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第一話・ハンターギルドのひみつ
しおりを挟む「奴隷オークション、ですか?」
マリンは、コーヒーカップをフーフーと吹いて冷ましながら、怪訝そうに訊きかえした。
ここフェクダ王国の首都・ガンマにあるハンターギルドの三番カウンター。マリンは三番担当の受付嬢だ。
明るい藍色のマッシュウルフカットで、後頭部ではバレッタで髪を少しまとめている。少々吊り目がちで切れ長の蠱惑的な光彩を放つ瞳は、深海を思わせる藍色だ。
とは言っても、普段その瞳は丸い厚底レンズの大きな眼鏡で隠秘されており、普段は素顔を晒すことは少ない。
その凛としてシャープな容貌は『一八〇センチとちょっと』と自称する高身長も手伝い、その麗人っぷりはなかなかの迫力である。
左耳に小さなアクアマリンのピアスが二つ、右耳に一つ。右手小指にはリングのみのシンプルなピンキーリング……シンプルといってもリング部分がすべてアクアマリンでできているため、指の地肌がうっすらと透けて見える。
それはまるで、海洋性哺乳類が口から放つバブルリングを彷彿とさせる趣きだ。
――アクアマリン・ルベライト、二十一歳。自他ともに認める愛称はマリンだ。かつてこの国で女性ながらハンター稼業を務めていた女丈夫で、ハンターギルドでの認定ランクはSS。
これはフェクダ王国のみならず、大陸全体を見回してもたった二人しかいない。
今は『事情』があってハンターギルドでの受付嬢を生業としており、ハンター業はここ五年ほどは開店休業状態になっていた。ただそれでもなお、フェクダ王国最強ハンターとの名聞は揺るがない。
ハンターとしてのジョブは、『錬金術師』としてギルドに登録されている。魔力によって錬成した武具を顕現させて、それを身にまとって戦うのが彼女のスタイルであるためだ。
顕現させる武具の種類は多岐にわたるので『剣士』などの特定した呼び名に絞るのが難しく、適切な呼称が見当たらなかったので『錬金術師』とした経緯があった。
そのマリンの隣の二番カウンターにいるのは、同じく受付嬢のモルガナ。本人はアラサーと自称しているが、本当の年齢はマリンも知らない。
マリンとは違うタイプの美人で、『妖艶』という表現がよく似合う。
職場の同僚としては受付嬢に転職した五年前からの付き合いだが、十二歳でハンターデビューしてからの四年間も含めれば、もう十年近い付き合いである。ハンター登録時のギルドカードを作ってくれたのは、当時新人の受付嬢だったモルガナだった。
当時は脳筋少女だったマリン(今も大して変わってないが)に姉のように優しく、そして母のように厳しく教育してくれた。大好きで、大事な先輩だ。
そのモルガナともども客足が途絶え暇をしていたので、コーヒーを飲みながら他愛のないおしゃべりをして時間をつぶす。
ハンターギルドの目と鼻の先にある『噴水の広場』で多数の隊商の荷馬車が仮設市場を設営しているのが、窓越しに確認できた。
マリンが『あれ、何ですかね?』と疑問を呈したのに対し、モルガナが『奴隷オークションらしいわよ』と返して冒頭の台詞である。
「明日一日だけの開催だって。まぁ私たち貧乏人には縁のない世界だけどね」
モルガナはそうおどけて笑うが、マリンは気もそぞろだ。
(奴隷オークション……ね)
不意に黙り込んだマリンを、モルガナが不思議そうに見つめる。
「マリン?」
マリンはその呼びかけには応じず、
(明日の休みは……)
背後の壁に貼ってある受付嬢のシフト表に目をやると。
「モルガナさんっ‼」
「はっ、はひぃ⁉」
不意に大声を出して立ち上がったマリンに驚いて、モルガナは椅子ごと後ろへ倒れかける。慌ててデスクをつかみ、それを阻止して。
「お願いです、明日のシフト代わってもらえませんか⁉」
喰い気味で迫るマリンの顔が、キスしてしまいそうな近距離に迫る。厚いビン底眼鏡をしているとはいえその美形な顔が迫ってくるのは、マリンが長身というのも手伝いなかなかの威圧感だ。
「えっ、えぇ……前日にいきなり言われても」
特に大切な用事があるわけじゃなかったが、明日は美容院へ行ってウインドウショッピングでもしようかと計画を立てていたので、モルガナは少し口ごもった。
「黒足袋亭のレッサーオーク麺おごります! お願いします!」
黒足袋亭──正式名称は『白兎の黒足袋亭』といい、ここハンターギルドと同じフロアで運営しているレストランだ。
ハンターギルドは南側に入口があり、フロアの中央がレストランの飲食スペースとなっている。厨房は北側に位置していてハンターギルドのカウンターは西側にあるせいか、レストラン内にギルドのカウンターがあるような構成となっていた。
レッサーオーク麺とは、贅沢な厚さにスライスしたレッサーオークの肉がふんだんに入った麺料理だ。レッサーオークはハンターがハンターギルドに持ち込んだのをその場で調理するので、鮮度は抜群である。
レア・ミディアム・ウェルダンと焼き方をオーダー時に選択することができ、特にほぼ生に近いレアは肉食のハンター(主に獣人)に人気を博していた。三千八百リーブラ(約三千円)となかなかのお値段なので、ギルドの受付嬢の生活レベルだと給料日ぐらいにしか手が出ない逸品。
なおレッサーオークはれっきとした魔獣であり、豚獣人とは別種である。人間と猿ほど違うといえばわかりやすいだろうか?
