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2章 フィリスは何も知らない

幕間1 聖女無き戦線

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「まずい! 退け!」
「ぐおおお」
「引っ張れ! 食われるぞ! 逃げろ!」

 一人が崩れると、隊形は一気に乱れる。体勢を崩した獲物を狙って飛び込んでくる魔獣の勢いに足を取られて転倒した仲間を引っ張り、その牙から辛うじて守る。大きな盾を構えた騎士が間に入り、魔獣の攻勢を受け流しながら退がる。後方から飛んできた矢の雨が襲いくる魔獣の波を黒い霧に返し、討伐に成功する。

「魔石は?!」
「無理だ。一旦退き、立て直すぞ!」

 騎士の一隊は、そうして本陣まで逃げ戻った。入れ替わりの一隊が魔石を拾いにかかるが、全て拾い終わる前に次の群れが姿を現す。

「今日の回収量はこの程度か……」

 集まった魔石は箱に詰め、定期的に輸送班が王都へ送る。箱の中を覗き込み、騎士団長のアラバは溜息を吐いた。
 聖女が魔王城へ消えて以来、徐々に戦線が押し込まれている。ひとりで何人力もの働きを見せる聖女ありきの動きに慣れた騎士達は、彼女の不在に対応できず、死者も怪我人も増えている。勿論、魔石を拾い集める余裕などない。魔石を呑気に拾っていたら命を落としかねないのだ。
 倉庫を出たアラバの元へ、配達鳥が飛んでくる。王家の紋様が捺されたそれは、王からの便りに相違ない。アラバは配達鳥を受け止め、テントへ戻る。テントの前でばったり会ったのは、金の瞳が眩しい第二王子リナルドであった。

「殿下」
「アラバ。君にも届いたか」
「ええ」

 リナルドは、胸元に配達鳥を抱えている。手には手紙が握られており、既に読んだ様子だ。ここに居るということは、アラバに相談したい内容が書かれていたということだろう。
 ……大方、想像がつく。アラバはリナルドをテントの中へ招き入れた。

「先に読んでくれ」

 そう言われたので、アラバは配達鳥から手紙を取り出す。テントは広く、中には会議ができるよう大きい机といくつかの椅子が置いてある。その一つに腰掛け手紙を開いた。
 暫く目を通し、ゆっくりと手紙を閉じる。それからアラバは、リナルドへ視線を向けた。

「……殿下のご相談は、聖女様のことでしょうか」
「ああ。父様からの手紙に、このままの状況が続くならフィリスの暗殺に向けて動き出すと書かれていた。帰って来ぬフィリスを待つよりも、その命を奪い、聖樹の下に新たに生まれた聖女を育てる方が早いと。とにかく、フィリスと一度会わないと……彼女が魔王暗殺に向けて動いているのだという証拠さえあれば、父様も待ってくれるはずだからな」
「左様ですか」

 相槌を打つアラバだったが、内心は疑問だった。その場に居合わせた騎士達によると、聖女フィリスは魔王に会うなり「愛している」と突然言い出したという。脅すような発言も、洗脳されるような間もなかったそうだ。
 それに、少なくともアラバの見立てでは、あの聖女はそこまでずる賢くない。愛を装って城に侵入して魔王を倒す、などという策を練れるようなタイプだとは思えなかった。
 聖女に入れ込んでいるリナルドは、自分に都合の良い物語にのめり込んでいるのだ。聖女が戻ってきたとて、彼の思い通りの展開になるとは思えないが……それはそれとして、アラバの向かうべき方向はリナルドと同じであった。

「こちらへは、魔石の回収量が減少していることへのお叱りの言葉が書かれておりました。怪我人も増えている現状、今後も魔石の回収量は維持どころか減少の目処しか立っていません。やはり、聖女様の奪還を図らねばなりませぬ」
「お前もそう思うか、アラバ!」
「ええ。こちらの声が届くのならば、新たな聖女様の成長を待つよりもお戻りいただいた方が早いですから」

 魔獣を退け魔石を回収し、国の豊かさに貢献することが騎士の務め。魔獣をどうにかこうにか撃退している現状では片手落ちなのだ。
 このままでは、アラバは無能な団長として謗られることになってしまう。代々騎士として名を上げてきた一家の名誉を、自分が汚すわけにはいかない。名誉を挽回するためにも、勝手な行動を取った聖女を何としてでも連れ戻し、縛り付けてでも魔獣討伐に貢献させなければならないのだ。
 だが。果たしてどう聖女を誘き寄せるのか、という問題がある。アラバは、リナルドの持つ配達鳥に目をやった。彼が聖女に向けて配達鳥を放ってからもう暫く経つが、戦況に変化はない。

「……聖女様からのお返事は、来ておられないのですよね」
「ああ。万が一のために髪を交換していたのだが、僕の渡した髪はフィリスのテントで見つけた。彼女は僕の一部を何も持っていないから、返事をしたくてもできないんだよ。かわいそうなフィリス、あの日魔王に会うとわかっていたら間違いなく持っていってくれただろうに」

 本当に愛しているなら肌身離さず持つのでは、などと空気の読めないことをアラバは言わない。リナルドがフィリスを奪還すると張り切っているから、王の判断が保留になっているのだ。アラバが面目を取り返すまでは、その気で居てもらわないとならない。

「聖女様の御髪は、まだお持ちなのですか?」
「ああ、たくさんあるぞ。ひと束交換したからな」
「それは何よりです。殿下……次の配達鳥には私の手紙も同封して頂けませんか?」
「お前の手紙を? ……フィリスに何を言うつもりだ。まさかお前、実は裏で」

 血相を変えたリナルドは、何やら良からぬ想像をしたのであろう。アラバは首を大きく左右に振り、「違いますよ」と明言する。

「私と聖女様の間には何も御座いません。ただ、聖女様を失った戦線の状況をお伝えすれば、こちらに手を貸してくださるのではないかと考えたのです」
「僕が書けばいいだろ? 現状くらいわかってる」
「いえ……殿下はご自身のお気持ちをお伝えすることに集中してください。聖女様は、殿下のお言葉にこそ絆されるはずなのです。私が添える便りは、ただ現状をお伝えする味気ないものですから」

 リナルドの機嫌を損ねないよう、アラバは言葉を尽くして説明する。
 アラバの見る限り、リナルドが書いては渡している恋文の内容は、聖女には全く伝わっていないようだった。恋に浮かれるリナルドは気づいていなかったようだが、感想を求められる度に「ありがとうございます」とか何とか適当な返答をする聖女の視線は、完全に泳いでいたのだ。誰がどう見ても、一方通行の愛だったのである。
 だとしても、リナルドのまっすぐな愛は聖女の心を揺らすしかない。瘴気の向こうに彼女がいる以上、頼れるのは手紙だけなのだ。手を替え品を替え、何とかして聖女を呼び出す必要がある。

「わかったよ、そうしよう。手紙は明日送るから、用意しておいてくれ。……封をする前に僕が確認するからな」
「もちろん、問題ありません。ご心配なく」

 リナルドへの思いはともかく、聖女には周囲をよく気にかけていた。仲間が困っていると知れば、きっと助けに来るはずだ。
 彼女の良心に賭けて、アラバは文面を練り始めるのだった。
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