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第32話 魔王、悶々とする その1
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イーリス・シルバートンの自宅は王都サイファルの端っこの方にあった。木と石で作られたシンプルな外見の一軒家。父親が血を吐くほど地道に稼ぎ、その末にようやく勝ち取った結晶である。
月が綺麗な澄み切った夜。彼女の家の屋根をぷかぷかと浮かぶ存在がいた。上半身はあるが、下半身が無い。
そんな存在はたった一つ。何を隠そう魔王ヴァイフリングである。
『フハハハ。一人の夜は相変わらず良い』
イーリスひいては家族の者を起こさぬ程度の声量で一しきり笑った後、月見を楽しみ始めた。
時折ヴァイフリングはこうして月を眺めていた。もちろん現在、彼の本体とも言える部分は、イーリスの中にある。
浮いているのはそこから飛ばした意識を魔力で肉付けした仮初めの肉体なのだ。
『あまねく夜闇を切り裂く月光。そしてそれを眺める我輩は、七つの極魔を以て世界を切り裂く魔王ヴァイフリング。フフ、フハハハ。なんとも絶妙の組み合わせではないだろうか』
魔王ヴァイフリングにとって月とは、非常に特別な意味を持っていた。物心ついた時に見上げていた光景も、同類を屠り去り魔王の名乗りを上げたのも、そして――頭のおかしな四人組に敗北を喫したのも、月が綺麗な夜だったのだ。
『いつかは我輩が再び返り咲き世界に対して宣戦を布告する際は、またこのような月の綺麗な夜にでも……』
そこで、魔王は言葉を切る。
『…………なぁにをやってんだろうなぁ我輩』
何を、とはあの遺跡の一件である。正確には、遺跡の一件その全てに対してである。
『何故我輩は、あのシャロウとかいうド三流魔族が仕掛けた魔喰石を封印したのだ……?』
初めからおかしかった。
そもそも遺跡を前にした時点で魔族の気配を濃密に感じ取っていた。それを伝えなかったのは、まあ良い。人間にアドバイスするなんてそのようなヌルい慈善事業は趣味なんかではないからだ。
肝心なのは、その後。
あそこに設置されていた魔喰石に与えられた役目を、魔王は正確に理解していた。
『アレに貯められた魔力とはいわば鍵だ。そして『魔王の爪』、奴らの目的を考えれば、答えは明白。――我輩の半身ともいえる力を封印した場所を探し当て、その封印へあの魔力をぶつける。それが奴らの考えた我輩の復活方法』
だが、可能性は五分五分。
何せ封印魔法を掛けたのは、『暁の四英雄』の一人であるエリエ・ルスボーン。魔王ヴァイフリングをして、脅威と認定して差し支えないその卓越した腕から施された封印魔法の総数――七十七。
その封印の一つ一つが、その道の天才達が年単位の時間をかけてようやく達することのできる完成度であり、素人は論外として上級魔族が数人がかりでも突破はまず不可能と断言できる。
『……チッ。奴らめ、封印するときにその質だけじゃなくて、封印場所までポロっと漏らせば良かったのにな』
やたら自慢げに語られ、その質を知っているだけにヴァイフリングは色々な言葉の代わりに、溜息しか漏れてこなかった。
この溜息にはもう一つ、大きな意味も含まれている。
『何故、我輩は――イーリスを助けた?』
これが最大の何故である。
精神逆転魔法『サイコ・シフト』。様々な事態を常に想定している魔王ヴァイフリングが編み出した秘術の一つである。術者と被術者の精神を文字通り逆転させ、尚且つ持ちうる技量までも再現する非常にシンプルな効果である。
しかし、この魔法はそう容易く使えるものではない。使用には魔力を多分に使い、尚且つ魂の所有権をどんどん術者にとって優位にしていくという、人間にとっては禁術中の禁術。
『そもそも、何故我輩は『サイコ・シフト』を今まで使っていなかったのだ? 使用するタイミングはいくらでもあったはずだ。なのに何故……?』
シャロウがイーリスを倒そうとしたあの瞬間だ。あの瞬間、魔王ヴァイフリングの名乗りをあげる。それだけで良かったのだ。そうすれば後は全てシャロウが取り計らってくれる。
それが、最もスマートなやり方だったはずなのだ。
『……分からん。あのイーリスという人間が。あいつのアホ面を見ていたらつい勢いで魔喰石も封印してしまったことについても分からん』
狂っている――口には出さなかったが、今のこの精神状態に対する回答としては十二分過ぎた。
『何なのだ。我輩は一体どうなってしまっているんだ。あの時を思い出せ。あの時の、力と勝利に固執していた我輩を』
魔王とは積み上げて来た同類の屍で形作られた王冠である。逆らう者は全て己が持つ極魔で屠って来た。それは同類だけではなく、健気にも向かってくる人間達もだ。一度戦いの舞台に立ったのならば、そこに貴賤はない。
ただ、強き者か弱き者か。それだけが魔王ヴァイフリングが持ちうるシンプルな価値観。
そのはず、だったのだ。
『あやつらは間違いなく弱き者だ。……あの四本剣の小童を除けば。だったら我輩はどうして蹂躙しない? この身体でもやりようによっては支配するのも容易いはずなのに、だ』
月見の肴とするには些か最低の疑問を浮かべ、悶々とする魔王は強烈な気配を感じ取った。
どこかで覚えのある、忌々しい気配であった。
「まさか、こんな所でお会い出来るとは思ってもいなかったよ。なあ――ヴァイフリング」
傑物を確信させる自信に満ち溢れた声。この声を、確かにヴァイフリングは知っていた。