「レッサーオーク麺! オッケー、代わってあげる」
「モルガナさん、ありがとうございます!」
などとやっていると、二人の前に黒足袋亭のウエイトレスのパールがいそいそとやってきた。
「レッサー麺、オーダーですか?」
ハンターギルドとレストランはフロアが同じなので、ギルド職員はテイクアウトしてバックヤードで食べたり、受付嬢はハンターギルドのカウンターから直接注文してその場で飲食することもある。
どうやら二人の会話で、オーダーなのかどうか確認しにきたようだ。
「あ、ごめんパール姉さん! そうじゃないんだ」
申し訳なさそうにモルガナが詫び、マリンも両手を合わせて謝罪のジェスチャーをする。おしゃべりの声が、いつのまにか大きくなっていたようだ。
アラサーのモルガナに『姉さん』付けで呼ばれたパールだが、その外見はまだ十代にしか見えない。
「かしこまりました、お気になさらず!」
そう言って、パールはきびすを返す。ピンと立った片方の兎耳がピョコピョコ揺れている。パールは、兎獣人と呼ばれる亜人だ。
兎獣人特有の長い耳だが、右耳だけいつも中ほどで折れている。頭髪は白金ブロンドがストレートに伸びた少し長めのショートボブで、毛先は緩くウェーブしている。
深紅のルビー・レッドの瞳が特徴的だ。両耳と肘から手首にかけては頭髪と同じく純白、膝から足首までが黒色のフワフワの被毛で覆われている以外は、人間と外見に大きな違いはない。
『白兎の黒足袋亭』――レストランの屋号は、看板娘であるパールの容姿が由来となっていた。普段はウエイトレスと勘定のやり取りを主業務としていて、二人がカウンターからオーダーしたのかと確認にきたのだろう。
兎獣人は筋力のみならず、その聴力にも定評があった。
「パール姉さん、忙しそうね……」
モルガナが、少し心配そうにつぶやく。今はお昼時、レストランエリアは飲食の客でごった返していた。
「いつものことながら、ウエイトレス一人だけだと大変ですよね」
マリンも憂わし気に嘆息する。
「そういえばモルガナさん、パールさんて何歳なんじゃろ? 私がハンターデビューした十二歳だった当時から、もう今のパールさんじゃったというか」
マリンは業務中はもちろん上司や先輩に対しては敬語を使うことを心がけているが、港町であるここと違い山岳部の町の出身で少し言葉に訛りがある。それがときどき出てしまうのはご愛敬だ。
「私の家に、赤ちゃんだったころの私を抱いているパール姉さんの写真あるよ?」
モルガナは茶目っ気に笑いながら、赤ちゃんを抱くジェスチャーをする。
「ひえっ!」
マリンは心底驚いて、
「そんなもう『何十年』も前からなんd――失礼しました」
表現のチョイスをミスったようだ。ジト目のモルガナから、慌てて目をそらす。
「兎獣人だからね、人間とは寿命が違うよ。……あれ? 脚部が黒毛の兎獣人って……」
マリンは、言葉の続きを待つ。
あごに手をやり何やら考え込むモルガナであったが、
「ごめん、何でもない」
と言って軽く手をふってマリンを制し、
「まさかね……」
と小さく独り言ちながら、忙しそうに動きまわるパールを見つめる。マリンもつられるようにパールを見やりながら、
「ウエイトレス、新たに雇う余裕はありそうなんですけどね……」
心配そうにそう言って、再び視線をモルガナに戻す。
「お客はほとんどがハンターだからね。荒くれ者に酔っ払いの相手もしなきゃだし、並みの女の子には勤まらないよ」
「うーん、それもそうですねぇ。私たち受付嬢も、たまにガラの悪いハンターに」
