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騎士様は魔女を放さない
危険なあいつ
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「失礼致します」
「やあ、カプンの魔女。元気そうで何よりだ」
団長の部屋に入ると、相変わらず、背筋がすっと伸びる。団長であるガムリの、深い藍色の瞳から放たれる鋭い視線。その前では、余計な思考は全て追いやられ、緊張感で頭が満たされる。彼の冷水に似た匂いは、私の背面にある扉の向こうへ流れている。
「ご心配をおかけしました」
「君に非はない。あるとすれば、君を守りきれなかった者達にある」
「力が及ばず、申し訳御座いません」
隣で、エルートが直角に頭を下げた。下げたまま、微動だにしない。
「頭を上げなさい。お前だけが責を負うべきことでもない」
ガムリが言うと、エルートはやっと顔を上げた。
申し訳なさに、胸が締め付けられる。彼が謝ることはないのに。自らの命を危険に晒してでも、魔獣の毒を吸い出して救ってくれた彼を、責めるのは筋違いだ。
ただ、そんな言葉をこの場で発するのははばかられる。ガムリと目が合うと、喉の奥が強張ったようになり、余計な声は出てこない。
「次の討伐は、君の身を守る支度をさせてから行う」
「……ありがとうございます」
それほどの価値が自分にあるとは、到底思えないけれど。有無を言わせぬガムリの雰囲気の前では、それを受け入れることしかできなかった。
「君が討伐に参加するようになるまで、少し時間が取れた。そこで提案なのだが」
「団長。それは、言わない約束では」
ガムリの言葉に、恐れ多くも、エルートが割り込む。ぎろり、と厳しい視線が私の隣に飛ぶ。そっと横目で確認すると、エルートはその焦げ茶の瞳を、怯まずにガムリへ向けていた。
火花が散るような、熱い視線の交錯。互いに目を逸らさぬまま、ガムリが「決めるのは君ではない」と言った。
「せっかくの機会だ。カルニックを厭う君の気持ちもわからないではないが、要望を握り潰すのは彼女に失礼だろう」
カルニック。その名前には、聞き覚えがある。
私が魔獣の毒に侵され、倒れた後で目覚めたのは、王宮薬師団の建物内だった。カルニックは、私の手当てをしてくれた薬師である。青みがかった黒髪で片目を隠した、珍しい容姿の青年。匂いのしない、無欲な人だ。
「カプンの魔女。君に、王宮薬師のカルニックから助力の依頼が来ている。何でも、魔女の薬学を知りたいらしい」
広いテーブルに両肘をつき、組んだ両手に顎を乗せ、上体を傾けて提案するガムリ。前のめりな姿勢に、私は、容易には断れないという圧を感じた。
「騎士団としては、討伐への参加が再開するまでの間なら、構わないと伝えてある。どうするかは、君の判断に委ねよう」
エルートが、わざとらしく咳払いをする。ガムリの視線が、エルートに戻った。深い皺の刻まれた眉間をぐりりと動かし、片眉をくいっと上げる。
「恋人のことだからな。君にも意見を許可する」
恋人ではないのだけれど、と私は思った。もしかしてガムリは、方便ではなく、本気で恋仲だと勘違いしているのだろうか。あまりにも自然な言い方に疑念を抱いたが、エルートは特に訂正せず、話し始める。
「反対です。カルニックは自分の好奇心を満たしたいだけではありませんか。ニーナの持つ知識を、国益のために求めているとは到底思えない。何よりあの人体実験野郎に、ニーナを預けるのは心配です」
「言葉が過ぎるぞ、エルート。カルニックが人体実験を行っているという証拠はない。噂に基づいて判断するなど、君らしくないな」
語気を強めたエルートを、ガムリがたしなめる。エルートがこれほど率直に他者を批判するのは、初めて聞いた。カルニックは、よほど危険な人物なのだろうか。少なくとも薬師団で会ったときには、物腰穏やかで無欲な青年、という印象を抱いただけだったのだけれど。
自分の印象を疑う程度には、エルートの口調は確信めいていた。
「とにかく……俺はニーナに、カルニックの元へ行って欲しくはないんです。奴が彼女に興味を示しているなら、尚更」
「なるほどな。……だそうだ。これを受けてどう判断する、カプンの魔女」
藍の瞳と焦げ茶の瞳が、一斉にこちらを向いた。
以前の私なら、エルートとカルニックの要求の間で悩み、揺れていただろう。エルートは、行かないで欲しいと望んでいる。カルニックは、私の知識を望んでいる。求められたら応えたい私は、どちらの求めに応じるか悩み、決めきれないでいたはずだ。
では、私はどうしたい?
自分自身に、問いを投げかける。エルートに私の言葉を信じてもらうためには、私がしたいことを、自分でした、という行動を積み重ねていく必要がある。カプンの町長夫人であるエマにアドバイスを受け、私はそう決めたのだ。
だから、決めるなら、自分の意思で。
「カルニックさんは、危険な方なのですね」
「ああ」
「奴は自分の好奇心を抑えきれないところはあるが、君に直接危害を加えることはない。こちらから、きつく言い含めておく」
頷くエルートに、ガムリが添えた。騎士団長が直々に言い添えてくれるのなら、おかしなことは起きないだろう。
「王宮薬師団は、何をするところなんですか?」
「多岐にわたる。魔獣を心臓を宝玉に変える作業。種々の病に効く薬の研究。私たち騎士団は、負傷者の治療という面で世話になることが多いな」
病や負傷者の治療は、魔獣の討伐とは別の側面で、人の助けになる役目である。私の持つ知識が役に立つとは到底思えないが、もし回り回って、何かの役に立つのなら嬉しい。
求められているか否かに関わらず、人助けをできることは私の喜びなのだ。
「薬師団に、行ってみたいと思います」
だから私は、そちらを選択した。
「そうか」
ガムリが、深々と頷いた。
「そう伝えておく。早速、明日の朝食後に出向くと良い」
隣からぴりりとした気配を感じたが、私は敢えてそちらを見なかった。エルートには不本意な結論のはずだ。彼の意見を、無視する形になったから。
求めに応じるのではなく、自分のしたいことを。エルートが止めるよう求めても、私は、自分の進みたい方向を選んだ。
こうした選択ほ積み重ねが、今の私に必要なことだ。
「君は行くと答える気がしていた。だから、言わないでくれと団長に頼んだんだ」
食堂。アテリアの料理を挟み、湯気の向こうで、エルートが険しい顔をする。
「君は、求めには応じてしまうから。カルニックのような危険人物に近寄らせたくはなかった」
「私は、もっとたくさんの人の役に立ちたいから、薬師団に行くことにしたんです」
「……本当に、献身的だな」
呆れた調子のエルートに、私の本心は伝わっていない。言葉では、やはり伝わらないのだ。彼に信じてもらうには、行動を積み重ねるしかない。
「カルニックさんは、そんなに危険な方なんですか?」
会いに行くとしても、エルートが言うことが本当なら、知っておきたかった。私の問いに、エルートは強張った表情で頷く。
「あいつは、自分の興味を追求することにしか関心がない。そのためなら何でもする男だ。俺達の間では、負傷しても、薬師団には決して長居するなと言われている。治療と銘打って、世に知られていない怪しげな薬を使われるという噂があってな」
だからエルートは前回、毒によって負傷した時も、すぐに薬師団を出たのだという。
エルートの語るカルニック像と、私の印象に残っている無欲な彼はなかなか結びつかない。もう一度会ってみないことには、その噂が本当かどうかも、判断できなさそうだ。
「さすがに意識のない君を連れて行くことはできなかったが、あの時は大丈夫だっただろう? 俺が厳しく制しておいたからな」
「そうだったんですね」
「君が決めたのなら止めないが、カルニックには重々注意することだ。向こうには俺が案内する。ひと言告げておかないと」
エルートがこれほどに警戒するのだから、私も無警戒でいてはいけない。胸元にかかった、青い石を握った。もしカルニックが悪意をもった危険な人物なら、この石が反応するはずだ。その時には、全てを投げ打ってでも逃げよう。
「大丈夫だ。君のことは、俺が必ず守る」
その仕草が、エルートには不安げに映ったらしい。心強い彼の言葉に、自然と頬が緩み、私は頷いた。
「やあ、カプンの魔女。元気そうで何よりだ」
団長の部屋に入ると、相変わらず、背筋がすっと伸びる。団長であるガムリの、深い藍色の瞳から放たれる鋭い視線。その前では、余計な思考は全て追いやられ、緊張感で頭が満たされる。彼の冷水に似た匂いは、私の背面にある扉の向こうへ流れている。
「ご心配をおかけしました」
「君に非はない。あるとすれば、君を守りきれなかった者達にある」
「力が及ばず、申し訳御座いません」
隣で、エルートが直角に頭を下げた。下げたまま、微動だにしない。
「頭を上げなさい。お前だけが責を負うべきことでもない」
ガムリが言うと、エルートはやっと顔を上げた。
申し訳なさに、胸が締め付けられる。彼が謝ることはないのに。自らの命を危険に晒してでも、魔獣の毒を吸い出して救ってくれた彼を、責めるのは筋違いだ。
ただ、そんな言葉をこの場で発するのははばかられる。ガムリと目が合うと、喉の奥が強張ったようになり、余計な声は出てこない。
「次の討伐は、君の身を守る支度をさせてから行う」
「……ありがとうございます」
それほどの価値が自分にあるとは、到底思えないけれど。有無を言わせぬガムリの雰囲気の前では、それを受け入れることしかできなかった。
「君が討伐に参加するようになるまで、少し時間が取れた。そこで提案なのだが」
「団長。それは、言わない約束では」
ガムリの言葉に、恐れ多くも、エルートが割り込む。ぎろり、と厳しい視線が私の隣に飛ぶ。そっと横目で確認すると、エルートはその焦げ茶の瞳を、怯まずにガムリへ向けていた。
火花が散るような、熱い視線の交錯。互いに目を逸らさぬまま、ガムリが「決めるのは君ではない」と言った。
「せっかくの機会だ。カルニックを厭う君の気持ちもわからないではないが、要望を握り潰すのは彼女に失礼だろう」
カルニック。その名前には、聞き覚えがある。
私が魔獣の毒に侵され、倒れた後で目覚めたのは、王宮薬師団の建物内だった。カルニックは、私の手当てをしてくれた薬師である。青みがかった黒髪で片目を隠した、珍しい容姿の青年。匂いのしない、無欲な人だ。
「カプンの魔女。君に、王宮薬師のカルニックから助力の依頼が来ている。何でも、魔女の薬学を知りたいらしい」
広いテーブルに両肘をつき、組んだ両手に顎を乗せ、上体を傾けて提案するガムリ。前のめりな姿勢に、私は、容易には断れないという圧を感じた。
「騎士団としては、討伐への参加が再開するまでの間なら、構わないと伝えてある。どうするかは、君の判断に委ねよう」
エルートが、わざとらしく咳払いをする。ガムリの視線が、エルートに戻った。深い皺の刻まれた眉間をぐりりと動かし、片眉をくいっと上げる。
「恋人のことだからな。君にも意見を許可する」
恋人ではないのだけれど、と私は思った。もしかしてガムリは、方便ではなく、本気で恋仲だと勘違いしているのだろうか。あまりにも自然な言い方に疑念を抱いたが、エルートは特に訂正せず、話し始める。
「反対です。カルニックは自分の好奇心を満たしたいだけではありませんか。ニーナの持つ知識を、国益のために求めているとは到底思えない。何よりあの人体実験野郎に、ニーナを預けるのは心配です」
「言葉が過ぎるぞ、エルート。カルニックが人体実験を行っているという証拠はない。噂に基づいて判断するなど、君らしくないな」
語気を強めたエルートを、ガムリがたしなめる。エルートがこれほど率直に他者を批判するのは、初めて聞いた。カルニックは、よほど危険な人物なのだろうか。少なくとも薬師団で会ったときには、物腰穏やかで無欲な青年、という印象を抱いただけだったのだけれど。
自分の印象を疑う程度には、エルートの口調は確信めいていた。
「とにかく……俺はニーナに、カルニックの元へ行って欲しくはないんです。奴が彼女に興味を示しているなら、尚更」
「なるほどな。……だそうだ。これを受けてどう判断する、カプンの魔女」
藍の瞳と焦げ茶の瞳が、一斉にこちらを向いた。
以前の私なら、エルートとカルニックの要求の間で悩み、揺れていただろう。エルートは、行かないで欲しいと望んでいる。カルニックは、私の知識を望んでいる。求められたら応えたい私は、どちらの求めに応じるか悩み、決めきれないでいたはずだ。
では、私はどうしたい?
自分自身に、問いを投げかける。エルートに私の言葉を信じてもらうためには、私がしたいことを、自分でした、という行動を積み重ねていく必要がある。カプンの町長夫人であるエマにアドバイスを受け、私はそう決めたのだ。
だから、決めるなら、自分の意思で。
「カルニックさんは、危険な方なのですね」
「ああ」
「奴は自分の好奇心を抑えきれないところはあるが、君に直接危害を加えることはない。こちらから、きつく言い含めておく」
頷くエルートに、ガムリが添えた。騎士団長が直々に言い添えてくれるのなら、おかしなことは起きないだろう。
「王宮薬師団は、何をするところなんですか?」
「多岐にわたる。魔獣を心臓を宝玉に変える作業。種々の病に効く薬の研究。私たち騎士団は、負傷者の治療という面で世話になることが多いな」
病や負傷者の治療は、魔獣の討伐とは別の側面で、人の助けになる役目である。私の持つ知識が役に立つとは到底思えないが、もし回り回って、何かの役に立つのなら嬉しい。
求められているか否かに関わらず、人助けをできることは私の喜びなのだ。
「薬師団に、行ってみたいと思います」
だから私は、そちらを選択した。
「そうか」
ガムリが、深々と頷いた。
「そう伝えておく。早速、明日の朝食後に出向くと良い」
隣からぴりりとした気配を感じたが、私は敢えてそちらを見なかった。エルートには不本意な結論のはずだ。彼の意見を、無視する形になったから。
求めに応じるのではなく、自分のしたいことを。エルートが止めるよう求めても、私は、自分の進みたい方向を選んだ。
こうした選択ほ積み重ねが、今の私に必要なことだ。
「君は行くと答える気がしていた。だから、言わないでくれと団長に頼んだんだ」
食堂。アテリアの料理を挟み、湯気の向こうで、エルートが険しい顔をする。
「君は、求めには応じてしまうから。カルニックのような危険人物に近寄らせたくはなかった」
「私は、もっとたくさんの人の役に立ちたいから、薬師団に行くことにしたんです」
「……本当に、献身的だな」
呆れた調子のエルートに、私の本心は伝わっていない。言葉では、やはり伝わらないのだ。彼に信じてもらうには、行動を積み重ねるしかない。
「カルニックさんは、そんなに危険な方なんですか?」
会いに行くとしても、エルートが言うことが本当なら、知っておきたかった。私の問いに、エルートは強張った表情で頷く。
「あいつは、自分の興味を追求することにしか関心がない。そのためなら何でもする男だ。俺達の間では、負傷しても、薬師団には決して長居するなと言われている。治療と銘打って、世に知られていない怪しげな薬を使われるという噂があってな」
だからエルートは前回、毒によって負傷した時も、すぐに薬師団を出たのだという。
エルートの語るカルニック像と、私の印象に残っている無欲な彼はなかなか結びつかない。もう一度会ってみないことには、その噂が本当かどうかも、判断できなさそうだ。
「さすがに意識のない君を連れて行くことはできなかったが、あの時は大丈夫だっただろう? 俺が厳しく制しておいたからな」
「そうだったんですね」
「君が決めたのなら止めないが、カルニックには重々注意することだ。向こうには俺が案内する。ひと言告げておかないと」
エルートがこれほどに警戒するのだから、私も無警戒でいてはいけない。胸元にかかった、青い石を握った。もしカルニックが悪意をもった危険な人物なら、この石が反応するはずだ。その時には、全てを投げ打ってでも逃げよう。
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