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マスターのごく普通な休日(後編)
しおりを挟む昼食を食べようと、ビルの中に入った時、見知った顔と目が合った倫は、顔をしかめた。
「げっ」
「・・・ちょっと、倫さん、私を見るなり嫌そうな顔をやめてくださるかしら。そしてお久しぶりですわね、光様!」
「誰かと思えばお主か、最上殿」
「ああ、相変わらずつれない方っ・・・・でも、そんな光様も素敵ですわ!!」
「・・・悪趣味だね、相変わらず」
「倫さん、貴方ね、自分の恋人を悪趣味とかおっしゃるのおやめなさい!」
「俺がどう思おうと勝手じゃん・・・俺のなんだから」
「んまぁっ、私に対するのろけですの?!」
ボソッと呟いた倫のボヤキを見逃さず説教をしているこの女性は最上満里江(もがみまりえ)といい、倫にとっては幼馴染にあたる。なぜか光に対しては最初に会った時から並々ならぬ敬意を払っているが、当の光からは敬遠されていた。
満里江は仁王立ちで後ろのお供を従えて、大量のショッピング袋を抱えていた。
買い物を終えて帰るのだから、自分たちとは反対方向になると解った光はそっと目配せした。
「倫、さっさと行こうではないか・・・」
「うん・・・満里江、俺達はもう行くからな」
「あら、残念ですわ。また喫茶店に遊びに行きますからね」
「来なくていい、来なくても・・・じゃあね」
「絶対行きますことよ、おほほ、それではごきげんよう~♪」
手を振ってこそこそと離れていく二人を他所に満里江は今度こそと玄関の方へ向かっていった。彼女との出会いで疲れ果てた二人はなんとかランチにありつき、人気のあるパスタを堪能し、あれやこれやと舌鼓を打っていた。その最中で話題にあがったのは、さっきまで会っていた彼女のことだった。
「しかし、最上殿がいらっしゃるとはな。あのぐいぐい来る強引な性格は苦手だ・・・悪気がないことは十分わかってはいるのだが」
「良くも悪くもお嬢様だからね」
「・・・倫の幼馴染でなければ、とっくに距離を置いているぞ」
「・・・・・まぁ、光からすればそうだろうなぁ」
「倫と彼女は今もなお付き合いがあるのだろう?ということは、何らかの理由があるのではないか?」
鋭いと思った。光の言う通り、友達が少ない倫にとって彼女は数少ない昔からの友人といえる。
「ああ、うん。満里江はちゃんと俺のことを見てくれてるからね」
「・・・・・あれ、そういえば、確かに」
「でしょう。あの子にとって外見なんてものは飾りでしかない。ちゃんと俺や光を見て会話してくれる。そういうところだけは気に入ってる」
「確かに、私達の性別を知っていてもなんら態度を変えなかったね」
「何度も言うけれど、良くも悪くもお嬢様だからね。なんていうか、昔からおおらかだよ」
パスタをほおばりながら言う倫に対して、光は何となく思った。たぶん彼女は口で言うほど彼女を嫌がってはいないと。
「・・・少し妬ける」
「はぁ?何言ってるのさ・・・光だって幼馴染でしょ」
「小学校と中学校合わせてもわずか4年ほどのな」
光が倫のいる学校に転校してきてからの付き合いだ。そういう意味では幼馴染とはいえるが、幼稚園から一緒にいる満里江ほどの付き合いはない。そういう意味では羨望してしまう。
「あのさ、光は幼馴染じゃなくて、パートナーでしょ」
「あまり男前になりすぎても困るのう・・・ううむ、本当におぬしには頭が上がらぬ。」
「何を今さら・・・俺と光の仲でしょう?」
「その流し目をやめよ・・・ぐぬうう、何か男として矜持を見せねば捨てられそうだ!!」
「光の考えすぎだって」
「ぐぬっ、そうは言うが、お主の男前な性格は年々磨きを増しておるぞ?」
「・・・・そう、かなぁ」
「頼むから無理だけはするでないぞ。私はそなただからこそ側にいたいと思ったし、この格好でいられるのだからな」
「心配せずとも、俺が俺でいるのは光のためだけじゃない」
「・・・・・・解っておるわ。だからこそ、不安もあるのじゃ。倫、誰がなんといおうと、お主がなんと考えようと、否が応でも佐野家の名はついて回る。それだけは忘れるでないよ」
光が真顔で釘を刺したことで倫がそれまでの空気を一変させた。それまでの和やかな雰囲気が一気に凍り付く。息を飲んだ光の前で、倫はフォークを突き付けながら冷たい声で放った。その声はまさに佐野家の家系だと改めて認識させられるほど。
「・・・やっぱり光は光だね、ちゃんと役目を果たそうとしている」
「役目を忘れてしまえば、そなたの傍には立っていられぬからの」
倫の言いたいことを理解した光は一瞬言葉に詰まったものの、目を逸らさずに倫の方を見た。
「解ってるよ。光の家のことはちゃんとね。そのおかげで俺が自由に動けているんだしね」
「我らの家のことは詮無きことじゃ。奇しくもそのおかげで我らは一緒にいられるということもまた確かであるし」
「はいはい。お前がお目付け役だからこそ、俺は喫茶店を気楽にやれてるんだってこともね。それに文句などないよ。ただ・・・」
「ただ?」
「お前が俺の傍にいるのは結局役目のためだけだって思うと腹が立つだけ」
「それは違う!」
「・・・・へぇ、俺達が恋人同士だってこととかを含めて俺の親や光の家の奴らに何一つ言えていないくせに?」
「・・・・・それは・・・言うための準備とかいろいろあって」
「女装が趣味なことは平然とあっさり言えるのに?俺が嫌いなのは、普段強気なくせに変に臆病なところだよ」