マリンが何かを言いかけたときに、『ガシャーン!』と大きな破砕音が飲食エリアから響いてきた。
「なんだタココラ‼ 俺が臆病だというのか⁉」
「だからそう言ってるだろ? やんのかチキン野郎!」
二人の男の怒声が、フロア中に響き渡る。
背は低いが筋骨隆々なスキンヘッドのハンターと高身長でヒゲづらの痩せマッチョなハンターが、テーブルをはさんでにらみあっていた。テーブル横には、破砕した食器と料理が無残にもぶちまけられている。
「後悔すんなよ!」
そう言ってヒゲがロングソードを抜いてかまえると、スキンヘッドがフレイルの先端に鎖でつながれている鉄球を振り回す。
するどいトゲトゲがむき出しになっている鉄球が何度かテーブルに接触し、そのたびにテーブルが削られて木片が舞う。二人ともすっかり頭に血が上っているようで、周囲を見渡す余裕もなさそうだ。
その周囲は、少し距離をおいてゲスびたヤジを飛ばすだけで止めようとはせず、むしろどちらが勝つか賭けを始める者までいる始末だった。いくら首都ではあっても、ハンターギルドの治安が悪いのはいずこも同じだ。
モルガナはバンッと両手でカウンターを叩いて立ち上がると、
「お二人ともやめてください! ハンターギルド内での私闘は禁止です!」
と勇ましく叫ぶが、
「うるせぇ! すっこんでろ!」
「そーだそーだ! ネーチャン邪魔すんなって!」
野次馬たちが無責任に返してくるものの、当事者の二人の耳には届いていないようだ。
そうこうするうちに、本格的な喧嘩がはじまってしまった。テーブルや椅子の破片に食器や料理やらが乱雑に宙を舞い、さながら阿鼻叫喚の地獄絵図と化す。
「チッ!」
モルガナはサッとギルドの制服スカートをたくしあげると、太ももに巻いたナイフホルダーから片手で三本引き抜く。モルガナには、投げナイフのスキルがあった……のだが、
「ああんもうっ、野次馬どいて!」
野次馬が取り囲んでいるので、下手にナイフを投げるわけにはいかずモルガナは途方に暮れる。
「マリン、お願い!」
モルガナがすがるような表情で、マリンに嘆願する。
「かしこまりー!」
マリンはカウンターを直接飛びこえると喧嘩現場へと駆けながら、左手で後頭部の髪をまとめているバレッタを外す。解放されたマリンの藍色の髪が、左右に揺れる。
二本指ではさむように持っていたバレッタを軽く振ると、内側からミスリルの刃が回転しながら姿を見せた。カチリと音がして、柄の部分と刃が固定される。
マリンの主力武器の一つ、逆刃のカランビットだ。湾曲した三日月型のナイフのような見た目で、マリンのそれは通常とは逆に刃の部分が外側に付いている。
(ったく、世話のやける…っ‼)
だが、マリンより一足先にその喧嘩に割って入ったのは……。
「いいかげんにしてください!」
小脇にお盆をかかえて勇ましく怒鳴るウエイトレス姿は――兎獣人のパールだ。
「お二人とも、ちゃんと弁償していただきますよ⁉」
パールは憤懣やるかたないといった表情で二人を見るが、
「邪魔だ! どけっ!」
そう言って、スキンヘッドがフレイルの鉄球を遠心力を効かせて思いっきりパールの頭頂部に振りおろす。
「キャッ!」
モルガナは思わず両手で顔を覆った。
筋骨隆々な男にあんなもので頭を直撃されたら、スイカのように木っ端みじんになってしまう。そんなことをすれば殺人罪で逮捕されるのに、その判断すらもできないほど興奮しているのだろう。
(いけんねっ……!)
マリンはとっさに野次馬の一番外にいた男の服をつかんで無理やり放り投げるようにどかすと、
(見えた!)
