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『ひとつ提案をしよう』

 シローが、ハナコに向けて左手の人差し指を立てた。

『大人しくアリスを渡せば見逃してやってもいい。どうだ、悪くないだろう?』
「ふざけるな。アリスはわたしのものだ!」

 身の危険すら察せないほどに怒るヒサトが割って入る。

『……相も変わらず愚かな弟だな、ヒサト』

 ピクシーの太い腕が素早く伸び、ヒサトの首を鷲掴みにした。

『残念だが、貴様は見逃すリストには入っていない』
「や、やめ――」

 ――懇願虚しくマッチ棒のように首を容易く折られてダラリと四肢を揺らしたヒサトをピクシーはためらうこともなく〈マッド・ハッタ―〉に叩きつけた。つぶれた〈マッドハッター〉の上で、無惨な姿になったヒサトの見開いたままの目が、ジッとハナコに何かを訴えかけているようだった。

『あー、スッキリ、スッキリじゃ』

 シローの呑気な声とともに、ピクシーが満足げに肩を回す。

 ハナコは我に返り、

「てめえ!」

 特殊警棒をピクシーのこめかみに思うさま打ち込んだ。

 ピクシーは何事もなかったかのようにハナコに視線を向け、

『交渉は決裂か。残念だよ、ハナコ』

 と、呆れたようなシローのため息が漏れた。
「名前で呼ぶんじゃねえ!」

 無謀なこととは分かっていながら、ハナコはピクシーの鳩尾に二撃目を入れた。

『だから、無駄だと言っているだろう』

 ビクともしないピクシーがハナコの右手首を掴む。ゆっくりと強まるその握力に耐え切れず、ハナコは特殊警棒を手から放した。尚も握力は強くなり、ハナコは気を振り絞って、残った左手や足で掌底と蹴りの連撃をピクシーに打ち込んでいった。

『無駄だとなんど言わせ――』

 ――突然の爆音とともに、ピクシーが吹き飛ぶ。

 ピクシーから解放されて膝をついたハナコに、

「おうおう、大丈夫か?」

 眉根を上げて訊くトラマツの右手――〈射出機能内蔵義手〉からは、白煙が立ち昇っていた。

「あの黒ずくめ、さすがにおれさまの一撃には耐えられなかったようだな」
「……あんたのソレ、とんでもねえな」

 腕の感触を確かめてから、ハナコは特殊警棒を拾い上げて立ち上がった。

「これで死んでくれたら、いいんだけど」

 木刀を肩にトントンと当てながら、リンが勝ち誇ったように笑みを浮かべる。

「あんたらと共闘することになるとはね」 

 半ば自嘲するように笑って見ると、すぐに瓦礫の山が吹き飛んでピクシーが土煙の中から姿を現した。

『少しばかりのダメージはあるが、問題はなさそうだ』
「マジかよ……」

 戦慄する心をおさえて構えるハナコの横にリンが立ち、木刀を構える。

「まったく、なんであんたと組まなきゃならないのよ」
「こっちのセリフだ」
「おいおい、仲良くしろ。すぐに家族になるんだからよ」

 トラマツが笑えないジョークを飛ばし、落ちている岩を〈射出機能内蔵義手〉に装着すると同時に、ゴエモンがピクシーにボウガンを撃った。

『ナメるな、小僧』

 こともなげにキャッチしたボルトを真っ二つに割るピクシー。

「お、おれだって戦力になれるぜ」

 瓦礫から飛び降りて来たゴエモンが言う。

「……なんでもいい。手を貸して」

 プライドなんかどうでもいい、とにかくアリスを絶対に救い出してみせる。

「ネエさん!」

 ムラトに肩を貸して起き上がらせていたトキオが叫ぶ。

「ネロが、逃げてます!」

 振り向いたハナコの視線の先には、アリスの手を無理矢理に引いて逃げてゆくネロの姿。

「くそっ!」

 ネロを追おうとしたハナコを、ピクシーが高速で追い越して行った。

「ヤツの弱点は、昔と構造が一緒ならば首の後ろのチューブだ……あれをすべて切り離せば、ヤツは止まる」

 息も絶え絶えに言ったムラトの体から力が抜ける。

「ネ、ネエさん、どうします?」
「……あんたは、ジイさんをお願い」

 トキオにこの場を頼み、ハナコはすでに先を行くコブシ一家の後を追った。

 両側に瓦礫が堆く積もる迷路のような道を抜けた先は、円形の広場のようになっていた。その奥には、盾にしたアリスのこめかみに銃を当てたネロ、対峙して仁王立ちするピクシー、更にその後ろからにじり寄るコブシ一家が見えた。

