上 下
62 / 73
3 砂漠化の謎を探る

3-9.風呂場での特訓

しおりを挟む
 ベンジャミンに、新たな魔法を学ぶ気はないかと打診したところ、全てを説明する前から乗り気だった。「空気の膜」の話は祖母がしていたことがあって、興味をもっていたという。
 父親に言わないでくれという頼みも、皆まで言わずとも受け入れられた。ベンジャミンの、未知の魔法に対する探究心は、私も感心するものがある。
 ベンジャミンに空気の膜の張り方を教え、感覚をつかんでもらい、残りの練習は任せる。ベンジャミンの代わりに、王都のこちら側に雨を降らせる。そして私たちはまた、借家の浴室に戻ってきていた。

「先、復習させて。そのあとイリスね」
「わかったわ」

 躊躇なく衣服を脱ぎ捨てるニコ。露わになる、筋肉質な引き締まった体。今日は私も、動揺せずに平然とその光景を眺めた。不意打ちなのがいけなかったのだ、昨日は。
 ニコは昨日より少し温度を緩めた水に入っていく。池の水が冷たいなんて言っていないで、温めてしまえばいいと気づいたのだ。幸い、広場の池には、何の生き物も生息していない。
 頭まで水に浸かる。ニコの頭の周り、ふたまわりほどの範囲に、大きめの空気の玉ができる。浴槽の中を緩急つけて泳ぎ、しばらくして、水面へ顔を出した。ニコの髪は、濡れてはいない。

「いい感じね」
「そうだね。もう少し練習がいるけど、俺一人なら、なんとかなりそうだ」

 体から水を滴らせながら、ニコが上がってくる。肌に玉のように浮く水滴を払い、その視線がこちらを見た。

「ああ、次は私ね」
「そうだね」

 まずはニコが、自分に空気の玉をまとわせる練習。そのあと、勝手に動く私に、空気の動きを連動させる練習。最後に、ふたり同時に水に入って、呼吸を維持する練習。その段階からすれば、次は、私が水に入る番だ。
 上位に手をかけて服を脱ぐと、ニコが「えっ、イリス」と声を上げた。

「あ、ごめんなさい。全身濡れるわけでしょ。もちろん、下着は脱がないから」
「……そうだよね、わかってる。ごめん」

 視線をそらすニコ。私は下衣も脱ぎ、下着のまま浴槽に向かう。足の先から水に入り、とぷん。肩まで一気に浸かった。

「冷たいっ!」

 全身をまとう、冷たい感覚。ぞくぞくとして、肩が震えて、動けない。

「大丈夫? イリス」
「ええ……ニコ、あなたすごいわね、こんな寒い中泳いでたの?」
「慣れれば、そうでもないよ。昨日より温かいし」

 肩を抱く私は、歯の根も合わなくなってきた。寒い。
 ニコが火の玉を出し、水中に投入してくれる。それで漸く、温水になった。ほっとして、自然と腕が緩む。

「……ありがとう。生き返ったわ」
「イリスって、寒いの駄目なんだね」
「そうみたい」

 肌を擦って温度をなじませ、それからゆったりと、水中で四肢を伸ばす。

「とりあえず、潜ってみるわね。真下に」
「わかった」

 一拍置いて、私は水中に頭を落とす。沈んでいくと、自分の周りだけ、水が避けるように広がっていく。

「成功だわ」

 呟いた声が、自分の周囲にだけ、こもったように響く。水面越しにニコの顔が見えたので、小さく手を振った。そのあと、水面に頭を戻すため、上昇を始める。

「…………!」

 いきなり水が顔面に降りかかった。予想していなかったので、目も鼻も口も、水に晒される。

「ごめん、うまく追えなかった」

 水がおかしなところに入って咳き込む私の背を、ニコがさすってくれる。温かな手のひら。咳がおさまり、目尻に浮いた涙を拭った私に、ニコがそう謝る。

「私も、予想しておくべきだったわ」
「やっぱり、いきなり動かれると難しいね」
「合図してみる? 指差すから、行きたい方向に」

 私は再度、水の中に潜る。頭を全部沈めてから、ニコの方を確認し、指先を前方に向ける。床を蹴りながら、ゆっくり前方へ。すると、動きに合わせて、空気の玉もゆっくり動く。
 できてる!
 嬉しくなって水面に顔を出そうとすると、また、途中で水を盛大に浴びてしまった。

「……で、できたじゃない!」

 むせながら言うと、ニコは眉尻を下げた。

「でも、難しいな。今は上から見てるけど、本当は、俺も水中に一緒にいるんでしょ?」
「そうねえ……」

 ふたり分の大きさの空気の玉を出せれば、その問題は解決するのだが。この広さでは練習のしようがないし、これ以上広い川なんて、この辺りには流れていない。

「頭だけ、一緒にしてみる?」
「どういうこと?」
「私とニコが近くにいて、頭を覆うだけの大きさの空気の玉を作るの。実際、そんなに速く泳ぐこともないだろうし」
「そうか……なるほどね」