わずかだが、野次馬たちの隙間からスキンヘッドが見えた。
素早く、カランビットを投てきすべく構えて――だが次の瞬間、パールは素早く腰を落とし体躯を半回転させて水面蹴りをスキンヘッドの足首へ叩きこんでいた。勢いと自重もあるだろうがパール自身の脚力によるところが大きいだろう、スキンヘッドの足首がありえない角度でひん曲がる。
「グワアアアアッ⁉」
スキンヘッドが、断末魔の悲鳴をあげながらのたうち回った。苦悶の表情を浮かべ悶えるスキンヘッドを後目に、今度はヒゲに向き合うパール。
「お・きゃ・く・さ・ま? 私が相手になりましょうか? 『手加減』はちゃんとしてさしあげますよ?」
不敵な笑みを浮かべて『手加減』のところを強調して嘲笑うパールに、ヒゲは逆上のあまり湯気でも出そうな憤怒の表情だ。
「ふざけるなクソ兎が! 死ねぇっ!」
今度はヒゲのロングソードがパールの左方から首を薙ぎ払うかのように襲いかかるが、パールは無表情のまま特に慌てる様子も無く――右手の指二本だけで斬撃を止めてみせる。そしてそのまま刀身に渾身の左肘を叩きこむと、ロングソードはあっけなくパキッと折れてしまった。
「なっ⁉ え? えっ⁉」
ヒゲが、信じられないものを見たという驚愕の表情で激しく動揺する。
「ったくもう! わかっているんですか? コレって殺人未遂ですよ?」
そう言い放つパールの目は笑っていない。むしろヒゲを射抜くような、冷徹な真紅の視線を向けていた。
「う、うるさい! うるさいぞ!」
動揺しすぎてすっかり冷静さを失ったヒゲが、折れた剣を捨てて両手を広げパールに襲いかかる。
パールはタンッと身軽にジャンプしてヒゲに飛び付くと、左腕でヒゲの右手をホールドすると同時に後頭部から右腕を回し首をロック。そのまま勢いよく自身の体躯を思いっきり後方に振る――プロレス技でいう、『飛び付き式DDT』だ。
パールはそれを狙ったわけじゃないだろうが、ヒゲは運が悪すぎた。スキンヘッドが落としたフレイルの、禍々しいトゲがたくさんついた鉄球部分に顔から突っ込んでいく。
「グギャアアアアッッッ!」
顔面からおびただしい鮮血を噴き上げながら、ヒゲは苦悶の表情を浮かべ七転八倒だ。たくさんの鋼鉄のトゲの塊に、自身の体重とパールの体重、くわえてパールの筋力による勢いで突っ込んだのである。
ズタズタになった顔面は、もはや見る影もなかった。そしてその凄惨な現場に、やじ馬たちの表情は凍りつく。
「痛え! 痛えよっ! ウガアアアッッ!」
スキンヘッドは折れた脚を両手で抱えながらなおのたうち回り、
「くぁwせdrftgyふじこ!?!?」
ヒゲは口周りも負傷しているのもあって言葉にならない。
「うるさいですねぇ」
パールは鬱陶しそうにそう言いながら立ち上がり、パンパンっとスカートについたホコリを軽く落とす。遅れてギルドの警備員たちがなだれ込み、二人を担架に乗せて運んでいく。
そして散っていく野次馬の中に、バレッタを装着しなおすマリンと目が合った。
パールは『ありがとね!』と小さく呟いてウインクしながらニッコリと笑ってみせる。マリンが助けに飛び出そうとしたのを理解したのだろう。
(パールさんて何者なんじゃろう……?)
スキンヘッドもヒゲも、このハンターギルドではAランクに登録されている凄腕のハンターだ。その二人を相手に、小柄な兎獣人が一瞬にして掃討してしまった。
SSランクのマリンほどじゃないにしても、少なくともSランクハンターレベルなのは確かだ。
ハンターギルドの各カウンターには、データが映し出されているモニターとキーボードで構成される魔導機械が設置されている。云わばパソコンのようなものだが、モニター・キーボードともに宙にホログラムで投影されるのだ。
この世界では魔石と呼ばれる魔力を含有した鉱石が有り、それをエネルギー源として動作する道具は総じて『魔導具』または『魔導機械』と呼ばれていた。
モルガナは騒動を遠目にチラ見しながら検索システムを起動。『種族』の欄に『兎獣人』、『ランク』に『Aランク以上』、『性別』に『女性』を指定、『活動状況』には『引退済み』とした。
(名前は……パール姉さんの名前じゃ登録してないだろうから空白でいいか……)
もしモルガナが知っている『あの人』ならば、パールの名前ではヒットしないと思ったからだ。『決定』をタップすると、モニターに数十人の名前がリストアップされていく。
しばらくモニターとにらめっこしていたが、視線がある『あの伝説の』クラン名で止まる。ちなみにクランとは活動をともにするハンターグループのことで、他国ではパーティと呼称されることもあった。
片手でコーヒーカップに口をつけながら再度『決定』をタップ。
[種族]兎獣人
[ランク]Sランク(主人カルセドニー男爵の逝去に伴う奴隷解放により、Aランクより無条件昇格/ドゥーベ暦1915年7月23日)
[活動状況]引退済み(ドゥーベ暦1915年7月23日)
[名前]プラティナ・カルセドニー
[生年月日]ドゥーベ暦1894年2月21日(128歳・2022年現在)
[性別]女性
[クラン名]戦場の狂乱獣
[種別]格闘士
[身分]一代男爵(ドゥーベ暦1915年7月24日より)
そして各種データの横には……思いっきり変顔をしたパールの写真があるもんだから、モルガナは思いっきりコーヒーを吹き出してしまう。
