忘却の彼方

ひろろみ

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五歳編

三十八話 想定外の追手 (啓二)

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 森を抜けると、外灯の灯りに照らされた高速道路が見えてきた。山々の合間を縫うように広がる高速道路には車やトラックが往来し、混雑していた。啓二は曲がりくねった山道を下り、金網フェンスを飛び越えると、高速道路に降り立った。

 時刻は二十二時を回っているにも拘らず、交通量が激しかった。このまま高速道路を真っ直ぐに進めば隣の県にまで、すんなりと入ることができる。風祭家の管轄を抜けることさえできれば啓二も安心できるのだが、油断ができない状況が続いていた。

 できるだけ素早く目立たずに逃げたいのが本音だった。高速道路ではなく、山道を走っていれば目立たずに済むのだが、時間的に余裕がない。うだうだしていると追手に捕まる可能性もあり得る。だからこそ高速道路を利用した。

 路肩を凄まじい速度で駆け抜ける啓二は、次々と車を追い抜いていく。時折、後方を振り向いては追手が来ないか確認を取っていた。後方には一般車両が等間隔で走行しているだけだった。しかし、宗家の人間がこのまま大人しくしている筈がない。

 必ず追手を差し向け、報復しようとするに違いない。だからこそできる限り、離れた土地にまで逃げ切る必要があった。時間との勝負だった。風祭家の管轄区域さえ抜けてしまえば後はひっそりと身を潜めるように、雲隠れするつもりでいた。

 ひたすらに高速道路を駆け抜けると、山を貫く長いトンネルが見えて来る。照明の灯りに照らされたトンネルを通過すると、合流車線が見えて来た。一般車両が本線と合流しているのが視界に入った。あっという間に隣の県にまで移動していた。

 啓二は油断することなく突き進むと、高速道路の出口から一般道に降りる。工業地帯を貫く産業道路で比較的に車の量が少なく、往来しているのはトラックや商用車ばかりだった。啓二の腕の中で香澄は気持ちよさそうに眠っていた。

 真っ白なシルクのような布に包まれた香澄は魔術によって強制的に眠らされているのだ。産業道路を子供を抱えながら駆け抜ける啓二の姿は物珍しく、車を運転している運転手は何事かと啓二の姿を二度見していた。

 「くっ……腕の治療は後回しにするしかないな。あの小僧め……」

 誠一に斬り落とされた腕の治療をしている余裕はなかった。右腕からの出血は尚も止まらず、激痛が襲い掛かっていた。止血する暇もなく、香澄を包んでいるシルクの布が赤く染まっていた。このままでは失血死もあり得る。

 産業道路を走り抜けると、工場が立ち並ぶ区画に入った。自動車工場からアパレル工場まで様々な工場が立ち並んでいるが、啓二はそれらの工場には見向きもしなかった。目的の場所は奥にある廃墟と化した工場だった。

 ペンキが剥げ掛かり、壁には穴が開いている工場が視界に入った。もう何年も放置されてきたような錆びれた工場にも拘らず、照明の灯りが漏れていた。何を製造していた工場なのかさえも推測できない。上部に有刺鉄線が頑丈に巻かれた金網フェンスが工場の周りを囲い、啓二の部下達が完全武装で工場の周りを警備していた。

 「啓二様、お疲れ様です」

 「ああ、状況は?」

 「現在、宗家の者が必死に我々を探ろうとしているようですが、何も情報は掴んでいないようです。当分の間は安心できるかと思われます。」

 「分かった。だが、宗家の者を甘く見るな。油断はできん」

 「はい」

 工場の入り口で警備をしていた部下に話し掛けられた啓二は状況を確認する。啓二が逃走している間に、宗家である風祭家がどのように動いているのか気になったのだ。だが、現状で風祭家は何も情報を掴んでいないと知り、啓二は笑みを浮かべた。

 どうやら上手く逃げ切ったようだった。さすがの啓二も宗家の子供達が自身を追跡していることは想定外だったのか、肝が冷えた。だが、神は啓二に味方したと言わざるを得ない。啓二の計画に都合の良い状況を作り出した。

 「お前さん達は引き続き工場の周りの警備を続けてくれ。それと治癒の魔術を使える者を一人寄越してくれ。腕の治療を頼みたい。早急に頼む」

 「分かりました」

 既に緊迫した空気が漂い、工場の周辺を警備する部下達は厳戒態勢だった。啓二は工場の周りを見渡して、追手が来ていないか確認を取ってから工場の中へと足を踏み入れた。工場の扉を左右に開けると、ビニールハウスが視界に入った。

 ビニールハウスには照明の灯りが設置され、マリファナやアヘンを栽培していた。ビニールハウスの周りには覚醒剤を作るための製造機器などが設置されていた。この工場は違法薬物を製造している工場だった。

 外から見たら廃墟と化した工場だが、中は全くの別世界が広がっていた。かなりの量の薬物を製造しているのが見ただけで伝わって来る。これらの違法薬物は啓二の資金源になっているのであろう。工場の中はきちんと整理され、清潔な環境を維持していた。啓二は奥にあるソファーに身を委ねると、香澄を隣に寝かせた。

