忘却の彼方

ひろろみ

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五歳編

四十七話 アジト (誠一)

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 草原を抜けると、再び森に入り込んだ。森を南の方角に進むと、不自然に傷のある樹木が目に付いた。南の方角に進めば進むほど樹木に傷がつけてあった。まるで道標を記すかのように傷がついた樹木が一直線に並び、一定の方角を示していた。
 
 紅葉が行き先を記したのだと、誠一達はすぐに悟った。抜け目ない紅葉の行動力には呆気にとられる。樹木の傷は真新しく、傷に気付きやすいようにバツ印が付けてあった。だが、随分と先を進んでいるようで、紅葉の気配を感じられない。

 「紅葉様が残した印のようですね……」

 「そのようですね。妹のことです。また無茶をやらかします。急ぎましょう」

 「ええ、急ぎましょう」

 森をひたすらに進むと、山を下る山道が見えてきた。山道の先には高速道路を照らす外灯の灯りが見えた。誠一達は曲がりくねった山道を大急ぎで下った。すると、高速道路の周りを囲う金網フェンスが強引に壊されているのが視界に入った。

 誠一達はすぐに紅葉の仕業だと悟った。紅葉は後先考えもせずに行動することが多い。啓二の追跡に集中しすぎているのか、周囲の視線も気にしていないことが窺えた。高速道路を徒歩で走る行為は正気の沙汰とは思えなかった。

 「相変わらず紅葉様は無茶をしますね……この様子だと高速道路を走って行ったということですよね……人目に付きやすい。それに車が走っているので危険だ。誠一様を危険な場所に連れては行けん。迂回になるが別の道を捜そう」

 「僕のことは気にしないで下さい。路肩を走れば何とかなると思います。今は安全性よりも時間のが大切です。急ぎましょう」

 「稔は心配のし過ぎだ。誠一様の言う通り、時間が限られている。急ごう」

 「しかしだな……分かった。余計なことを言って済まない」

 三人は金網フェンスの穴を潜り抜けると、高速道路に降り立った。時刻は深夜を回っているが、車の交通量が激しかった。一般車両からトラックまで往来し、路肩にまで振動が伝わってきた。ヘッドライトの明りが眩しかったが、気にしている余裕はなかった。誠一達は急いで高速道路を道なりに進んだ。

 すると、三メートルほど上空に火の玉が浮かび上がっていた。前方を見渡すと、十メートル間隔で火の玉が並んでいた。紅葉が行き先を記すために魔術を駆使して火の玉を残したのだと気付いた。三人は火の玉を追って猛スピードで駆け抜けた。

 高速道路を真っ直ぐに進んで行くと、山を貫くほどの長いトンネルが視界に入った。トンネルの壁には傷が付けてあった。真新しい傷跡で紅葉の仕業だと理解した三人はトンネルをひたすらに進んだ。トンネルの中は排気ガスが充満していて呼吸するのが苦痛だったが、我慢するしかなかった。

 トンネルを抜けてからも真っ直ぐに進むと、合流車線が視界に入った。あっという間に隣の県にまで来ていた。しばらく道なりに進むと、高速道路の出口が見えてきた。火の玉が出口に向かって並んでいた。三人は急いで出口に向かい、高速道路の料金所を通過した時だった。

 突然、車のクラクションが鳴り響いたと思ったら、誠一達の走る速度に合わせて車が横付けしてきた。誠一は突然のクラクションに驚くが、車を見てすぐに落ち着きを取り戻した。黒塗りのリムジンで風祭家が所有する車だったのだ。

 誠一達が足を止めると、車もハザードランプを点滅させながら停車した。助手席のドアが開き、風祭家の秘書である鏡伸彦が車から降りてきた。風祭家の第一秘書である伸彦はスーツ姿に鏡を掛けていた。黒髪をオールバックにし、鋭い瞳が窺える。

 今年で五十三歳になる伸彦は厳格な性格で、規律を重んじる人間だ。誠一達兄妹に厳しい時もあるが、優しい一面も窺える。背が高く、スラリとした体形だった。信護が最も信頼する秘書の一人で、風祭家に仕えるようになって三十一年の月日が経っていた。秘書と同時に誠一の教育係も兼任している。

 風祭家の秘書には階級があり、第一秘書は憧れのポジションだった。秘書として働く者であれば誰もが一度は憧れる。秘書として階級を上げるには能力だけではなく、人格や人脈、経験などが求められる。

 「稔様、智則様。何故、誠一様が?私に分かるように説明して下さい」

 「これはだな……」

 「深い事情があってだな……」

 「ほぅ、どのような事情でしょうか?」

 「……」

 
 伸彦の問いに稔と智則は頭を悩ませた。なんと説明すれば良いのか分からなかったのだ。一方的に誠一や紅葉が悪いとも言い切れない。歯切れの悪い返答しかできなかった。その時、後部座席の窓が開き、当主である信護が顔を出した。

 「説明は後だ。早く車に乗りなさい」

 「はい」

 「分かりました」

 誠一達は信護がいることに驚き、慌てて車に乗り込んだ。後部座席は対面式の座席となっており、誠一達が座れるようになっていた。誠一達が座席のシートベルトを装着すると、車はゆっくりと発進した。車は産業道路に出ると、南へ進んだ。

