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第二章「標的は勝海舟」
第十二話「調査結果」
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勝海舟が西郷隆盛との会談に出発した次の日、吉直とアンリエットを尋ねて来る者がいた。町奉行所の同心である浜田文吾だ。二人は文吾を自分達が使用する小屋に招き入れた。
「よく来ましたね。文吾殿。お元気そうでなによりです」
「そちらこそ元気そうで何よりだ。まあしかし、よくこんな偉そうな奴ばかりいる所に平気でいれるもんだ。俺だったら三日ともたんだろうさ」
文吾は町奉行所の同心であり、三十俵二人扶持の貧乏御家人に過ぎない。格としては足軽であり、侍としては最下級に属する。しかも、町奉行所の役人は日頃から犯罪者であったり、武士よりも格下の町人と接するのが職務である。そのために不浄役人などと蔑まれたりしている。
それに引き換え徳川慶喜の謹慎場所であるここ寛永寺に詰めるのは、名の知れた家格の旗本ばかりである。町方同心が入り込むのは実に勝手が悪かった。犯罪者あいてなら、それがどれだけ凶悪な相手であろうと堂々と正面切って立ち回る文吾であるが、ここでは借りて来た猫の気分である。
見知った人物である吉直とアンリエットに出会えた時は、実に安心したものであった。もちろんそこまで口には出来ないのだが。
なお、文吾と違って吉直とアンリエットが普段と様子に変化が無いのは、身分の違う相手から疎外されるのはいつもの事であるため、既に感覚が麻痺しているというのが主な理由である。慣れてしまうのが良い事なのか、それともよろしくない事なのかは分からない。不平等である事は間違いないのだが、所詮この世には不公平や不平等が満ち満ちている。どうしようも無い事なら慣れてしまった方が幸せというものかもしれない。
少なくとも吉直は、最近までその様に考えておりそれに何の疑問も持っていなかったのである。
「ところでお主ら、この小屋で寝泊まりしているのか?」
「ああ、そうだ。勝海舟様の口利きでここ寛永寺に護衛として入れるようになった時に、高橋泥舟様がここを割り当ててくれたのだ」
寛永寺には宿坊がかなり広く配置されており、護衛の中でも高位の者はそこを割り当てられている。だが、流石にそれでは数が足りないため、敷地内に臨時で小屋を建設したのであった。この様な仮設住宅は、戦場でも役に立つ。普請奉行とは単なる大工の元締めではなく、あくまで軍制上の役職なのである。
「ここには二人しか割り当てられていないのか?」
「そうですね。他の方々は私達と共に寝泊まりするのを拒否されましたので、二人だけです。おかげで広々と使わせてもらってます」
小屋の規格はどれも同じであるため、吉直もアンリエットも他の護衛者より個人的に使用できる面積が広い。他の者達が起きて半畳寝て一畳の状態になっているのとは大違いだ。彼らは皆武士として厳しく躾けられているためその様な事で文句は言わないし、数日おきに交代して自宅に戻っている。そのため、それ程の問題にはなっていないのであった。
なお、文吾が二人で寝泊まりしている事について疑義を呈しているのは、その様な問題ではない。もっと別の事である。だが、吉直もアンリエットも余りにも平然としているため、直接その事に触れる事は出来ず、話題を進める事にした。
「実は、この前渋谷で捕らえた者達の取り調べが、ある程度まとまったのだ」
「ほう、それは興味深いな」
「何者だ!」
この三人は、断頭台の行方を追う目的によって繋がっている。断頭台により慶喜が処刑される事を防ぐためにこうして寛永寺に宿泊しているが、吉直とアンリエットの本来の目的は断頭台とそれを持つ組織の行方を追う事であった。だから以前捕縛した組織からの尋問結果はずっと気になっていたのである。
だが、文吾が報告しようとした瞬間に割り込む声があり、文吾は脇差の柄に手をやりながら鋭く誰何した。
戸を開けて入ってきたのは、着流しを来た三十手前程に見える一人の男であった。
「私だ」
「私では分からん。名を名乗れ!」
「文吾さん。その人、慶喜様です」
「! ははぁ」
例え相手が旗本であろうと、断頭台を追う職務に関しては厳しくあたるつもりであった文吾は、当初鋭く対応した。だが、吉直から男の素性を聞いてそれまでの態度が嘘の様に平伏した。
「知らぬ事とは言え、御無礼を!」
「まあ私の顔を知らないのは仕方ないよな。上方で将軍になってから江戸にもどって来たのは今回が初めてだし、将軍御目見えではないから御家人なんだし」
「だ、そうですよ。良かったですね。気にしていないみたいですよ」
慶喜は文吾の無礼にも気分を害した様子は見せていない。それを見てアンリエットが文吾に優しく声をかけるが、文吾は平伏したままである。
「あの、文吾殿。慶喜様は断頭台の行方とそれを擁する組織について興味がおありです。話しても問題はないでしょう。そして話すなら、頭を下げたままでは話しにくいですよ」
「うむ、その通りだ。それに今の私は将軍ではないからな。あまり気にせずとも良いぞ」
「は、はい」
吉直と慶喜に促され、文吾は恐る恐る顔を上げた。まだ、緊張の色が強く顔に滲み出ているが、とりあえず慶喜の顔を見ながら話す気になったようである。
「それでは、町奉行所の調査結果を利かせて貰おうか。何しろ、私の首がギロチンで刎ねられるかどうかがかかっているんだからね。当事者として聞かせてもらうよ」