「ゲホッ……ゲホッ……これ公的なヤツなんだけど⁉ いいのかなぁ?」
とりあえず盛大に吹いたコーヒーを布巾で掃除しながら、
(パール姉さん、あのアル=ミラージの……そうだったんだ)
かつてモルガナの曽祖父・ベリルは、かつて勇名を馳せたSランクハンターだった。生前、よく手柄話を壊れたレコーダーのようにくり返し自慢してくるのが、幼心に鬱陶しかったのを覚えている。
とはいえ、国で一番のハンターというのは曽孫ながら胸が高かった。学校で自慢したのも一回や二回ではない。
なお、そのモルガナの自慢話を当時のクラスメートたちは鬱陶しく思っていたのを、モルガナは知るよしもなかったけれども。
ベリルの家に遊びに行ったとき、とっても甘いお菓子をいつもご馳走してくれた。幼いモルガナにとってはお菓子が目当てだったので、ベリルの自慢話を聴かされるのはその代償だと割り切っていたものだ。
「ベリルじいちゃん、すっごいねぇ!」
賞賛半分、生返事半分でそう言ってみせると、ベリルはいつもドヤ顔で得意げに胸を張っていたのを思い出す。
だが、『ある言葉』だけは、頑なに受け付けてくれなかった。
「この国で『一番』強かったんだよね!」
『一番』というワードにだけは、さすがのベリルもしょっとしょぼくれて否定する。
「いや……わしより強いのが一人だけおったよ。この王国でもその名声を轟かせたアル=ミラージというクランのリーダーでな。Aランクの兎獣人だったが、あいつだけは別格だった。何度か模擬試合を行ったことがあるが、一度も勝てなんだ」
そう言うときのベリルは、ちょっとだけ忌々しそうな表情になる。
幼いモルガナは首をかしげ、
「AランクってSランクより一つ下じゃないの?」
「ああ、そうなんだがね。あやつの身分は奴隷民での、奴隷民はAランクが最高位なんだな。もし奴隷民じゃなかったら、わしよりも早く……わしがSランクになったのは二十一歳のときじゃが、あやつは少なくとも十六歳のときにはSランクの強さだったのは間違いない」
「それって凄いの?」
「凄いも何も。当時わしがSランクになったのは、この王国では約二百年ぶりにして五人目という快挙らしいんだが。わしのが二歳年下だから、実質わしより七~八年前にもうSランクがおったことになる」
幼いモルガナにも、その意味を理解できた。
「後にも先にも、この国であやつより強いハンターは出てこないだろうよ」
ベリルとの思い出をリフレインしていると、隣の三番カウンターにマリンが戻ってきた。
(ベリルじいちゃん、そのとんでもないのが今隣にいるのよ)
そうモルガナは心の中でつぶやいて、苦笑いを浮かべる。マリンは十四歳でSランク、十六歳のときにSSランクに昇格しているのだ。
「間違いないわね。ベリルじいちゃんが言ってた『あやつ』ってパール姉さんなんだ……」
ふとモルガナは、モニターに映し出されたパールのデータにスクロールバーがあるのに気づくと、新しく淹れなおしたコーヒーに口を付けながらデータの続きをチェック……しようとして。
[備考]ガンマ市ハンターギルド・ギルドマスター就任(ドゥーベ暦1915年7月24日)。同日、『白兎の黒足袋亭』開業。
というデータが目に入り……口に入れたコーヒーが『ダバーッ!』と滝のように流れ出す。
「ギッ、ギルマス⁉」
こぼれたコーヒーを拭き取るのも忘れ、モルガナは二度三度とモニターを確認するが間違いなくそう記録されている。
「えぇっと、つまり……私たちの……上司、なの?」
モルガナが自分の上司の名前も姿も知らないのには理由があった。
大陸西端のドゥーベ市国からポラリス山脈を時計周りに迂回する形で北上するとメラク王国があり、メラクから東進したところにここフェクダ王国がある。
そのフェクダから南下してちょうど山脈をドゥーベ市国から半周したあたりに、メグレズ王国。そして東方向にアリオト王国、ミザール王国と続き大陸最東端はベネトナシュ王国。この七ヶ国で『カリスト帝国』を構成していた。
ドゥーベ市国は国でありながら帝国の首都も兼ねていて、カリスト女皇帝が直接統治している。そしてここフェクダは、皇帝の異父弟・アルカス国王が統治していた。
アルカス公一家は年間のほとんどをドゥーベ市国の王城で過ごすため、司法関連はドゥーベと組織形態を共有する形になっている。司法機関の指揮系統はドゥーベにあり運営も潤滑に回っていたので、ギルドマスター不在を普通に受け入れていたのだが。
(整理すると……パール姉さんはカルセドニー男爵の奴隷だったけど、男爵の逝去により奴隷解放。これまで奴隷民には制限されていたSランクへの昇格と同時に引退、ギルドマスターに就任、か)
それだけでも驚天動地なのに、
「男爵……」
パールが貴族だったことに二度びっくりだ。
「モルガナさん、どうしました?」
モニターを見ながら考え込んでいるモルガナを見て、マリンが怪訝そうに問う。
「あぁ、マリン。ちょっとコレ見て?」
そう言ってモニターを指さすモルガナ。
「? 何です?」
マリンはコーヒーカップを片手にモルガナの背後に立つと、モルガナと一緒にモニターを覗き込み……。
「へっ?」
驚きのあまり思わず左手に持ったコーヒーカップが傾き、モルガナの頭からぶち撒けてしまった。
