30 / 49
30 優先順位
しおりを挟む
「おや、お嬢様……」
車に乗り込むと、山口が、片眉だけを器用に持ち上げた。
「……なあに?」
「いえ。何か、決意を固めていらっしゃるようなお顔に、見受けられましたので」
山口の観察眼は、やはり恐ろしい。
「そうなの。頑張ろうと思って」
私は今日、早苗に、詳しい話を聞く決意を固めてきた。
正直言って、彼女とそこまで、話したくはない。
早苗はヒロインであり、海斗の心を奪った張本人。進んで関わり合いにはなりたくない存在だ。
「そうですか。応援しております」
「ありがとう」
それでも、私が前進するためには、情報を集めないといけない。今のままぐるぐると思考を巡らせていたって、何も生まれないのだ。
「行ってくるわ」
「いってらっしゃいませ」
山口に見送られ、車を降りる。
いつもの噴水も、いつもの階段も、どこか新鮮に見える。それは、私の心持ちが違うからだ。
「……早苗さん」
人に囲まれた早苗に、目立たぬように話しかけるのは難しい。
結局、私が早苗に声をかけることができたのは、昼休みであった。それも、5限目がそろそろ始まる、という時間。
お手洗いに立った彼女をそれとなく追いかけ、廊下で追いつき、声をかける。
声をかけると、ふんわりと蕩ける良い香りがして、早苗が振り向いた。
「……あ、藤乃さん」
花開くような、愛らしい笑顔。
「考えてくれたの?」
「ええ……もう少しお話を、聞かせてほしくて」
早苗は、唇に指を当てる。丸く、美しく整えられた指先。爪まで、つやつやと輝いている。
「なら……放課後、カフェでお茶しない?」
「カフェ? 校内にあったかしら」
「ううん、外」
早苗は、首を軽く左右に振る。彼女が動くたび、甘い香りがして、頭がくらくらする。
「駅前にあるの。そこなら、ここの生徒は、来ないから」
「そうなの……」
「そう。放課後、落ち合いましょう」
目立たない待ち合わせ場所を確認して、私たちは離れた。
放課後、早苗と出かけるとなると、慧には会えない。
その前に図書室に寄って、慧にその旨を伝えたい。
私は放課後になると、急いで支度をして、教室を出た。
「ねえ、ねえ、藤乃さん!」
「わ……なあに、泉さん」
早足で図書室に向かっていた私に追いついた泉は、息を弾ませていた。
「藤乃さん……お昼に、早苗さんと話していたでしょ?」
「あら……見てたのね」
泉は頷く。頬が薄らと赤いのは、小走りで追いかけてきたからだ。
「見ていたわ。大丈夫? 何か言われなかった? わたし、心配で」
「心配するようなことは、何もなかったわ」
泉は、眉尻を下げ、上目気味に私を伺う。
「なら、いいんだけど」
「大丈夫よ。ありがとう」
疑われているらしい。心配をかけないよう、私は努めて、明るい声を出した。
「何かあったら、言ってね。わたし、協力するから……」
「うん。その気持ちが嬉しいの」
泉は、「本当に大丈夫?」と、聞く。私が頷くと、やっと「それなら……」と、納得する素振りを見せた。
「ありがとう。また明日、泉さん」
「ええ、また明日」
慧と交わすはずの挨拶を、ここで交わしてしまった。
そして、泉と話していたために、もう行かなければならない時間になる。
彼女のせいと、言いたいわけではない。
泉は、心配してくれただけだから。
しかし、きっと図書室で待ってくれている慧のことを思うと、切ない気分になった。
それでも、優先順位を考えたら、今は早苗と会うべきだ。
「……待った?」
「いいえ。全然」
待っていた早苗は、そう答えて微笑む。
その瞬間、風がさっと吹いて、彼女の髪が爽やかに揺れた。
……つくづく、彼女はヒロインだ。
思わず見惚れ、私は思う。
普通の人なら気が抜けてしまうような、こんな何気ない瞬間でも、彼女は美しい。
こうして並んで歩いていると、こちらが、どきどきしてしまうほどに。
「藤乃さんは、カフェって、行ったことがあるの?」