 個別に対応することにこだわっていたから、難易度が上がっていたのだ。大雑把にやれば、もうすこし容易になる。
 ニコも、水に入ってくる。その体積の分、水が溢れる。

「やってみていい?」
「いいわ」
「……あんまり遠いと、難しいな……」

 私には何が起きているのかわからないが、今ニコは、ふたりの頭を覆う程度の空気の玉を作ることを、試みているはずだ。難しい顔をしながら、ニコは徐々に近寄ってくる。
 肩に手が乗った。顔が近づいた。ニコの手のひらが、濡れて冷えた肌には、やけに熱く感じられる。
 真剣な表情をしたニコは、私を見ているようで、見ていない。目に見えない、空気の玉を見ているのだ。焦点の合わないその目を、私は見つめる。

「……このくらい、なら」

 ニコの目の焦点が、私に合った。途端、彼は息を呑む。

「わっ、近かった……」
「この距離じゃないと、イメージしにくいのね」

 ひとり分の大きさに、ふたり分の頭を突っ込んだような距離感だ。

「同じ方向を向くなら、こうなるわね」

 ニコの腰に手を回し、体の向きを横にする。この距離感だと、肩に頭を添えるくらいの密着感で、なんとか、といったところか。

「ちょい、ちょい、イリス……」
「なに?」
「心臓に良くない」

 ニコが、腰に回した私の手を振りほどく。ざば、と大きな飛沫を上げて、水中に腰を下ろす。ニコはそのまま、くるりと向こうを向いた。

「泳げる服を買おう。素肌でくっつくのは、教育上良くない」
「誰の教育?」
「……イリスの、だよ! 君は……君はまだ十代なんだから、男とこういう風に素肌を触れさせるのは、良くない」
「私はもう二十代半ばの大人なんだけど」

 言動が混乱しているニコに事実を伝えると、彼は、水飛沫を浴びて濡れた髪をくしゃり、と乱す。

「俺の心臓がもたない。それに、城に入ってから、こんな格好で歩き回るのは気がひける」
「……確かにそうね」

 私もニコも、下着姿。それも濡れて、肌に張り付いている。いくら王城に入ったあとは、見つからないのが前提だと言っても、この格好で歩くのは確かに気がひける。

「なら、そういう服を探した方がいいわね」
「そうだね」

 私たちはそのまま借家を出て、服を探しに行った。暑い王都では、そうした服は豊富にあった。できるだけ薄く、露出が多く、水を含んでも動きやすそうな服を選んで、それぞれで購入した。
 ちなみにニコの服は、袖なしの青い上衣に、太腿の半ばまで露わになった緑の短パンだ。それを着たニコは、きっと幼く見えるだろう。私は想像して、おかしく思いながら、空を飛んでまた王都の向こう側に帰っていった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】聖女の手を取り婚約者が消えて二年。私は別の人の妻になっていた。

文月ゆうり
恋愛
レティシアナは姫だ。 父王に一番愛される姫。 ゆえに妬まれることが多く、それを憂いた父王により早くに婚約を結ぶことになった。 優しく、頼れる婚約者はレティシアナの英雄だ。 しかし、彼は居なくなった。 聖女と呼ばれる少女と一緒に、行方を眩ませたのだ。 そして、二年後。 レティシアナは、大国の王の妻となっていた。 ※主人公は、戦えるような存在ではありません。戦えて、強い主人公が好きな方には合わない可能性があります。 小説家になろうにも投稿しています。 エールありがとうございます!

輝夜坊

行原荒野
BL
学生の頃、優秀な兄を自分の過失により亡くした加賀見亮次は、その罪悪感に苦しみ、せめてもの贖罪として、兄が憧れていた宇宙に、兄の遺骨を送るための金を貯めながら孤独な日々を送っていた。 ある明るい満月の夜、亮次は近所の竹やぶの中でうずくまる、異国の血が混ざったと思われる小さくて不思議な少年に出逢う。彼は何を訊いても一言も喋らず、身元も判らず、途方に暮れた亮次は、交番に預けて帰ろうとするが、少年は思いがけず、すがるように亮次の手を強く握ってきて――。 ひと言で言うと「ピュアすぎるBL」という感じです。 不遇な環境で育った少年は、色々な意味でとても無垢な子です。その設定上、BLとしては非常にライトなものとなっておりますが、お互いが本当に大好きで、唯一無二の存在で、この上なく純愛な感じのお話になっているかと思います。言葉で伝えられない分、少年は全身で亮次への想いを表し、愛を乞います。人との関係を諦めていた亮次も、いつしかその小さな存在を心から愛おしく思うようになります。その緩やかで優しい変化を楽しんでいただけたらと思います。 タイトルの読みは『かぐやぼう』です。 ※表紙イラストは画像生成AIで作成して加工を加えたものです。

