マリオネットの悲劇

文月みつか

文字の大きさ
上 下
5 / 9

幕間劇 君の名は

しおりを挟む
 私の名前は熊田。木彫りのクマだ。目下の悩みは自己紹介をするとダジャレのようになってしまうことだ。少々散らかったリビングの、壁際のキャビネットの上が私の定位置となっている。

 この家に来てもう13年ほどになる。この家のボンが洟垂はなたれ小僧だったころからいるから、かなりの古株と言っていいだろう。やつも今では立派なダメ書生となり、年の離れた女の子も生まれた。毎日賑やかでけっこうなことだ。

 この家の夫婦、つまり彼らの両親は月日が経っても相も変わらず仲むつまじく、記念日には贈り物をし合う。花、ケーキ、時計、バッグ……これまでまあいろいろなプレゼントがあったものだが、今回は私の隣に新しい仲間が増えることとなった。

「ようこそ、マドモアゼル。君の名は?」

「初めまして。わたくし、オデットと申します」

 彼女は片足を高く上げたまま、優雅にお辞儀した。

「ほほう、これは見事だ!」

 正直に言うと、私は少し舞い上がっていた。このような華やかな貴婦人が隣人になろうとは、思ってもみなかったのだ。

「私は熊田。木彫りのクマだ」

 言ってからすぐに後悔したがもう遅かった。

「まあ、ダジャレみたい」

 彼女はくすりと上品に笑った。清楚な見た目に反して、率直にものを言う性格らしい。

「そのとおり。これが唯一の悩みでね」

「あら、そうでしたの」

 彼女はしまったというように口をつぐんだ。しかし私はこの件でからかわれるのは慣れていたので、あまり落ち込んではいなかった。

「何か解決策はないかと考えているのだが、君はどう思う?」

 私が気にせず話しかけると、彼女はほっとした様子で、「そうですわね」と考えた。

「名前を変えるというのはいかがかしら?」

「……ほう!」

 その発想はなかった。

「しかしもうずっと熊田でやってきたんだ。この名前には愛着がある」

 私は思い出す。空港の土産物として売られていた私を、洟垂れ小僧が指さして「クマダ! クマダ!」と連呼したのだ。それがきっかけで私はこの家に来ることになった。

「たしかに、そうですわよね。わたくしも、今さらオデットという名を捨てろと言われたら抵抗を覚えますもの。ならば……そうですわ! 新しく名前を付け足すというのはどうでしょう?」

「付け足す! それはいいかもしれん。よし、何かいい名はないか、考えてみよう」

 熊田鮭次郎、熊田マサシ、熊田ヨーコ……うーむ。

「どうかしら、素敵な名前が浮かびまして?」

「いや、いまいちピンとくるものがないな。そうだ、オデット、君がつけてくれないか?」

「えっ、わたくしが? そうですわねぇ……ジークフリートなんてどうかしら?」

爺苦じいく……なんだって?」

「ジークフリート。今日からあなたは、熊田ジークフリート様ですわ!」

「しかしこの風体でその名前は、ハイカラすぎやしないか?」

「そんなことありませんわ。とても立派な体で強そうですもの。改めてよろしくお願いいたします、ジークフリート様!」

「おお、それならまあ、いいか」

 少々派手だが、これなら自己紹介からのダジャレというルートから抜け出せる。別の突っこみが待ち受けていようことは想像に難くないが、私は彼女の好意を受け取ろうと思った。

 これを機に、私たちの仲は急速に深まっていった。(と言っても、四六時中同じ空間にいるのだからそれは必然の流れともいえる。)私たちのあいだには何かが……きっと絆のようなものが生まれていたと信じたい。私は若くて美しい彼女に、いつしか恋心を抱くようになっていた。こんないかついクマでは彼女と不釣り合いなのはわかっていたが、心の中で想うだけなら自由だろうさ。私はいつまでもこの時が続くように祈った。



 そうして数か月が経った頃のことだ。この家の台風の目こと長女アンナが、私たちのところへやってきた。アンナは少し背伸びをしてオデットに手を伸ばし、細い胴体をつかんだ。そして、にこにこるんるんと彼女を連れ去ってしまったのだ。