『分かっていないのか? お前の仲間はもうひとり残らずいないようだぞ』
「おれはやり遂げるだけだ。それが死んでいった仲間たちへの弔いにもなる」
『……お前の目的はわしと同じだろう。ならば、組んでやってもいいが?』
「ふざけるな。お前もおれたちの敵だ」

 ネロが、銃をピクシーに向ける。

「まずいぞ!」

 トラマツの声とともに銃声が響き、咄嗟に身をかがめていたハナコの目の前で、ピクシーが恐るべき速度で弾丸を避ける光景が繰り広げられた。

 弾丸が尽きたネロの拳銃から、カチッ、カチッ、と引き金を引く音が虚しく響く。

「ここで終わるわけにはいかないんだ」

 拳銃とアリスを放り投げ、ネロはコンバットナイフを構えた。

『哀れだな。引導を渡してやる』
「待て待てコラ、お前らはおれさまたちの獲物だぜ。やれ!」

 両者に割って入り、トラマツが吠え、ピクシー、ネロ、コブシ一家の大乱戦が始まった。

「アリス!」

 ハナコはアリスに駆け寄り、抱きかかえて大乱戦から距離を取った。

「大丈夫か?」

 無言のままうなずくアリスを後ろにやり、ハナコは考えた。ピクシーは強い。それは紛れもない事実だ。だがムラトの言葉を信じるなら、背面のチューブさえ切断できれば勝てるはずだ。ピクシーになにか弱点や隙があれば……

 ハナコが思考を巡らせているあいだにも、目の前では戦いが続いていた。トラマツの拳もリンの木刀もネロのコンバットナイフもいとも容易く避けてゆくピクシー。その最中、背後からにじり寄ったゴエモンが腰にタックルをかました。だがビクともしないピクシーは、ゴエモンのリーゼントを鷲掴みにして軽々と持ち上げ、背中から地面にたたきつけた。

 寝ぼけたヒキガエルのような声を出し、白目をむくゴエモン。

「クソヤロー!」

 弟をやられ、キレたリンが感情のままにピクシーの右肩に振り下ろした木刀が折れ、無情にも繰り出されたピクシーの蹴りで吹き飛んだリンを、トラマツが受け止めた。

「本当にバケモノのようだな……」

 トラマツがニヤリと笑う。

『なにがおかしい?』
「存分にコレが使えるのが楽しみでな」

 リンを地面に寝かせ、ゆっくりと立ち上がったトラマツが義手を撫でながら言う。

『言っておくが、正面からの攻撃を喰らうほど、ピクシーはノロマじゃないぞ』

 勝ち誇る隙だらけの背中にネロのコンバットナイフを突き立てられたピクシーがよろめいた。そのままピクシーの膝裏に蹴りを入れて片膝をつかせたネロが、

「撃て!」

 と叫んだ。


 突然の命令に驚きながらもトラマツが放った岩が命中して吹き飛んだピクシーは、廃屋にぶち当たって崩壊する瓦礫に埋もれた。

「これがおれさまの〈射出機能内蔵義手〉の力よ! バケモノなんか目じゃねえ」トラマツがカカカと笑い、ネロを睨みつけて「あとはお前だけだな、軍人野郎」と威嚇した。

「まだだ!」

 ハナコの大声もむなしく、廃屋から飛び出してきたピクシーが、慌てて防御するトラマツの義手に連打を喰らわせた。強烈な打撃を受け、みるみるうちにトラマツの義手がグチャグチャになってゆく。

「うおおおお!」
『さっきのお返しだ』

 ピクシーが掌底を叩きこみ、耐えていたトラマツが瓦礫の山まで飛ばされ、そのまま地べたに突っ伏した。

『さて、あとは軍人野郎とハナコだけだな』

 ピクシーのマスクから蒸気が噴き出る。

「この道の終わりが、こんなことであってたまるか!」

 ふたたびコンバットナイフを構えるネロの横に並び、ハナコも特殊警棒を構えた。

「気に食わないけど、今だけ手を組めば、ピクシーを倒せるかもしれない」

 ピクシーに聞こえないよう、小声でネロに言うハナコ。

「勝算はあるのか?」
「アイツは、首のところのチューブが弱点みたい。どうにかして切り離したら、動かなくなるんだとよ」
「……低すぎる勝算だな」

 ほとんど絶望的な勝算をネロが笑う。

「やるしかねえだろ」
『何度やれば気が済む?』
「てめえを倒すまでだ!」

 怒りに任せて振り下ろされたハナコの特殊警棒を避け、ハナコに殴りかかろうとするピクシーの脇腹に、ネロのコンバットナイフが深々と突き刺さる。

『即席のチームで何ができる?』

 コンバットナイフをネロから取り上げ、そのまま超スピードでネロの腹に刺すピクシー。

「う……ぐぐ……」

 膝をつき、そのままネロは倒れこんだ。

『これで、ひとりだな、ハナコ』
「名前で呼ぶんじゃねえ!」

 ハナコの連撃を、まるで楽しむかのように躱してゆくピクシー。ハナコの隙をつき、ピクシーが拳を振り上げた――

 ――殺られる!

