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神代 コウ

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護幻の地獄

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 黄 護幻。

 少女の生まれた家庭はごく普通の、少し貧しいと言われるくらいの、その国ではどこにでもあるような何の変哲もない普通の家庭だった。

 貧しいとは養育には支障もなく、両親も育児を怠らず少女はすくすくと育って行った。だが、そんなどこにでもあるような普通の家庭に変化が訪れたのは、少女が這い這いを卒業し、二足歩行を行えるようになってきた頃だった。

 変化とはいえ、この国では珍しいことでもない事なのだが、政府がそれを取り締まるにはあまりにも数が多く、犯行が行われてしまえば後手に回るしかない。その手口は年々巧妙になり、国民から政府は取り締まりを、半ば諦めているのではないかと思われている程だった。

 ある日の夜、少女は人攫いに会った。

 両親は直ぐに捜索願を出したが、少女が見つかることはなかった。それもその筈、少女はもうその国にはいなかったのだから。

 人攫い達は、まだ物心がつく前の幼い子供を攫い、商品として売り捌いていた。中には、子宝に恵まれず望んで引き取る者もいたようだが、その殆どが奴隷や趣味の為のペットのように扱う者達ばかりだった。

 少女も、そんな前任者の子供達と同じように、何者かも分からぬ買取手によって引き取られていった。だが、運が良かったと言うべきか、少女を引き取ったのは中でも厳しい境遇のところではなく、子供として引き取ることを目的とした珍しい客だった。

 何処の国のどんな家柄の者かは分からない。しかし、その家の広さや食器や照明、壁に掛けられた絵画など、内装をみれば裕福な家柄であるのが伺える。暇と金を持て余した裕福な者の気まぐれか、貴族の戯れか。

 少女を引き取ったその家庭は、優しい老夫婦だけが暮らす豪邸。金銭面や環境でいえば、本当の親の元よりも圧倒的に何不自由ない育児環境と安全な生活が、そこにはあった。

 攫われて買い取られるまで、薬によって眠らされていることの方が長かった幼い少女は、それが誰とも知らずに育てられ、まるで本当の家族のように育てられ、そこで少女の表面上の人間性や性格は形作られていくことになる。

 言葉を覚え、恵まれたことに英才教育まで受けることになり、武芸や魔法に関する技術まで身につけていく。少女は老夫婦を本当の親のように慕って平和な日常を過ごしていくのだが、またしても少女に不運が起こることになる。

 人身売買をしていた老夫婦が、全うな人間である筈もなく、現在少女と老夫婦が住む国から摘発され、老夫婦は断罪されることになり、少女は老夫婦から辿った人身売買のルートを辿り、生まれ落ちた本当の故郷へと戻されることになった。

 しかし、少女の本当の親である父と母は既に離婚しており、どちらも少女の引き取りを拒否したのだ。何処の誰に育てられたかも分からぬ実の娘の人権を押し付け合い、最終的に折れた母親の方に引き取られる少女。

 何故捜索願まで出していた筈の、我が子の帰還を素直に喜ばなかったのか。老夫婦の元で良い教育を受けてきた少女は、直ぐにその信じられない事情を察することになってしまう。

 少女が帰国し、両親の元へ戻された頃には既に、父親側も母親側も新しい家庭を築いていたのだ。今更見ず知らずの子を受け入れる程の精神的金銭的な余裕など、この貧しい平民の生活にはなく、今ある幸せや家庭を壊したくないと、少女の引き取りを拒否していたのだ。

 そして、仕方がなく少女の引き取りを受け入れた母親側の家庭で、少女は酷く肩身の狭い思いをしながら暮らすこととなる。

 満足な食事など与えられず、口にするのは家族の食べ残したほんの僅かに食器にこびり付いた、味のする液体を啜ったり、外に出てはゴミ捨て場にあるいつの物かも分からぬ残り物を漁る他なかった。

