忘却の彼方

ひろろみ

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五歳編

十五話 不協和音 (響)

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 雄輝も武術の心得があるのか、凄まじい速度で響の懐に潜り込むと、顔面に向かって掌底打ちを繰り出した。響は顔を横に逸らすことで掌底打ちを躱す。雄輝の動きを完全に見切ってから避けたつもりだったが、頬に拳圧がひしひしと伝わってきた。

 一撃でも食らったら致命傷になりかねない攻撃であった。その上、予備動作が最小限に抑えられた一撃である。動きに無駄がなく、次の攻撃を予測しにくい。たった一撃で雄輝の力量を悟った響は警戒に値すると判断を下した。

 相手は自分と同量の鍛錬を積んでいる。

 気を引き締めるには充分な理由であった。雄輝の攻撃は尚も止まらず、逆の腕を振り被ると、掌底打ちの連打を繰り出した。全ての攻撃が響の顔を的確に狙っていた。人体の構造を考えると、顔面が最も狙い易い。
 
 そして、敵を行動不能に追い込むのに最も適した部分でもある。雄輝の力量を完全に把握した響は顔を逸らすことで攻撃を躱してから雄輝の手首を掴むと、足腰を踏ん張りながら勢いのままに雄輝を背負い投げた。慣れた動作で素早い身の熟しだった。

 軽々と宙を舞った雄輝は空中で体勢を変え、受け身を取る。綺麗に受け身を取っていたために、雄輝にダメージはなかった。だが、それも響の予想の範囲内のことだった。響は源十郎との稽古が存分に活かされていると実感できた。

 自分は充分に闘えると自信の裏付けとなった瞬間であった。身体から自信が溢れるように漲り、思わず笑みが零れた。まだ実力の半分も出していないのに、対等に闘えている。この様子では本気を出すまでもなく、終わらせることができそうだった。

 「何故、本気でやって下さらないのですか?」
 
 「夕方から分家の皆様を交えて会談が行われます。その前に怪我をして欲しくないだけです。決して手を抜いている訳ではありませんので、ご理解下さい」

 立ち上がった雄輝は不満げに問うが、響の気遣いは余計に雄輝を苛立たせた。その表情は怒りに染まっていた。一見、大人しそうな印象の雄輝だが、気が短いのだろう。怒り心頭といった様子で氣を練ると、雄輝の身体を覆うように氣が溢れ始めた。

 「ならば本気を出させるまっっっ……で……」

 響は雄輝が何かを言い掛ける前に接近して、掌底打ちを雄輝の鳩尾に当てた。軽く掌を当てただけで雄輝は後方に吹き飛んだ。芝生の上を何度も跳ねるように吹き飛んだ雄輝は突然の攻撃に、防御も受け身も取れなかった。

 響の武術の腕前は誠一や紅葉にさえも引けを取ることはない。魔術を使えないからこそ二人の兄姉とは圧倒的な差が出てしまう。だが、魔術を使わない闘いならば、響は誠一や紅葉にさえも後れを取ることはない。

 それは誠一も紅葉も認めていることだった。しかし、魔術を使えない響が風祭家で認められた訳ではなかった。実践において、魔術の有無が戦況を左右するからだ。それは響も理解していることであり、悩みの種でもあった。

 いくら武術の鍛錬を積み重ねても魔術を使う相手には手も足もでない。理解はしているが、それでも簡単には諦める訳にはいかなかった。どんな逆境でも跳ね除けるような精神がなければ、風祭家では生き残ってはいけなかったのだ。

 三歳から学んだことは勉強や武術だけではない。心の在り方や常に向上心を高く保つ秘訣など様々なことを学んだ。風祭家の教育は肉体や知識だけではなく、精神も鍛えるのだ。同世代の子供達と比べた時、響もまた浮世離れしている存在だった。

 現実離れした二人の兄姉を間近で見てきた響は自身を過小評価することが当たり前になっていた。比較対象が紅葉や誠一ばかりだったために、響は自身がどれだけ浮世離れした存在なのか理解することはなかった。

