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34 決別

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 翌日のゲームは、後夜祭から始まった。

「後夜祭って、パーティなんですね」
「そうなんだね。俺は去年出ていないから、わからないけど」

 後夜祭に参加できるのは、賞を取った限られたクラス。慧によると、後夜祭自体は、来賓も呼んで行う格式高いものという噂らしい。
 選択肢になっている服がどれもドレスである辺りからも、それは察することができた。

 私は、ステータスの1番上がるドレスを選ぶ。決定ボタンを押すと、後夜祭が始まった。
 パーティで人に囲まれている海斗は、主人公に気づくと、すぐに近寄ってくる。

「あ、藤乃さんだ」
「よく出てきますね」

 時折出てきては嫌味を言っていた「私」も、またも登場する。

「だんだん、言い方が厳しくなっているよね」
「そうですね」

 慧の言う通り、「私」の口ぶりは、徐々に苛立ちを強めている。そんな風に憤っても、主人公と海斗の仲は、関係なく深まるばかりだというのに。

『本当にあなたたちは、いつもいつも……目障りなのよっ、どういうつもりなの?』

 語気を荒げる「私」に、同情の気持ちが湧いてくる。

 クラスで見ていても、人目を憚らずに親しくする姿は目に余る。ストーリー通りに進めば、それは止まることなく、ますますエスカレートするのだ。

 慧がいなくて、泉には「はっきり言え」と唆され、婚約破棄されたら父からの評価が怖い。だから、早苗に文句を言うしかない「私」は、かわいそうだ。
 ゲームの中で見るたびに、現在の自分と比較し、今の幸せをありがたく思う。