「ええ。アフタヌーンティーなら、昔家族で、よく行っていましたわ」
「ふふっ……本当に、お嬢様らしいわ。ごめんね、庶民のお店が、気に入らなかったら」
この絶妙な、砕けた口ぶり。
綺麗な声に、どこを見ても美しい容姿。
道行く人は皆、彼女を一瞥し、すれ違った後に振り返る。
近くにいると、早苗の魅力は、本当によくわかった。
「ここよ」
「ここ……」
早苗が立ち止まったのは、駅前の、雑居ビル。
1階はガラス張りになっていて、その中は確かに、丸テーブルが幾つか並んだカフェのようだ。
「藤乃さんも、コーヒーでいい?」
「ええ、何でも……」
店に入ると、まずコーヒーの香りが鼻をつく。店内には人がごみごみといて、間隔の狭いテーブルにつき、お喋りに興じている。
早苗に言われるがままコーヒーを頼み、私たちは、店内の奥のソファ席に座った。
早苗は、頼んだコーヒーに口をつけることなく、テーブルに置く。その整った指先を、制服のスカートに載せた。僅かに、こちらに身を乗り出す。
グロスでつやっとした、淡い桃色の唇が開かれた。
「……ここなら、学園の人は誰もいないから。もうお嬢様のふりなんて、しなくていいのよ」
「え?」
お嬢様の、ふり。
早苗から出たのは、よくわからない言葉だった。
「わかってるのよ。あなた、あたしと同じでしょ? 知ってるんでしょ、ここが、あのゲームの中だって」
「……!」
思わず息を呑むと、早苗はけたけたとおかしそうに笑った。
「ほら、やっぱり。誤魔化すの、へたすぎ」
「やっぱり、って……」
「おかしいと思ったのよ。藤乃さんだけ、ゲームと違うんだもん」
やはり、意識されていたのだ。
私の存在なんて、ゲームでは些細なもの。脇役なのだから、多少の違いは、見過ごされると思っていた。
「どうして、違うなんて、わかったの?」
「わかるわよ。どれだけやり込んだと思ってるの? 嬉しかったなあ、死んだと思ったらここにいて、しかも、大好きなゲームの中って」
早苗の語る話が、今まで読んできた小説と重なる。死んだと思ったら、ゲームの世界。そんな話は、いくつもあった。
「……そうなのね」
「あれ、藤乃さんは、嬉しくなかったの?」
「私は……」
「嬉しくないか。藤乃さんは脇役だもんね、あたしはヒロインだったけど」
勝手に納得し、早苗は続ける。
「でね、あたしは樹ファンだったから、絶対生徒会長ルートに入ろうと思ってたんだけど……失敗しちゃったの。うっかり、海斗ルートに入っちゃったんだよね。ゲームじゃないから、やり直しもできないし」
早苗が頬杖をつくと、柔らかそうな頬が餅のように変形する。そのままため息をつく、アンニュイな雰囲気。それすら絵になる彼女は、さすが、ヒロインだ。
「まあ彼も嫌いではないし、現実的に考えたら玉の輿だから、もう仕方ないかあと思って進めてたんだけど……藤乃さんがストーリーを変えてるのを見て、もしかしてって思ったの」
その透き通った瞳が、真っ直ぐこちらを見つめる。美しく瞳。胸が自然と高鳴る。
「変えてなんて、いないわ。何も……」
「ううん、変えてる。学外活動では、選んだのと違う選択肢にされたし。イベントは、あなたが来ないせいで、起きなかった。テストではあたしが2位のはずなのに、なぜか、あなたが2位。どう考えたって、あなたは『こっち側』だし、わかってて邪魔してるでしょ」
流暢に話す早苗に、口を挟めない。
彼女が言う「こっち側」が、「前世で死んでこの世界に転生した人」という意味なら、厳密には私は違うのだけれど。
それに、彼女を邪魔したわけではなくて、距離をとっていただけだ。
事情を説明したくても、口を挟めない。
「そんなことができるなんて、思いもしなかった。なら、あたしにもできるかなって、思ったの」
早苗は、勝手に話し続ける。長い睫毛が、何度か瞬いた。
「……そう」
「そうなの。ほら、あなたは、学外活動に樹を呼んだでしょ」