 長距離を神経を尖らせながら逃走して来たのだ。少しばかり疲れが溜まっていた啓二は、自身も少し休憩を取ろうとワイングラスを手にした時だった。部下の一人が現れた。啓二の信頼している部下で、結城花月である。

 年齢は二十四と若いが、能力においては信頼を置いている。パンツスーツ姿の花月は秘書のような佇まいの女性だった。長身でスタイルも良く、バラの香りが仄かに香っていた。肩まで伸びている黒髪を後ろで結び、眼鏡を掛けていた。

 鋭い瞳が特徴的で冷徹な印象を見受ける。東京大学法学部を卒業後、啓二の元で働くようになって二年。僅か二年で確固たる地位を築いた花月は、啓二のお気に入りの部下だった。仕事への理解もあり、汚い仕事でも率先して行う。

 「花月か。早速で悪いが、近いうちにこの工場を売り払う予定だ。設備の撤去と売買の取引を任せても良いか?いずれこのアジトも宗家の者に知られる。できるだけ早い対応が必要だ」

 「分かりました。工場内の設備の撤去に一週間、売買の契約に一週間頂きます」

 「いや、二週間も待てない。一週間で終わらせてくれ」

 「分かりました。では今から準備に取り掛かります」

 「ああ、工場の売買が済むまでの間、警備の方を厳戒態勢を敷くようにしてくれ。それと宗家の動向も逐一報告してくれ。もし、この場所が売買の契約が済む前に知られた場合はこの場所を放棄する。我々の関与を示す物から優先的に処分してくれ」

 「分かりました。ではこれで失礼致します」

 無愛想な返事だが、花月の能力には一目置いている。啓二はワイングラスを手に取り、ワインを嗜んだ。葡萄の香りが口の中で広がり、味覚を刺激する。疲れを癒すにはアルコールが手っ取り早い。工場内にはクラシック音楽が流れていた。

 バイオリンとピアノの音色が重なり合い、ワインにピッタリの空間を演出する。全ては啓二の予定通りに事が進んでいた。突然、宗家の当主である信護に呼び出された時は啓二も焦りが生じた。計画の一部が露呈した可能性すらも疑った。

 だが、信護は何も気付いていない様子だった。途中で様々なトラブルに見舞われたものの、順調に計画が進み、啓二の気分は上々だった。風祭家の者が全てを知った時には既に事は終えている。啓二は怪しい笑みを浮かべながらワイングラスを傾けた。

 腕時計で時刻を確認すると、二十三時を回ったところであった。今頃、啓二の自宅は宗家の者によって家宅捜査されている頃であろう。しかし、今さら真実を知った所で計画は既に動いている。もはや、啓二に怖いものはなかった。

 笑いを堪えることができなかった。この計画を推し進める為にどれだけの犠牲を払ったことか。長い間、耐えてきたが、やっとだ。あと少しで解放される。

 「随分とご機嫌じゃない。私がいることを忘れないでくれるかしら?しかし、こんな所に違法薬物を製造する工場を作るなんて頭が逝かれているわ。身内の恥ね」 

 「お前は……?」

 ソファーで寛いでいた啓二を侮蔑するように見詰めていたのは紅葉だった。紅葉は氣を纏い、戦闘可能な状態であった。完全に尾行を撒いたと思い込んでいた啓二は驚きを隠せないようだった。まさか七歳の少女に居場所を掴まれるとは想定外だった。

 「工場の周りを警備していた者達はどうした?」

 「これのことかしら?」

 紅葉は両手に持っていた丸い物体を床に投げた。床を転がっているのは啓二の部下達の首だった。その中には花月の首も混ざっていた。本当に七歳の少女なのか疑いたくなったが、それどころではなかった。

 秘密裏にしていたアジトが紅葉に知られたのだ。宗家の者にアジトの位置を知られるのも時間の問題であった。想定外の出来事に啓二は僅かの間、硬直した。工場内の設備の撤去は疎か、売買の契約すら済んでいない。その上、工場内には啓二達の関与を示す証拠が山ほど残っている。

 「貴様……」

 「どうやら貴方の思惑は完全に外れたようね」

 「ふっ……認めよう。確かに貴様の行動は予定外だった。だが、貴様をここで殺せば問題はない」

 「へぇ~……随分と自信家なのね。私が何もせずに貴方を追ってきたとでも?ここに来る途中に道標を記して来たから父上達がここに来るのは時間の問題よ。つまり私を殺しても貴方は父上に捕まり、殺される。詰んだのは私ではなく、貴方の方よ」

 「なるほどな……子供にしては冷静かつ客観的に判断を下せるようだ。だが、これを見ても冷静でいられるかな?我々は貴様らが大切にする者を預かっている」

 啓二は隣で眠る香澄を抱き上げると、香澄の首筋を掴んだ。ぐっすりと眠っている香澄が起きる気配は感じない。紅葉は啓二を軽蔑すると同時に、誠一が操られていた理由を悟った。誠一は人質を取られ、自ら啓二の魔術に掛かったのだと理解した。

 「なるほど……小汚いわね」

 「何とでも言ってくれて構わない。目的さえ遂行できれば問題はない」


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