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26 見たことない表情
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学外活動が終わると、また、通常の学園生活が始まった。
「おはよう、藤乃さん」
「……おはよう」
今まで挨拶をしたことのない人とも、朝の挨拶を交わす。
なんとなく互いの心の距離は縮んだような。しかし、実際の距離は変わらないような。
そんな、ほんのりと温かな教室の雰囲気は、悪いものではなかった。
アリサたちが学外活動の準備を念入りにしてくれたおかげでできた、学級の絆である。
言葉にすると、なんだか陳腐だけれど。
そんな日中を過ごして、放課後には、図書室へ。
「学外活動は、うまくいったんだね」
「はい。ゲームと同じ展開には、なりませんでした」
私は、カウンターに並んで、慧に首尾を報告していた。
「それはよかった」
慧が笑うと、柔らかなえくぼが現れる。見慣れた表情。
私はほっとして、肩の力が抜けるのを感じた。良い方向に変化したとは言え、いつもと雰囲気の違う教室内で、少し緊張していたらしい。
「ただ……あれから、早苗さんの視線を、妙に感じるんです」
「そうなの?」
私は頷く。
朝から、ふとした瞬間に、早苗の視線を感じることがあった。
それは、授業中。あるいは、休み時間。泉と話しているとき、アリサと話しているとき。ひとりで支度をしているとき。
何か法則があるわけではなく、ふとしたときに、見られている感じがするのだ。
そして早苗の方を見ると、彼女は、すっと視線を逸らす。
「気のせいではないと思うのですが……」
「藤乃さんは、ゲームの通りに動いていないわけだから。それは、気にもされるよね」
「まあ……」
言われてみれば、そうなのだけれど。
「でも、海斗さんと早苗さんは、うまく行っているのに。私を気にする必要なんて」
ストーリー上の役目は果たさなかったかもしれないが、現時点で、ふたりの邪魔をしているわけではない。
「私は、脇役なのに」
「……うーん、そうだねえ」
静けさの重たい、図書室の独特な空気。
慧は、頬杖をつき、横目でこちらを見た。レンズ越しではない、慧の瞳。
「でも、藤乃さんは、脅威だと思うよ。選ぶつもりだった選択肢を選ばせてくれないし、ゲーム通りになるはずの展開から外れていくし」
「そんな、大したことでは」
「だとしても。向こうからしてみたら、思い通りにならない理由がわからなくて、怖いと思う」
早苗にとって、私が怖い?
勉強も、運動も、人間関係も。全ての面で私を上回っている早苗が、そんな風に思うものだろうか。
私が首を傾げると、慧が軽く笑った。
「藤乃さんって、自己評価が低いよね。俺の方が、驚いちゃうよ」
「低いですか?」
「うん。良く言えば、謙虚」
慧こそ、私のことを高く評価しすぎていると思う。
謙虚なのではなく、事実なのだ。
「……そうでしょうか」
「そうだよ」
慧の褒め言葉は率直すぎて、なんだかくすぐったい。
ただ、以前の私より着実に進歩しているということは、自分でも言える。
化粧をするようになり、友人ができて、目に見える変化を少しずつ積み重ねている。
これを続けたら、面と向かって早苗に物言えるようになる日も、来るかもしれない。
「さあ、勉強しようか。テストも近づいてきたから」
「……そうですね」
カウンターにノートを開き、そこからは、各自の復習に入る。
わからないところがあれば、教えてもらえる。
そうでなくても、勉強のできる慧の隣で、彼のやり方を見ることは、私にとって大きな学びだった。
そうすれば良いのだ、と感心することも多々あり、できるところは真似るようにしている。
「慧先輩のおかげで、授業中にどんなことに注意して聞いたらいいか、意識できるようになってきたんです」