早苗が身を乗り出して、顔が僅かに片付く。甘い香りが、鼻をくすぐる。
「呼んだというか、勝手にいらしたというか……」
「とにかく。あんなこと、あたしは思いもつかなかったの」
彼女の話しぶりに、だんだん、熱が入っていく。
「選んだ相手は変えられないけど、せめて樹に会いたくて、クルーズを選んだんだから。ビーチバレーってことになって、そんなのストーリーにないから、無理だと思ってたのに……あなたは来るはずのない彼を、呼んだのよ」
あ、だからクルーズだったんだ。
私は納得する。
たしかにゲームの中では、クルーズを選んだイベントで、樹が登場していた。
早苗が樹を好んでいることは、本当らしい。
「でね、試しに樹のストーリーを進めたいんだけど……そうなると、海斗が邪魔になっちゃうのよね。そっちのストーリーも、どんどん進んじゃって」
拗ねたように尖らせる唇が、ぽってりとして、艶やか。長い睫毛も、人目を奪う。
その美貌と愛嬌で海斗を虜にしていた彼女が、「海斗が邪魔」と言い放つなんて。
言葉を失っていると、その潤んだ瞳が、また私を捉える。
「それで、あなたに頼もうと思って。あなた、海斗推しでしょ?」
なぜ私に頼もうと思ったのか全然理解できなくて、その瞳を見つめ返す。
無言の肯定だと思ったのだろうか。早苗は、自身ありげに深く頷いた。
「ストーリーと違うことをするのは、あたしが海斗のストーリーを進めたら困るってことで……海斗推しなんでしょ? だから、あたしに協力してよ」
なるほど。
本来起こりうるゲームの展開と、違う動きをしている私。
私が海斗に好意を持っていて、その上で、邪魔をしているのだと解釈しているようだ。
全くの勘違いだ。
私は海斗の婚約者ではあるが、彼に好意があるわけではない。ゲームの進行を違う行動を取ったのも、別に二人の仲を、意図的に邪魔するためではない。
ただ、早苗は私の行動を見て、「海斗と早苗が親しくなるのを邪魔するために行動している」と思ったらしい。
「あたしと協力してよ。樹ルートに入れるように。あなたが海斗とくっつけるように、あたしも協力するわ」
早苗の描く理想図が、私にも理解できた。
ここは、現実。ゲームと違って、相手の選択を間違えても、時間を戻すことはできない。
ゲームのセーブデータを選び直すように、なんとか、別の選択肢を選びたいのだ。
そのためには、樹のイベントを進めることだけではなく、海斗のルートから抜けることも必要で。
「どう? WIN-WINでしょ?」
ぱちっ、と早苗は片目を瞑る。その芝居がかった仕草も、彼女によく似合う。
「……そうね」
確かに、彼女の言う通り。
彼女の申し出に乗れば、もっと穏やかに、海斗との婚約関係を継続できる。早苗も、樹と親しくなれる。お互いに、良いところしかない。
「やった。契約成立ね」
早苗が、輝かしい微笑みを見せる。心から、嬉しそうだ。よほど、樹のことが好きなのだ。
「ふふっ。これであたしも、樹と結ばれるんだわ」
浮かれる彼女を見る私の目は、妙に冷静だった。
確かに、WIN-WINだ。
私が、海斗との婚約継続を、望むのなら。
「とりあえず夏休みのイベントを起こしたいから、協力してよね」
「……ええ」
私の返事は、上の空だ。
「ありがとう! また明日ねっ!」
ああ、いつもは慧と交わす挨拶を、ここでも使ってしまった。
満面の笑顔で去っていく早苗を見送り、私は、学園に戻る道を歩いた。
駅まで来たけれど、山口は学園の正門前で待っているからだ。
流れてくる人の波に、逆らうように歩く。空はもう、薄暗い。話し込んでいるうちに、すっかり夜になってしまった。
もう、慧は帰ってしまっただろう。閉館時刻だ。
残念な気持ちもありつつ、私の心は、熱くなっていた。
シノの言う通り。
情報量が足りないから、優先順位がつけられなかったのだ。
早苗の話を聞いて、私が最初に考えるべきことが、ちゃんとわかった。