『はっ! 貴様も月見か? アルテシア・カノンハートよ』
月光が、不敵に笑むアルテシアを照らし出す。その様はさながら一つの絵画のように。
月が綺麗な澄み切った夜。彼女の家の屋根をぷかぷかと浮かぶ存在がいた。上半身はあるが、下半身が無い。
そんな存在はたった一つ。何を隠そう魔王ヴァイフリングである。
『フハハハ。一人の夜は相変わらず良い』
イーリスひいては家族の者を起こさぬ程度の声量で一しきり笑った後、月見を楽しみ始めた。
時折ヴァイフリングはこうして月を眺めていた。もちろん現在、彼の本体とも言える部分は、イーリスの中にある。
浮いているのはそこから飛ばした意識を魔力で肉付けした仮初めの肉体なのだ。
『あまねく夜闇を切り裂く月光。そしてそれを眺める我輩は、七つの極魔を以て世界を切り裂く魔王ヴァイフリング。フフ、フハハハ。なんとも絶妙の組み合わせではないだろうか』
魔王ヴァイフリングにとって月とは、非常に特別な意味を持っていた。物心ついた時に見上げていた光景も、同類を屠り去り魔王の名乗りを上げたのも、そして――頭のおかしな四人組に敗北を喫したのも、月が綺麗な夜だったのだ。
『いつかは我輩が再び返り咲き世界に対して宣戦を布告する際は、またこのような月の綺麗な夜にでも……』
そこで、魔王は言葉を切る。
『…………なぁにをやってんだろうなぁ我輩』
何を、とはあの遺跡の一件である。正確には、遺跡の一件その全てに対してである。
『何故我輩は、あのシャロウとかいうド三流魔族が仕掛けた魔喰石を封印したのだ……?』
初めからおかしかった。
そもそも遺跡を前にした時点で魔族の気配を濃密に感じ取っていた。それを伝えなかったのは、まあ良い。人間にアドバイスするなんてそのようなヌルい慈善事業は趣味なんかではないからだ。
肝心なのは、その後。
あそこに設置されていた魔喰石に与えられた役目を、魔王は正確に理解していた。
『アレに貯められた魔力とはいわば鍵だ。そして『魔王の爪』、奴らの目的を考えれば、答えは明白。――我輩の半身ともいえる力を封印した場所を探し当て、その封印へあの魔力をぶつける。それが奴らの考えた我輩の復活方法』
だが、可能性は五分五分。
何せ封印魔法を掛けたのは、『暁の四英雄』の一人であるエリエ・ルスボーン。魔王ヴァイフリングをして、脅威と認定して差し支えないその卓越した腕から施された封印魔法の総数――七十七。
その封印の一つ一つが、その道の天才達が年単位の時間をかけてようやく達することのできる完成度であり、素人は論外として上級魔族が数人がかりでも突破はまず不可能と断言できる。
『……チッ。奴らめ、封印するときにその質だけじゃなくて、封印場所までポロっと漏らせば良かったのにな』
やたら自慢げに語られ、その質を知っているだけにヴァイフリングは色々な言葉の代わりに、溜息しか漏れてこなかった。
この溜息にはもう一つ、大きな意味も含まれている。
『何故、我輩は――イーリスを助けた?』
これが最大の何故である。
精神逆転魔法『サイコ・シフト』。様々な事態を常に想定している魔王ヴァイフリングが編み出した秘術の一つである。術者と被術者の精神を文字通り逆転させ、尚且つ持ちうる技量までも再現する非常にシンプルな効果である。
しかし、この魔法はそう容易く使えるものではない。使用には魔力を多分に使い、尚且つ魂の所有権をどんどん術者にとって優位にしていくという、人間にとっては禁術中の禁術。
『そもそも、何故我輩は『サイコ・シフト』を今まで使っていなかったのだ? 使用するタイミングはいくらでもあったはずだ。なのに何故……?』
シャロウがイーリスを倒そうとしたあの瞬間だ。あの瞬間、魔王ヴァイフリングの名乗りをあげる。それだけで良かったのだ。そうすれば後は全てシャロウが取り計らってくれる。
それが、最もスマートなやり方だったはずなのだ。
『……分からん。あのイーリスという人間が。あいつのアホ面を見ていたらつい勢いで魔喰石も封印してしまったことについても分からん』
狂っている――口には出さなかったが、今のこの精神状態に対する回答としては十二分過ぎた。
『何なのだ。我輩は一体どうなってしまっているんだ。あの時を思い出せ。あの時の、力と勝利に固執していた我輩を』
魔王とは積み上げて来た同類の屍で形作られた王冠である。逆らう者は全て己が持つ極魔で屠って来た。それは同類だけではなく、健気にも向かってくる人間達もだ。一度戦いの舞台に立ったのならば、そこに貴賤はない。
ただ、強き者か弱き者か。それだけが魔王ヴァイフリングが持ちうるシンプルな価値観。
そのはず、だったのだ。
『あやつらは間違いなく弱き者だ。……あの四本剣の小童を除けば。だったら我輩はどうして蹂躙しない? この身体でもやりようによっては支配するのも容易いはずなのに、だ』
月見の肴とするには些か最低の疑問を浮かべ、悶々とする魔王は強烈な気配を感じ取った。
どこかで覚えのある、忌々しい気配であった。
「まさか、こんな所でお会い出来るとは思ってもいなかったよ。なあ――ヴァイフリング」
傑物を確信させる自信に満ち溢れた声。この声を、確かにヴァイフリングは知っていた。
『はっ! 貴様も月見か? アルテシア・カノンハートよ』
月光が、不敵に笑むアルテシアを照らし出す。その様はさながら一つの絵画のように。
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