「俺のおかげなんて……藤乃さんの力だよ」
そう話す慧こそ、自己評価が低い。
「また明日、藤乃さん」
「はい。慧先輩、ありがとうございました」
いつも通りの、別れの挨拶。
明日もここへ来て慧に会えるという、安心感と、喜び。
私はこんなに慧に助けられているのに、彼こそ、自分のことを正当に評価していないと思う。
「お嬢様、お茶をお淹れしました」
「ありがとう」
夜、机に向かって勉強していると、シノがお茶を淹れてくれた。
「最近、お嬢様は、お勉強に力を入れてらっしゃるのですね」
「……ええ。そろそろテストなのよ。勉強の仕方も、わかってきたから、頑張ろうと思って」
カップを口元に運ぶと、爽やかな香りが鼻を抜ける。
「これは、ローズマリーが入っているのね」
「はい。集中力を高めるそうなので……いつも頑張っていらっしゃるお嬢様の、お力になれば、と」
「……ありがとう。シノは本当に、気がきくのね」
そう言うと、シノは柔らかな微笑みのまま、首を左右に振った。
「私なんて、まだまだです。勿体無いお言葉です」
「そうかしら……」
「そうですよ」
こんなに気のつく侍女は、そういないだろう。
慧といい、シノといい、私から見れば、ずいぶんと自己評価が低いように見える。
自分を正当に評価することは、実は、とても難しいことなのかもしれない。
「……美味しい」
紅茶のさっぱりした香りが、ごちゃついてきた頭の中をすっきりさせてくれる。
もう少し、頑張ろう。
テストに向け、私はいつもより根を詰めて、勉強を重ねた。
最近の習慣であった、寝る前の読書も封印して。
そして、テストは無事に終わった。
「……この部屋に来るのも、久しぶりだね」
「はい。学外活動、以来ですね」
テストの日の放課後、私と慧は、図書室の奥の部屋にいた。
ふたりで囲むテーブルの上には、慧が買ってきてくれた、炭酸飲料が置かれている。
「はい、藤乃さん」
グラスに飲み物を注ぎ、慧が手渡してくれる。黒い色の、炭酸。慧も同じグラスを掲げ、そのまま、目が合う。
「乾杯しよう」
「あっ……はい」
私も、グラスを掲げる。
グラス同士を合わせると、カチン、と軽く涼やかな音がした。
「お疲れ様」
「慧先輩も、お疲れ様です」
そして、グラスの飲み物を口に含む。強めの炭酸と甘い香りが、一気に弾けた。
「俺、好きなんだよね、これ」
慧は一気にグラスの半分ほどを飲み干し、手の甲で口元を拭った。
「美味しいですね」
「美味しい? そっか……なんかさ、藤乃さんと話していると、意外と感覚が合うから、不思議になる」
慧は立ち上がり、ゲームの支度を始めた。私も手伝いながら、「意外と、ですか?」と聞き返す。
「うん。だって合うはずがないでしょう、特待生の俺と、藤乃さんでは」
「……そうでしょうか」
「そうだよ。誤解しちゃいそうだよね、なんだか」
何を誤解するというのだろう。
聞こうとしたとき、慧が強めにコントローラーを置いて、コツンと大きな音が鳴った。タイミングを失い、会話はそこで終わってしまう。
「さ、続きをしよう」
「はい」
ゲームは、学外活動が終わったところで、止まっている。私はセーブデータをロードし、続きをプレイした。
勉強や運動など、いくつかの選択肢を進めていくうちに日付も進み、テストを迎える。
「はい、慧先輩」
「借りるよ」
既に緩んだ格好の慧に、コントローラーを渡す。手慣れた調子で操作し始める慧を、私はぼんやりと眺めた。
ネクタイを緩め、ボタンを開けたことで、シャツの隙間から覗く喉。腕まくりした袖の先に、出ている腕の血管。
いつもは目に入らない箇所が見えていて、なんだか、いけないものを見ている気分になる。
「……はい。俺、こういうの、得意みたいだ」
「相変わらず、完璧ですね」
コントローラーを返されて画面を見ると、ほぼ完璧に近いスコアが表示されていた。
「私にはできません」
「藤乃さんだって、できるよ」