海斗ルートに入ってしまった早苗を、樹ルートに入れる。その後で、私が海斗との関係を築いていく。
そんな彼女の申し出に乗るかどうかは、私の選択次第。
両親の期待も含めて、結局、兄の示した2択のどちらを選ぶのか。
海斗との婚約を、継続したいのか。
それとももう、破棄したいのか。
優先順位の第1位は、それ。
私はあの2択について、結論を出さなければならない。
車に乗り込むと、山口が、片眉だけを器用に持ち上げた。
「……なあに?」
「いえ。何か、決意を固めていらっしゃるようなお顔に、見受けられましたので」
山口の観察眼は、やはり恐ろしい。
「そうなの。頑張ろうと思って」
私は今日、早苗に、詳しい話を聞く決意を固めてきた。
正直言って、彼女とそこまで、話したくはない。
早苗はヒロインであり、海斗の心を奪った張本人。進んで関わり合いにはなりたくない存在だ。
「そうですか。応援しております」
「ありがとう」
それでも、私が前進するためには、情報を集めないといけない。今のままぐるぐると思考を巡らせていたって、何も生まれないのだ。
「行ってくるわ」
「いってらっしゃいませ」
山口に見送られ、車を降りる。
いつもの噴水も、いつもの階段も、どこか新鮮に見える。それは、私の心持ちが違うからだ。
「……早苗さん」
人に囲まれた早苗に、目立たぬように話しかけるのは難しい。
結局、私が早苗に声をかけることができたのは、昼休みであった。それも、5限目がそろそろ始まる、という時間。
お手洗いに立った彼女をそれとなく追いかけ、廊下で追いつき、声をかける。
声をかけると、ふんわりと蕩ける良い香りがして、早苗が振り向いた。
「……あ、藤乃さん」
花開くような、愛らしい笑顔。
「考えてくれたの?」
「ええ……もう少しお話を、聞かせてほしくて」
早苗は、唇に指を当てる。丸く、美しく整えられた指先。爪まで、つやつやと輝いている。
「なら……放課後、カフェでお茶しない?」
「カフェ? 校内にあったかしら」
「ううん、外」
早苗は、首を軽く左右に振る。彼女が動くたび、甘い香りがして、頭がくらくらする。
「駅前にあるの。そこなら、ここの生徒は、来ないから」
「そうなの……」
「そう。放課後、落ち合いましょう」
目立たない待ち合わせ場所を確認して、私たちは離れた。
放課後、早苗と出かけるとなると、慧には会えない。
その前に図書室に寄って、慧にその旨を伝えたい。
私は放課後になると、急いで支度をして、教室を出た。
「ねえ、ねえ、藤乃さん!」
「わ……なあに、泉さん」
早足で図書室に向かっていた私に追いついた泉は、息を弾ませていた。
「藤乃さん……お昼に、早苗さんと話していたでしょ?」
「あら……見てたのね」
泉は頷く。頬が薄らと赤いのは、小走りで追いかけてきたからだ。
「見ていたわ。大丈夫? 何か言われなかった? わたし、心配で」
「心配するようなことは、何もなかったわ」
泉は、眉尻を下げ、上目気味に私を伺う。
「なら、いいんだけど」
「大丈夫よ。ありがとう」
疑われているらしい。心配をかけないよう、私は努めて、明るい声を出した。
「何かあったら、言ってね。わたし、協力するから……」
「うん。その気持ちが嬉しいの」
泉は、「本当に大丈夫?」と、聞く。私が頷くと、やっと「それなら……」と、納得する素振りを見せた。
「ありがとう。また明日、泉さん」
「ええ、また明日」
慧と交わすはずの挨拶を、ここで交わしてしまった。
そして、泉と話していたために、もう行かなければならない時間になる。
彼女のせいと、言いたいわけではない。
泉は、心配してくれただけだから。
しかし、きっと図書室で待ってくれている慧のことを思うと、切ない気分になった。
それでも、優先順位を考えたら、今は早苗と会うべきだ。
「……待った?」
「いいえ。全然」
待っていた早苗は、そう答えて微笑む。
