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シーズンⅠ‐1 きっかけ

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 二〇〇七年二月。 

「次は高砂の池前です。次お降りの方は釦を押してください」

 車内放送が目的地を告げたのを聞いてから手袋を片方だけ外して釦を押した。

 この街に住むからには運転手に言ってバスカードを買おうかどうか一瞬迷ったが、後で買えばいいと思い直し小銭を用意することにした。

 バスを下りた宮藤君子《くどうきみこ》は、池の方角は理解できたが辺り一面が雪景色で道が分かりずらく動けない。

 高砂の池がある北部市は夫の耕三《こうぞう》さんの故郷。

 君子の故郷は隣県の日本海に面している安西市だ。

 北部と安西を結ぶ新幹線は来月に開業十周年を迎える、在来線を走り一時間半はかかる。

 同じ隣県でも北部市から東北最大都市の刻文市までだと、北部-安西間より六十キロメートルも遠いのに四十分ちょっとで行ける、東北本線沿いを動く新幹線は便利で本数も多い。

 北部市にはお盆とお正月は決まって帰省していたが、これからはこの街で暮らすことになる。

 君子はいままでに高砂の池に来たことは一度もない。

 これから向かう北部女学院のホームページを見て、女学院が高砂の池の畔にあるのを知った。

 上の娘の涼子《りょうこ》と二人で、この女学院って百年以上の伝統があるっ、英語教育と宗教教育が二大看板のカトリック系ってお嬢様っぽい、しかも中高一貫校、などと食事用テーブルに置いたノートパソコンのスクロールに夢中になっていたら背後から、地元の人間なら誰でも知っているお嬢様学校だよと耕三さんが故郷自慢してきた。

 ここならイジメに合う可能性は低いと感じ授業料の高さには目をつぶることにした。 

 実際に来てみると、北部女学院はバス停から遠かった。

 バス停から池の畔に着いて最初は高砂の池全体が見渡せたと思ったが違っていた、右側の遠くの方は隠れていて見えない、よく分からないが瓢箪の形みたいになってるんだと思う。

 対岸とも呼べるほど離れている池の向こう側には何棟もの建物が見える。

 その一つが屋上部分が体育館になっているのですぐ女学院と分かったが、なにせ女学院にたどり着くには池が大き過ぎる。

 池の淵に沿って作られている遊歩道を君子は歩いた。

 大きな木々がずっと遊歩道沿いに続いている。

 案内板が見えた、「千三百本の桜並木」と書かれている、木々の正体は樹齢百年以上のシダレザクラやソメイヨシノだった。

 やっと目的地にたどり着き、改めて池の畔に建っている女学院の環境の良さに納得して君子は正門をくぐり、中学二年の担任を訪ねた。

 編入手続きを済ませ職員室に案内され、衝立で仕切られた応接セットで向かい合った担任は、工藤美枝子《くどうみえこ》と名乗った。

「宮藤さん。字は違いますけど同じく工藤ですのでこれも何かの縁ですのでよろしくお願いします」

 背丈が低く横幅がかなりある先生だったが品のいい感じがする、第一印象は悪くない、まずは一安心かなと思う。

「先生の方が一般的な工藤で、私の方がちょっと変わっている宮藤ですね。こちらこそよろしくお願いします。池に白鳥がいました。素敵な環境ですね」

「ええ。毎年シベリアから十一月頃にやってきます。来月には戻っていきます。校舎から白鳥を見ながら過ごすのは涼子さんにもいい思い出になると思いますよ」

「先生のおっしゃる通りです。ここにお願いしてよかったと思います」

「編入の件ですが、二月に引っ越されてくるなんて珍しいですね」

 君子は夫が、みつつ証券北部支店に着任したこと、上場企業が三月決算が多く人事異動も三月に集中するので上場企業の手助けが多い証券会社ではそれを避ける意味で二月にも異動があることを、耕三さんから教えられた通りに伝えた。

 耕三さんは支店長として着任していたが特に役職を聞かれなかったので伝えないままにした、初めて支店長になった先が故郷の場合はみつつの社内では「凱旋《がいせん》」と呼ばれているそうだ。

