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全身全霊の一瞬
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ポータルの開通の合図は簡単だった。シンが残した影の澱みを眺めていると、出口を作り出したと同時に、薄らと向こう側が覗けた。
シンは無音のまま物色を続ける巨体の変異種の下に滑り込むと、その大きな身体で必要以上に濃くなる影を利用して、弱点部位である首の真下にポータルの出口を設置する。
これで準備は完了した。シンの居る位置と天臣の隠れていた物陰が繋がり、彼が見ていたシンの影に変異種の首らしきものが見えた。
天臣は静かに大きく深呼吸をする。そしてもう一度大きく息を吸い込むと、まるで煙のように彼の僅かに開いた口の隙間から、青白い息が漏れ出す。
目を閉じて心を落ち着かせる天臣。抜刀術のように腰を落とし、前屈みの前傾姿勢になる。力強く握り締める刀の柄と鞘。瞼の裏に一瞬だけ、彼の記憶に残る友紀の笑顔が過ぎる。
その刹那、目を開いた天臣は音もなくその場から消え去った。僅かに舞った塵が、まるで影の中に吸い込まれるようにしてゆっくりと動き出し、一気に影の中へと天臣を追って加速し、取り込まれる。
同時に、シンの居る変異種の身体の下では、ポータルから一瞬にして飛び出した天臣の鋭い刀剣が、その太くおどろおどろしい変異種の首を切り裂いた。
出血が自分の出番を忘れたかのように、肉が裂け所から遅れて噴き出す。
だがここで、二人にとって想定外の事が起こったのだ。
変異種の首が、二人が思っていた以上に太く固かった。天臣の刀は閃光のように鋭い一閃を放ったが、首を切り落とすまでには至らず、道半ばで止まってしまっていた。
「クッ・・・!押し込めんッ・・・!?」
今頃になって漸く、変異種の痛覚に信号が届く。尖った岩のように鋭い牙を覗かせ、その大きな口を開いてもがき苦しみ出した。
しかし、変異種は叫び声を上げない。否、上げられなかった。
シンは万が一に備え、自分と同じように変異種の身体から一時的に、“音“を奪い去っていたのだ。
大きな身体がいくら暴れようと、音をイルに届けることはない。だがそれも長くは保たない。自身の身体から聞こえる音を消し去るのとは訳が違い、対象が他者であるだけでも持続時間が短く、更にこれだけの巨体ともなれば、その時間は数秒にも満たない。
変異種は、後退りをして頭部を上げながら左右に大きく振るう。肉に挟まれた刀が後ろにも前にも行かず、握ったまま振り回される天臣は、刀の柄を軸に必死にその巨体に張り付いていた。
首の肉厚は無防備な時とは違い、力が込められたことで強度を増していた。それこそ、そのまま筋肉の圧力で天臣の刀をへし折らんとする程の勢い。どの道、二人には時間がなかった。
シンは急ぎ変異種へと近づくと、天臣とは反対側となる首へ短剣を突き立てる。彼の一撃は、モンスターの首を切り落とすには至らなかったものの、反対側まで大きく裂けていた。
よくこれで生きているものだと感心すらする。暴れる変異種の首に張り付く二人。シンは先ほど見た天臣の一連の動きをコピーするスキル、“鏡影“を使う。
「天臣さんッ!もう一度刀をッ!!」
彼の言葉で天臣は刀の柄を力強く握り締め、再びその刃を奥へと押し込む。動きこそ真似られても、威力には天と地ほどの差が出る。だが、今の彼らにはそれで十分だった。
シンの短剣に影が集まり、まるで峰闇の紫黒の剣のように刀剣に纏わりつくと、天臣の手にする刀をも模倣し始めたのだ。
力及ばずとも、シンの模造刀は変異種の硬い肉を裂き、天臣の刀が通る道を切り開く。シンの影によって進むべき道を得た天臣の刀は、それまでピクリとも動かなかった変異種の肉の壁を進み始め、その太い大木のような首を見事に切り落とした。