 「貴方達は僕が魔術を使えないことを知っていて勝負を挑んできました。魔術を使えない僕が敵である相手に魔術を使わせる訳がありません。雄輝さん、油断した貴方の負けです。本気でないのは僕ではなく、貴方の方です」

 響のことを無能者と思い込んでいた分家の子供たちは驚きを隠せなかった。雄輝は白目を剥き、口から泡を吹きながら気絶していた。雄輝を一撃で気絶させたことに、周りで傍観していた分家の子供達は唖然と固まっていた。

 分家の子供たちは響が魔術を扱えないことを知っていた。だからこそ舐めて掛かって来たのだ。そのような相手に本気になるまでもなかった。誠一や紅葉と稽古をする時は、慎重に闘わなければならない。少しの油断が命取りとなるからだ。

 魔術を使えない響のことなど全く考慮せずに遠慮がなかった。誠一や紅葉に比べたら雄輝は完全に劣っていた。魔術が使えなくても対応できるレベルだった。響は同世代の子供達の力量を完全に把握して、本気で相手をするまでもないと判断を下した。

 これ以上、闘いを続けても分家の子達との関係が余計に悪化してしまう。それは響の望むところではなかった。宗家と分家という間柄である以上、これから先も付き合いを続けなければならない。傷が浅いうちに和解したかった。
 
 「これ以上はやめませんか?お互いに怪我はしたくないでしょう?僕としては平和的に話し合いで解決したいのですが……いかがでしょうか?できれば話し合いで納得して頂きたいです」

 「いいえ、話し合いでは解決できない問題です。油断した雄輝が悪い。我々の中で雄輝が一番下の子になります。未熟な者が油断するなど恥晒しもいいとこ。非礼をお詫びして、私がお相手致します。次は雄輝のように簡単にはいきませんよ」

 そう答えたのは雄輝の兄である雄大だった。雄大は完全に響の話しを聞いていなかった。もはや、話し合いで解決することは不可能だと響は悟った。雄大は誠一と同い年の八歳になる。さすがに三歳も離れていると、身長や体格に差がある。

 そして、経験も圧倒的な差があるといっていいだろう。雄大は初めから纏衣の状態を維持していた。無色の氣が輝き、雄大の身体を包み込んでいた。能力を隠すために氣を無色にしているのか、元々の氣の色が無色なのかは判別できなかった。

 だが、雄大が能力を使う気が満々なのは伝わってきた。魔術を使う相手と闘う場合、短期決戦が望ましい。長期戦に持ち込まれると響が不利になることは目に見えていた。かと言って無策で突っ込むほど響は愚かではなかった。

 敵である相手の系統と能力を知らずに、近付くことは危険な行為だからだ。魔術が扱えない響にとって接近戦ができないことは、攻撃の手段を奪われたと言っても良い。対策の取り様がないが、それでも闘うしかなかった。

 これから先の未来を想定した時、魔術を使えなくてもある程度は闘える術を身に付けなければ風祭家では生き残っていけない。響はこのまま落ちぶれる気はなかった。例え、魔術が扱えなくても圧倒的な格差をもって倒して見せる。

 分家の子供たちと響の間には圧倒的な温度差が生じていた。気の構えようとでも表現するべきか、闘いに対する姿勢が全く異なっていた。響も身体に氣を纏わせ、纏衣の状態になった。身体から氣が溢れ、力が漲るような気分だった。

 正直なところ、纏衣の状態をどれだけ維持できるのか分かっていなかった。それに闘いながら纏衣を維持できるのかさえも分からなかった。ぶっつけ本番と言っても良い状況だが、それでもやるしかなかった。

 何故なら纏衣の状態の人間の攻撃を氣を纏っていない生身の状態で受けた場合、そのダメージは計り知れない。纏衣の状態の人間が軽く叩いただけで骨が木端微塵になる恐れがある。丸裸で闘うようなことはできない。

 纏衣の状態の人間の攻撃を防御するためには自身も纏衣の状態にならなくてはならないのである。今回ばかりは本気で闘わざるを得ない。どのような魔術を使うのか、今はまだ分からないが、油断は禁物である。

 「では、参ります」

 「……どうぞ」 

 
 

 
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