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騎士様は魔女を放さない

彼には秘密

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「いいのかい? あんた昨日、手が使えなくて食べさせてもらってたじゃないか」
「はい。お力にはなれないかもしれませんが、お皿を拭くくらいなら……」

 翌朝。まだ外は暗い時刻に起き出した私とアテリアは、声を潜めてそんな会話を交わす。昨日の鍛錬の疲れはまだ腕に残っており、両腕がだるさと筋肉痛に襲われている。心配するアテリアにそう答え、私は身支度をした。
 私は、アテリアの役に立ちたい。鼻以外の部分でも人の役に立てることは、私にとって、喜ばしい事実であった。だから、彼女と厨房で過ごす時間は充実している。それに、快活なアテリアと一緒にいるのは楽しい。

「まあ、あんたがいいならいいけど。何なら、話相手になっておくれ。それだけであたしは嬉しいよ」

 にかっと、太陽の覗くような笑顔を浮かべるアテリア。彼女のおおらかな笑みを見ていると、釣られて明るい気分になる。

「あとは、ほら、あれを用意してくれてもいいよ。ほら、肉にかける薬草」
「ああ……あれですか」

 私の脳裏に閃いたのは、渡した薬草を捨てたアイネンの姿である。悲しい記憶が蘇って口籠ると、アテリアは不思議そうに目を丸くした。表情豊かな彼女の顔色の変化は、薄暗い中でもわかる。

「なんだい、歯切れが悪いね」
「私の用意した、しかも薬草なんて騎士様はお嫌でしょうから、止めようと思うんです」

 薬草を常食にする行為は、そもそも嫌われる。ましてや庶民の私が用意したものを、エルートはともかく、他の騎士が望んでいるはずがない。
 求められないことをする必要は……と、そこまで考えてはっとした。いつもの思考の癖が顔を出している。求められたことをする、求められないことはしない。そんな自分から、脱したかったのに。

「……いえ。やっぱり皆さんに喜んでいただきたいので、準備しますね。今日は用意がないので、できませんが」
「そうかい! 皆の喜ぶ顔が楽しみだねえ!」

 騎士たちが喜ぶかはわからないが、アテリアが嬉しそうだから、それで十分だ。エルートも、美味しいと喜んでくれるだろう。彼らの笑顔が見られるなら、他の騎士が求めていなくたって、気にしなくていい。

 私は、自分のしたいようにするのだ。
 思いを固め、着替えを終えて廊下に出る。先に扉を抜けたアテリアが、「あら」と声を上げた。

「どうしたんだい、こんな時間に、こんなところで。まさか魔女さんに良からぬことを企んでいたんじゃないでしょうね」
「まさか。違うよ、彼女に折り入って頼みがあるんだ」

 声と匂いに、覚えがあった。案の定、そこには銀の巻髪と緑の目。早朝なのに既に身支度を終えたレガットが、私を待ち受けていた。

「……どうされたんですか?」

 彼は私を利用して、安泰な地位を得ようとしていたこともある。私にそんな価値がないことは置いておいても、アテリアの言う通り、何か企みがあるかもしれない。でないとこんな朝に、部屋の前で待ち構えているなんてありえない。警戒心が、自然と声にも滲み出た。
 レガットは私を見ると、ぱっと表情を明るくした。両手を顔の前で合わせ、依頼の姿勢を取る。

「折り入って頼みがあるんだ」
「……どのような?」

 硬い声が、まだ眠りの気配の色濃い静かな廊下に響く。手を解き、顔を上げたレガットは、眉尻をぐっと下げた表情をしていた。
 その泣き出しそうな顔つきには、既視感がある。

「君が、王宮薬師に招かれたと聞いた」

 無理やり笑顔を作ったような、泣き笑いにも似た表情。ああ、そうだ。この顔は確か、あの雨の日に、馬車の中で見た顔だ。
 意中の女性に袖にされ、動揺していたレガット。彼は馬車の中で、「妹を守るために、高貴な女性に婿入りしたい」と話していた。街中に向かって流れている、レガットの匂い。それが示すのは、彼が妹に注ぐ思いの強さだ。
 こんな顔をしてレガットが話すことといったら、一つしかない。

「王宮薬師に、妹の病に効く薬がないか、聞いてくれないか?」

 緑の瞳が、私を真っ直ぐに捉えた。
 私は、胸元に下がった青い石にそっと触れる。悪意のある人物に反応して震える石は、全く震えていない。レガットには他意はなく、本気で、私に頼んでいるようだ。
 私は迷った。求められたからと言って、安直に応えるのは辞めたのだ。判断するには、まだ情報が足りないように感じた。

「先に行っているよ」

 レガットに悪意がないことを察したのだろう。アテリアはそう告げ、先に食堂に向かった。彼女の足音が遠のく中で、私はレガットと向かい合う。

「王宮騎士様なら、薬師の方にもお会いできるのでは? ご自身で聞けば宜しいじゃありませんか」
「聞いたことはあるが、取り合ってもらえなかった。僕は騎士であっても、家族である妹はただの庶民だ。彼らは、庶民の病気になんて塵ほども興味がない」