十秒にも満たないほんの僅かな出来事。彼らはその一瞬の内に、イルの連れてきた巨体の変異種を、音もなく暗殺した。
息を呑むほどの一瞬に、ドッと押し寄せる疲労感。それ程までに二人が、全身全霊で集中していたことが窺える。
荒い息遣いで膝をついて倒れるシン。着地と同時に膝を着きそうになるも、咄嗟に刀を突き刺し、支えにして堪えていた天臣。
身体から頭部を切り落とされた巨体の変異種も、流石に頭なくして生きてはいられなかったようだ。その大きな身体は、シン達の身体を押し流さんとする勢いの風を吹かせながら崩れ落ち、徐々に光の粒子となって消えていく。
だがその一瞬、消えゆく変異種の頭部から再び、あの男の声がし出した。
「タダ・・・イマ・・・。タダイマ・・・イイコ二・・・シテタカイ?・・・オヤスミ・・・オヤスミ・・・」
二人はその巨体が発するにはあまりに優しい声に、不気味さを感じながらも思わず聞き入ってしまっていた。
恐らくこの声は、この変異種が食らった人の声なのだろう。意思はなくとも、生前に使っていた言葉を意味もなく発しているのかもしれない。
しかしその言葉からは、その男の生活が滲み出ているようだった。彼には帰りを待つ者がいて、その者への思いが変異種の口の中から、壊れたラジオのように何度も何度も、完全に消滅するまで絶えず繰り返されていた。
「・・・行こう。もうすぐだ・・・」
先に立ち上がった天臣が、支えにしていた刀を引き抜き鞘に収めると、一足先に歩き出す。それを追うように立ち上がるシンが、彼の後ろを歩きながら大宴会場を後にする。
変異種を倒した二人は、イルや友紀の居る屋上へ続く階段を上がっていく。
しかし、このまま馬鹿正直に正面から行ったのでは、ここまで注意して進んで来た意味がない。階段の途中でシンは天臣を引き止め、再び自分が影の中を通り上の様子を見てくると告げる。
彼もそれを承諾しシンを見送ると、再びポータルの入り口をその場に作り、一足先に屋上へと向かった。
そこでは、一人の男と一人の女が声を荒げて言い争いのようなものを繰り広げていた。
シンは無音のまま物色を続ける巨体の変異種の下に滑り込むと、その大きな身体で必要以上に濃くなる影を利用して、弱点部位である首の真下にポータルの出口を設置する。
これで準備は完了した。シンの居る位置と天臣の隠れていた物陰が繋がり、彼が見ていたシンの影に変異種の首らしきものが見えた。
天臣は静かに大きく深呼吸をする。そしてもう一度大きく息を吸い込むと、まるで煙のように彼の僅かに開いた口の隙間から、青白い息が漏れ出す。
目を閉じて心を落ち着かせる天臣。抜刀術のように腰を落とし、前屈みの前傾姿勢になる。力強く握り締める刀の柄と鞘。瞼の裏に一瞬だけ、彼の記憶に残る友紀の笑顔が過ぎる。
その刹那、目を開いた天臣は音もなくその場から消え去った。僅かに舞った塵が、まるで影の中に吸い込まれるようにしてゆっくりと動き出し、一気に影の中へと天臣を追って加速し、取り込まれる。
同時に、シンの居る変異種の身体の下では、ポータルから一瞬にして飛び出した天臣の鋭い刀剣が、その太くおどろおどろしい変異種の首を切り裂いた。
出血が自分の出番を忘れたかのように、肉が裂け所から遅れて噴き出す。
だがここで、二人にとって想定外の事が起こったのだ。
変異種の首が、二人が思っていた以上に太く固かった。天臣の刀は閃光のように鋭い一閃を放ったが、首を切り落とすまでには至らず、道半ばで止まってしまっていた。
「クッ・・・!押し込めんッ・・・!?」
今頃になって漸く、変異種の痛覚に信号が届く。尖った岩のように鋭い牙を覗かせ、その大きな口を開いてもがき苦しみ出した。