「そうでしたか。あの、一つのみつつの、コマーシャルは知ってます。大きな会社にお勤めだと大変ですねぇ。奥様はお仕事は何かなされていたのですか?」

 君子は自分が看護師なのを伝え、北部市が夫の故郷で夫の両親も健在でお世話をしなくて済むので勤めに出るために転勤が決まってから今日まで就職先を探している話をした。

 そのあとは会話が弾んだこともあり、時計を見ると三十分があっという間に過ぎている。

 そろそろ失礼しようと切り出した時に「もう少し、お時間がよろしければ」と引き留められた。

 職員室を出て応接室に向かうことになった。

 改めて向かい合うとすぐに、涼子の担任になる工藤先生が切り出してきた。

「宮藤さん、私の娘も涼子さんと学年が同じなんですよ。クラスは違いますけど。・・・少し頼みがあるんですが、もしよろしければですが」

 担任の顔には先ほどのまでの柔らかさは消えている。

 どこか切羽詰まると言うか緊張が半端ないほど伝わってくる。

「そうなんですね。先生もお子様が通っていればなにかと大変なのは分かります。頼み事とはなんでしょうか、私でできることであれば」

 お母さんが先生なら友達も少ないのかなと思い、涼子が友達になれれば、それぐらいしか君子には思いつかない。

「じつはその子に五つ年上の姉がいまして」

 工藤先生はおおきなため息をついた、そして続けてきた。
 
「私とそりが合わないんです」

 なにを言っているの? 

 これって、もろに個人的な話だ。

 涼子と全然関係ない話なのになんでわたしに言うんだろうが君子が最初に思ったことで、少し非常識な感じがした。

「いま看護学校に通っているんです。お願いと言うのは、一度会って看護の先輩として話をしてやって欲しいんですが、だめでしょうか」

「・・・でも、私なんかでお役にたつのでしょうか」

 君子はとりあえず返答はしたが今度は別な面で不安がよぎった。

 君子と職業が同じだったのが分かり非常識ではなかったのは理解できたが、君子は他人に教えるなど一度もしたことがない。

「あったばかりなのに、すみません。私も教師です。人を見る目はあると思っています」

 そう言うと工藤先生は膝を乗り出し君子の両手を握ってきた。

「宮藤さん、私より十歳もお若いので娘も話を聞くと思うんです。もし宮藤さんさえ差し支えなければ、一度我が家にお越し頂きたいのですが。私のまったく個人的な悩み事ですので、涼子さんにも、うちの下の娘にも知られたくないので。お願いできませんか」

 さっき年齢の話はしていた。

 君子はこういうのに弱い。

 自分の不安よりもすぐ相手のことを思ってしまう、いまもそう。

 そりが合わない親子の架け橋に自分がなれるかも知れないと思うと断り切れない。

 君子は握られたままの状態で返事を返した。

「先生と上のお嬢さんが居る時に、おじゃまさせて頂ければよろしいのですね。まだ勤め先も決まっていませんので。お伺いする時間はとれますけど」

 工藤先生は握っている手をさらに強く握り何度も上下に揺らしてきた。

「助かります。ありがとうございます。上の娘は『ゆか』と言います。口のきき方もなってない娘でお恥ずかしいのですがよろしくお願いします」

 工藤先生は握っていた手を離し持って来ていたノートに『有佳』と書いた。

 工藤先生は、一気に緊張が解けた様子で柔らかさが顔に戻っている。

 よっぽど切羽詰まった親子の問題なんだと確信できた。

 結局、電話番号とメルアドを交換して学校を後にした。


****


「お母さん、さっき聞いた話し以外でなんかなかったの?」

 北部女学院から戻った君子は、担任からの依頼の話以外は全部話をしたはず、今日の晩御飯は涼子が好きな小さ目に切った豚肉入りの卵と木耳の炒めにしてあげた。

「食べるか、話すか、どっちかにしなさい」

「どっちかにしなさい」

 小学校四年の朝美《あさみ》が真似てきた。

「朝美、覚えてなさいよ。お姉ちゃんは神なんだからね」

「はぁーい。お姉ちゃんは神様でした。ごめんなさい」

 なんなのこの会話・・・これで会話が成り立っていることも分からない。

 娘二人の顔つきは君子似だ。

 分類で言えばどうやらキツネ顔になるらしい。

 一時期だったが顔の分析を散々三人でやったこともある。

 目の分類はツリ目に属し少し切れ長でもある。

 母娘三人共に美しいのはこの目に負うところが大きいという分析もすでに三人の中では終わっているし三人共に納得している、但し、朝美の場合は涼子にほぼ無理やり納得させられたものだが。