「私はこういうの、苦手なんです、きっと」
結果が表示される。主人公は、今回も、2位だった。
『2位、おめでとう。頑張ったね』
画面には、満足そうな顔の海斗が映っている。海斗にしては優しい声で、そう、労っている。
『頑張ったから、ご褒美をあげる。何がいい?』
そんな問いかけと共に、画面には【つめたいもの】【さっぱりしたもの】【おいしいもの】という選択肢が現れる。
「どうしようかしら」
「とりあえず、どれか選んでみようよ」
私は【おいしいもの】を選ぶ。
『はい、これ。飲んでごらん』
すると、海斗は瓶の飲み物を差し出す。主人公は受け取り、それを飲んだ。
『なんか……酸っぱい……?』
『レモンジュースだよ。この酸っぱさが、堪らないんだよね』
『ええ……』
爽やかに言う海斗に、ちょっと動揺する主人公の声。
『これ、美味しいの……?』
『美味しいと思うけど……おかしいな、飲ませてよ』
海斗は瓶を取り、ジュースを飲む。
『あっ……』
(間接キスだ……)
『え? ……あ、ごめん、飲んじゃった……』
主人公の心の声が聞こえたかのように、海斗が、いつもの照れた顔を見せる。
『大丈夫。それ、酸っぱくて飲めないから、あとは飲んでいいよ』
『いいの? いや、だけど……』
『でも、飲めないから』
頑なな主人公に圧されて、海斗がまたジュースを飲む。
『……なんか、いつもより美味しいや』
顔を真っ赤に染め、目を瞑ってジュースを飲む海斗のスチルが表示され、イベントが終わった。
私は長く息を吐き、コントローラーを置く。
「どきどきしちゃいました」
「藤乃さん、ああいうの好きなの?」
「いえ……ゲームの中とはいえ、海斗さんによく似ているので。見ていて、こっちが恥ずかしくって」
間接キス、なんて。
海斗の声で直接聞く機会は、私にはないに違いない。
絶対に私には見せない姿を見てしまって、なんだか、落ち着かない気分だ。
「他の選択肢も、選んでみる?」
「やめておきます」
セーブデータを戻して他の選択肢を選ぶと、他の会話が見られる。わかっているのだけれど、私は、同じイベントを繰り返す気持ちにはなれなかった。
「結果を見るとき、ふたりのそばには、寄らないことにします」
「まあ……藤乃さんが見なくてもいいなら、俺は構わないよ」
「はい。だって、美味しい、ですよ。間接キスをして……そんなの……」
なんて、恥ずかしい台詞を吐くのだろう。どうにもならなくて顔を覆うと、慧の、控えめな笑い声が聞こえた。
「可愛いね」
「なんですか、それ。慧先輩は、見ていて恥ずかしくなかったんですか?」
慧はずいぶん余裕そうだ。
顔を覆っていた手を外すと、慧は、まだ半分ほど残ったグラスを、手に持っていた。
「俺は、話の中身より、照れてる藤乃さんを見ちゃったよ。いつもとずいぶん、雰囲気が違ったから」
「なんですか、それ……」
慧はグラスを傾け、炭酸を飲み干す。
私も自分のグラスを手に取ると、それはもう、ぬるくなっていた。
「もう、ぬるいですね」
「うん、炭酸が抜けて美味しくない。飲んであげようか? それ」
「え?」
驚いて慧を見ると、彼は眼鏡越しに、悪戯っぽい目つきをしていた。
「美味しくないから、俺が飲んでもいいよ」
「え……それって……」
「あ、駄目か。間接キス、になっちゃうね」
「……っ!」
どうしていきなり、そんなことを言うのか。
またゲームの中の恥ずかしい海斗が思い浮かび、頭がかっと熱くなった。
「藤乃さん、これも恥ずかしいの?」
「慧先輩、なんでそんな……そんな意地悪なこと、言うんですか?」
彼は、私が恥ずかしがると、わかっていて言っている。私が咎めると、声を上げて笑った。
「ごめんね。藤乃さんの新しい表情が見られたから、もっと見たくなってさ。……嬉しいな、そういう顔を見られて」
そんな言い方をされたら、怒るにも、怒れない。
慧が嬉しいなら、私も、嬉しいのだ。