その瞬間、風がさっと吹いて、彼女の髪が爽やかに揺れた。
……つくづく、彼女はヒロインだ。
思わず見惚れ、私は思う。
普通の人なら気が抜けてしまうような、こんな何気ない瞬間でも、彼女は美しい。
こうして並んで歩いていると、こちらが、どきどきしてしまうほどに。
「藤乃さんは、カフェって、行ったことがあるの?」
「ええ。アフタヌーンティーなら、昔家族で、よく行っていましたわ」
「ふふっ……本当に、お嬢様らしいわ。ごめんね、庶民のお店が、気に入らなかったら」
この絶妙な、砕けた口ぶり。
綺麗な声に、どこを見ても美しい容姿。
道行く人は皆、彼女を一瞥し、すれ違った後に振り返る。
近くにいると、早苗の魅力は、本当によくわかった。
「ここよ」
「ここ……」
早苗が立ち止まったのは、駅前の、雑居ビル。
1階はガラス張りになっていて、その中は確かに、丸テーブルが幾つか並んだカフェのようだ。
「藤乃さんも、コーヒーでいい?」
「ええ、何でも……」
店に入ると、まずコーヒーの香りが鼻をつく。店内には人がごみごみといて、間隔の狭いテーブルにつき、お喋りに興じている。
早苗に言われるがままコーヒーを頼み、私たちは、店内の奥のソファ席に座った。
早苗は、頼んだコーヒーに口をつけることなく、テーブルに置く。その整った指先を、制服のスカートに載せた。僅かに、こちらに身を乗り出す。
グロスでつやっとした、淡い桃色の唇が開かれた。
「……ここなら、学園の人は誰もいないから。もうお嬢様のふりなんて、しなくていいのよ」
「え?」
お嬢様の、ふり。
早苗から出たのは、よくわからない言葉だった。
「わかってるのよ。あなた、あたしと同じでしょ? 知ってるんでしょ、ここが、あのゲームの中だって」
「……!」
思わず息を呑むと、早苗はけたけたとおかしそうに笑った。
「ほら、やっぱり。誤魔化すの、へたすぎ」
「やっぱり、って……」
「おかしいと思ったのよ。藤乃さんだけ、ゲームと違うんだもん」
やはり、意識されていたのだ。
私の存在なんて、ゲームでは些細なもの。脇役なのだから、多少の違いは、見過ごされると思っていた。
「どうして、違うなんて、わかったの?」
「わかるわよ。どれだけやり込んだと思ってるの? 嬉しかったなあ、死んだと思ったらここにいて、しかも、大好きなゲームの中って」
早苗の語る話が、今まで読んできた小説と重なる。死んだと思ったら、ゲームの世界。そんな話は、いくつもあった。
「……そうなのね」
「あれ、藤乃さんは、嬉しくなかったの?」
「私は……」
「嬉しくないか。藤乃さんは脇役だもんね、あたしはヒロインだったけど」
勝手に納得し、早苗は続ける。
「でね、あたしは樹ファンだったから、絶対生徒会長ルートに入ろうと思ってたんだけど……失敗しちゃったの。うっかり、海斗ルートに入っちゃったんだよね。ゲームじゃないから、やり直しもできないし」
早苗が頬杖をつくと、柔らかそうな頬が餅のように変形する。そのままため息をつく、アンニュイな雰囲気。それすら絵になる彼女は、さすが、ヒロインだ。
「まあ彼も嫌いではないし、現実的に考えたら玉の輿だから、もう仕方ないかあと思って進めてたんだけど……藤乃さんがストーリーを変えてるのを見て、もしかしてって思ったの」
その透き通った瞳が、真っ直ぐこちらを見つめる。美しく瞳。胸が自然と高鳴る。
「変えてなんて、いないわ。何も……」
「ううん、変えてる。学外活動では、選んだのと違う選択肢にされたし。イベントは、あなたが来ないせいで、起きなかった。テストではあたしが2位のはずなのに、なぜか、あなたが2位。どう考えたって、あなたは『こっち側』だし、わかってて邪魔してるでしょ」
流暢に話す早苗に、口を挟めない。
彼女が言う「こっち側」が、「前世で死んでこの世界に転生した人」という意味なら、厳密には私は違うのだけれど。
それに、彼女を邪魔したわけではなくて、距離をとっていただけだ。