しかし、変異種は叫び声を上げない。否、上げられなかった。
シンは万が一に備え、自分と同じように変異種の身体から一時的に、“音“を奪い去っていたのだ。
大きな身体がいくら暴れようと、音をイルに届けることはない。だがそれも長くは保たない。自身の身体から聞こえる音を消し去るのとは訳が違い、対象が他者であるだけでも持続時間が短く、更にこれだけの巨体ともなれば、その時間は数秒にも満たない。
変異種は、後退りをして頭部を上げながら左右に大きく振るう。肉に挟まれた刀が後ろにも前にも行かず、握ったまま振り回される天臣は、刀の柄を軸に必死にその巨体に張り付いていた。
首の肉厚は無防備な時とは違い、力が込められたことで強度を増していた。それこそ、そのまま筋肉の圧力で天臣の刀をへし折らんとする程の勢い。どの道、二人には時間がなかった。
シンは急ぎ変異種へと近づくと、天臣とは反対側となる首へ短剣を突き立てる。彼の一撃は、モンスターの首を切り落とすには至らなかったものの、反対側まで大きく裂けていた。
よくこれで生きているものだと感心すらする。暴れる変異種の首に張り付く二人。シンは先ほど見た天臣の一連の動きをコピーするスキル、“鏡影“を使う。
「天臣さんッ!もう一度刀をッ!!」
彼の言葉で天臣は刀の柄を力強く握り締め、再びその刃を奥へと押し込む。動きこそ真似られても、威力には天と地ほどの差が出る。だが、今の彼らにはそれで十分だった。
シンの短剣に影が集まり、まるで峰闇の紫黒の剣のように刀剣に纏わりつくと、天臣の手にする刀をも模倣し始めたのだ。
力及ばずとも、シンの模造刀は変異種の硬い肉を裂き、天臣の刀が通る道を切り開く。シンの影によって進むべき道を得た天臣の刀は、それまでピクリとも動かなかった変異種の肉の壁を進み始め、その太い大木のような首を見事に切り落とした。
十秒にも満たないほんの僅かな出来事。彼らはその一瞬の内に、イルの連れてきた巨体の変異種を、音もなく暗殺した。
息を呑むほどの一瞬に、ドッと押し寄せる疲労感。それ程までに二人が、全身全霊で集中していたことが窺える。
荒い息遣いで膝をついて倒れるシン。着地と同時に膝を着きそうになるも、咄嗟に刀を突き刺し、支えにして堪えていた天臣。
身体から頭部を切り落とされた巨体の変異種も、流石に頭なくして生きてはいられなかったようだ。その大きな身体は、シン達の身体を押し流さんとする勢いの風を吹かせながら崩れ落ち、徐々に光の粒子となって消えていく。
だがその一瞬、消えゆく変異種の頭部から再び、あの男の声がし出した。
「タダ・・・イマ・・・。タダイマ・・・イイコ二・・・シテタカイ?・・・オヤスミ・・・オヤスミ・・・」
二人はその巨体が発するにはあまりに優しい声に、不気味さを感じながらも思わず聞き入ってしまっていた。
恐らくこの声は、この変異種が食らった人の声なのだろう。意思はなくとも、生前に使っていた言葉を意味もなく発しているのかもしれない。
しかしその言葉からは、その男の生活が滲み出ているようだった。彼には帰りを待つ者がいて、その者への思いが変異種の口の中から、壊れたラジオのように何度も何度も、完全に消滅するまで絶えず繰り返されていた。
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しかし、このまま馬鹿正直に正面から行ったのでは、ここまで注意して進んで来た意味がない。階段の途中でシンは天臣を引き止め、再び自分が影の中を通り上の様子を見てくると告げる。
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