 飲み物も水道や井戸などを使わせて貰えることはなく、老夫婦の元で得た知識を使い、ゴミを使って自作した濾過機で、水溜りや遠くの川の水をこして渇きを潤していた。

 そんなある日、母親の家庭は少女のことが原因で家庭崩壊し、母親諸共家を追い出されてしまうことになった。少女の母親は、酷く彼女を罵って手をあげた。

 何で今更帰って来た。お前さえいなければ。全部お前のせいだと口にし、少女から母親に触れることさえ許さなかった。自分の知らないところで覚えてきた立派な言葉遣いや態度が、更に母親の神経を逆撫でしたようで、口を開くだけでも辛く当られた。

 それでも少女には母親が必要だった。この世界で唯一の居場所は、母親の元しかなく、どんなに酷い扱いを受けようと、そこに縋るしかなかったのだ。

 住む家もなく、路上や廃屋などでひっそりと暮らす生活の中で、母親は次第に少女に暴行や暴言を述べる気力すらなくなる程やつれていき、遂には病に犯され立ち上がることすら出来なくなってしまう。

 そんな母親を、少女は一生懸命看病した。かつての知識を絞り出し、身体に良いとされる草や実を拾って来ては、煎じて母親の口の中へと入れた。だがそれも、所詮は健康面での話でしかなく、病に効くことなどなく、症状は悪化していく一方だった。

 すると母親は、少女と再開してから初めて、衰弱する中絞り出した声で彼女に問いかけた。

 「・・・なん・・・で・・・?」

 少女のことを我が子とも思わず酷い扱いをして来た私に、何でここまでするのか。たったの一言ではあったが、少女には母親の口にした言葉の意図が直ぐに分かった。それは血の繋がった本当の子であるが故だと、少女は信じていた。

 「貴方は私のお母さんです。どうか・・・生きて下さい・・・」

 子供とは思えぬ口調で放たれたその言葉は、母親にとっては我が子の言葉のようには思えなかった。まるで死期を悟っていながらも、ただ見送ることしかできない医師の言葉のように。心は篭っていようと、そこに愛情を感じとることはなかった。

 それから間も無く、母親は動かなくなり、身体は冷たくなる一方だった。それでも少女は回復すると信じ、何処からか草や実を拾って来ては、母の亡骸に与え続けていた。

 そこへ一人の男がやって来る。そいつはもう死んでいると、心ない真実を少女に突きつけ、母の亡骸を残してついて来いと、手を引いて何処かへと連れ去っていった。抵抗する力も気力もなく、世界に絶望したような虚な目をして少女が連れて来られた場所には、同じ年くらいの子供達が沢山集められていた。

 泣いている者や、少女と同じく心ここにあらずといった様子で立ち尽くす者、中には最早死んでいるのではないかと思うほど動かずに転がっている者もいた。

 明かりは無く、外からは薄らと水が動く音が聞こえる。たまに扉が開いては、新しく子供が連れて来られ、外の潮の空気と共に中に押し込められた。

 その中では、どれだけの月日が経ったのかはおろか、経過した時間すら分からない。まるで死んだ者の魂が、死後の世界への順番待ちをしているかのような空間。もしそれが真実なのであれば、それは恐らく天国ではなく地獄だろう。

 出入りする人と、中で病気になり死に絶える者。泣き叫び、喉を潰した人間のものとは思えない悲鳴。最早地獄の方がまだ変化のある世界なのではと思わせる程の生き地獄。

 そんな場所へ突如として現れたのは、赤いドレスに身を包んだ海賊を従える女性の姿だった。彼女は、そこにいた全ての者達を解放し、外界の世界と自由を与えた。

 陽の光も、外の空気も、匂いも音も。全てが美しくまるで天国にでも導かれたかのような素晴らしい世界。少女の目の奥は熱くなり、カラカラの唇は震え、喉の底から込み上げてくる声を抑えることが出来ない。

 地獄の門を開き、手を差し伸べた彼女によって、少女は初めて暗闇に閉ざされた世界から解放されたのだ。

 少女の人生を、暗く深い深淵から人並みのものへと引き上げた女性こそ、海賊チン・シーその人だった。
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