「あちゃちゃちゃちゃっ! あっづぅ~い‼」
「はわわ! ごっ、ごめんなさい!」
モルガナがタオルで頭と服を拭いてる間、マリンはデスクにこぼれたコーヒーを布巾で拭き取る。そして改めて二人でモニターを直視し、
「パールさんがSランクハンター……なのも驚きだけどギルマスなん⁉ てか貴族、ああもぅっ! 情報量がぶちすごくて、わやくちゃじゃ!」
驚きのあまり、ついついなまりが出てしまったマリンだ。
モルガナは荒らされた現場の掃除をするパールをチラ見して、マリンに向き直った。
「私も今知ったばかりなのよ。ここハンターギルドの『ああいう客』を簡単にあしらう姿は何度か見たことあったけど、ここまで無双したのは初めてなのよね。私が見たのは、だけど」
「じゃっ、じゃあ今度からパールさんのことはなんて呼べばいいんでしょうか⁉ パール閣下?」
うろたえるマリンに、
「本名はプラティナ・カルセドニーだから……カルセドニー卿、いや女性だからデイム? ああんっ、お貴族様とはお付き合いないからわかんない。てかギルドマスターでもあるしで? ハンターギルド内だとギルマスになるのかな?」
箒を持って掃き掃除をしている後ろ姿のパールだが、耳がこちらを向いてピコピコと動いている。
パールは掃除の手を止めてちょっと困ったように笑ってため息をつくと、箒を持ったまま二人の元へいそいそとやってきた。
「……今までどおりでいいですよ?」
にこやかにそう言うパールだったが、モルガナもマリンも困惑を隠せない。
「そ、そうはお申されても! カルセドニー卿でいらっしゃられられるから」
両手をぶんぶん振りながら否定するモルガナ、慌てるあまり舌がまわらない。
「そそ、そうですそうです! カルセドニー閣下にはご機嫌麗しく……」
マリンにいたっては、眼球をぐるんぐるんと回してパニック状態だ。
そんな二人を見て、パールはプッと吹き出す。
「二人とも緊張しすぎですよ!」
困ったように笑うパールだったが、
「じゃあギルマス命令。これまでどおりに接してくださいな!」
とお願いする。困惑した表情で顔を見合わせる二人だったが、
「わかりました。でも私たちに敬語は…」
モルガナがそう言うのへ、
「クセなんです。お気になさらず! じゃあ掃除の続きがあるので、失礼しますね!」
そう言ってパールはきびすを返す。
「びっくりだね……」
パールの後ろ姿を見送りながら、
「ですねぇ。でも……」
少し言いよどむマリンに、
「でも?」
モルガナが訊き返す。マリンの表情は狼狽していたさっきまでとはまったく違い、愉しそうに笑みを浮かべている。
そして厚いびん底眼鏡に遮られていない横目、その鋭い藍色の眼光は獲物に照準を定めた猛禽のそれであった。
「いつの日か、パールさんと闘ってみたいもんじゃね……ふふ」
先輩のモルガナの前ではフェクダの標準語を使うように心がけてはいるが、ついつい訛りが出てしまった。愉悦の笑みを浮かべるマリンに、モルガナは思わずゾクッと寒気がするのを覚える。
(この戦闘狂には困ったものね)
ふと思い出すのは、自分がまだ若手(今も若いけれども)の受付嬢だったとき。
いつも全身を返り血に染めてギルドに帰ってきては、薄ら笑いを浮かべて『ただいま帰りました!』と報告してくれるハンターの少女――若き日(いや今も若いんだけど)のマリンの雄姿。ギルド中がその都度震え上がったのは、そう遠くない昔だったことを。
午後の休憩時間になり、マリンはテキパキとカウンターの上を片付ける。
隣の二番カウンターではモルガナがまだハンターと接客中だったので、無言で軽く会釈をして席を立つ。いそいそとバックヤードに下がると、従業員用控室に併設してあるシャワールームへ向かう。
ギルド職員用のユニフォームを脱いでは丁寧にたたみ……鍛え上げられた美しい体躯があらわになった。高身長なのもあって、なかなかの迫力だ。
バストはそんなに大きくはないものの、均整のとれたプロポーションは同僚たちも思わず見惚れてしまうほどである。
たたんだ服の上に眼鏡と社員証が入ったネックストラップを置いて、いざシャワーへ。
(どうせこのあと汚れよるけん、簡単でええよね)
素早くシャワーを済ませるとバスタオルで拭き取り、左太ももに小型の投げナイフが数本セットされているレッグホルダーをセット。服を着て上から防具を装着――といっても、バスト部分とヘソ下の腰周りに簡単な革製のアーマーがあるだけで、下に着ているのは普通のトップスとロングスカートである。
眼鏡とネックストラップ、小型のかわいい肩かけポーチを右肩にかけて私用のパンプスを履いて――これがマリンの、『もう一つの仕事』の正装だ。
紙が数枚あらかじめはさんであるクリップボードをポーチに入れると、壁にかかったスケジュールボードの『アクアマリン』の項目に『午後外勤』とマーカーで入力。帰社時間の項目には『直帰』と書き入れた。
「さて、行きますか!」
とカバンを右手で持ち、室外へ出ていく。
マリンは左利きなのでポーチも左手で取り出しやすいように、右肩からななめにかけてある。
従業員用の勝手口からフロアに出て、ハンターへのさまざまな依頼が書かれた用紙がピン留めされている掲示板前を横切る。
(あ、『アレ』持ってきとったかいね?)
