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幕間 様々なイフ

もしも美久里が大災厄を引き起こしたら2

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「ふうぅ…………うっ!? うああああ!!」

 苦しい。
 そんな小学生のような感想しか出てこないほど、それは悲痛な思いをしていた。
 それは、神。“鬼神”――美久里だ。
 神に“痛み”という概念があるとは思わなかった。

 ――呼吸が出来ない。
 そもそも、神に呼吸など必要なのだろうか。
 神は、生きているのだろうか。生など捨てたはずの神が。

 そんな変な思考回路になってしまうほど、美久里は苦しい思いをしている。
 頭がガンガン鳴っていて、耳が焼けるほどの痛みが美久里を襲った。

 その原因は美久里が神だからだ。
 神は自分のテリトリーにいる限り、人の願いが耳に入ってくる。
 美久里は鬼神。“負”の象徴。風を操ることができる前に、“負”を司る神なのだ。
 そのため、人々の“負”の感情や思い、考えが美久里の中に入ってくる。

「もう、嫌だよ…………」

 それが、初めて涙を流した瞬間だった。
 それが痛みによるものなのか、それとも別の何かなのかはついぞ知ることは叶わなかった。

 ――そして痛みが和らいだと思ったら、今度は目の前の光景に目を疑う。
 街は半壊状態。人々は息絶えだえ、泣き叫ぶ声とゴオオと聞こえる炎の音が耳に焼き付いて離れない。
 ……これ、自分がやったのか。
 それに気づいたのは、自分の服が破れ、汚れがついていて、自分の額に汗が残っていたからだ。

 ――嫌だ。なんで。どうして。怖い。嫌だ。

「あああああ!!!!」

 美久里は発狂した。身体が震える。
 美久里は、取り返しのつかないことをしてしまった。
 美久里は“負”の象徴。それが“負”を産んでどうする。自分の負荷が重くなるだけだろう。

「はぁ……とうとうやっちゃったんだね」

 その声には呆れのような、怒りのような感情がこもっていた。
 振り返ると、そこには獅子の獣人――否、獣神がいた。

「み、美奈…………」
「いつかこうなるとは思ってた……」
「ごめん、私……ごめん…………」

 美奈は美久里の背をさすった。
 その間も、美久里は涙が止まらない。
 美奈は美久里に耳打ちする。

「あなたは……地下牢に入って。地上よりは声が届きにくいだろうから」

 それは優しさからだった。
 他に最善策はなかった。
 これが最良だったのだ。
 それは分かっている。
 他に打つ手はない。

 美久里はその後牢に入れられ、神生をそこで過ごした。
 美久里は、美奈のしてくれたことに感謝している。
 だが、それなのに。

「“寂しい”なんて……我儘だよね……」

 牢の中でポツリと呟く。
 誰に告げるでもなく、ただの独り言を零した。
 自分に近づいてくる影に、気づかずに。

 ☆ ☆ ☆

 場所は変わり、葉奈たち一行は、甘味処――『あまちゃん』に来ていた。
 『松本屋』から近く、ほぼ常連客のように居座っている。
 葉奈はみたらし団子を頼み、朔良は麦茶、紫乃は羊羹を頼んだ。

「はぁ~……極楽っす……」
「たまにはこういうのもいいもんだな」
「たまにじゃなくて、いつもでしょ~?」

 団らんを楽しむ葉奈たち一行。
 それは微笑ましいものだった。
 何気ない幸せ。それがどんなに大切か。
 それを思い知らせてくれるとても和んだ光景。
 しかし――

「そういえば……萌花ちゃんどこ行っちゃったんすかね……」

 そう、萌花の姿が見当たらない。
 遊郭で消えた時から、一度も姿を見せないのだ。

 いつもなら拗ねて消えた時は甘いものに釣られて、甘味処に来たらすぐに姿を見せるのに。
 葉奈が不安そうに瞳を揺らしていると、

「萌花のこと気になるんだろ? 呼んできな」
「そうそう、あの子も甘いものに目がないでしょ~? だから呼んでやりなよ~」

 二人が葉奈に優しく声を掛ける。
 葉奈は二人の優しさに甘えて、萌花を探すことにした。

 ――そして、葉奈が萌花の力を借りて行う、風を操る能力を繰り出す。
 途端に葉奈の髪色、瞳が変わる。
 自然を体現するような緑色の髪は、血のような真っ赤な紅色に。瞳は翡翠から赤褐色に。

 そして、等身が少し大きくなり、成長したのではと錯覚させる。
 スカートのポケットから煙管を取り出し、吹く。

 刹那。煙管から膨大な量の風が吹く。
 葉奈はその中に潜り込むと、自慢の脚力を活かし、物理限界にまで到達しうる素早さを産む。

「ぐっ…………ふうぅう……ぐあっ…………」

 だが、その反動は物凄いものだった。
 血が滲み出るのではないかと言うほどの痛み。焼け付くような熱さ。脳が、直接掻き乱されているような不快感。

 そんな“負”のオーラが全身を包む。
 茨のような蔦がぐるぐると巻き付いているような気がした。

 しかし、葉奈はそれに負けじと対抗し、反発する。
 不快感や痛みから目を背けるために、別のことを考える。

 萌花――何者なのか誰も知らないその存在は、不気味ささえ感じさせない、とても愛嬌のある可愛い生き物だ。
 しかし、不気味ささえも感じないところが逆に不気味なのだ。

 だってそうだろう。
 得体の知れないものがあれば、誰だって不安や危険を感じるものだ。
 なのに、萌花はそれを感じさせない。
 いや、感じることさえ考えさせてくれないのだ。

「だからっすかね……時々萌花ちゃんが分からなくなるっす……」

 ため息混じりにそう吐くと、力強く地を蹴り、空を跳ぶ。
 瞬間、地面がめり込み、穴が開く。
 だが、それにもお構い無しに葉奈は先を行く。

 目指すは、あの場所。神のいる場所。正確には、“美奈様”のいる場所。
 美久里様を討ったという“あの”美奈様でなくては!