事情を説明したくても、口を挟めない。
「そんなことができるなんて、思いもしなかった。なら、あたしにもできるかなって、思ったの」
早苗は、勝手に話し続ける。長い睫毛が、何度か瞬いた。
「……そう」
「そうなの。ほら、あなたは、学外活動に樹を呼んだでしょ」
早苗が身を乗り出して、顔が僅かに片付く。甘い香りが、鼻をくすぐる。
「呼んだというか、勝手にいらしたというか……」
「とにかく。あんなこと、あたしは思いもつかなかったの」
彼女の話しぶりに、だんだん、熱が入っていく。
「選んだ相手は変えられないけど、せめて樹に会いたくて、クルーズを選んだんだから。ビーチバレーってことになって、そんなのストーリーにないから、無理だと思ってたのに……あなたは来るはずのない彼を、呼んだのよ」
あ、だからクルーズだったんだ。
私は納得する。
たしかにゲームの中では、クルーズを選んだイベントで、樹が登場していた。
早苗が樹を好んでいることは、本当らしい。
「でね、試しに樹のストーリーを進めたいんだけど……そうなると、海斗が邪魔になっちゃうのよね。そっちのストーリーも、どんどん進んじゃって」
拗ねたように尖らせる唇が、ぽってりとして、艶やか。長い睫毛も、人目を奪う。
その美貌と愛嬌で海斗を虜にしていた彼女が、「海斗が邪魔」と言い放つなんて。
言葉を失っていると、その潤んだ瞳が、また私を捉える。
「それで、あなたに頼もうと思って。あなた、海斗推しでしょ?」
なぜ私に頼もうと思ったのか全然理解できなくて、その瞳を見つめ返す。
無言の肯定だと思ったのだろうか。早苗は、自身ありげに深く頷いた。
「ストーリーと違うことをするのは、あたしが海斗のストーリーを進めたら困るってことで……海斗推しなんでしょ? だから、あたしに協力してよ」
なるほど。
本来起こりうるゲームの展開と、違う動きをしている私。
私が海斗に好意を持っていて、その上で、邪魔をしているのだと解釈しているようだ。
全くの勘違いだ。
私は海斗の婚約者ではあるが、彼に好意があるわけではない。ゲームの進行を違う行動を取ったのも、別に二人の仲を、意図的に邪魔するためではない。
ただ、早苗は私の行動を見て、「海斗と早苗が親しくなるのを邪魔するために行動している」と思ったらしい。
「あたしと協力してよ。樹ルートに入れるように。あなたが海斗とくっつけるように、あたしも協力するわ」
早苗の描く理想図が、私にも理解できた。
ここは、現実。ゲームと違って、相手の選択を間違えても、時間を戻すことはできない。
ゲームのセーブデータを選び直すように、なんとか、別の選択肢を選びたいのだ。
そのためには、樹のイベントを進めることだけではなく、海斗のルートから抜けることも必要で。
「どう? WIN-WINでしょ?」
ぱちっ、と早苗は片目を瞑る。その芝居がかった仕草も、彼女によく似合う。
「……そうね」
確かに、彼女の言う通り。
彼女の申し出に乗れば、もっと穏やかに、海斗との婚約関係を継続できる。早苗も、樹と親しくなれる。お互いに、良いところしかない。
「やった。契約成立ね」
早苗が、輝かしい微笑みを見せる。心から、嬉しそうだ。よほど、樹のことが好きなのだ。
「ふふっ。これであたしも、樹と結ばれるんだわ」
浮かれる彼女を見る私の目は、妙に冷静だった。
確かに、WIN-WINだ。
私が、海斗との婚約継続を、望むのなら。
「とりあえず夏休みのイベントを起こしたいから、協力してよね」
「……ええ」
私の返事は、上の空だ。
「ありがとう! また明日ねっ!」
ああ、いつもは慧と交わす挨拶を、ここでも使ってしまった。
満面の笑顔で去っていく早苗を見送り、私は、学園に戻る道を歩いた。
駅まで来たけれど、山口は学園の正門前で待っているからだ。
流れてくる人の波に、逆らうように歩く。空はもう、薄暗い。話し込んでいるうちに、すっかり夜になってしまった。
