上 下
70 / 73
3 砂漠化の謎を探る

3-17.暗いトンネルの先

しおりを挟む
「なんか、足元が上がってきた気がする」
「ほんと?」

 どのくらい経っただろう。他愛もない会話の最中に、ぽつりと、ニコが呟いた。

「……たぶん。自信はないけど」
「そろそろ、出口があるのかもしれないわね」

 体にかかる水圧が、ぐ、と重くなる。ニコが速度を上げたのだ。

「あっ」
「あ」

 声は、ほとんど同時に上がった。斜め上方に、ゆらめく明かりが見えたのだ。ほんのり薄青い、橙色。

「光だわ」
「見間違いじゃ、ないよね」

 射し込む光の揺らぎは、それが水中を通って、私たちの目に入っていることを示している。あの先は、明かりのあるところに繋がっているのだ。
 どんどん進むと、水の圧力が、だんだんと減ってくる。やがて、頭がぽかりと、水面に出た。
 ニコの腕が、私の体を離した。解放感。長く深い息が、肺から出て行く。脱力した私の肩を、ニコが支えてくれた。

「ついに、抜けたね……」
「疲れたわね……ありがとう、ニコ」

 久しぶりの明かりの中で、ニコの顔が、僅かに照らされて見える。胸の高さでかすかに輝く水面の反射を受け、白っぽく光る顔。
 暗闇にいた時間があまりにも長くて、その顔は、なんだか懐かしいものにすら思えた。

「どうしたの?」
「……あ、ごめんなさい」

 私の手は、ニコの頬に添えられていた。つい、手を伸ばしてしまっていた。そこにあるのを、確かめるように。

「構わないよ。……光って、本当に、ありがたいものだね」

 ニコが笑う。その笑顔が、ちゃんと、視界に映る。

「本当ね……目を開けても、真っ暗だなんて。初めての体験だったわ」
「不思議だったね。イリスがそこにいるってことは、抱きしめていないと、信じられなかった」

 ニコの視線も、私の顔に、まっすぐ注がれている。

「だけど、なんだか距離は、今よりも近い感じがしたわ」
「そうだね。何か、体が溶け合っているような……いや、やめよう。考えると、変な気持ちになりそうだ」

 ニコは、視線を逸らした。彼の見る先には、前方の壁から漏れ出てくる、淡い光。

「何かあるわね、あそこに」
「近づいてみようか」

 水を掻き分けながら、ゆっくりと進む。壁に手を添えると、それはどうやら、普通の石造りの壁らしかった。組まれた石と石の間から、光がわずかに射し込んでいる。

「壊してみる?」
「そうだね……壁の向こうには、誰もいないみたいだ。空気の膜が張られている感じもない」

 ニコが、壁の向こうを魔法で探り、そう言った。ならば、問題はなかろう。

「これ、どうやって壊したらいいかな?」
「他の物質に干渉するのは、難しいのよね。でも、この岩は隙間が空いているから」

 私は、石の壁に指を這わせる。ごつごつした大小取り混ぜた石を、ただ組み上げただけ。その雑な組み方によって、石と石の間に、小さな隙間がたくさんある。

「この小さな隙間から、空気を膨らませる、とか。そこに火も混ぜると、さらに爆発力は増すと思う」
「火も?」
「熱が加わると、壊れやすくなるから」

 小さな空間に多量の空気を出すと、無理が生じる。その無理が、おそらくこの壁を壊す方向に働くだろう。

「小さな隙間に、空気の膜を張って、膨らませるのか」
「そう。素早く、ね。その勢いで、壊すんだから」
「ふうん……初めて聞いたよ、そんな使い方」

 魔法は、イメージが全て。思いつけば実現できるものの、大抵の人は、それを思いつかないのだ。

「やってみるよ」
「もう少し離れましょう」

 私とニコは、壁から距離を取る。私の前に、ニコが立った。その背中で、壁の様子が見えなくなる。

「見えないわ」
「わかってる。危ないでしょ? 俺の後ろにいてよ」

 私がここで怪我をしたら、迷惑をかけるのは間違いない。私はニコの背に隠れ、そーっと、腕と胴体の隙間から様子を伺う。
 ニコは、何か試しているのだろう。水面が揺れる。波紋が広がり、波が立つ。風が起きている証拠だ。やがて、ごと、と石が動く音もした。