 私は、カルニックの様子を思い出す。確かに彼は、未知への好奇心は旺盛だが、誰かを助けることに関心があるようには見えなかった。

「お医者様に、聞けば良いのでは?」
「名医と名高い人にも診てもらったけど、薬でできるのは延命だけで、完治はしないらしい。王宮薬師なら、まだ巷には知られていない情報も持っていると思うんだ」

 レガットの妹は、ずいぶん重い病らしい。そこまでは知らなかったから、同情の念が湧かない訳ではなかった。
 金銭や後ろ盾を求め、女性と交際しようという彼のやり方は良いとは思えない。しかし、人生を捧げてでも妹を守ろうという、レガットの思いはきっと本物なのだ。

「……私が聞いたって、教えてはもらえませんよ。薬師の方は、私の知識にしか興味がありませんから」
「でも、君は薬師に貸しがあるだろう? 僕が聞くより、まともに取り合って貰えると思うんだ」

 軽薄なレガットにしては珍しい、真摯な声が鼓膜を震わせる。

 私は、どうしたい?
 自分自身に、心の声が問いかける。

 正直言って、レガットのやり方には納得がいかない。いくら妹のためとは言っても、相手の女性への好意ではなく、打算で結婚まで持ち込もうとするのはいかがなものかと思う。家族のためなら、他人に何をしても良い訳ではない。
 それでも、彼が妹を大切にしているのは明らかだ。全ては、重い病にかかっている妹を助けるため。懸ける気持ちの強さは、匂いの強さにも表れている。
 もし万が一、カルニックの知識で妹の病が治るのなら、もうレガットは女性に粉をかける必要がなくなる。命が、少なくとも一つは助かることになる。ひと言質問するくらい、してもいいかもしれない。

 私が黙って考え込んでいる間、レガットはずっと、真っ直ぐな瞳をこちらに向けていた。私は、その目を見つめ返す。

「……答えて貰えるかは、わかりませんが」

 求められたからではなく、私がしたいと思ったから。
 レガットの目の奥に、喜びの色が浮かぶ。

「ありがとう、君は優しいんだね。女神のようだ」
「大袈裟です」
「僕は本気だよ。君みたいな優しい人が、奥さんになってくれたらいいのに」
「訊くのを止めてもいいんですよ」
「おっと! それは困るな。失礼」

 軽い調子でおどけるレガットは、もうすっかりいつもの軽薄な雰囲気である。

「それで、聞いてほしい内容なんだけど……」

 私はレガットから、妹の病状について簡単に聞いた。彼の妹は、病にかかりやすい体質だと診断されたらしい。普通の人ならかからない病にかかり、重篤な症状に繋がってしまうという。今は外に出ないことと、体調を整える薬を飲むことで病から身を守っているが、それではいつ何があるかわからない。
 レガットが知りたがっているのは、体質の改善に繋がる薬が存在するのか、ということらしい。
 そんな病気があるなんて、知らなかった。病を恐れて家から出ずに生活し、いつ病にかかって死ぬかわからない。そんな日々を送っている彼の妹を思うと、見知らぬ相手ではあるが、何とかしたいという気持ちを持った。

「結果はまた、エルートがいない時に聞きに来るから」
「エルートさんがいたらいけないんですか?」

 レガットは苦笑すると、肩を竦めた。

「君にこんなことを頼んだと知ったら、怒鳴りつけられるに決まってるだろ。それに僕は、君と二人で話したいんだ」

 怒鳴るかはわからないが、不愉快な表情を浮かべるエルートの姿は、容易に想像できる。
 それにしても、息をするように口説き文句が出てくるのは、彼の性質なのだろうか。私は薄く笑い、話を流して食堂へ向かった。

 厨房で汗をかきながら、アテリアの手伝いをする。今日は腕が疲れているから重いものは持てないものの、皿を拭いたり、重ねたり、多少の作業は手伝えた。
 蒸気の溢れる厨房にいると、流れ出る汗が頭をすっきりとさせてくれる。

 食堂に薬草を用意するのも、レガットの頼みを受け入れるのも、間違った選択ではないと思う。例え求められていなくても、あるいは、求められたとしても無思考で応えるのではなく、自分の意志で進むべき道を決める。今のところそのやり方は、うまく行っているように思えた。
 エマの助言の通り、行動を積み重ねていけば、私の言葉を、エルートも信じてくれるようになるはずだ。

「すみません、あまりお手伝いできなくて」
「何言ってんの、これはあんたのお役目じゃないんだから。気にかけて、顔出してくれるだけで嬉しいのさ」

 朝の支度を終え、額に流れる汗を拭きながら、アテリアはからっとした顔で笑う。私も布で額や首筋を拭うと、動きに合わせて、胸元の青い石が揺れた。
 母の教えを破ると、痛い目に遭う。それを恐れて母の教えにこだわっていたが、きっと、あるべき姿はそうではないのだ。
 例え痛い目に遭ったとしても、自分のしたいことをしたのだ。結果は、責任を持って受け入れるしかない。
 体を動かしてすっきりとした頭は、私の思考を前向きな方向に連れて行ってくれた。
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