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閑話 セドリックの理性

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 俺、セドリック・アダムスは、アダムス家の長男。祖父の立ち上げたアダムス商会の「次期商会長」である。
 一応は世襲の形を取っている我が家だが、商人としての腕がないと、商会長の座を得ることはできない。兄弟同士での争いだ。現に、俺の父は、次男であるが会長職を継いでいる。
 とりあえず、俺の目利きと営業態度が評価され、次期商会長として認められているというわけだ。無論、油断はできない。いつ弟達に足をすくわれてもおかしくない。

「気になるものはございますか?」

 今俺は、お得意様であるオルコット家の令嬢、キャサリンの前で、ネクタイ用のシルクを広げている。

「その布は、色味が珍しいのですよ」
「ふうん。そうなのね」

 俺は至極丁寧な態度で、キャサリンの視線に合わせ、生地について説明を付していく。それに対して、聞いているのかいないのか、流すような相槌を打つキャサリン。
 自分より歳も若く、力もない、きゃぴきゃぴとしたご令嬢達に傅く術は、アダムス商会の、学園近くにある店舗で充分に学んだ。
 学園に通う令嬢達は、皆揃って貴族の娘だ。アダムス商会では貴族向けの質の良い品を扱っているから、学園の生徒がしょっちゅう買い物に来る。俺はそこで、貴族のご令嬢達の、平民を人と思わない振る舞いをたくさん見てきた。それでも腹でぐっと堪え、笑顔を浮かべる。
 自分で言うのも何だが、俺の容姿は、女性に受ける。だから、笑ってさえやれば、何を勧めても気前良く買って頂けるのだ。彼らは、良いものも悪いものも、見極めるほどの目をもっていない。

「いかがですか」

 営業用の最高の笑顔を浮かべ、考えを促す。キャサリンもご多聞に漏れず、由緒正しい貴族の令嬢である。ただし、この令嬢は、一筋縄ではいかない、というのが俺の印象であった。

「やっぱり、黒かしらね。これにするわ。」
「さすがですね、お嬢様。そちらのお色味は、黒の中でも染色の難しい、希少な絹なのですよ。」

 ほら。黒い布なんていくらでもあるのに、少し眺めただけで、最も質の良いものに目をつけた。俺が長年苦労して身に付けた目利きの感覚を、キャサリンは、生まれつきもっているように思える。だから、足元を見て下手なものを売りつける、ということができない。

「助かるわ。急なお願いなのに、ありがとう。」
「いえ、これが我々の役目ですから。」

 そして、貴族にしては珍しく、俺のような者にもはっきりと礼を言う。俺が当然の台詞を返すと、「ふふ」なんて朗らかに笑われて、こちらがたじろいだ。
 もったいない、という考えが頭を過ぎった。この美貌、目利き、朗らかさは、店頭に看板娘として置いておいたら、かなりの売り上げを叩き出すだろうに。巷では、キャサリンは婚約破棄をされたと聞く。こんな良い女と結婚しないで、相手はいったい、誰と結婚するというのか。貴族の考えることはわからない。

「失礼致します」

 オルコット公爵家を辞して、俺はそのまま別の得意先へ向かう。
 商会の馬車は高級なもので、椅子がふかふかしている。だが、貴族の乗る馬車はもっと良いものなのを、俺は知っている。商会に勤める身分では、これ以上のものを手に入れることはできない。

「如何ですかね? どれも、この国では流通していない薬だそうですが」

 近頃取引を開拓したのは、ブランドン侯爵家である。彼らは異国ーータマロ王国との繋がりがあり、仕入れた品物を、国内で販売したがっているのだ。
 貴族が自分でものを売るより、俺たち商会のパイプを使った方が、良く売れる。ものを売って得た利益の一部を俺たちが手数料として頂き、残りが貴族に流れる仕組みだ。
 俺は最近、商売の拡大について考えている。商会長といっても、あくまでも平民。いくら金を稼いでも、貴族の下働きに留まり、そこに頭打ちがある。もし飛び抜けた成果を上げることを願うのならば、商人としての立場を超える必要がある。例えば、貴族の令嬢と結婚するとか、そういうことだ。