ふと思い出してポーチに手入れ中をまさぐるのだが、視線をそちらに下げてしまったために依頼票を凝視していた少年の頭とマリンのあごがぶつかってしまった。
「イテッ!」
「ごめんなさい! お怪我はありませんか?」
マリンより少し背が低い緑髪の少年――十六、七歳くらいだろうか。その少年はどうやらハンターのようだ。あまり高級そうじゃないアーマーを着用していて、ロングソードを帯剣している。
「あっ、大丈夫です!」
自分より大きな女性を見て童顔のその少年は、少し腰が引け気味になっていた。
「すまんねぇ、急いじょったけん……ほいじゃあね」
マリンはそう言って、軽快にハンターギルドをあとにした。そのマリンの後ろ姿を見送りながら、少年はぼそりとつぶやく。
「大きい人だな……言葉がフェクダとちょっと違うような」
そして、
「しかし、すっごい眼鏡だ」
大きなお世話であった。
その少年――ヴァータイトは再び掲示板に目を戻すと、
「それにしてもどうなってるんだ⁉」
と唖然とした表情でつぶやく。
「これも……あれも……それも……‼」
幾通もの依頼票をかわるがわるに見比べて、怪訝そうな表情を浮かべる。
「よう、にーちゃん。どうした?」
ヴァータイトの背後から、かなり鍛えているであろう強そうな男性の中堅ハンターが声をかける。
「いや、ここのハンターギルドおかしくないっすか?」
そう言って、ヴァータイトは依頼板を指さす。
「……何がだ?」
何がおかしいのかわからないその中堅ハンターは、首をかしげる。
「だって、これらほとんど……特にダンジョンのモンスターとか! 丁寧に描かれた似顔絵に身長体重はもちろんのこと、素早さやら体力に攻撃力、防御力に抵抗力に知力に魔力に生命力! どんな攻撃してくるかとか、弱点はどこか、倒し方のレクチャーまで丁寧に書いてあって、まるでさっさと倒してくださいといわんばかりじゃないですか⁉」
「ヘンなこと言うにーちゃんだな、文字多いぞ。倒してほしいから依頼が来ているんじゃないのか?」
「それはそうなんですけど……」
自分がヘンなのだろうか? ヴァータイトはわけがわからなくなる。中堅ハンターは怪訝そうな視線をヴァータイトに投げかけていたが、
「にーちゃん、ひょっとしてこの国いやこの街のハンターギルドは初めてかい?」
「あ、はい。ヴァータイトと言います。先日ガンマに居を移したばかりです!」
「あー、そういうことかい。俺はタイガーアイっていうんだ、よろしくな!」
タイガーアイと名乗ったその中堅ハンターは、ヴァータイトと握手を交わしたあとに頭をポリポリ掻きながら、
「俺はここのハンターギルドしか知らないんだけどよ、ほかのハンターギルドではあまりここまで詳しくないらしいな?」
「そうなんです! 下手すると『正体不明の何かがいる』と一行しか書かれてない依頼もあるぐらいで」
「うへぇ……ここに慣れてる俺たちからしたらたまんねーな、そりゃ」
「いったい何なんです、ここのハンターギルドは⁉」
「何って言われてもなぁ」
タイガーアイは困ったように宙を仰ぐが、
「そこはホラ、にーちゃん……ヴァータイトだったけか。さっきぶつかったねーちゃんいただろう?」
「あぁ、はい。眼鏡をしていて背の高……眼鏡の人ですよね」
ヴァータイトは決して背が低いほうではないが、自分より背が高い女性というのに少し引け目を感じて言いよどむ。タイガーアイは気持ちがわかるのか、そんなヴァータイトに対して苦笑を隠せない。
「『闇より昏き深海の藍』って知ってっかい?」
「はい、それはもちろん。大陸中に二人しかいないというSSランクに昇格した伝説ハンターのいるクランですよね? 大陸中で知らない人はいないくらい有名です」
「あぁ。クランつーてもメンバーは一人だけ、俺らは親しみを込めてブルーって呼んでるがな。そのブルーが単身ダンジョンに乗り込んで、出没する魔獣の情報を事細かく収集してきてくれてるおかげで、俺らは万全の準備を整えて討伐に出向けるってわけさ!」