 君子と涼子はボーイッシュな女性で通る、シャープな顔立ちと言われることも多い。

 朝美の魅力は二人とは違っている。

 目がくっきりしているところまでは一緒だが目力がそこまで強くない朝美の方が世間では嫌われないタイプの美人に属する。

 平均的身長の君子と涼子に比べて朝美は小学四年生の平均より三センチほど背が高い、耕三さんの遺伝子が朝美に引き継がれている。

「涼子、神様だなんて。カトリック系に入ることでなんか勘違いしてない?」

「・・・カトリックと神って。どう繋がってんの」

 繋がりって言われても教えられない、私も知らない。

 こういう時に耕三さんが居ればなんとかなるが着任して間がないので今日も遅くなると思う。

「ごめん。お母さんもよく知らない、というか、ぜんぜん分からない」

「ご飯食べたら検索しよっと。お母さんも一緒にやる?」

「今日は疲れたから涼子に任せるわ。明日はあんかけチャーハンにするね」

 二人同時に歓声が上がった、いつものパターンがきた。

 あんかけは何の料理でも涼子の好物だし、朝美は涼子の好物にはすべて同調する。

 朝美が食べれる酢の物は涼子は大の苦手だが。

「ところで、何の神様になったの?」

「アニソン」

「アニソンって、アニソンなら朝美ちゃんの方でしょ」

「違うの。数あるアニメソングの中からこれっていうのを見つけ出す私の能力は神の領域に達しているの。朝美のは歌う方でしょ」

「お姉ちゃんが選ぶのぜんぶ好き」

 朝美の将来の夢ははっきりしている、声優になるかペットショップで犬のトリマーになるかをもう決めている。

 涼子の入れ知恵だと思う。

 いつの間にか朝美はお姉ちゃん大好き人間に育っている、お姉ちゃん一筋と言ってもいいくらいだ。

 三月からは北部市内にある教室で週一回ボイストレーニングを受け、土日のどっちかは刻文市まで出掛けて声優学校のジュニアクラスに通う。

 ボイトレ教室の授業料が月間七千円の声優学校の倍なのには最初驚いたがマンツーマンだと聞いて納得。

 一番痛いのは高速バスの費用だ。

 回数券を使っても往復で五千円は掛かる、君子がお勤めに出れば交通費も入れた月間四万円の費用の工面は大丈夫、痛いには痛いが娘を応援する初めての出費と思うことにした。

 人口百万人の刻文市にあって三十万人の北部市に無いもの、それは声優専門学校だ、なんで無いの。

 北部都市圏人口だと五十万人近く居るって耕三さんが言ってたのに。

 北部市に転勤が決まった時に次の異動からは耕三さんが単身赴任して君子と娘達は北部で暮らすことに決めていたので子供達にその話をするために家族会議を開いた、その時に朝美の夢の話になり、全面的に後押しすると耕三さんが決断してくれたのだ。

 家計を心配する朝美は公立中学に進むと言って聞かない。

 優しいだけでなく一度決めたら意志が固いのも涼子と違う朝美の大きな特徴だと言える。

「了解。二人とも来週から学校なんだからしっかり準備すること」

 ばらばらな返事が返ってきたが、ひとまず区切りをつけた。


****


 工藤先生とは、電話が一回とあとはメールのやり取りで、お邪魔する日時が決まった。

 お互いの情報交換もいくらかしていた。

 有佳さんに四つ上のお兄さんがいること。

 お兄さんは大学を出て北部銀行に入り沿岸部の支店勤務になり家を出たこと。

 それまで有佳さんと一緒の部屋だった妹の七海《ななみ》さんが今はお兄さんの部屋を使っていることなど。

 君子の方は、この次の異動からは耕三さんが単身赴任し君子と娘たちは耕三さんの故郷であるここに残ることを教えている。
  
 工藤先生の家にお邪魔する日があっという間にやってきた。









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