかりではない。仏蘭西式の軍事教練を受けた精鋭も含まれており、決して侮る事は出来ない。また、槍や弓、刀といった古い戦いしか知らぬ者も甘く見てはならない。通路が狭い江戸市街地では新式銃の射程を発揮する事が出来ないし、路地裏に潜んで側背から奇襲する事は大きな戦果に繋がる。
新政府側としてはこの寛永寺に集まった勢力は、大きな懸念事項であった。せっかく勝海舟と交渉して無血開城を引き出したのに、残党がこのような臨戦態勢ではいつまでたっても江戸を統治する事は出来ない。
そもそも、何故元将軍の慶喜が江戸を去ったというのに、その家臣達がこの様な状態なのか。
実はその背景には、断頭台を擁する世界革命団の暗躍があった。旧幕府勢力の穏健派で、いきり立つ幕臣たちを抑える役目を担っていた者達が、次々と何者かに殺害される事件が多発した。その首は江戸各地の広場に晒され、元々新政府に対して反発していた過激派は一層いきり立ち、穏健派の者達もその復讐のために上野に集まって来たのだ。
幕臣達は、これを新政府の仕業だと考えているのだが実は違う。世界革命団の一味が、新政府の仕業に見せかけて、戦いを抑えられると目されていた者を殺害したのである。公開処刑こそ出来なかったが、その晒された首の断面から、断頭台によるものである事は間違いない。そして巧妙な事に、新政府の兵を世界革命団が焚きつけて穏健派の幕臣を殺害させたこともある。
このままでは江戸で大きな戦いが起きる事は必至であった。
それを阻止するため、吉直とアンリエットは寛永寺に潜入したのである。この様な状況にするには、寛永寺の中で扇動している者がいるはずである。更に外の協力者との接触が必要であり、今夜それを突き止めたのだ。
そして、捕らえようとしたのだが激しい抵抗に遭い、結局斬殺するしかなかったのである。
扇動者達の遺体から回収した手紙には、これまで殺害した者達の名前や、この先殺害すべき者の名前、更にはどのようにして煽って新政府軍に衝突させるべきかが事細かに指示されている。
これを寛永寺に集まった幕臣達に見せれば、きっと思い止まってくれるだろう。
「そこにいるのは何者だ? む、お主らは」
任務が成功して気が緩んだためか、何者かが近づいて来ていたのに二人は気付かなかった。不意に声をかけられ声のする方に振り向く。何の事情も知らない者からすると、二人は寛永寺に潜入した暗殺者にしか見えない。のっぴきならない事情はあったのだが、それを説明するのは極めて困難だ。
だが、接近してきた者の顔をみて二人は安堵した。
そこには、二人と面識がある者がいる。町奉行所同心の浜田文吾であった。
手にした剣は暗闇の中でも月の光を照り返してその存在感を示している。その刀身は一般的な刀剣よりも目に見えて長く、常人では使いこなすのに相当な修練を要するだろう。つまり、こうして見事に相手を切り倒している事実から、この二人の力量が並みでは無い事が示されているのだ。
言うまでもなく、この二人は山田半左衛門吉直とアンリエット・サンソンである。二人は日本と仏蘭西それぞれの国に長い間処刑人として生きて来た一族の出身で、処刑によって培った技術により相手の命を確実に刈り取る剣技を身につけているのだ。
本来の処刑人の剣技は、罪人に無用な苦痛を与える事無く一瞬で絶命させるための、言わば慈悲の剣である。だが、一度戦いに赴けば、相手の命を奪い取る技に変わるのだ。
「かなり、強かったですね」
「ええ、本当は生かして捕らえたかったのですが、とてもそんな余裕はありませんでした。さあ、証拠を探しましょう」
吉直とアンリエットはそれぞれ倒した者達の傍らに近づくと、その身体を探り始めた。二つの遺体は二人の剛剣により袈裟切りにされ、肩から腰にかけて斜めに分断されている。そのため衣服は血に汚れ、飛び出た臓物がこびりついている。だが、それを気にする様子は見せず、二人は何かを探し始めた。
「ありました。タンプル塔の亡霊からの指示が書かれた手紙です。これで、戦いは回避できるはず」
アンリエットが血に汚れた手紙を探り出し、笑顔を見せながら吉直に示した。その整った顔は返り血を浴びながらも、月に照らされて凄絶な美しさを示している。そんな事を思って一瞬見惚れてしまった吉直であるが、すぐにその様な浮ついた事を考えている時ではないと思いなおし、心の中で喝を入れた。