グラティールの公爵令嬢

てるゆーぬ(旧名:てるゆ)
ファンタジー
ファンタジーランキング1位を達成しました!女主人公のゲーム異世界転生(主人公は恋愛しません) ゲーム知識でレアアイテムをゲットしてチート無双、ざまぁ要素、島でスローライフなど、やりたい放題の異世界ライフを楽しむ。 苦戦展開ナシ。ほのぼのストーリーでストレスフリー。 錬金術要素アリ。クラフトチートで、ものづくりを楽しみます。 グルメ要素アリ。お酒、魔物肉、サバイバル飯など充実。 上述の通り、主人公は恋愛しません。途中、婚約されるシーンがありますが婚約破棄に持ち込みます。主人公のルチルは生涯にわたって独身を貫くストーリーです。 広大な異世界ワールドを旅する物語です。冒険にも出ますし、海を渡ったりもします。

漫画の様にスラスラ読める小説をめざしたらネームになった物語の1つ。クライツオブハーツ

NN
ファンタジー
日本に某有名RPGゲームが生まれて数十年。その頃に作られた王道 勇者設定! そんな勇者と仲間たちのお話… と、思いきや 次々に覆されて行く ”王道ストーリーs” 行きつく先は過去の王道なのか?現代の王道(?)なのか? そして そう まさに この小説こそが 20年前に書かれたものだという事実が何よりの… しかし今更 作り変えることも出来ず 手を加えることもままらなかったため ちょっと古いテイストにて始まります 段々現代風(?)になっていきます … …行ってるかな? 注)本作品は過去up作品『漫画のようにスラスラ~。ありきたりな勇者伝説』の原作となります。 【 登場人物・国・その他 基本設定 】 ザッツロード→ 主人公 男 勇者の末裔 剣と魔法が使える。ローレシア国王第2王子 ラーニャ  → ヒロイン? 女 勇者の仲間の末裔 魔法使い。ローレシア領域キャリトールの町出身 ミラ    → 女 勇者の仲間の末裔 魔術師。ローレシア領域ソイッド村出身 レーミヤ  → 女 勇者の仲間の末裔 占い師。ローレシア領域テキスツの町出身 プログラマー→ 男 科学技術が最も優れたガルバディア国のプログラマー ホログラムで姿を現している ※元は上記仲間たちの出会いの話がありましたが現代風にするため(?)割愛させて頂きました。 ヘクター  → 男 アバロン国の大剣使い 物語はヘクターを仲間に迎える辺りから始まります。

お幸せに、婚約者様。私も私で、幸せになりますので。

ごろごろみかん。
恋愛
仕事と私、どっちが大切なの? ……なんて、本気で思う日が来るとは思わなかった。 彼は、王族に仕える近衛騎士だ。そして、婚約者の私より護衛対象である王女を優先する。彼は、「王女殿下とは何も無い」と言うけれど、彼女の方はそうでもないみたいですよ? 婚約を解消しろ、と王女殿下にあまりに迫られるので──全て、手放すことにしました。 お幸せに、婚約者様。 私も私で、幸せになりますので。

完結 そんなにその方が大切ならば身を引きます、さようなら。

音爽(ネソウ)
恋愛
相思相愛で結ばれたクリステルとジョルジュ。 だが、新婚初夜は泥酔してお預けに、その後も余所余所しい態度で一向に寝室に現れない。不審に思った彼女は眠れない日々を送る。 そして、ある晩に玄関ドアが開く音に気が付いた。使われていない離れに彼は通っていたのだ。 そこには匿われていた美少年が棲んでいて……

授かったスキルが【草】だったので家を勘当されたから悲しくてスキルに不満をぶつけたら国に恐怖が訪れて草

ラララキヲ
ファンタジー
(※[両性向け]と言いたい...)  10歳のグランは家族の見守る中でスキル鑑定を行った。グランのスキルは【草】。草一本だけを生やすスキルに親は失望しグランの為だと言ってグランを捨てた。  親を恨んだグランはどこにもぶつける事の出来ない気持ちを全て自分のスキルにぶつけた。  同時刻、グランを捨てた家族の居る王都では『謎の笑い声』が響き渡った。その笑い声に人々は恐怖し、グランを捨てた家族は……── ※確認していないので二番煎じだったらごめんなさい。急に思いついたので書きました! ※「妻」に対する暴言があります。嫌な方は御注意下さい※ ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇なろうにも上げています。

夫の告白に衝撃「家を出て行け!」幼馴染と再婚するから子供も置いて出ていけと言われた。

window
恋愛
伯爵家の長男レオナルド・フォックスと公爵令嬢の長女イリス・ミシュランは結婚した。 三人の子供に恵まれて平穏な生活を送っていた。 だがその日、夫のレオナルドの言葉で幸せな家庭は崩れてしまった。 レオナルドは幼馴染のエレナと再婚すると言い妻のイリスに家を出て行くように言う。 イリスは驚くべき告白に動揺したような表情になる。 子供の親権も放棄しろと言われてイリスは戸惑うことばかりでどうすればいいのか分からなくて混乱した。

処理中です...