World of Fantasia

神代 コウ

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研究員と被検体

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 この時点でシンは、自分が見ているこの光景がアズールの記憶でも、ましてや自分の記憶でもない事に気付いていた。つまりこれは、さっきまでアズールの身体を乗っ取り、彼らと戦闘を繰り広げていた“煙の人物“の記憶だったのだ。

 だが妙なことがあるとするならば、この人物には実在する肉体があるということだ。シンがアズールの意識の中から引き摺り出した煙の人物には実体がなく、微量な魔力の混ざった気体によって人のような身体をかたどっていたに過ぎない。

 そしてもう一つ気になる点が、記憶の人物とその記憶の持ち主であろう“煙の人物“では、口調に違いがあるということだ。

 人の精神状態や性格など、それはその時当人が置かれている状況や過去の出来事によって変わる曖昧なもの。それだけでこの記憶の持ち主が別人のものであるとは考えずらい。

 ただそれでも、記憶の絵画の中での彼と、正体を現した時に口にしていた彼の言動からは正反対の性格だと思わざるを得ない。

 記憶の絵画の映像は先程のものとは一変し、何処かの施設内ではなく森の中へと移り変わる。駆け抜けるように周囲の木々が移り行く中、記憶の持ち主は息を切らしながら誰かの手を引いて走っている。

 そして引っ張られるように足を止めた彼は、その手が握る先に視線を移す。するとそこには、先程まで見ていた映像で容器の中にいたと思われる女性の姿があった。

 彼女も彼と同じ白衣を身に纏い、他の人間と見比べても相違ない様子で動いている。だがサイズが合っていないのか、袖はぶかぶかでひどく弛んでおり、履いている靴も今にも脱げそうな様子だった。

 息を切らしていたのは彼女も同じく、限界を迎えてしまったのか彼の手を握ったままその場に崩れ落ちてしまうと、初めてそこで彼女の声を聞く事になる。

 「もう・・・走る・・・出来ない・・・」

 すると彼は、彼女の手を両手で握りしめ彼女と同じ目線になるよう膝をつくと、限界を迎え不安がる彼女を元気付けるように言葉を送る。

 「もう少しだ!もう少しで街に辿り着ける。そこまで行けば、奴らも表立って探すのは難しくなる筈だ。俺の友人が時間を稼いでくれている。脱走がバレるまでにはまだ時間がある。その内に出来るだけあそこから離れなければ・・・」

 どうやら記憶の彼は、以前の映像の中にいた実験体と呼ばれている女性と施設を逃げ出したようだった。

 会話の中にもあったように、彼のいた施設では精神科学の研究が行われており、その実験に生きた生き物を使うという許されざる行為が行われていた。要はここでも、生き物の命を使った人体実験が行われていた事がわかった。

 その対象は人間だけに留まらず、様々な種族や霊、そしてモンスターなどにも及んでいた。その実験体である内の一人に彼女がいた。

 名前は“ローズ“。とはいっても、元の彼女自身の本名ではなく、施設内での実験体としての呼び名だったようだ。分野ごとに関連付けた名称で呼んでいたようで、彼が行っていた分野では対象に“花“の名前が付けられていた。

 数ある実験体の中でもローズは、非常に有力な実験結果を残す有力な個体として、研究の大いなる発展の為に一目置かれていた。他にも幾つかの有力な個体はいたので、彼女が特別目立つということはなかった。

 ローズが結果を出す以前から担当をしていた彼は、素性も本名も、声すら聞いたことのない彼女に、徐々に愛着が湧くようになっていった。

 最初にローズが連れて来られた時は、研究員達による薬物投与のせいで、心臓が動いているだけの全く反応を示さない人形のような状態だった。実験の過程で絶命してしまう実験体となった生物を幾つも目にしてきた彼は、その時特に思い入れもなくただ新たな実験体がやって来たくらいにしか思っていなかった。

 しかし実験を重ねていく内に、瞳に光が宿り視線を動かし様々なものを見つめるようになる。この段階では彼女に意思があったかどうかなど分からない。だがまるで生まれたての子供のように純粋な目をしていた彼女を見て、彼の中ではまるで愛犬や愛猫を愛でるような愛着が生まれ始めていた。

 生きている肉体に対し、リセットされたかのように中身の無くなってしまった実験体。謂わばその肉体という容器に、人工的に作り上げられた意思や感情、肉体のセーフティの解除が適応されるのか。

 確証が得られるほどの判断材料はなかったが、彼はローズの意思を持っているかのような行動に驚かされる日々を送っていた。

 そしていつしか、彼はローズを実験体とは思えないようになってしまっていたのだ。

 研究の段階で、実験体に対し特別な感情を抱く者は過去にもいたらしい。だが、研究員達はその事については関わろうとはしなかった。研究を重ねる内に精神的に普通の人々とは思想が変わってしまった研究員は、そんな彼らの気持ちが分からないといった者が殆どだっただろう。

 その上、施設内ではある決まり事があったのだ。それはおかしくなった同胞には関わるなというものだった。精神という非常に難しい分野を研究する中で、実験体だけではなく研究者の中にも精神的な異常をきたしてしまうという危険があった。

 内部での拡散を危惧し、妙な変化があった場合は報告対象となるのが彼らの施設での常だった。彼もそれを知っていた為、他の者の目があるところでは平然を装いながらも、ローズに対し密かに特別なコンタクトを行っていた。
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