忘却の彼方

ひろろみ

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五歳編

三十一話 持久戦 (紅葉)

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 兄妹同士の望まない争いは益々過激になっていった。拳と拳がぶつかり合い、隙を窺っては蹴りを繰り出していた。力では強化系の紅葉の方が僅かに上回っているが、速さでは誠一のが優勢だった。両者の戦いに終わりが見えない。

 持久戦に突入せざるを得なかった。もはや、ここまでくると共倒れする可能性が高い。啓二と戦うために体力と氣を温存しておきたかった紅葉だが、そう簡単には思い通りにいかなかった。啓二の思惑通りに事が進んでいるようで不快だった。

 相手が相手なだけに温存しながら戦える相手ではない。焦燥感を隠し切れない紅葉の表情に、翳りが見られた。もう既に全力で戦っているのに、誠一にダメージを受けた様子は見られない。焦り、緊張、不安が紅葉を襲い、体力を消耗していった。

 「くっ……」

 さすがは兄である。隙を見せるどころか、どんどん攻めてくる。死角からの攻撃、フェイントを織り交ぜた攻撃、全ての攻撃が紅葉の身体に傷を与えていた。致命傷にはならないものの、傷を放置したままにしておくと戦闘に支障を出しかねない。

 腕は傷だらけになり、血が滲んでいた。両足は紫色に変色し、氣を覆っていてもダメージは避けられない状態だった。次第に呼吸が乱れ、思考する余裕さえも消え去った。それでも負ける訳にはいかなかった。意地でも食らい付く。

 プライドの高い紅葉にとって、今の状況は許せなかった。後手に回っている感覚が不快で、何としても一矢報いなければ気が治まらなかった。必ずや啓二を捕らえ、尋問しなければないらない。このままでは風祭家の威信が失墜する。

 「はぁはぁ……」

 上を向け。下を見るな。顔を上げなさい。私は紅葉。誰よりも気高く、誰よりも強くなくてはならない。こんなことでは挫けない。求めているのは強者としての振る舞い。例え、手足が動かなくなったとしても負ける訳にはいかない。

 どんなに身体が悲鳴を上げても、心は絶対に挫けない。紅葉の瞳には燃え盛る炎が宿っていた。今こそ限界を超える時。紅葉は一瞬で誠一の背後に回り込むと、首筋に手刀を打ち込んだ。紅葉に手加減をする余裕はなく、渾身の一撃を急所に入れた。

 いかに誠一でも急所を攻撃されればダメージは避けられない。完全に急所に決まり、紅葉は笑みを浮かべた。誠一の身体が僅かにふらつき、よろめいた。最小限のダメージで誠一を倒すことができた。このまま誠一を拘束し、精神干渉系の術を解く。

 その時だった。完全に油断しきってしまった紅葉に、想定外のことが起きた。完璧に急所に決まったと思ったが、誠一はふらついた状態から廻し蹴りを繰り出したのだ。予想外の反撃に防御が僅かに遅れた。

 「クッ……」 

 咄嗟に顔の前で両腕をクロスするように突き出し、防御体勢に入るが豪快に吹き飛ばされた。湖畔の砂漠がクッションとなり、思ったよりもダメージを負うことはなかった。しかし、状況は一瞬で変わってしまった。

 先程の手刀は意識を刈り取るには充分な攻撃だった。急所に的確に入った筈だった。それでも一瞬よろめいたものの、気絶させるには至らなかった。それが何を意味するのか、紅葉は最悪のシナリオを想定せざるを得なかった。

 誠一には既に意識がない。つまり誠一を殺すまで誠一は人形のように闘い続けることを意味する。啓二の術への評価を悔い改めざるを得ない。操作系の能力を完全に侮っていた。まさかこれほどまでに持続力の高い操作が可能だとは思いもしなかった。

 これ以上の戦闘は紅葉にとって都合が悪かった。誠一の身体を傷つけてしまうからだ。よって、残された選択肢は一つだけだ。それは術者である啓二を探し出して殺すことである。でなければ誠一を助け出すことは不可能だと悟った。

 辺りを見渡しても啓二の姿は見えなかった。紅葉は氣を性質変化させた糸を再び具現化させる。奇跡的に糸はまだ啓二の身体に付着していた。糸の感触からすると、啓二は今もまだ移動していた。それも凄まじい速度で東南の方角に向かっている。

 誠一と紅葉を闘わせ、その間に自身は逃げ切るつもりだと瞬時に理解した。小賢しい。自身は闘わず、他者を利用してばかりの啓二に反吐が出た。怒りのあまり体内からアドレナリンが放出され、殺気立っていた。