「……慧先輩が、嬉しいならいいです」
仕方なくそう言うと、返事の代わりに、慧の手が頭に置かれた。
「おはよう、藤乃さん」
「……おはよう」
今まで挨拶をしたことのない人とも、朝の挨拶を交わす。
なんとなく互いの心の距離は縮んだような。しかし、実際の距離は変わらないような。
そんな、ほんのりと温かな教室の雰囲気は、悪いものではなかった。
アリサたちが学外活動の準備を念入りにしてくれたおかげでできた、学級の絆である。
言葉にすると、なんだか陳腐だけれど。
そんな日中を過ごして、放課後には、図書室へ。
「学外活動は、うまくいったんだね」
「はい。ゲームと同じ展開には、なりませんでした」
私は、カウンターに並んで、慧に首尾を報告していた。
「それはよかった」
慧が笑うと、柔らかなえくぼが現れる。見慣れた表情。
私はほっとして、肩の力が抜けるのを感じた。良い方向に変化したとは言え、いつもと雰囲気の違う教室内で、少し緊張していたらしい。
「ただ……あれから、早苗さんの視線を、妙に感じるんです」
「そうなの?」
私は頷く。
朝から、ふとした瞬間に、早苗の視線を感じることがあった。
それは、授業中。あるいは、休み時間。泉と話しているとき、アリサと話しているとき。ひとりで支度をしているとき。
何か法則があるわけではなく、ふとしたときに、見られている感じがするのだ。
そして早苗の方を見ると、彼女は、すっと視線を逸らす。
「気のせいではないと思うのですが……」
「藤乃さんは、ゲームの通りに動いていないわけだから。それは、気にもされるよね」
「まあ……」
言われてみれば、そうなのだけれど。
「でも、海斗さんと早苗さんは、うまく行っているのに。私を気にする必要なんて」
ストーリー上の役目は果たさなかったかもしれないが、現時点で、ふたりの邪魔をしているわけではない。
「私は、脇役なのに」
「……うーん、そうだねえ」
静けさの重たい、図書室の独特な空気。
慧は、頬杖をつき、横目でこちらを見た。レンズ越しではない、慧の瞳。
「でも、藤乃さんは、脅威だと思うよ。選ぶつもりだった選択肢を選ばせてくれないし、ゲーム通りになるはずの展開から外れていくし」
「そんな、大したことでは」
「だとしても。向こうからしてみたら、思い通りにならない理由がわからなくて、怖いと思う」
早苗にとって、私が怖い?
勉強も、運動も、人間関係も。全ての面で私を上回っている早苗が、そんな風に思うものだろうか。
私が首を傾げると、慧が軽く笑った。
「藤乃さんって、自己評価が低いよね。俺の方が、驚いちゃうよ」
「低いですか?」
「うん。良く言えば、謙虚」
慧こそ、私のことを高く評価しすぎていると思う。
謙虚なのではなく、事実なのだ。
「……そうでしょうか」
「そうだよ」
慧の褒め言葉は率直すぎて、なんだかくすぐったい。
ただ、以前の私より着実に進歩しているということは、自分でも言える。
化粧をするようになり、友人ができて、目に見える変化を少しずつ積み重ねている。
これを続けたら、面と向かって早苗に物言えるようになる日も、来るかもしれない。
「さあ、勉強しようか。テストも近づいてきたから」
「……そうですね」
カウンターにノートを開き、そこからは、各自の復習に入る。
わからないところがあれば、教えてもらえる。
そうでなくても、勉強のできる慧の隣で、彼のやり方を見ることは、私にとって大きな学びだった。
そうすれば良いのだ、と感心することも多々あり、できるところは真似るようにしている。
「慧先輩のおかげで、授業中にどんなことに注意して聞いたらいいか、意識できるようになってきたんです」
「俺のおかげなんて……藤乃さんの力だよ」
そう話す慧こそ、自己評価が低い。
「また明日、藤乃さん」
「はい。慧先輩、ありがとうございました」
いつも通りの、別れの挨拶。
明日もここへ来て慧に会えるという、安心感と、喜び。