「ああ、わかってきたよ。イリス、そろそろ壊せそう。気をつけてね」

 ニコに言われ、私は完全に、彼の背に隠れた。ドゴン、と鈍い音がして、光の量が多くなる。

「できた……」
「ニコって、本当にすごいわね。こんな短時間で、これもできるなんて。普通なら、そんなの無理って思い込んで、なかなかうまくいかないのよ」

 魔法で物体に干渉し、壊すなんて、無理。
 それが一般的な考え方である。その「一般的」に、指導が阻まれたことが、何回もある。

「イリスの言うことは、間違いないって信じているからね」

 ニコは、さらりと言った。
 その、信頼感が、彼の上達の元なのだ。

「ありがとう」

 ニコは頷き、穴の空いた石の壁を見た。どうにか、くぐり抜けられそうだ。その向こうは、先ほどよりも、眩しい光。青っぽく光るその色合いは、魔力を含んだ魔力石の光り方を、思い出させる。

「俺が先に行くよ」

 ニコは、壁に近寄り、穴の淵に手をかける。

「この向こう、そのまま床だな」

 言いながら、穴の向こうに顔を出す。穴の下側が、向こう側の床に接しているらしい。上半身を穴に入れ、そのまま腕の力で体を向こうに運んだ。

「おいで、イリス」

 すぐに、穴からニコの手が差し出される。私は、その手を取った。
 水に濡れた服が重い。それでも、薄着で来たことも功を奏して、私の体も、床の上に出た。

「すごい、全身がふやけちゃった」
「本当だね。服もびしょびしょだよ、当たり前だけど」

 指が水分を含み、しわしわになっている。ニコは、自分の服の裾を絞っている。びたびた、と音を立てて水が落ちた。服を絞りながら、ニコは周囲を見回す。私も、周りに視線を移した。
 大きな、木だ。枝を広げた木が、空間の中心に立っている。その枝が、青白い光に照らされている。青白い光は、木の周り一面に、円形に広がっている。まるで、池のように。

「これが、ベンジャミンが話していた、青い池だって言うの……?」

 青い光に照らされた、幻想的な空間。その青い光は、全て、床に置かれた石から放たれている。
 ニコが石をひとつ手に取る。青白い光が、瞬時に消えた。

「これ、魔力石だよ」

 魔力石によって作られた、青い池。私たちの目の前には、魔力石に囲まれた大樹が、静かに立っていた。

「ここが、王城の中なのかしら」
「そうなのかな。ベンジャミンさんは、青い池に囲まれた樹は、お城の中だって言っていたよね」

 魔力石に触れないよう、その池の円周を辿るようにして、私たちは歩く。その中央には、悠然と佇む、大樹。

「あの根元、青く光っているわ」
「魔力石じゃなくて?」
「ううん、樹が光っているわよ」

 よく見ると、その大樹は、根元がぼんやりと光っている。見間違いではない。樹自体が、輝きをもっていた。

「ここからなら、近づけそうだね」

 周りを歩いていると、その一点に、大樹へと繋がる道がつくられていた。円周から、中心へ向かう一本道。
 暗く光を失った魔力石を持ったまま、ニコはその道を歩き始める。私も、その後に続いた。
 道の両側には、青く光る魔力石が、広がっている。これが、魔導士たちに配られる魔力石なのだろうか。
 とんでもない数だ。この量を人間から取ろうとしたら、何人もの人が犠牲になる。

