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マスターと光の関係
しおりを挟む今日もこの喫茶店には以前知り合った新規の客が来てくれていた。
「倫«とも»さん、今日も来ました!」
「いらっしゃい、ののさん」
「えへへ、今日はモカを頼もうかなぁ」
「かしこまりました」
名前を呼ばれたマスターはエプロン姿で振り返り、笑顔で客を迎え入れた。そして、注文を受けてカウンターに入り、コーヒーを入れる準備を始める。
注文を終えた客は知り合いがいたのだろう、他の客と相席ですわり、会話を始めていた。
この店では、コーヒー豆を挽くことから始めるので時間がかかる。その分、ゆっくりほかの客たちとおしゃべりができることと、出来立ての豆の味を楽しめることが人気のひみつである。
特にこの喫茶店では、コーヒー専門店ということもあり、コーヒー通の人間が多いため、珈琲という共通点で盛り上がることも多い。
だが、客たちにはもう一つの目的がある。それが、名物である二人を観察することだ。
今日も多くの客がマスターである「倫」と、そしてもう一人・・・たった今、店に入ってきた麗しい人を目的にしてやってきていた。
長い茶色の髪をみつあみに束ね、青いストライプのシャツと白いスカートでさっそうと入ってきた「光」。
誰がどう見ても恐ろしいほどの「女」にしか見えない。そんな恰好でやってきた光は倫を見つけ、すぐにカウンターに座りだした。
「倫、今日も私が来てやったぞ!!」
「相変わらず素っ頓狂なしゃべり方だな、光。・・・というか、大学院はどうしたのさ?」
「・・・・あのような頭の固い教授の講義など聞きたくもない」
「抜けてきたのかよ!ちょっとまって、ノートは?」
「心配するでない。我が友人に代理を頼んできた。コーヒーセットおごりでこころよく引き受けてくれた」
二人の身振りを交えたコミカルな会話に聞き入る客は多い。
つまり、マスターである「倫」と幼馴染である「市松 光」もまた名物に当てはまる人間だということだ。
それもそのはず、このぺらぺらとしゃべっているこの光という美少女、実は男の娘であり、店にやってくる迷惑な客を見つけてはお仕置きもかねて男の娘にしようと拉致すること多数、被害・・・ゲフン、改心した人間は数知れず。
何度か注意しようとした倫だったが、迷惑な客を嫌がった他の客たちが拍手喝采で喜んで褒めるものだから、光も調子にのって続けてしまい、すっかりこの店の名物となってしまっていた。
今日も光の言動に呆れていた倫があきれ顔でため息をついた。
「ああそう・・・良かったのか悪かったのか・・・お前がおごれよな」
「むろんそのつもりである。私とて倫に無駄な金は使わせ・・・」
途中で光の言葉がとまったのはいきなり扉が大きく音を立てて開いたからだ。
思わず店にいた4,5人の客も含めて全員が一斉に振り返るほどの音だった。そして開かれた扉からはサングラスをかけた屈強な男が2人ほど入ってきていた。
「うわ、見るからに怪しい人たちね」
「本当ね・・・いやだわ、難癖でもつけようというのかしら」
ひそひそ声を出している客もいる中、歓迎されていない男2人はカウンターにいた光のもとへと歩き出していた。
「知り合いか?」
「サングラスで顔がかくれているからな、なんとも言えぬ」
「おい、そこのマスター」
「はい、俺ですか?」
「そうだ。近所で聞いたが、お前は空手の有段者らしいな?」
「はぁ・・・確かにそうですが」
「ちょうどよいな」
「この際、お前でもかまわん。俺たちの道場で大会がある。そこに出ろ」
突然現れただけではなく、上から目線で言い放った男2人に倫が遠い目をしつつも、頭に手を当てたのは言うまでもない。
それもそのはず。
倫は見た目こそウェイターにエプロン姿で男に見られがちだが、実は女である。
倫というのも、本名である「倫姫(ともき)」をもじったあだ名だ。
身の安全を考えて意図的に男と思われるように工夫している倫ではあるが、この時ばかりは裏目に出ていた。
「いや、女なんで無理ですね」
「は?嘘をつくならもっとましな嘘をつけ」
「断り方が姑息だな・・・いいから来い!」
「痛っ・・・!」
業を煮やしたのか、男の一人が倫の手首をカウンター越しに強く握った。痛みを訴える倫だが、離してもらえそうな雰囲気ではない。
そして、当然この展開で黙っているわけにはいかないのが男の娘である「市松 光」なわけで。
「バカな男どもである。少なくとも私を怒らせる程度にはアホだったみたいね」
「は?なんだ、お嬢ちゃんはひっこ・・・うっ・・・!!!!!!」
光はただ男の肩を掴んだだけだ。だが、男はかなり痛がって悲鳴をあげた。その際に手首を離してくれたおかげで倫は逃げられたが、それで光の怒りが収まるはずがなく。
「ふむ、お嬢さんと呼ばれるのは悪くない。だが、今の私はその誉め言葉すら耳に入らぬ。なぜなら私の最愛なる彼女がバカにされているからね。そうだ、良い機会だ。我が最愛の彼女の痛みを知るためにも、男の娘になってみんか」