『君こそ、どういうつもりなんだ? いい加減、認めろよ。僕たちは、こういう仲なんだから……』

 海斗は言うなり、傍の早苗を抱き寄せる。
 そのままの勢いで、見せつけるように、唇を落とした。

「うわあ……」

 思わず声が出た。
 顔を顰めると、慧がくすっと笑う。

「そんなに嫌そうな顔を、しなくても」
「だって……人が見ている前で、します? あんなこと」
「主人公は喜んでるよ」

 海斗からの口付けに続く選択肢は、【自分からもする】【「好き」と言う】【何も言わず見つめる】の3択だ。
 いずれにせよ、主人公が好意的な反応を示すことになる。

 私は適当な選択肢を選び、ボタンをどんどん押して話を進めた。それはそれは、甘やかなやりとり。
 最後は見ていられなくて、慧にコントローラーを託した。

「終わったよ。まだ続くみたいだけど、……今日はそろそろ、時間かな」

 慧にコントローラーを返されたとき、画面にはもう、ふたりの姿はなかった。
 私は、受け取ったコントローラーを、机上に置く。

「ありがとうございます」
「こちらこそ」
「話が進むと、どんどん濃厚になりますね……」

 こちらの心臓が保たない。

「そういうゲームだからね」

 慧は楽しそうだが、ゲームの中で起きたことを、私は同じクラスで目にするのだ。
 海斗が云々というよりも、ただ間近で見たくなくて、ちょっと憂鬱な気分になる。

「……まあ、いいんです」

 そう敢えて口に出して、気持ちを切り替えた。
 こんなに集中してゲームを進めたのは、別に、彼らの愛し合う姿を見るためではない。ちゃんとした、目的があるのだ。

「まだ途中ですが……父に見せるとしたら、後夜祭ですね。父は卒業生なので、来賓として参加するのも問題ないでしょうから」
「そうなんだね。なら、まずは文化祭か」

 夏にもなったばかりなのに、夏休み明けなんて、ずいぶん先に感じる。

「まだ先ですね」
「すぐだよ、意外と」

 まだ先でも、意外とすぐでも、目指すところは同じ。

「とにかくそこで、お父様に、さっきの……さっきのを、見せることができたらと思います」
「ああ、ふたりのキスをね」
「は、はい……」

 キス、なんて、涼しい顔してさらりと言う慧が憎い。
 私は、慧の言葉のせいで、また脳裏に海斗の口づけが過ぎる。

 ただ、あれを見せれば、父も納得するのは間違いない。

 そのために、ゲーム通りのストーリー展開をし、海斗と早苗のあのイベントが、発生するようにしないといけない。

「ああいうのが苦手なんて……藤乃さんって、純粋だよね。本でキスシーンくらい、出てこなかった?」

 しかもほっぺだし、と慧は半ば呆れ顔だ。

「本と現実は、違います」

 読んでいる本にはそんなシーンがあったとしても、ゲームに出てくる彼らは、知人同士なのだ。

「まあね……困ったね、藤乃さんはこれから、あのシーンを現実で見ないといけないのに」
「それは……」

 うう。
 何とも言えなくて、私は俯いた。

 見ていられない。
 後夜祭など、生徒だけでなく、見知らぬ来賓まで、本当にいろいろな人が毎年参加しているのだ。
 その中で頬にキスするなんて、どうかしている。

「……恥ずかしく、ないんですかね」
「恥ずかしくないから、するんだろうね」

 想像するだけで、自分が恥ずかしくなる私。対して慧は、何も気にしていないような様子だ。

「藤乃さんも、耐性をつけた方がいいのかもしれないよ」
「……そうでしょうか」

 不安になって慧の顔を見ると、どこか悪戯めいた表情をしている。会話の内容にそぐわない、その表情に、なんだか既視感を覚えた。

「してあげようか? ここに」

 慧は、人差し指をこちらに伸ばし、頬を柔く突く。

「……っ!」

 ぼん、と頭が暴発した。

 思い出した。この顔は、あの時の顔。
 慧が私に「間接キス」のジョークを投げてきた、あの時と同じだ。

 案の定、私の反応を見て、慧は屈託なく笑う。

「藤乃さん、ほんと可愛いよね」
「なんですか、それ!」
「ごめん、ごめん。俺、性格悪いのかな。いつもは冷静な藤乃さんの、その照れた顔、見たくなっちゃう」

 笑いの余韻を残した、愉快そうな表情で慧が言う。
 その楽しそうな表情、自戒、謝罪、そして褒め言葉。そんな風に言われたら、私はもう何も言えない。

「……意地悪ですね」

 せめてもの抵抗にそう言うと、慧はまた、「ごめんね」と言って明るく笑った。
 そんなに嬉しそうにされると、不本意ながら、こちらまで嬉しくなってしまう。

 慧のそんな無邪気な笑顔、他では見られない。

「……あ、もう時間」

 閉館時間を告げるアラームが鳴り、どちらともなく呟く。

「最近、放課後の時間が、本当に短く感じます」
「俺もだよ。何してたんだかわからないくらい、あっという間だ」

 いつもの場所にゲームを片付け、部屋を出る。窓の外には、見慣れた色の空。ここに着いた頃には空は真っ青だったのに、太陽が沈むのは本当に早い。

「また明日、藤乃さん」
「はい、また明日」

 もっとゆっくり、沈めばいいのに。

 そんな夢物語みたいなことを思いながら、いつもの挨拶を交わして、図書室を出る。

 図書室で過ごす時間はもちろん、その余韻を感じながら歩くこの廊下も、私は好きだ。
 暗くなっていく空を眺め、自分の静かな足音を聞きながら、今日のやりとりを思い返して歩く。
 そうしていると、心が温かくなるのだ。

「あっ」
「あら」

 廊下の角から出てきたのは、早苗だった。ぶつかりそうになって、互いに立ち止まる。

 早苗は、海斗と共に生徒会の手伝いをしている。今、彼女はひとりだが、今日も手伝いをしていたのだろう。
 早苗は私の顔を見て、「ちょうど良かった」と愛らしい笑顔を浮かべる。

 この顔だ。
 海斗を骨抜きにした、ヒロインの笑顔。

 早苗の可愛らしさを目の当たりにするたび、私はそう考えて、少し胸がざわっとする。

「門まで、一緒に行かない?」
「構わないけど……」

 そう誘われ、並んで歩き始める。甘く蕩ける香りが、辺りを包む。

 変な気分だ。
 早苗とふたり、並んで校舎を歩く日が、来るとは思わなかった。

「今日は、生徒会室で、樹とふたりになったんだ」
「……そう」

 嬉しそうに報告してくるのは、私が彼女に、協力すると思っているからだ。海斗ルートを抜け、樹ルートに入りたい彼女の願い。
 私はそれを、やっぱり断ることに決めている。

「そのことなんだけど……」
「海斗でもいいんだけどね。イケメンだし、玉の輿だし。でもやっぱり、喋ってると、樹の方が良いなあ」

 性格がいいかはともあれ、早苗は別に、海斗のことを嫌いな訳ではないのだ。
 彼女の勝手な言い分からそれがわかって、私の罪悪感はさらに薄れる。

 私は再度、口を開いた。

「あの、ごめんなさい」
「えっ?」
「私、やっぱり協力できないわ」

 早苗は、きょとんとした顔で私を見つめる。丸い目が、うるうるしている。潤んだ瞳は、吸い込まれそうだ。

「……どうして?」
「どうしても」

 海斗との婚約事情を、彼女は知らない。ゲームでは、そのことは描かれないからだ。
 詳しく説明する必要もないので、私はそうぼかして答える。

「……なにそれ」

 早苗が発した声は、いつもより、何段階も低かった。

「意味わかんないんだけど。協力するって言ってたじゃない」
「あなたと海斗さんのことを、応援したいの」
「いや、だからあなたが、海斗ルートに入りたいんじゃないの?」

 不服そうな顔つきだ。
 早苗は、教室では見たこともない、きつい目つきで私を睨む。

 その鋭さに、私はちょっと怯んだ。
 怯んだけれど、言わないといけない。

「いいえ。私は海斗さんと親しくなりたくはないし、あなたに協力するつもりもないの」
「邪魔するってことね」

 はあ、とあからさまにため息をつかれる。

「あたしを敵に回すなんて、勇気あるよね。あたし、ヒロインなんだけど」
「……そうね」

 早苗は、ヒロイン。それは揺るがない事実。本来は、彼女の選択で、ストーリーは決まる。

「あなたがそう言うなら、わかったわ。もう頼まない。あたし、自分で何とかするから」

 早苗はそう言い捨て、歩く速度を上げた。私はそれを追うことはせず、その背を見送る。

 ああ、これで、本当に敵対関係になってしまったわ。

 私は、その背中を見ながら思う。
 早苗は、海斗と離れたい。私は、それを邪魔したい。私たちの願いは、正反対のところにある。

 これでいい。
 悪役になると、決めたんだから。

 早苗の背中が見えなくなってから、私はまた、廊下を歩き始めた。
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