もう、慧は帰ってしまっただろう。閉館時刻だ。
残念な気持ちもありつつ、私の心は、熱くなっていた。
シノの言う通り。
情報量が足りないから、優先順位がつけられなかったのだ。
早苗の話を聞いて、私が最初に考えるべきことが、ちゃんとわかった。
海斗ルートに入ってしまった早苗を、樹ルートに入れる。その後で、私が海斗との関係を築いていく。
そんな彼女の申し出に乗るかどうかは、私の選択次第。
両親の期待も含めて、結局、兄の示した2択のどちらを選ぶのか。
海斗との婚約を、継続したいのか。
それとももう、破棄したいのか。
優先順位の第1位は、それ。
私はあの2択について、結論を出さなければならない。
0
お気に入りに追加
1,304
あなたにおすすめの小説
傍若無人な姉の代わりに働かされていた妹、辺境領地に左遷されたと思ったら待っていたのは王子様でした!? ~無自覚天才錬金術師の辺境街づくり~
日之影ソラ
恋愛
【新作連載スタート!!】
https://ncode.syosetu.com/n1741iq/
https://www.alphapolis.co.jp/novel/516811515/430858199
【小説家になろうで先行公開中】
https://ncode.syosetu.com/n0091ip/
働かずパーティーに参加したり、男と遊んでばかりいる姉の代わりに宮廷で錬金術師として働き続けていた妹のルミナ。両親も、姉も、婚約者すら頼れない。一人で孤独に耐えながら、日夜働いていた彼女に対して、婚約者から突然の婚約破棄と、辺境への転属を告げられる。
地位も婚約者も失ってさぞ悲しむと期待した彼らが見たのは、あっさりと受け入れて荷造りを始めるルミナの姿で……?
外れギフト魔石抜き取りの奇跡!〜スライムからの黄金ルート!婚約破棄されましたのでもうお貴族様は嫌です〜
KeyBow
ファンタジー
この世界では、数千年前に突如現れた魔物が人々の生活に脅威をもたらしている。中世を舞台にした典型的なファンタジー世界で、冒険者たちは剣と魔法を駆使してこれらの魔物と戦い、生計を立てている。
人々は15歳の誕生日に神々から加護を授かり、特別なギフトを受け取る。しかし、主人公ロイは【魔石操作】という、死んだ魔物から魔石を抜き取るという外れギフトを授かる。このギフトのために、彼は婚約者に見放され、父親に家を追放される。
運命に翻弄されながらも、ロイは冒険者ギルドの解体所部門で働き始める。そこで彼は、生きている魔物から魔石を抜き取る能力を発見し、これまでの外れギフトが実は隠された力を秘めていたことを知る。
ロイはこの新たな力を使い、自分の運命を切り開くことができるのか?外れギフトを当りギフトに変え、チートスキルを手に入れた彼の物語が始まる。
転生したら、実家が養鶏場から養コカトリス場にかわり、知らない牧場経営型乙女ゲームがはじまりました
空飛ぶひよこ
恋愛
実家の養鶏場を手伝いながら育ち、後継ぎになることを夢見ていていた梨花。
結局、できちゃった婚を果たした元ヤンの兄(改心済)が後を継ぐことになり、進路に迷っていた矢先、運悪く事故死してしまう。
転生した先は、ゲームのようなファンタジーな世界。
しかし、実家は養鶏場ならぬ、養コカトリス場だった……!
「やった! 今度こそ跡継ぎ……え? 姉さんが婿を取って、跡を継ぐ?」
農家の後継不足が心配される昨今。何故私の周りばかり、後継に恵まれているのか……。
「勤労意欲溢れる素敵なお嬢さん。そんな貴女に御朗報です。新規国営牧場のオーナーになってみませんか? ーー条件は、ただ一つ。牧場でドラゴンの卵も一緒に育てることです」
ーーそして謎の牧場経営型乙女ゲームが始まった。(解せない)
転生幼女。神獣と王子と、最強のおじさん傭兵団の中で生きる。
餡子・ロ・モティ
ファンタジー
ご連絡!