 このまま誠一の相手をしている場合ではない。誠一は未だに猛スピードで接近してきては拳の連打を振るい、怒涛の勢いを見せていた。未だに油断できない状況が続き、激しい攻防戦だった。誠一の繰り出す攻撃を躱しながら思考に集中する。

 啓二の目的、狙いは何なのであろうか。狙いは本当に響の暗殺なのだろうか。響を暗殺して何の意味があるのか、分からなかった。それとも別に狙いがあるのか。いくら考えても答えは分からない。それどころか時間を掛ければ掛けるほど胸騒ぎが起った。何かが起ろうとしている。それだけは間違いなかった。

 「あぁ~もう、私らしくないわ。うだうだ考えるのは性に合わないわ」

 紅葉が下した結論はシンプルだった。叔父の啓二を捕まえればいい。本人に問い質した方が圧倒的に効率が良い。それに何よりも啓二の追跡に集中すべきだと直感が告げていた。不測の事態が起ろうと叔父さえ拘束してしまえば問題はない。

 啓二を追跡すると決めた紅葉だったが、一つだけ心配なことがあった。それが響のことだ。このまま叔父の啓二を追ってしまうと、響が一人で問題を解決しなければならなくなる。響が魔術を使えないのは既に周知のこと。

 恐らく今の響では太刀打ちできる相手ではない。時間は刻一刻と過ぎ去り、時間を掛ければ掛けるほど啓二に都合の良い状況を作り出してしまう。逃走の時間を与えるだけでなく、反撃の機会さえも与えてしまうかもしれない。

 悩んでいる時間はなかった。今回の件、紅葉の直感が正しければ響の暗殺はカモフラージュだと睨んでいる。啓二が何を企んでいるのか、今はまだ分からない。しかし、放って置くと更に事態を深刻化させてしまうような気がした。

 紅葉の第六感とでも表現するべきか、先程から脳裏で警鐘が鳴り響いているような奇妙な感覚に襲われていた。それは女性特有の勘でもあり、紅葉自身も自分の直感が良く当たると自負している。今は響を甘やかす時ではない。

 響には申し訳ないが自身の力で切り抜けて貰うしかなかった。あまり過保護過ぎると響のためにはならない。それにこの程度の危機を自身の力で切り抜けていくことができなければ、いずれにせよ響は風祭家では生き残っていくことはできない。

 だからこそ敢えて厳しくする必要があると考えていた。それが紅葉にできる精一杯の愛情表現でもあった。思考が纏まった紅葉は啓二を追うことに集中する。思考している間も啓二が移動しているのが糸の感触から伝わって来た。

 もはや、一刻の猶予もなかった。紅葉は体力の温存を考え、強化系の氣を解除すると纏衣の状態に切り替え、森の中へと素早く踏み込んだ。啓二は東南の方角を南下している。身体を強化系の氣で覆いながら逃走しているのであろう。

 凄まじい速度で移動しているのが、糸を通して伝わってくる。早く捕まえなければ風祭家の敷地を越えてしまう。紅葉は焦燥感に包まれながらも、誠一の攻撃を躱しながら森の中へ入り込んだ。木々に覆われた森の中は暗闇に包まれ、視界が悪過ぎた。

 一瞬の隙をついて、誠一の頬に拳を叩き込んだ。今の紅葉に出せる全力の攻撃だ。勢い良く後方へ吹き飛ばされた誠一は木々を薙ぎ倒しながら豪快に転がった。ダメージを軽減させる暇すらも与えなかった。受け身を取ることもできまい。

 これ以上、誠一の相手をする暇はない。紅葉は木々の間に隠れ、誠一に見付からないように細心の注意を払う。紅葉を見失った誠一は暗闇に覆われた森の中を彷徨い始める。紅葉を捜しているようだが、紅葉は完全に気配を絶っていた。

 静寂が訪れ、虫の鳴き声だけが響き渡っていた。今がチャンス。誠一は完全に紅葉を見失っていた。誠一に悟られないように森を駆け抜けた。木々の枝を飛び移るように移動して啓二を追い掛ける。その時だった。

 暗闇を照らし出すような光の濁流が襲い掛かった。咄嗟に回避行動に移る紅葉だが、険しい表情は隠せなかった。光の濁流は木々を軽々と薙ぎ倒し、豪快に地を抉った。誠一が紅葉の背後から攻撃を仕掛けたことは見るまでもなく理解できた。 

 森の中で気配を絶っても、誠一には見抜かれていた。

 
 
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