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第52夜 避難誘導

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今から20年ほど前の体験です。
古くからの友人が、とある温泉街に旅館を建てたと言うので、私は一番目のお客さんとして当時付き合っていた彼女と一緒に宿泊したんです。
新築の良いにおいがするとてもきれいな旅館で、料理も美味しく、温泉から見える景色も最高で、
「良いところだね。また来たいね」
と彼女と言い合ったほどでした。
私たちは旅館と温泉街を満喫し、お酒を少し飲んだこともあり、夜はすぐに眠りにつきました。

肩を揺すられ、起こされた時、窓から差し込む光から、まだ朝方だろうと思いました。
着物を着た女中さんが
「火事です!起きてください!」
と私の肩を必死の形相で揺すっていました。
「表はもう火が回っていますから、裏口から逃げます。ついてきてください」
私たちは、女中さんに連れられて部屋を出ました。
従業員用であろう細い廊下を渡り、階段を下りると、勝手口のようなドアがありました。
「私はまだ他のお客さんを連れてこないといけないので」
と言って、女中さんは先ほど下りた階段を駆け上がっていきました。
ドアを開けて出たところは、旅館の裏側で、積み上げられたビールケースや物干竿が置いてありました。
すると、彼女が
「おかしくない?」
と言いました。
私が何がおかしいのか聞くと
「火事なのに全然煙が出てる感じがないし、私たち以外に泊まってるお客さんっているんだっけ?」
と答えました。
確かに煙たい感じはしませんでしたし、私たちはオープン前のプレ・オープンの客として貸し切り状態で招待されていたのです。
旅館の表側にまわってみましたが、火事になっている様子は全くありませんでした。
私たちは部屋に戻り、カギもかけずに出てきていたので一応貴重品を確認しました。
何も盗まれてはおらず、間違いだったのかなと思い、チェックアウトする時に友人にこの事を話しました。
すると、友人は
「この旅館が建つ前には別の旅館があったんだけど、火事で全焼してるんだ。避難誘導していた従業員さんが1人逃げ後れたらしいんだけど……」
と教えてくれました。

今でもその旅館は運営していますが、たまに朝方に避難させられるお客さんがいるそうです。
亡くなって何十年経っても、未だに火事の中で避難を呼びかけ続けている女中さんのことを思うと、なんだかとても悲しい気持ちになります。
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