素晴らしい提案を思いついたとばかりに喜ぶ光だが、悲鳴をあげている男の肩から手を外すことはなかった。そうしているうちに光は、もう一方の手で、固まっていたもう一人の男の手首を握った。
「な、なんだっ・・・この力は!!」
「あいにくと腕力や握力には自信があってな。こればかりは男の娘としては非常に不本意なのだ。筋肉が少々つきすぎたかと反省してな、今は少しトレーニングを自重しておるところよ」
はぁとため息をつきながらも、ずるずると男2人を引きずり、あっという間に扉近くまで歩き始めた。
ふと何かを思ったのか、光は倫に振り返った。
「我が最愛の倫姫よ、今宵はオムライスを所望するぞ」
「はぁ・・・結局最後はこうなるのか。別にいいが、卵をきらしている」
「む。では、帰りに買ってくるとしよう。では皆の衆、ごきげんようなのだ」
「はーい、またねぇ、光ちゃん!!」
「また報告聞かせて頂戴ねっ!!」
扉前で名残惜しそうに挨拶をして消えていった光。見守っていた客達は盛り上がっていたが、マスターである倫はため息をつくしかなかった。
「はぁ・・・」
倫が、光に出した分のコーヒーをかたずけていると、さっきモカを注文していた女性が恐る恐る話しかけてきた。
「あの、女性だったんですか?」
「あー、はい。一応女です。「佐野 倫姫」とかいて「さの ともき」ですね。だますつもりはなかったんですが、結局だます形になってしまいました。申し訳ありません」
「・・・い、いえ、それは全然かまわないんですけど!!」
顔を赤らめた女性は首を振って否定するが、当の倫はうーんと困ったように首を傾げた。
「しかし、アイツにも困ったもんだ」
「そうだ、それで思い出しました!!あの、彼氏が言っていたんですが、もしかして、あの市松光さんって・・・格闘ボクシングの元日本チャンピオンであるイチマツコウさんですか!?」
彼女は思い出したように鞄から雑誌を取り出して広げて見せた。その雑誌を見てみると倫がよく見知っている人間がチャンピオンベルトを腰につけて構えている写真があった。
「ありゃま・・・申し訳ないですが、これはアイツに見せないでくれますか?」
「え、ダメなんですか?引退したとはいえすごい名誉なことかと思ったんですが」
「実は、アイツは非常に不本意な形で引退する形になったことを気にしていまして。なんていいますかね、まだ未練があるところがあるんですね」
「あっ・・・」
それ以上は言いにくいとばかりに言葉を濁した倫に何かを察したのだろう、彼女は頷いたあと、雑誌を再び鞄にしまった。
「わかりました。光さんには絶対に言いませんし、確認もしません。彼氏もたぶん自分からは近寄らないと思いますし、大丈夫だと思います」
「ありがとう。あいつも・・・いろいろあって、男の娘の道を見つけたことでやっとふっきれたって感じになってるんだ。よかったらまたこの店に来て、あいつの話し相手になってくれるとありがたいな」
「っ・・・かっこいい・・・あ、はい、はい!!もちろんです!!」
手を握り締めながら笑った倫に、彼女が落ちたのはいうまでもない。縦に激しく頷いた彼女をほかの客に任せてカウンターに戻った。
「はー、帰ったら光といろいろ話さなきゃな」
「倫ちゃんー!!」
「はいはい、マダムのみなさま、俺になんの御用でしょうか」
「アップルパイを食べたいわ。ダメかしら?」
「うーん、俺のじゃないですが、母が作ったやつならまだ少しあったかと」
「お願い、一切れでもいいからちょうだい!!みんな、この店のアップルパイは絶品で先々代から人気があるのよ~」
「素敵、私にも頂戴!」「あら、抜け駆けはやめてよ」「いえ、あたしが先よ」
全員分用意すると伝えたら客達がきゃあきゃあと盛り上がった。全員分のアップルパイを用意すべく、倫はカウンターの奥へと消えた。
お皿を取り出し、包丁を握り、アップルパイを人数分切りながら、倫はぽつりとつぶやいた。
「・・・我が家の家訓は惚れた相手ならだれが相手であろうとも全力で守るべしし・・・わかっていますよ、おじい様。あの男2人は俺が後で叩き潰します・・・彼が遊び終わった後に、ね」
ぺろりと舌なめずりした後、倫は切り終わったアップルパイをお皿に乗せていった。見栄えもよくできたそれをお盆にのせて客の前に出た。
「皆様、アップルパイができましたよー!!!」
余談
「倫、また余計なことをしてないだろうね」
「いきなり何をいっているの?」
「・・・前に店に来たサングラス男2人の道場が潰れていた。そう簡単に潰れるところではないのだが?」
「へー、コワイね。そんなことより、今日はこのスカートをはいてよ」
「はぁ、あまりやりすぎないほうがよいぞ。第一、あやつらなぞ、倫が手を出す価値などない」
「んー、俺は我が家の家訓に従っただけだからなぁ」
「・・・相変わらず佐野家は非常識であるな」
「非常識の塊であるお前にだけは言われたくない。でも、そんな光が好きだよ?」
「・・・私もだよ、倫姫」
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