 急に静かになったことに私は動揺した。ここ数か月のあいだに、彼女が傍らにいることが当たり前になっていたのだ。

 そして、アンナのあの楽しげな表情。なんだか胸騒ぎがする。

「熊田の旦那、あ、今はジークフリートだっけ?」

 ななめ後ろの二ポポ人形が声をかけてきた。

「愛しのバレリーナがいなくなったからってそんなに落ちこむなよ。きっと噂のメアリのティーパーティーに招待されたんだろうさ。ほんのちょびっとの辛抱だよ」

「そうだといいんだがな」



 夕方になり、アンナがひっそりとリビングに現れた。いつもは歩くだけでピコピコと効果音が鳴りそうだが、今回は抜き足差し足、家族の誰も見ていないことを確認し、こちらへ近づいてきた。そして私のとなりにそっと陶器のバレリーナを戻して、「よろしくね」とささやいた。

 何が「よろしくね」なのだろうか?
 とにもかくにも無事に彼女が戻ってきたことに私は安堵した。まあ、気になることは本人に聞くのがよかろう。

「やっと戻ったかオデット。アンナ嬢と遊んできたのだろう? さっきのよろしくねというのは、なんのことだ?」

 するとオデットはあの伏し目で私のことを見つめ、くすりと笑って言ったのだ。

「ひ・み・つ!」

「はあ?」と私は目をしばたたかせた。なんだか、雰囲気が変わったような……

「ねえ、オジサマはどうしてずっと鮭をくわえているの?」

「こ、これは……あると落ち着くんだ」

「ふうん。あごが疲れそう。大変ね」

「お前さんこそ、ずっと片足を上げたままで大変そうだが……」

 私は戸惑いを隠せない。オデットははっきりものを言うたちだが、こんなふうに相手を探るような目つきやからかうような物言いはしない印象だった。ななめ後ろの二ポポ人形も驚いてひっくり返りそうになっている。

「もしかして例のお茶会で何かあったのか? メアリという人形が取り仕切っていると噂の」

「さあて、どうかしらねぇ」

 彼女はのらりくらりと私の質問をかわす。

「あたし、ちょっと疲れちゃったわ。おやすみー」

「……旦那、熊田の旦那!」

 オデットが眠りにつくなり、興奮した様子の二ポポ人形が話しかけてきた。

「どうしちゃったんだろうね彼女は。えらく雰囲気が変わったようだ」

「ああ。まるで別人のようだな」

 以前のオデットはもっと清楚でしとやかなイメージだったが、なんだか今のオデットは……そう、小悪魔的で妖艶だ。しかし、

「これはこれで、いい。」

「わかる。」

 私と二ポポ人形の意見は一致した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

彼の理想に

いちみやりょう
BL
あの人が見つめる先はいつも、優しそうに、幸せそうに笑う人だった。 人は違ってもそれだけは変わらなかった。 だから俺は、幸せそうに笑う努力をした。 優しくする努力をした。 本当はそんな人間なんかじゃないのに。 俺はあの人の恋人になりたい。 だけど、そんなことノンケのあの人に頼めないから。 心は冗談の中に隠して、少しでもあの人に近づけるようにって笑った。ずっとずっと。そうしてきた。

気づいたら、王女サマに憑依してました

如月 紅
ファンタジー
死んだ覚えはないのに、気づけば性格の悪いお姫様になっていた?! 転生?トリップ?いやいや、まさかの憑依!? 「国民にも、家臣達にも嫌われ、実父に嫌われている過酷な人生を負う羽目になった私はどうすればいいの?」

異世界帰りの憑依能力者 〜眷属ガチャを添えて〜

Jaja
ファンタジー
 ある日、中学2年の頃。  いつの様に右眼疼かせ、左手には、マジックで魔法陣を書き、それを包帯でぐるぐる巻きに。  朝のルーティンを終わらせて、いつもの様に登校しようとしてた少年は突然光に包まれた。  ラノベ定番の異世界転移だ。  そこから女神に会い魔王から世界を救ってほしい云々言われ、勿論二つ返事で了承。  妄想の中でしか無かった魔法を使えると少年は大はしゃぎ。  少年好みの厨二病能力で、約30年近い時間をかけて魔王を討伐。  そこから、どうなるのかと女神からのアクションを待ったが、一向に何も起こることはなく。  少年から既に中年になっていた男は、流石に厨二病も鳴りをひそめ、何かあるまで隠居する事にした。  そこから、約300年。  男の「あれ? 俺の寿命ってどうなってんの?」という疑問に誰も答えてくれる訳もなく。  魔の森でほのぼのと暮らしていると、漸く女神から連絡があった。  「地球のお姉様にあなたを返してって言われまして」  斯くして、男は地球に帰還する事になる。  ※この作品はカクヨム様にも投稿しています。  