慶喜は、自らを当事者とは言いながらも、どことなく達観した様子で文吾に報告を促した。
「よく来ましたね。文吾殿。お元気そうでなによりです」
「そちらこそ元気そうで何よりだ。まあしかし、よくこんな偉そうな奴ばかりいる所に平気でいれるもんだ。俺だったら三日ともたんだろうさ」
文吾は町奉行所の同心であり、三十俵二人扶持の貧乏御家人に過ぎない。格としては足軽であり、侍としては最下級に属する。しかも、町奉行所の役人は日頃から犯罪者であったり、武士よりも格下の町人と接するのが職務である。そのために不浄役人などと蔑まれたりしている。
それに引き換え徳川慶喜の謹慎場所であるここ寛永寺に詰めるのは、名の知れた家格の旗本ばかりである。町方同心が入り込むのは実に勝手が悪かった。犯罪者あいてなら、それがどれだけ凶悪な相手であろうと堂々と正面切って立ち回る文吾であるが、ここでは借りて来た猫の気分である。
見知った人物である吉直とアンリエットに出会えた時は、実に安心したものであった。もちろんそこまで口には出来ないのだが。
なお、文吾と違って吉直とアンリエットが普段と様子に変化が無いのは、身分の違う相手から疎外されるのはいつもの事であるため、既に感覚が麻痺しているというのが主な理由である。慣れてしまうのが良い事なのか、それともよろしくない事なのかは分からない。不平等である事は間違いないのだが、所詮この世には不公平や不平等が満ち満ちている。どうしようも無い事なら慣れてしまった方が幸せというものかもしれない。
少なくとも吉直は、最近までその様に考えておりそれに何の疑問も持っていなかったのである。
「ところでお主ら、この小屋で寝泊まりしているのか?」
「ああ、そうだ。勝海舟様の口利きでここ寛永寺に護衛として入れるようになった時に、高橋泥舟様がここを割り当ててくれたのだ」
寛永寺には宿坊がかなり広く配置されており、護衛の中でも高位の者はそこを割り当てられている。だが、流石にそれでは数が足りないため、敷地内に臨時で小屋を建設したのであった。この様な仮設住宅は、戦場でも役に立つ。普請奉行とは単なる大工の元締めではなく、あくまで軍制上の役職なのである。
「ここには二人しか割り当てられていないのか?」
「そうですね。他の方々は私達と共に寝泊まりするのを拒否されましたので、二人だけです。おかげで広々と使わせてもらってます」
小屋の規格はどれも同じであるため、吉直もアンリエットも他の護衛者より個人的に使用できる面積が広い。他の者達が起きて半畳寝て一畳の状態になっているのとは大違いだ。彼らは皆武士として厳しく躾けられているためその様な事で文句は言わないし、数日おきに交代して自宅に戻っている。そのため、それ程の問題にはなっていないのであった。
なお、文吾が二人で寝泊まりしている事について疑義を呈しているのは、その様な問題ではない。もっと別の事である。だが、吉直もアンリエットも余りにも平然としているため、直接その事に触れる事は出来ず、話題を進める事にした。
「実は、この前渋谷で捕らえた者達の取り調べが、ある程度まとまったのだ」
「ほう、それは興味深いな」
「何者だ!」
この三人は、断頭台の行方を追う目的によって繋がっている。断頭台により慶喜が処刑される事を防ぐためにこうして寛永寺に宿泊しているが、吉直とアンリエットの本来の目的は断頭台とそれを持つ組織の行方を追う事であった。だから以前捕縛した組織からの尋問結果はずっと気になっていたのである。
だが、文吾が報告しようとした瞬間に割り込む声があり、文吾は脇差の柄に手をやりながら鋭く誰何した。
戸を開けて入ってきたのは、着流しを来た三十手前程に見える一人の男であった。
「私だ」
「私では分からん。名を名乗れ!」
「文吾さん。その人、慶喜様です」
「! ははぁ」
例え相手が旗本であろうと、断頭台を追う職務に関しては厳しくあたるつもりであった文吾は、当初鋭く対応した。だが、吉直から男の素性を聞いてそれまでの態度が嘘の様に平伏した。
「知らぬ事とは言え、御無礼を!」
「まあ私の顔を知らないのは仕方ないよな。上方で将軍になってから江戸にもどって来たのは今回が初めてだし、将軍御目見えではないから御家人なんだし」
「だ、そうですよ。良かったですね。気にしていないみたいですよ」
慶喜は文吾の無礼にも気分を害した様子は見せていない。それを見てアンリエットが文吾に優しく声をかけるが、文吾は平伏したままである。
「あの、文吾殿。慶喜様は断頭台の行方とそれを擁する組織について興味がおありです。話しても問題はないでしょう。そして話すなら、頭を下げたままでは話しにくいですよ」
「うむ、その通りだ。それに今の私は将軍ではないからな。あまり気にせずとも良いぞ」
「は、はい」
吉直と慶喜に促され、文吾は恐る恐る顔を上げた。まだ、緊張の色が強く顔に滲み出ているが、とりあえず慶喜の顔を見ながら話す気になったようである。
「それでは、町奉行所の調査結果を利かせて貰おうか。何しろ、私の首がギロチンで刎ねられるかどうかがかかっているんだからね。当事者として聞かせてもらうよ」
慶喜は、自らを当事者とは言いながらも、どことなく達観した様子で文吾に報告を促した。
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