アンリエットとはもう数か月共に活動し、同じ部屋で寝泊まりしていた。だが、てっきり男だとばかり思っており、女性である事を知ったのはついこの前である。それ以来何となく意識してしまうのだ。
処刑人の一族が、穢れているとの理由で世間から忌避されている。そのため、婚姻の相手は同じ職業の伝手を辿る事が多い。吉直の実父と実母も、その様にして娶せられていたと聞いている。もちろん処刑人以外にも、武士は武士と、百姓は百姓と、町人は町人と、しかも家格の見合う相手と縁組するのが世の常であり、処刑人だけが特別とは言えない。だが、処刑人の結婚相手が処刑人に限定される事が多いのは事実である。
これは仏蘭西でも事情は同じらしく、仏蘭西処刑人の棟梁として名高いサンソン家の者達も、同業者と結婚する事が多いとアンリエットが語っていた。
と言う事は……
また余計な事を考えてしまったと、吉直は再度意識を集中させた。吉直達は、江戸市中を巻き込む大規模な戦いを阻止するための任務を与えられ、そのために目標の相手を倒したのである。
もちろん、二人が追っている断頭台と世界革命団に関する事だ。
依頼してきたのは、新政府軍の実質的な指揮を執る大村益次郎と、幕府の取りまとめをする勝海舟である。
依頼の内容はこうである。
将軍を退いた徳川慶喜は、上野は寛永寺に謹慎していたが、江戸城開城の約が成され、謹慎場所を水戸に変えることになった。そして既に水戸に退いている。
だが、慶喜護衛のために寛永寺に集まっていた大勢の武士達は、そこを退く事なくむしろその数を増していた。しかも、武装してである。
その勢力は単なる旧弊の、現代の戦いでは役に立たない者ばかりではない。仏蘭西式の軍事教練を受けた精鋭も含まれており、決して侮る事は出来ない。また、槍や弓、刀といった古い戦いしか知らぬ者も甘く見てはならない。通路が狭い江戸市街地では新式銃の射程を発揮する事が出来ないし、路地裏に潜んで側背から奇襲する事は大きな戦果に繋がる。
新政府側としてはこの寛永寺に集まった勢力は、大きな懸念事項であった。せっかく勝海舟と交渉して無血開城を引き出したのに、残党がこのような臨戦態勢ではいつまでたっても江戸を統治する事は出来ない。
そもそも、何故元将軍の慶喜が江戸を去ったというのに、その家臣達がこの様な状態なのか。
実はその背景には、断頭台を擁する世界革命団の暗躍があった。旧幕府勢力の穏健派で、いきり立つ幕臣たちを抑える役目を担っていた者達が、次々と何者かに殺害される事件が多発した。その首は江戸各地の広場に晒され、元々新政府に対して反発していた過激派は一層いきり立ち、穏健派の者達もその復讐のために上野に集まって来たのだ。
幕臣達は、これを新政府の仕業だと考えているのだが実は違う。世界革命団の一味が、新政府の仕業に見せかけて、戦いを抑えられると目されていた者を殺害したのである。公開処刑こそ出来なかったが、その晒された首の断面から、断頭台によるものである事は間違いない。そして巧妙な事に、新政府の兵を世界革命団が焚きつけて穏健派の幕臣を殺害させたこともある。
このままでは江戸で大きな戦いが起きる事は必至であった。
それを阻止するため、吉直とアンリエットは寛永寺に潜入したのである。この様な状況にするには、寛永寺の中で扇動している者がいるはずである。更に外の協力者との接触が必要であり、今夜それを突き止めたのだ。
そして、捕らえようとしたのだが激しい抵抗に遭い、結局斬殺するしかなかったのである。
扇動者達の遺体から回収した手紙には、これまで殺害した者達の名前や、この先殺害すべき者の名前、更にはどのようにして煽って新政府軍に衝突させるべきかが事細かに指示されている。
これを寛永寺に集まった幕臣達に見せれば、きっと思い止まってくれるだろう。
「そこにいるのは何者だ? む、お主らは」
任務が成功して気が緩んだためか、何者かが近づいて来ていたのに二人は気付かなかった。不意に声をかけられ声のする方に振り向く。何の事情も知らない者からすると、二人は寛永寺に潜入した暗殺者にしか見えない。のっぴきならない事情はあったのだが、それを説明するのは極めて困難だ。
だが、接近してきた者の顔をみて二人は安堵した。
そこには、二人と面識がある者がいる。町奉行所同心の浜田文吾であった。
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