 「それで何故、誠一がいるのだ?」

 「僕達の独断です。叔父を捕らえようと思い、追い掛けてました」

 「なるほどな。危険だとは思わなかったのか?」

 「思いました。しかし、叔父を見過ごすこともできませんでした」

 「誠一が言いたいことは分かった。言いたいことは沢山あるが、それは後回しにしよう。今回だけは特別に一緒に行動することを許可する。だが、例外は今回だけだ」

 「はい、ありがとうございます」

 誠一は安堵の息を漏らした。最悪の場合、父親に怒られることも視野に入れていたが、その心配は無用だった。だが、信護の険しい表情を見ていると、許された気分にはなれなかった。車内は静かでエンジンの音すらも聞こえない。誠一には気まずい空間だった。僅かな沈黙が誠一を責めているような気がしてならなかった。

 「それで状況はどうなっている?」

 「僕から説明します。叔父は香澄を人質に取って逃走し、紅葉が先行して追跡しているところです」

 誠一は悔しそうに言葉を絞り出した。そこには後悔が滲み出ていた。香澄を人質に取られた時、自分が戦っていればこんなことにはならなかった。状況は悪化の一途を辿り、誠一は焦燥感を隠すことができずに、ソワソワと落ち着かない様子だった。

 「状況は分かった。先程、政宗と雄介から連絡が入った」

 「どのような話を?」

 「啓二の自宅から啓二の遺体が見つかったそうだ」

 「なっ……」

 「それでは我々が追っているのは一体……?」

 表情には出さなかったが、智則と稔の胸中は驚きを隠せなかった。敵だと思い込んでいた啓二が、既に殺害されていたのだ。予想外の展開に脳が処理しきれなかったのであろう。それに追い掛けている敵が何者なのか思い当たる節が全くなかった。

 「全く分からん。我々の情報網では調べられなかった。時間を掛ければ有益な情報も手に入れることもできたが、今は時間がない。だからこそ啓二に成り済ましている者を捕らえた方が早いと判断を下した。敵は大胆不敵で用心深い。油断はするな」

 「ええ、啓二様を殺害できるほどの能力を持つ者です。油断はしません」

 信護と稔が会話をしているうちに車は産業道路を通り過ぎ、工場が立ち並ぶ区画に入った。時間帯も遅いため、どこの工場も閉まっていた。道路の脇には紅葉が残したと思われる火の玉が十メートル間隔で浮かんでいた。

 車は火の玉を追い掛けるように進んだ。道路を道なりに進んで行くと、ある工場の真上に火の玉が浮かんでいた。直径三メートルはある火の玉が工場を照らしていた。工場の周りには有刺鉄線が巻かれた金網フェンスが囲い、工場からは明かりが漏れていた。誠一はフロントガラスから工場を見渡した。

 「あそこが敵のアジトのようですね……」

 「ああ、見回りの者はいないようだ。急ごう」

 車が金網フェンスの入り口の前で停車すると、一同は素早く車から降りた。誠一も跡を追うようについて行った。金網フェンスには大きな穴が開いており、紅葉の仕業だとすぐに分かった。フェンスの穴を潜り抜け、工場の敷地内に踏み込んだ。

 工場の敷地は芝生が広がり、アスファルトの道が真っ直ぐに伸びていた。アスファルトを道なりに進むと、頭部を失った死体がいくつも転がっていた。既に紅葉が戦闘を始めていると全員が理解した。正直、紅葉の行動力には驚かされてばかりだった。

 まさか敵に一人で立ち向かうとは信護でさえも想像していなかった。育て方を間違えたのかもしれないと信護は自責の念に駆られた。警戒しながらも突き進み、工場の入り口に辿り着いた。入り口の扉は閉まってはいるが、鍵は掛かっていなかった。

 「稔と智則は正面の入り口以外に出入り口がないか調べてくれ。敵に逃げられないようにするため、出入り口は全て押さえておいてくれ。啓二に成り済ました敵は儂が相手をする」

 「分かりました」

 「仰せのままに」

 「誠一は儂と一緒に来なさい」

 「はい」

 信護と誠一が工場に足を踏み入れようとした時だった。轟音が鳴り響いたかと思うと、工場の壁が豪快に吹き飛び、何かが工場から吹き飛んだ。一瞬の出来事で誠一の視界では追い切れなかった。勢いよく金網フェンスに何かが直撃した。

 誠一は何事かと警戒しながらも辺りを見渡した。金網フェンスが折れ曲がり、人が蹲っていた。誠一はすぐに紅葉だと気付いた。誠一は慌てて紅葉の元に駆け寄り、紅葉の身体を支えた。紅葉の着ている和服はボロボロになっており、激しい戦闘を行っていたことは容易に想像できた。

 「紅葉!!」

 「グッ……ゴホッ……誠一兄様……?」

 「大丈夫か?」

 「ええ、大丈夫です……ゴホッ……ゴホッ……」

 紅葉は吐血しながらも立ち上がった。紅葉が無茶をしていることは察しがついた。既に身体は傷だらけで出血も酷い状態だ。紅葉が強がっているのは一目瞭然であった。だが、紅葉の身体を覆う氣は一段と輝き、誠一に有無を言わせない態度だった。



 

 



 

 

 


 
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