「本当だ、樹が光ってる」

 ニコと私が並んで見下ろす大樹の根っこは、たしかに青白く、光っていた。

「同じ色だね」

 言いながら、ニコは何気なく、空の魔力石を樹皮に近づける。音もなく、瞬時に、青白い光が戻った。

「あ……」
「これが、魔力石のもとなの……?」

 間違いなく、今、魔力石は、樹に触れたことで光り始めた。

「この樹に、魔力があるんだわ」

 生きとし生けるものは、全て、魔力を有している。だが、その量は、身の丈にあったものでしかない。動くことのない樹木に宿るのは、それなりでしかない。
 そう思っていたけれど、この光りようからしても、この大樹には、たくさんの魔力が含まれているとしか思えない。

「どういうことだろうね……?」

 大樹の明かりは、根元で途切れている。ニコも樹皮に触れながら、不思議そうに呟いた。

「わからないわ」

 大量の魔力を、有する大樹。
 そんな話、聞いたこともない。
 理解できない光景に、私たちは、それ以上の言葉を失う。

「な、何者だ、お前たち!」

 警戒心に満ちた声が投げかけられたのは、その時だった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】聖女の手を取り婚約者が消えて二年。私は別の人の妻になっていた。

文月ゆうり
恋愛
レティシアナは姫だ。 父王に一番愛される姫。 ゆえに妬まれることが多く、それを憂いた父王により早くに婚約を結ぶことになった。 優しく、頼れる婚約者はレティシアナの英雄だ。 しかし、彼は居なくなった。 聖女と呼ばれる少女と一緒に、行方を眩ませたのだ。 そして、二年後。 レティシアナは、大国の王の妻となっていた。 ※主人公は、戦えるような存在ではありません。戦えて、強い主人公が好きな方には合わない可能性があります。 小説家になろうにも投稿しています。 エールありがとうございます!

輝夜坊

行原荒野
BL
学生の頃、優秀な兄を自分の過失により亡くした加賀見亮次は、その罪悪感に苦しみ、せめてもの贖罪として、兄が憧れていた宇宙に、兄の遺骨を送るための金を貯めながら孤独な日々を送っていた。 ある明るい満月の夜、亮次は近所の竹やぶの中でうずくまる、異国の血が混ざったと思われる小さくて不思議な少年に出逢う。彼は何を訊いても一言も喋らず、身元も判らず、途方に暮れた亮次は、交番に預けて帰ろうとするが、少年は思いがけず、すがるように亮次の手を強く握ってきて――。 ひと言で言うと「ピュアすぎるBL」という感じです。 不遇な環境で育った少年は、色々な意味でとても無垢な子です。その設定上、BLとしては非常にライトなものとなっておりますが、お互いが本当に大好きで、唯一無二の存在で、この上なく純愛な感じのお話になっているかと思います。言葉で伝えられない分、少年は全身で亮次への想いを表し、愛を乞います。人との関係を諦めていた亮次も、いつしかその小さな存在を心から愛おしく思うようになります。その緩やかで優しい変化を楽しんでいただけたらと思います。 タイトルの読みは『かぐやぼう』です。 ※表紙イラストは画像生成AIで作成して加工を加えたものです。

グラティールの公爵令嬢

てるゆーぬ(旧名:てるゆ)
ファンタジー
ファンタジーランキング1位を達成しました!女主人公のゲーム異世界転生(主人公は恋愛しません) ゲーム知識でレアアイテムをゲットしてチート無双、ざまぁ要素、島でスローライフなど、やりたい放題の異世界ライフを楽しむ。 苦戦展開ナシ。ほのぼのストーリーでストレスフリー。 錬金術要素アリ。クラフトチートで、ものづくりを楽しみます。 グルメ要素アリ。お酒、魔物肉、サバイバル飯など充実。 上述の通り、主人公は恋愛しません。途中、婚約されるシーンがありますが婚約破棄に持ち込みます。主人公のルチルは生涯にわたって独身を貫くストーリーです。 広大な異世界ワールドを旅する物語です。冒険にも出ますし、海を渡ったりもします。