私はこんなに慧に助けられているのに、彼こそ、自分のことを正当に評価していないと思う。
「お嬢様、お茶をお淹れしました」
「ありがとう」
夜、机に向かって勉強していると、シノがお茶を淹れてくれた。
「最近、お嬢様は、お勉強に力を入れてらっしゃるのですね」
「……ええ。そろそろテストなのよ。勉強の仕方も、わかってきたから、頑張ろうと思って」
カップを口元に運ぶと、爽やかな香りが鼻を抜ける。
「これは、ローズマリーが入っているのね」
「はい。集中力を高めるそうなので……いつも頑張っていらっしゃるお嬢様の、お力になれば、と」
「……ありがとう。シノは本当に、気がきくのね」
そう言うと、シノは柔らかな微笑みのまま、首を左右に振った。
「私なんて、まだまだです。勿体無いお言葉です」
「そうかしら……」
「そうですよ」
こんなに気のつく侍女は、そういないだろう。
慧といい、シノといい、私から見れば、ずいぶんと自己評価が低いように見える。
自分を正当に評価することは、実は、とても難しいことなのかもしれない。
「……美味しい」
紅茶のさっぱりした香りが、ごちゃついてきた頭の中をすっきりさせてくれる。
もう少し、頑張ろう。
テストに向け、私はいつもより根を詰めて、勉強を重ねた。
最近の習慣であった、寝る前の読書も封印して。
そして、テストは無事に終わった。
「……この部屋に来るのも、久しぶりだね」
「はい。学外活動、以来ですね」
テストの日の放課後、私と慧は、図書室の奥の部屋にいた。
ふたりで囲むテーブルの上には、慧が買ってきてくれた、炭酸飲料が置かれている。
「はい、藤乃さん」
グラスに飲み物を注ぎ、慧が手渡してくれる。黒い色の、炭酸。慧も同じグラスを掲げ、そのまま、目が合う。
「乾杯しよう」
「あっ……はい」
私も、グラスを掲げる。
グラス同士を合わせると、カチン、と軽く涼やかな音がした。
「お疲れ様」
「慧先輩も、お疲れ様です」
そして、グラスの飲み物を口に含む。強めの炭酸と甘い香りが、一気に弾けた。
「俺、好きなんだよね、これ」
慧は一気にグラスの半分ほどを飲み干し、手の甲で口元を拭った。
「美味しいですね」
「美味しい? そっか……なんかさ、藤乃さんと話していると、意外と感覚が合うから、不思議になる」
慧は立ち上がり、ゲームの支度を始めた。私も手伝いながら、「意外と、ですか?」と聞き返す。
「うん。だって合うはずがないでしょう、特待生の俺と、藤乃さんでは」
「……そうでしょうか」
「そうだよ。誤解しちゃいそうだよね、なんだか」
何を誤解するというのだろう。
聞こうとしたとき、慧が強めにコントローラーを置いて、コツンと大きな音が鳴った。タイミングを失い、会話はそこで終わってしまう。
「さ、続きをしよう」
「はい」
ゲームは、学外活動が終わったところで、止まっている。私はセーブデータをロードし、続きをプレイした。
勉強や運動など、いくつかの選択肢を進めていくうちに日付も進み、テストを迎える。
「はい、慧先輩」
「借りるよ」
既に緩んだ格好の慧に、コントローラーを渡す。手慣れた調子で操作し始める慧を、私はぼんやりと眺めた。
ネクタイを緩め、ボタンを開けたことで、シャツの隙間から覗く喉。腕まくりした袖の先に、出ている腕の血管。
いつもは目に入らない箇所が見えていて、なんだか、いけないものを見ている気分になる。
「……はい。俺、こういうの、得意みたいだ」
「相変わらず、完璧ですね」
コントローラーを返されて画面を見ると、ほぼ完璧に近いスコアが表示されていた。
「私にはできません」
「藤乃さんだって、できるよ」
「私はこういうの、苦手なんです、きっと」
結果が表示される。主人公は、今回も、2位だった。
『2位、おめでとう。頑張ったね』
画面には、満足そうな顔の海斗が映っている。海斗にしては優しい声で、そう、労っている。
『頑張ったから、ご褒美をあげる。何がいい?』
そんな問いかけと共に、画面には【つめたいもの】【さっぱりしたもの】【おいしいもの】という選択肢が現れる。
「どうしようかしら」
「とりあえず、どれか選んでみようよ」
私は【おいしいもの】を選ぶ。
『はい、これ。飲んでごらん』
すると、海斗は瓶の飲み物を差し出す。主人公は受け取り、それを飲んだ。
『なんか……酸っぱい……?』
『レモンジュースだよ。この酸っぱさが、堪らないんだよね』
『ええ……』
爽やかに言う海斗に、ちょっと動揺する主人公の声。
『これ、美味しいの……?』
『美味しいと思うけど……おかしいな、飲ませてよ』
海斗は瓶を取り、ジュースを飲む。
『あっ……』
(間接キスだ……)
『え? ……あ、ごめん、飲んじゃった……』
主人公の心の声が聞こえたかのように、海斗が、いつもの照れた顔を見せる。
『大丈夫。それ、酸っぱくて飲めないから、あとは飲んでいいよ』
『いいの? いや、だけど……』
『でも、飲めないから』
頑なな主人公に圧されて、海斗がまたジュースを飲む。
『……なんか、いつもより美味しいや』
顔を真っ赤に染め、目を瞑ってジュースを飲む海斗のスチルが表示され、イベントが終わった。
私は長く息を吐き、コントローラーを置く。
「どきどきしちゃいました」
「藤乃さん、ああいうの好きなの?」
「いえ……ゲームの中とはいえ、海斗さんによく似ているので。見ていて、こっちが恥ずかしくって」
間接キス、なんて。
海斗の声で直接聞く機会は、私にはないに違いない。
絶対に私には見せない姿を見てしまって、なんだか、落ち着かない気分だ。
「他の選択肢も、選んでみる?」
「やめておきます」
セーブデータを戻して他の選択肢を選ぶと、他の会話が見られる。わかっているのだけれど、私は、同じイベントを繰り返す気持ちにはなれなかった。
「結果を見るとき、ふたりのそばには、寄らないことにします」
「まあ……藤乃さんが見なくてもいいなら、俺は構わないよ」
「はい。だって、美味しい、ですよ。間接キスをして……そんなの……」
なんて、恥ずかしい台詞を吐くのだろう。どうにもならなくて顔を覆うと、慧の、控えめな笑い声が聞こえた。
「可愛いね」
「なんですか、それ。慧先輩は、見ていて恥ずかしくなかったんですか?」
慧はずいぶん余裕そうだ。
顔を覆っていた手を外すと、慧は、まだ半分ほど残ったグラスを、手に持っていた。
「俺は、話の中身より、照れてる藤乃さんを見ちゃったよ。いつもとずいぶん、雰囲気が違ったから」
「なんですか、それ……」
慧はグラスを傾け、炭酸を飲み干す。
私も自分のグラスを手に取ると、それはもう、ぬるくなっていた。
「もう、ぬるいですね」
「うん、炭酸が抜けて美味しくない。飲んであげようか? それ」
「え?」
驚いて慧を見ると、彼は眼鏡越しに、悪戯っぽい目つきをしていた。
「美味しくないから、俺が飲んでもいいよ」
「え……それって……」
「あ、駄目か。間接キス、になっちゃうね」
「……っ!」
どうしていきなり、そんなことを言うのか。
またゲームの中の恥ずかしい海斗が思い浮かび、頭がかっと熱くなった。
「藤乃さん、これも恥ずかしいの?」
「慧先輩、なんでそんな……そんな意地悪なこと、言うんですか?」
彼は、私が恥ずかしがると、わかっていて言っている。私が咎めると、声を上げて笑った。
「ごめんね。藤乃さんの新しい表情が見られたから、もっと見たくなってさ。……嬉しいな、そういう顔を見られて」
そんな言い方をされたら、怒るにも、怒れない。
慧が嬉しいなら、私も、嬉しいのだ。
「……慧先輩が、嬉しいならいいです」
仕方なくそう言うと、返事の代わりに、慧の手が頭に置かれた。
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