 その刹那、アリスが首から下げた笑い袋をギュッと握りしめた。

「アーハッハッハッハ!」

 ピクシーの動きがピクリと止まる。

『なんだ、どうしたピクシー?』

 シローが焦る。

 これだ、これがピクシーの隙だ。

「アリス、笑い袋を鳴らし続けろ!」

 アリスに言って、ハナコはピクシーの背後に回り込んだ。

「アーハッハッハッハ!」

 ハナコの命令どおり、笑い袋を鳴らし続けるアリス。

「オ……オオ……」

 両手を前に突き出し、笑い袋へとピクシーが向かいだした。

『ピクシー、何故だ? なぜわしの言うことを聞かぬ?』

 シローの焦る声がスピーカー越しに虚しく響く。

 ハナコはピクシーの背中に飛び乗り、チューブを引きちぎろうとした。だが、チューブは固く、とても簡単に外せそうにはなかった。

「アーハッハッハッハ!」

 なおも響くアリスの笑い袋の笑い声に引き寄せられてゆくピクシー。

 このままでは、ピクシーがアリスにたどり着いてしまう。

「ハナコ!」

 声に振り向くと、そこにマクブライトがいた。

「これを使え」

 言って、マクブライトが放り投げてきたものを受け取るハナコ。

 見ると、それは手榴弾だった。

 ハナコは手榴弾のピンを抜いてチューブの間に挟み込み、飛び降りてアリスのもとへと走った。アリスを抱きかかえると同時に背後で爆発が起き、首から上が無くなったピクシーが大の字になって倒れた。

「やったか?」

 ハナコのもとへ来たマクブライトが訊く。

「あんたは大丈夫なの?」
「ああ。右腕とあばらを何本かやっちまってるみたいだが、なんとかな」
『そんなバカなことがあってたまるか。ピクシーは最強だ』

 ピクシーのスピーカーからシローが叫ぶ。

「終わりだよ、これで」
『ふざけるな……ウッ…ギギギギッギギ……ゲボゲボゲボゲボ!』

 断末魔を上げながら反吐を吐くシローの通信が、数回のノイズ音の後に途絶えた。

「どうやら、お前の勝ちのようだな、ハナコ・プランバーゴ」

 仰向けに倒れ力なく笑うネロの腹から、血がとめどもなくあふれ出していた。

「……あんたには、あたしがトドメを刺したかったんだけどね」
「これでまた……この世界は続く。お前の選択が正しかった……とは、おれは思わん」
「あんたもシローもヒサトも、アリスを、子どもを使わなきゃなんもできない奴らの正しさなんて、あたしは間に合ってる」
「フッ、かもしれんな……とにかく……おれの戦いは……ここまでのようだ……」

 笑みを浮かべてネロは目を瞑り、そのまま果てた。

「終わったようだな」

 声のした方を振り向くと、赤い鷹の地下牢に幽閉されていたはずのカオル・スズキと兵士たちの姿があった。

「なんであんたらがここにいる?」
「そこでノビている泥棒一家に出してもらった。お前の居場所まで連れて行く約束でな」
「なるほどね、〈446部隊〉と戦ってたのは、あんたらだったのか」
「そういうことだ」
「で、まだアリスを戦争に使うつもり?」
「……〈マッドハッター〉は使い物にならない状態だった。ヒサト・メンゲレが死んだ今となっては、修復も不可能だろう。それに――」

 ――カオルがアリスに歩み寄って、片膝をついた。

 とつぜんのことに驚いたアリスが、一歩だけ後退る。

「――考えを改めることにしたよ」

 警戒するハナコに視線を移し、

「お前に言われたとおり、焦りで判断を誤ってしまったのが身に染みて分かったよ。それにこちら側にも多数の犠牲が出た。いま事を起こすのは得策ではない。皮肉だが、代表の言うとおりだったってわけだ」

 と、カオルは自戒するように言った。

「この選択が正しいかどうかは、分からんがな」
「……正しいかどうかは、だれにも分からないだろ?」
「確かにな。せめて後悔をしないようにしよう」

 ネロの言うとおり、この世界は続く。

 後悔をしないための選択が、これからも続くのだろう。

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