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1章 聖女の使命

幕間 リナルドと王

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「報告とは何だ」
「フィリス……聖女が、魔王と共に行ってしまいました」
「魔王と共に行った? ……妙な物言いであるな」
「……彼女は突然、魔王に向かって『愛している』と叫んだのです。それを聞いた魔王が、ならば伴侶にすると連れて行ってしまいました」
「聖女を……魔王の伴侶にすると?」

 淡々と話す国王の眉が、片方だけぴくりと動く。片膝をついた姿勢のリナルドは、顔だけ上げて切々と訴えかけた。

「どうか、魔王城突入の許可を。彼女を奪い返しに行かなくてはなりません」
「ならん」
「なぜですか!」
「瘴気の恐ろしさを知らんとは言わせぬぞ。聖女無しで踏み込んだ先に待つのは死である」

 玉座に深く腰掛けた王は、顔をぐっと前へ出す。リナルドと同じ金の瞳が、瞳の奥を射抜いて見詰める。視線を逸らせない。ただ見詰め合っているだけなのに強烈な圧を感じる。リナルドの背には、一筋の汗が伝った。

「死に急ぐな、聖女はまだ死んではおらぬ。聖樹に異変はない」
「……勿論です。フィリスが僕を置いて死ぬはずがありません」
「しかし、お前の元を去ったのは事実なのであろう? お前が聖女を繋ぎ止めておけると言うから自由にさせたというのに……こんなことになるのならば、護衛騎士を外すべきではなかったか」
「いえ……いえ。フィリスが自分の意思で、僕の元を去るはずがありません」
「魔王の伴侶になると言ったのは己の意思ではないと?」
「はい、何かの間違いに決まっています。彼女がそれを望むはずがありません、何か考えが……そう! フィリスは魔王城へ潜入して魔王の暗殺を図っているのです。きっとそうです、そうですよ父様!」
「リナルド、落ち着け」

 勢いづいて立ち上がりかけていたリナルドは、王に言われて片膝を付き直す。
 入室した時は曇っていた瞳が、今はきらきらした輝きを取り戻している。考えてみれば、いきなり魔王への愛を言い出すなどおかしいのだ。何か思惑があったと捉えるほうが自然である。あの突然の行動すら、きっと自分との未来のため。そんな希望を見出したからこそ、リナルドの瞳は輝いた。

「……アラバ。戦線に異常はないか」
「はっ。御座いません、陛下。聖女様が欠けた分につきましては魔導具の運用を増やしておりまして、回収できる魔石の量に変わりはありません」

 リナルドの隣に控える騎士団長のアラバは、名を呼ばれた瞬間に顔を上げ、恭しい態度で答えた。それを聞き、国王は深く頷く。

「それならば暫し様子を見ても良かろう。聖女が魔王に嫁入りするなど前代未聞だ。状況は注視せねばならぬ。アラバ、異常があればすぐに伝えよ」
「はっ、畏まりました」
「そしてリナルドよ。……ザナターク嬢とフィヨルド嬢、どちらが良い」
「えっ?」

 王に示された選択肢に、リナルドは怪訝な表情をする。彼の困惑を知ってか知らずか、相変わらずの涼しい表情で王は続けた。

「お前の婚約者候補である。聖女を繋ぎ止めると言うから猶予しておったが……魔王の元へ嫁ぎたがる女などもうよいだろう。好きな方を選べ。顔合わせを設けてやる」
「なっ……何を、仰い、ますか」

 リナルドの白い頬に、みるみるうちに赤みがさした。

「フィリスは……フィリスには、戦争を終わらせるための考えがあるはずなのです」
「だったら何だ? 聖女が魔王を暗殺するのならそれはそれで良いが、お前が正式な婚約者を設けることとは関係なかろう」
「彼女を正妻にすることを許すと言ったのはお父様ではありませんか!」
「うるさいのう」

 声を張り上げるリナルドの若さに、王は顔を僅かに顰める。

「戦争を終えられるのなら、その褒美として聖女をお前にやってもよいと言ったまでだ。約束を反故にしたのはお前なのだぞ、リナルド。功績をあげられぬのなら、当初の予定通り聖女はシャミルの側妻にするのが妥当であろう」
「しかし……僕とフィリスは思い合っているのですよ! 彼女だって、兄様の元に嫁ぐことを望んでおりません」
「望む望まぬの話ではないのだ、リナルドよ。これは道理の話である」
「ですが……」
「子供じみた我儘は聞かぬ」

 王がぴしゃりと言い放つと、リナルドは口をつぐむ他なかった。悔しげに下唇を噛み、諦めの悪い眼差しを王に向ける。

「……のう、アラバよ」
「はっ」
「聖女損失の責はまず我が子リナルドにあり、それを認めた余にもあるが……その場で防げなかったお前にも同等の責があるぞ、アラバ」
「はい……重々承知しております」
「聖女奪還の策を立てよ。あれだけの戦力を魔王にみすみすくれてやるわけには行かぬ。失策の責任は己の手で取り返すのだ」
「……頂いた機会を無駄には致しません」
「良い知らせを期待しておるぞ。……リナルド」

 リナルドは王に視線を向けるのみで、返事をしない。その子供じみた抵抗を嘲笑するように、王は唇をふっと緩めた。

「アラバと共に、聖女を奪還せよ」
「…………フィリスを取り戻しても、兄様の側妻にされてしまうのでは……」
「意味がないと? 笑止。それだからお前は王の器にはなれぬのだ。聖女を失うことは国益を損する、国益を守るのが王家の務めぞ。……余の用は済んだ。下がれ」
「…………」

 国政に長年手腕を振るってきた王に、戦場に出てばかりの王子が返せる言葉などあるはずがない。リナルドは口元を引き締めたまま、じっと王を見返した。納得が行かぬと、非難の色が込められた視線に、国王は嘆息する。

「……余には、功績をあげれば褒美をやるという言葉までを覆したつもりはないぞ。お前に機会をやったのだ、リナルド」
「……! と、父様」
「皆まで言わねばわからぬか。真に聖女と思い合っているのならば、お前の言葉が届かぬはずはなかろう。聖女奪還には、お前の存在が必要なのではないか? 功績をあげ、その上で褒美を求めよと言っておるのだ」
「……あ、ありがとうございます! 行くぞアラバ、こうしてはいられない。さっさとフィリスを奪い返そう!」
「勿論です、殿下」

 嵐が去るような勢いで部屋を飛び出てゆくリナルドの背を目で追い、扉が閉まるのを確認してから、王は椅子に深く背を預けた。

「単純な奴め……」

 第二王子は浅慮であるが、裏を返せば素直だとも言える。その素直さで騎士達の信を得て、士気の向上に一役買っているのは事実だ。彼が戦線に戻れば、聖女奪還という目的に向けて活気付くであろう。
 急場を凌ぐための判断としては上々だったと言えよう。聖女を失って士気が下がり、魔石の回収量が減るのが何より困る。
 無論、それで終える気はない。王とは国益を守るもの。聖女という唯一無二の価値は、是が非でも取り返さなくてはならない。
 リナルドが上手くやれるのならそれで良いが、二の矢は用意しておく必要がある。

「……聖女奪還を優先事項とし、暗殺まで視野に入れて情報を集めよ」

 王の呟きは、誰もいない部屋にぽつりと響いたように見える。しかし、その命を聞き入れる者は確かに存在するのだ。「王の影」と称される精鋭部隊は、王の命を受けて静かに動き始めた。
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