アラサー底辺女だけど聖女と呼ばれる異世界の王女に転生したから前世の分まで幸せになるために好き勝手に生きることにした

橋ノ本
ファンタジー
自己評価の高いアラサーの干物女、故に厄介。 それが彼女への周囲の評価だった。 自分の事は棚に上げて他人を見下し貶す。 自分を認めない世界の方がおかしい、と。 そんな彼女とは関わりたくないと……周囲に人はいなくなっていった。 …………。 『私』は生まれ変わった。 俗にいう異世界転生? ってやつだ。 意識が『私』になったのは肉体が十四歳の時だった……だから転生ではなく憑依? ってやつなのかもしれない。 まぁ、そんなことはどうでもいい。 今の私は――この世界でもっとも栄えている国の王女にして絶世の美少女。 さらに『聖女』なんて称号もあるのだ。 さらに……『魅了』なんていう私にぴったりのスキルまで持っている。 私はこの地位、権力、スキル……全てを使って好きなように生きてやる。 私が絶対。 イイ男は全部私の物。 女は道具。 俗にいうイイ女は蹴落としてやる。 チヤホヤされるのは私だけでいい! そんな彼女が作る自分の楽園。 そんなお話。 主人公はクズ、ゲス、最低です。 『ざまぁ』される側のお話です。

教室がどよめくほどの美少女が転校してきて、僕の霊感がザワザワしている。

赤雪
ホラー
 6月。安井高校3年A組に、教室がどよめくほどの美少女が転校してきた。  彼女――鈴木雪乃はなぜ大学受験の追い込みが始まるこの時期に転校してきたのか。そして理科準備室のブラックライトに反応したセーラー服の、蛍光飛沫の意味は……僕はザワザワとする感覚を押さえながら雪乃を見ていた。  やがて、クラスには雪乃を取り巻くグループができ、雪乃はクラスの男子学生を次々に魅了していく。    

キモヲタ男爵奮戦記 ~ 天使にもらったチートなスキルで成り上がる……はずだったでござるよトホホ ~

帝国妖異対策局
ファンタジー
【 キモヲタの我輩が、変態治癒スキルを駆使して成り上がる……はずでした。】 「んぼぉおおおおおおおおおおおお❤ いだいだだぎもぢぃぃぃのぉおおおお❤」  足裏を襲う強烈な痛みと、全身に広がる強烈な快感に、エルフ女性はアヘ顔ダブルピースを浮かべながら、キモヲタの前で痙攣し始めました。(第2話より) 「天使様から頂いたチートな能力を駆使して、高潔で美しいエルフの女性を危機から救うも、何故か彼女から命を狙われるようになり、死にかけていたケモミミ耳少女を救うも、何故か命を狙われるようになり、騎士団の団長を救ったら魔族収容所に送られて――とにかくこの異世界ときたら理不尽この上ないでござるよぉおお!」 ★二つのチート能力を授かったキモヲタが異世界を華麗に駆け抜ける(笑)物語。 ×性描写はありませんがアヘ顔はあります。 ○きわどい描写ありますが、キモヲタは完結までDTです!(謎の宣言) それとアヘ顔はあります! ★ナレーションさんが不慣れなので時折ネタバレしちゃいます。

やり直せるなら、貴方達とは関わらない。

いろまにもめと
BL
俺はレオベルト・エンフィア。 エンフィア侯爵家の長男であり、前世持ちだ。 俺は幼馴染のアラン・メロヴィングに惚れ込み、恋人でもないのにアランは俺の嫁だと言ってまわるというはずかしい事をし、最終的にアランと恋に落ちた王太子によって、アランに付きまとっていた俺は処刑された。 処刑の直前、俺は前世を思い出した。日本という国の一般サラリーマンだった頃を。そして、ここは前世有名だったBLゲームの世界と一致する事を。 こんな時に思い出しても遅せぇわ!と思い、どうかもう一度やり直せたら、貴族なんだから可愛い嫁さんと裕福にのんびり暮らしたい…! そう思った俺の願いは届いたのだ。 5歳の時の俺に戻ってきた…! 今度は絶対関わらない!

ただ、愛しただけ…

きりか
恋愛
愛していただけ…。あの方のお傍に居たい…あの方の視界に入れたら…。三度の生を生きても、あの方のお傍に居られなかった。 そして、四度目の生では、やっと…。 なろう様でも公開しております。

処理中です...