漫画の様にスラスラ読める小説をめざしたらネームになった物語の1つ。クライツオブハーツ

NN
ファンタジー
日本に某有名RPGゲームが生まれて数十年。その頃に作られた王道 勇者設定! そんな勇者と仲間たちのお話… と、思いきや 次々に覆されて行く ”王道ストーリーs” 行きつく先は過去の王道なのか?現代の王道(?)なのか? そして そう まさに この小説こそが 20年前に書かれたものだという事実が何よりの… しかし今更 作り変えることも出来ず 手を加えることもままらなかったため ちょっと古いテイストにて始まります 段々現代風(?)になっていきます … …行ってるかな? 注)本作品は過去up作品『漫画のようにスラスラ~。ありきたりな勇者伝説』の原作となります。 【 登場人物・国・その他 基本設定 】 ザッツロード→ 主人公 男 勇者の末裔 剣と魔法が使える。ローレシア国王第2王子 ラーニャ  → ヒロイン? 女 勇者の仲間の末裔 魔法使い。ローレシア領域キャリトールの町出身 ミラ    → 女 勇者の仲間の末裔 魔術師。ローレシア領域ソイッド村出身 レーミヤ  → 女 勇者の仲間の末裔 占い師。ローレシア領域テキスツの町出身 プログラマー→ 男 科学技術が最も優れたガルバディア国のプログラマー ホログラムで姿を現している ※元は上記仲間たちの出会いの話がありましたが現代風にするため(?)割愛させて頂きました。 ヘクター  → 男 アバロン国の大剣使い 物語はヘクターを仲間に迎える辺りから始まります。

お幸せに、婚約者様。私も私で、幸せになりますので。

ごろごろみかん。
恋愛
仕事と私、どっちが大切なの? ……なんて、本気で思う日が来るとは思わなかった。 彼は、王族に仕える近衛騎士だ。そして、婚約者の私より護衛対象である王女を優先する。彼は、「王女殿下とは何も無い」と言うけれど、彼女の方はそうでもないみたいですよ? 婚約を解消しろ、と王女殿下にあまりに迫られるので──全て、手放すことにしました。 お幸せに、婚約者様。 私も私で、幸せになりますので。

完結 そんなにその方が大切ならば身を引きます、さようなら。

音爽(ネソウ)
恋愛
相思相愛で結ばれたクリステルとジョルジュ。 だが、新婚初夜は泥酔してお預けに、その後も余所余所しい態度で一向に寝室に現れない。不審に思った彼女は眠れない日々を送る。 そして、ある晩に玄関ドアが開く音に気が付いた。使われていない離れに彼は通っていたのだ。 そこには匿われていた美少年が棲んでいて……

授かったスキルが【草】だったので家を勘当されたから悲しくてスキルに不満をぶつけたら国に恐怖が訪れて草

ラララキヲ
ファンタジー
(※[両性向け]と言いたい...)  10歳のグランは家族の見守る中でスキル鑑定を行った。グランのスキルは【草】。草一本だけを生やすスキルに親は失望しグランの為だと言ってグランを捨てた。  親を恨んだグランはどこにもぶつける事の出来ない気持ちを全て自分のスキルにぶつけた。  同時刻、グランを捨てた家族の居る王都では『謎の笑い声』が響き渡った。その笑い声に人々は恐怖し、グランを捨てた家族は……── ※確認していないので二番煎じだったらごめんなさい。急に思いついたので書きました! ※「妻」に対する暴言があります。嫌な方は御注意下さい※ ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇なろうにも上げています。

夫の告白に衝撃「家を出て行け!」幼馴染と再婚するから子供も置いて出ていけと言われた。

window
恋愛
伯爵家の長男レオナルド・フォックスと公爵令嬢の長女イリス・ミシュランは結婚した。 三人の子供に恵まれて平穏な生活を送っていた。 だがその日、夫のレオナルドの言葉で幸せな家庭は崩れてしまった。 レオナルドは幼馴染のエレナと再婚すると言い妻のイリスに家を出て行くように言う。 イリスは驚くべき告白に動揺したような表情になる。 子供の親権も放棄しろと言われてイリスは戸惑うことばかりでどうすればいいのか分からなくて混乱した。

処理中です...