4巻発売にともない、7/27~28に177話までがレンタル版に切り替え予定です。
無料のWEB版はそれまでにお読みいただければと思います。
日程に余裕なく申し訳ありませんm(__)m
※おかげさまで小説版4巻もまもなく発売(7月末ごろ)! ありがとうございますm(__)m
※コミカライズも絶賛連載中! よろしくどうぞ<(_ _)>
~~~ ~~ ~~~
織宮優乃は、目が覚めると異世界にいた。
なぜか身体は幼女になっているけれど、何気なく出会った神獣には溺愛され、保護してくれた筋肉紳士なおじさん達も親切で気の良い人々だった。
優乃は流れでおじさんたちの部隊で生活することになる。
しかしそのおじさん達、実は複数の国家から騎士爵を賜るような凄腕で。
それどころか、表向きはただの傭兵団の一部隊のはずなのに、実は裏で各国の王室とも直接繋がっているような最強の特殊傭兵部隊だった。
彼らの隊には大国の一級王子たちまでもが御忍びで参加している始末。
おじさん、王子、神獣たち、周囲の人々に溺愛されながらも、波乱万丈な冒険とちょっとおかしな日常を平常心で生きぬいてゆく女性の物語。
心からの愛してる
松倖 葉
BL
転入生が来た事により一人になってしまった結良。仕事に追われる日々が続く中、ついに体力の限界で倒れてしまう。過労がたたり数日入院している間にリコールされてしまい、あろうことか仕事をしていなかったのは結良だと噂で学園中に広まってしまっていた。
全寮制男子校
嫌われから固定で溺愛目指して頑張ります
※話の内容は全てフィクションになります。現実世界ではありえない設定等ありますのでご了承ください
【二章開始】『事務員はいらない』と実家からも騎士団からも追放された書記は『命名』で生み出した最強家族とのんびり暮らしたい
斑目 ごたく
ファンタジー
「この騎士団に、事務員はいらない。ユーリ、お前はクビだ」リグリア王国最強の騎士団と呼ばれた黒葬騎士団。そこで自らのスキル「書記」を生かして事務仕事に勤しんでいたユーリは、そう言われ騎士団を追放される。
さらに彼は「四大貴族」と呼ばれるほどの名門貴族であった実家からも勘当されたのだった。
失意のまま乗合馬車に飛び乗ったユーリが辿り着いたのは、最果ての街キッパゲルラ。
彼はそこで自らのスキル「書記」を生かすことで、無自覚なまま成功を手にする。
そして彼のスキル「書記」には、新たな能力「命名」が目覚めていた。
彼はその能力「命名」で二人の獣耳美少女、「ネロ」と「プティ」を生み出す。
そして彼女達が見つけ出した伝説の聖剣「エクスカリバー」を「命名」したユーリはその三人の家族と共に賑やかに暮らしていく。
やがて事務員としての仕事欲しさから領主に雇われた彼は、大好きな事務仕事に全力に勤しんでいた。それがとんでもない騒動を巻き起こすとは知らずに。
これは事務仕事が大好きな余りそのチートスキルで無自覚に無双するユーリと、彼が生み出した最強の家族が世界を「書き換えて」いく物語。
火・木・土曜日20:10、定期更新中。
この作品は「小説家になろう」様にも投稿されています。
愛されない花嫁は初夜を一人で過ごす
リオール
恋愛
「俺はお前を妻と思わないし愛する事もない」
夫となったバジルはそう言って部屋を出て行った。妻となったアルビナは、初夜を一人で過ごすこととなる。
後に夫から聞かされた衝撃の事実。
アルビナは夫への復讐に、静かに心を燃やすのだった。
※シリアスです。
※ざまあが行き過ぎ・過剰だといったご意見を頂戴しております。年齢制限は設定しておりませんが、お読みになる場合は自己責任でお願い致します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる