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3 恋の行く末

3-3 アレクセイは覚悟する

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「ああ、だめですよ、第一王子殿下! あと数日は療養なさらないと」
「慣れてるんで、もう大丈夫っす。エリム先生、ありがとうございました!」
「……ああ、もう行ってしまったわ」

 療養着を脱ぎ捨て、制服姿で治癒室を出て行くアレクセイを見送り、学院付きの治癒士であるエリムは呆れたように呟いた。

「くっそ、二週も起き上がれねえなんて、今回のはやべえな。それにしても、メイディの名前を使いやがって……卑怯なやつめ」

 エリムの呆れ顔なんて知る由もなく、早足で廊下を進むアレクセイは、憎々しげに顔を歪める。
 犯人は誰だか知らないが、元凶に心当たりはある。追及しても意味のない相手だ。油断した自分が悪い。それにアレクセイには、今、犯人探しよりも大切なことがある。

 アレクセイが目指すのは、メイディがいるはずの講義室であった。

 起き上がれるようになるまで、途切れ途切れの意識の中で、あの日のことを何度も夢に見た。ディッケンの店でメイディをランドルンへ誘った、あの日である。
 確かに急だった、と改めて思う。メイディが、ランドルン行きに前向きな態度を見せたことで、完全に舞い上がっていた。

 あの日のことだけでなく、今までのことも何度も思い返した。メイディの態度は明らかに、アレクセイに好意を持っている者のそれだった。だからアレクセイがすべきなのは、メイディに恋を自覚させること。その上で、判断を促すこと。
 とにかく、メイディと話がしたかった。

 だから、講義室の前でメイディを見つけ、「私、アレクと話をしなくちゃいけないと思うの」と言われたとき、同じ気持ちであることに喜びを覚えた。2週も放置してしまったが、メイディの顔はいつもと変わらなかった。アレクセイを好きでいてくれる、メイディの表情だった。

「そうだよな! 俺もそう思ってたんだ。ふたりになれるところで話そうぜ」

 床に座っていたメイディの手を取り、意気揚々と廊下を歩く。手の温かさも、その歩調も、記憶にあるのと同じ。何も変わらないことが、アレクセイには心地良かった。

「サルロの上なら、誰にも聞かれねえだろ? 大事な話をしたいと思ってたんだ」
「良かった。私も、他の人に聞かれたら困る話だと思ってたから」

 サルロの背の上で、メイディの横から腕を回して抱き寄せる。

 話がある、とメイディから言ってくるとは思っていなかった。アレクセイが寝込んでいる間、彼女なりにいろいろ考えたに違いない。その結果、自分への好意に気づいたのかもしれない。だとしたら、話とはランドルンへ行くかどうか、その結論だろう。メイディさえ恋を自覚してくれれば、答えは決まっている。メイディには、ランドルン行きを断る理由なんてないはずだ。
 希望的観測で楽観視するアレクセイは、サルロを空の高くに飛ばす。風は冷たいが、ふたりの周りはサルロが温かな風で包んでくれているので、問題はない。

 空は既に淡い虹色に染まっている。日が沈む直前のこの空を眺めると、ゆったりとした気分になる。以前、メイディと見たのと同じ色の空だ。
 メイディとサルロに乗ったことは、アレクセイにとって良い思い出となっている。そしてきっと、今日のことも。アレクセイは、胸の内で膨らむ温かな感情を心地良く思いながら、メイディを抱く腕に力を込めた。こんな風に触れ合っても、嫌な素振りをひとつも見せない。その事実が、彼を安心させた。

「アレクの話したいことって、なあに?」

 メイディが顔をこちらに向け、その緑の瞳で見上げて聞いてくる。夕日に照らされた肌がいやに美しく見えて、アレクセイは伸ばした指先でその頬を撫ぜた。

「……照れるよ」

 夕日の中でもわかるほどに頬を染め、いつの間にか棒読みを脱したメイディは、やはり自分への恋心を自覚しているように見える。

 ディッケンは雰囲気を重視しろと言ったが、ならばこれは、素晴らしい雰囲気ではなかろうか。思い出に残る美しい景色の中で、触れ合ってはにかむ彼女。安堵の中で、アレクセイは口を開いた。

「……この間は、悪かった。その……ランドルンへ行こうだなんて、急に誘って。驚いただろ?」

 謝るのには慣れていない。うまく言葉が繋がってこないが、メイディは静かに耳を傾け、かすかに頷いた。

「……まあ」
「あの時は、俺も断られたと思って、つい忘れてくれって言っちまったが……お前は、驚いただけなんだよな。会わない間に、ランドルンへ行くことについて、考えてくれたんだろ?」
「……うん」

 肯定が返ってきて、アレクセイはほっとした。思った通りだ。ならば、彼女が辿り着いた答えもひとつのはず。

「良かった。俺は、お前が楽しく生きるためには、ランドルンのほうが良いと思ってたんだ。お前は俺と同じだもんな、メイディ。この国じゃ、身分に邪魔されて、生きたいように生きられない……」
「アレクと私が、同じ?」

 話を遮るように飛んできたメイディの声は、妙に冷え冷えとしていた。

「……え」

 背筋を嫌な感覚が走り、アレクセイは言葉を失う。

「同じじゃないよ。アレクは、『第一王子殿下』なんでしょ。何でも持ってる王家の人が、私と同じわけないじゃない」
「……どうして、それを」
「サマンサって人から聞いたの。そんなに驚いて……やっぱり、私に言う気はなかったんだね」

 言葉を重ねるメイディの眼差しには、深い失望の色が見える。

「アレクの話は、ランドルンのことだったの? そんな話を聞きたかったんじゃない。どうして、アレクは何もかも持ってるのに、それを捨てたいの? そういう話が、大事なんじゃないの? ……今まで聞こうとしなかった、私も悪いけどさ」

 そう。聞こうとしないから、アレクセイは心地良かった。身分を気にせず、メイディが自分自身を見てくれて、好意を寄せてくれるのが嬉しかったのだ。

「身分があって、あんなに素敵な婚約者がいるんだから、アレクはこの国にいたほうが幸せでいられるよ。アレクは、自分がどれだけ恵まれてるかわかってないの。アレクにとっては、今自分が持ってるものは、当たり前すぎて……わざわざ私に言う必要を感じないくらい、当たり前のものなんでしょ」
「それ、は……違うんだ」

 アレクセイの頭に、舞空クラブの発表会へ行った日のことが蘇る。ミアに挨拶をしたがるメイディを制止したのは、ふたりが話したら、自分が第一王子だと知れてしまいそうだからだった。自分の素性を、メイディに知られることを恐れたのだ。
 身分を知ったら、メイディが自分を見る目も変わってしまうかもしれない。アレクセイが恐れていたことが、今目の前にあった。自分を見据えるメイディの目は、見たことのないものだった。

「違うの? 何が違うの? アレクは、私にないものを持ってる。私の気持ちがわかるみたいなこと言ってたけど、本当は何にも、わかってくれてなかった」

 メイディはうつむき、黒髪を片手でぐしゃりと乱す。こんなに苛立った様子を、アレクセイは初めて見た。

「今アレクが持ってるものは、失ってから後悔するものなんだよ。捨てたら不幸になるのがわかってるのに……私、手を貸したくない」

 その呟きはあまりにも寂しげで、アレクセイの胸を締め付ける。

 だが、これでわかった。メイディが心情を全て吐露してくれたおかげで、彼女が失望した理由も、それがおそらくは誤解であることも。
 全ては、自分が説明するのを避けていたせいだ。メイディが気にしないのをいいことに、大事なことを、何もかも隠していた。

「……違うんだよメイディ、聞いてくれ」

 覚悟を決めたアレクセイの声は、低く響く。横目でこちらを見るメイディの目の縁が、わずかに赤く染まっている。
 瞳の奥に縋るような色を確認して、アレクセイは深呼吸した。メイディの気持ちが失われたわけではない。きちんと話せば、きっと。

「ちゃんと、話すから」

 いずれにせよ、足りないのは対話なのだった。
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