「なんだ。私を探していたの?」

 突然なんの脈絡もなく現れた獅子の姿があった。
 一瞬驚いたが、急いでいるため、すぐに本題に入った。

「そ、そう……っす! あの、美久里様について……」
「あー……なるほど。そういうことか…………」

 美奈は困ったように頭をポリポリ掻くと、こう告げた。

「まずはこの子が先じゃないの?」
「うひぇっ! あ、あのっ! 首がもげます、美奈様!」

 美奈の手に握られているのは、二頭身程の小さな生き物。
 それは――

「萌花ちゃん!? どうしてここに!?」
「あっ……葉奈ちゃん…………」

 萌花は気まづそうに顔を逸らした。
 まあ、それは予想していたことだ。

「萌花ちゃん……」

 葉奈は意を決して、萌花に提案してみることにした。

「あの、一緒に――美久里様の所に行こうっす!」

 ☆ ☆ ☆

 ゆらりと影が蠢く。
 それに気づいた美久里は背筋が凍る。

 この暗くて寂しい場所に訪れる人なんて誰もいなかったから。
 また誰かを傷つけてしまうことが怖くて、震えた。
 しかし、響いた声はすごく優しくて、すごく――懐かしかった。

「やっと、やっと逢えました……美久里様……!」
「ま、まさか……萌花ちゃん……?」

 美久里が創った、たった一人の――一匹の、小さな生き物。
 逢いたくても逢えなかった――待ち焦がれた、再会。

 美久里の頬に、水が流れた。
 いつもは冷たくて忌々しい“それ”は、今はあたたかくてずっと流れていてほしいと思った。

「お、遅いじゃん……私がっ、私が……どれだけ待っていたとっ…………」
「ごめんなさい。遅くなっちゃいました……でも、今の私の主が、教えてくれたんです。『美久里様が寂しがってるかも』って」

 照れくさそうに萌花が笑う。
 そして、萌花はある所を指さした。
 すると――

「ひょえっ! えっ、あの、ごめんっす。盗み聞きするつもりじゃなかったんすけど……」

 あわあわと慌てふためく、ウサギ族の少女が一人。
 物陰から恐る恐る顔を出す。

「えと、美久里様、はじめましてっすよね……」

 そう言うと、ウサギ族の少女がコホンと咳払いを一つ。

「葉奈っす! 以後お見知りおきを!」

 太陽のような笑みを浮かべた“それ”は――今の美久里にはとても眩しく感じられる。
 地下牢で数十年暮らしてきた美久里にとっては、それはとてもとても、直視出来ない笑みだった。

「さぁ、美久里様! 一緒に行きましょうっす」
「大丈夫ですよ、美久里様。私たちが付いていますから」
「い、行くって…………どこに……?」

 美久里が戸惑っていると、葉奈と萌花がお互い顔を見合わせ、美久里の顔を見た。

「決まってます! お外に出ましょう!」

 その後。
 美久里の記憶はなかった。というか、憶えていなかった。
 ただ、その二人に何かを見出した――そんな感じだ。

 ☆ ☆ ☆

「あ~、やっぱり連れてきちゃった~?」
「何してるんだ、まったく……」
「え、えへへ……ごめんなさいっす……」

 朔良と紫乃が待つ甘味処に向かった葉奈たちは、美久里を連れて戻った。
 そして案の定、咎められることになる。
 しかし、葉奈も後先考えず物事を進める人でないことは二人も承知しているため、それ以上は咎めない。

「萌花ちゃん……この人たちは……?」
「あー、言ってませんでしたね。今の僕の主、葉奈ちゃんの世話役のような方々ですよ」
「朔良と紫乃ちゃんっす!」

 葉奈にそう言われると、朔良と萌花が美久里に軽く会釈する。

「朔良だ。以後お見知りおきを」
「紫乃って呼んでくれていいよ~」

 いつも通りの毅然とした朔良の態度と、まるで友達と話しているようなフレンドリーさの紫乃の態度に、美久里は目を丸くする。

「ところで……耳……大丈夫なのか?」

 朔良が美久里に、心配そうに問うた。
 また国を滅ぼされかけたらたまったものではないという意味も含めてだろう。

「あー、うん。今はもう神性が薄れているから。心配ないよ」

 そう、美久里はもうあの時の痛みは感じていないようだった。
 本当に人々の声が聴こえてしまえば、笑顔なんて浮かべる余裕なんてないから。

「ふぅ~ん……」

 紫乃が、何やら企んでいるような笑みを浮かべる。
 その笑みに気づいたのは、葉奈だけだった。

「紫乃ちゃん……何か……?」
「ん~? 何でもないよ~」

 紫乃はそう言うと、美久里と朔良の会話に混ざっていった。
 葉奈はまた妙な不安感にかられる。
 紫乃が、何かよからぬ事を考えていそうで。

 そして、葉奈が紫乃のあの言葉を思い出すことはついぞなかった。
 すなわち――

 ――葉奈ちゃんのその不安は杞憂じゃないかもよ。と。
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