「これは、うちでは売れませんね……」

 ひとつひとつ品物の説明書きを吟味しながら、アダムス商会として預かる商品を選ぶ。タマロ王国は薬の開発がこの国よりも進んでいるらしく、見たこともないような薬がたくさんある。
 飲むと楽しい気分になる薬。依存性がある。そう注意書のしてある薬を、俺は除外した。

「売れませんか。一度売れば、一定の売り上げを見込めると思ったのですが……」
「だからこそです。依存性があるというのは、ちょっとね。そういうことで売るのは、商会のイメージに合いません」

 たしかに人を依存させる薬なら、売れば売れるだろう。しかし、アダムス商会のモットーは、「良いものを高く売る」である。依存性で売る薬というのは、「良いもの」とは言えない。
 結局俺は、頭痛薬や解熱剤などで、今市販されているものより効果が高いものを販売する約束を、ブランドン侯爵家と交わした。

「今後ともよろしくお願いします」

 ブランドン侯爵家の担当者は、最後に小瓶を手渡して来た。蓋を開けると、むせそうなほどの甘い香りが、濃く漂ってくる。

「これは?」
「タマロ王国の香水です。女性と会うときに付けると良いとか」

 女性と会うときに付けるというが、少し嗅いだ印象だと、これはどうも、いかがわしい類の香水なのではないか。そう思ったけれど、これは売り物ではない。好奇心が優って、つい受け取ってしまった。
 いったい、どんな効果があるのだろう。キャサリンのところに、蝶ネクタイを届けに行く時、試してみようか。俺は出来心で、香水を付けてみることに決めた。

 実際のところ、この香水は、効果てきめんであった。俺は自然に匂いを嗅がせるため、キャサリンの部屋に入る前、自分の胸元にたっぷりと香水を振りかけた。胸元から立ち上る濃厚な香りに、自分でも少しくらっとくる。鞄の中に入っている、練習用の蝶ネクタイを確かめ、入室の許可を得た。ふたりきりということは勿論なく、そばに侍女が控えている。実験は慎重に行わなければならない。
 キャサリンは、動きに隙が多い。練習の手伝いをすると見せかけ、不躾なまでに近寄ると、キャサリンの動きが一瞬止まった。

「お嬢様?」
「えっ? あっ、ごめんなさい」

 困惑の色を声に滲ませつつ、ネクタイに視線を戻すキャサリン。彼女の白い肌は、この一瞬で、ふんわりと上気していた。つい唇を寄せたくなるのを、理性で抑えた。

「お上手ですよ」

 わざと耳元で囁いてやると、はっ、と浅く息を漏らす。あの凛としたお嬢様が、ただ香水を嗅いだだけで、こんな態度を見せるなんて。
 俺はここで調子に乗り、ネクタイを自分に付けさせようとした。彼女の顔が正面に来る。間近で見る潤んだ瞳、薄く開いた唇、甘い吐息……支えるふりをして抱きしめてしまおうかと両手が動きかけたところを、侍女に邪魔された。

「もう、付けてこないで頂戴」

 体に起きた異常は、キャサリン自身も自覚するほどのものだったようだ。そう言い渡され、俺は部屋を辞する。危なかった。いくらなんでも、彼女の体に触れてしまったら、俺は仕事ができなくなる。
 部屋から出て、俺はポケットから取り出した香水の瓶を眺めた。危険な香水だ。
 でも、これを上手く使えば、またあの顔を見ることができる。貴族の御令嬢が、本来ならば、決して俺のような平民には見せない顔。見たい。あわよくば、その先も。

「ああ、なんなんだ……」

 こんなの、俺らしくない。理性的でいなければ。
 ふつふつと湧いてきた欲望と、それを煽るように浮かんでくる先程のキャサリンの顔を振り払おうと、俺は額に手を当て、頭を左右に幾度か振った。
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