そういい終えると、倫は立ち上がった。
「会計は任せる」
「解った・・・・倫、お願いだから近くで待っていて」
「あーもーお前が余計なことを言うから、せっかくの休日が台無しになったじゃん」
不機嫌そうに先に出ていった倫の背中を見ながら、光はため息をついた。のろのろと立ち上がり、レジへと向かおうとしたその時、タイミングよくスマホが鳴った。聞きなれた着信音と見知った名前が表示されたことにイラついた光は思わず舌打ちした。
「・・・・何の用だよ、兄貴」
『倫姫様はどうした?一人で外におられるようだが?』
「心配せずとも、店の前にいる。今は会計が必要で離れているだけだ」
『・・・・父が気にしているから、一応・・・。倫姫様は佐野家の後継者だ。また彼女に何かあればお前の命だけじゃ・・・』
「俺や彼女の行動に一々反応するな。その彼女を守り切れなかったくせに俺に命令だって?ふざけるなよ。それよりも、さっさとあの煩い親父を黙らせろ。倫がイラついているのはそれが原因だろう?」
『善処はするが、親父はお前が帰ってこないことにはどうに・・・』
「俺如きがいないところで傾くような家じゃねぇだろう?佐野家を守るために存在するSPを生み出してきたエキスパートとやらの家系なんだろうが。さっさとくたばれとあのバカ親父に伝えろ。後継者は兄貴がいればそれで事足りる。くだらない後継者争いなんぞに誰が参加するかっつーの、ボケ!」
『まっ・・・・』
スマホを打ち切った光がレジに立つ。それだけで店員は身体を硬直させた。さっきまで暴言を吐いていたにもかかわらず、笑顔を向けられたのだから何かあると思うのは当然だろう。しかし、光は冷静にカードを取り出しただけで、店員は杞憂だったかとホッとした。店員のお辞儀をよそにさっさと店を出た光は、少し離れた先のベンチで倫が座って待っているのを見つけた。
「・・・・倫、お待たせ」
「会計だけにしては遅くない?」
「ごめんね、煩い電話があって長くなったわ」
「・・・・・またなの?」
「ええ。だから、ごめんなさい。まだ・・・どちらの家にも言えそうにもないの」
光はそれだけを告げた。残念なことに倫のところにも自分の家の情けないお家騒動の情報も入っていることは予測済みだ。
いろんな意味を含めて謝罪すると、先ほどまでのふてくされていた倫の表情が少し和らいだ。
「あっそ・・・・光、この先に美味しいケーキ屋さんがあるの。そこのケーキを全部買い占めて。そしたら許してあげる」
「・・・・はいはい、主の望みを叶えるはわが役目。お望み通りに買い占めてまいりましょう。」
「んで、光が全部食べてきってね」
「・・・・・え。」
「俺、甘いもの嫌いだもん」
「・・・・・・あの、倫さんや、それをなんて言うかご存知ですかね?」
首を傾げるも、楽しそうに目を細めている倫の様子からして、解ってやっていることは明白。そんな倫を前に、光は大げさにため息をつきながら一言告げた。
「・・・・いやがらせっつーんですよ」
「うん、知ってる。光の存在と同じぐらいのいやがらせだよね」
「どういう意味なのだ、それは!!お主は、私を何だと・・・・」
「光は光でしょ。」
「そうだけれど、そうなんだけれど、何かがちがうわよー!?」
倫は知っていた。
光は女装が好きな男の娘であって、女性ではない。あくまでも男。
そして、自分もどんなに言葉遣いを変えようとも、男装しようとも、結局は女でしかない。
遅かれ早かれ、自分が役目を果たさなければいけない日は確実にやってくる。
自分が自由を失うその日は嫌でも必ず訪れる。
光がその日が来るのをできるだけ遅らせてくれていることも、
光が自分のやりたいことを天秤にかけてまで、役目の方を選んでくれたことも、
光が女装をする意味も、彼が家と縁を切っている理由もちゃんとわかっている。
全部、全部・・・“俺”のためなんだって。
だからこそ、腹が立つ。
(何も返せていない自分に・・・・)
光がケーキを注文し、二人して大量のケーキを持ち帰る中、倫は背伸びしてため息をついた。
「あーあ、休日は終わりか」
「明日からまたマスター業だな、頑張るのだぞ、倫」
「・・・・言われずとも、またマダムたちの力を借りてやって見せましょう」
(俺と光の平穏のためにも、ね。)
倫の決意を確認してほっとしたのか、光はようやくいつもの笑みを見せた。
ようやく元通りの会話ができるようになった二人はマンションへと入っていった。
マンションに入った二人を見送った後、スマホを取り出して、とあるところへ電話をかける。思った通り、すぐに相手が出てきた。
「・・・姫様、今二人がマンションにお着きになりましたわ。で、どうなさいますの。また私が動かなければいけませんのかしら。あの時のように?」
『・・・・申し訳ないですが、お願いできますか・・・満里江様』
「・・・断っておきますが、貴方のためではありませんことよ?私にとって必要なのは彼女だけですわ」
『・・・解っています。だからこそ、貴方に託すのです・・・選別を』
答えを返さずに電話を切り、マンションを見上げる。満里江は気が重くなるのを感じたがそれでも目を逸らさずに呟いた。
「・・・・良くも悪くもお嬢様・・・それは倫姫も同じですわ。だからこそ、私は倫さんに・・・」
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