「そんなことが……あれ? それってブルーさんが強すぎてモンスターと全然勝負にならないってことじゃないですか? 何でその場で倒さないんでしょう」
ポカンとした表情になるタイガーアイだったが、すぐに気を取り戻す。
「そりゃお前、ギルドの受付嬢が片っ端から倒して帰ってきたら、俺らはおまんまの食い上げになるじゃねーか?」
「はい?」
「え?」
タイガーアイは少し申し訳なさそうな表情になると、
「ブルーがよ? 片っ端からモンスターを討伐して無双しまくるもんで、失職するハンターが続出したんだ。ここも閑古鳥が鳴きそうだったんだよ。ここはギルドマスターがいつもいねぇもんだから苦情が領主様の元に殺到してな」
そばを偶然とおりかかった某ウエイトレスが、小さなくしゃみをしつつ通りすぎる。
「そこで領主様のありがたーい『ご命令』で、ブルーはハンターを強制休業に追い込まれちまった。代わりにSSランクに昇格させるっていう条件でな」
そこまで言って少し申し訳なさそうな表情になるタイガーアイ、残りの酒を一気にのどに流し込む。
「まぁ休業してたら何ランクでも意味はねーんだが。当時、まだ十六歳だったかな? 俺も領主様に泣きついた口でよ、むしゃくしゃしてやったんだ。今は後悔している……」
「えっと⁉」
「知ってのとおり、SSランクなんてものは公式にランクとして設定されてねぇ。上限はSランクだからな。まぁ名誉ランク的なもんだな。だが、Sランクがたばになってかかっても勝てるわけがねぇ実力だったから、もし正式にランクとして存在してたら、やっぱりSSランクに昇格してたと思うぜ?」
「はぁ……」
あまりにもスケールの大きい話で、ヴァータイトはピンとこない。
そして、しばしの静寂。
「――あのっ、さっき『受付嬢』って言いました?」
「あぁ、言ったな?」
ヴァータイトのあごが、驚愕のあまりストーンと地面に落ちる。
「おっ、女の人だったんですか⁉」
「何だ、知らなかったのかよ? ……てかおい、あご落ちたぞ」
ヴァータイトは慌ててあごを拾い上げ(?)、
「てっきり、ミノタウロスやサイクロプスみたいなバケモノ……みたいな人かと思ってました」
タイガーアイは慌てて周囲を見回してブルーがいないのを確認すると、
「このバカタレが!」
とヴァータイトの脳天にゲンコツを振り下ろした。ヴァータイトはでっかいタンコブを抑えながら、苦悶の表情でうずくまる。
「もっ、もし今のを聴かれてたら殺されっぞお前! 言ったのはヴァータイト、お前だからな! 俺は言ってないぞ! じゃな!」
タイガーアイは再度周囲を確認してブルーに聴かれていないのを確認すると、慌てて立ち去っていった。
「何なんだよもう、いってぇなぁ……」
ふと、さきほどぶつかった女性が首から下げていたネックストラップを思い出す。今思うと、あれはハンターギルドの社員証だ。そして、タイガーアイの『さっきぶつかったねーちゃんいただろう?』という言葉、そして『受付嬢』というワードが脳内をリフレインする。
「うそーん……」
慌ててハンターギルドの出入り口を振り返るが、マリンの姿はもうそこにはなかった。
『それ』は、あまりにも『異様な光景』だった。
天然のダンジョン、洞窟の岩壁がむき出しで薄暗い。その中で、『ガルルルル……』という不穏なうなり声が反響して響く。
くすんだ灰色の体毛に覆われた、体長五メートルはあろうかと思われる巨大なキングトロール。ギラつく赤い目に、口からは鋭利に尖った大きな牙が飛び出している。
荒い息をしながら涎を口角から垂れ流し、これまた人間の大きさぐらいのこん棒を片手に持って、目の前にいる人間対して臨戦態勢をとっていた。
そのキングトロールの前に立ちはだかるのは、人間の女性にしては高身長の簡素なアーマーを身にまとっただけのスカート姿の眼鏡の女性。足元にいたってはパンプスだ。
武器は所持しておらず、右手でクリップボードを持ち左手にはペンが握られていた。
「はじめましてですね、キングトロールさん♡」
その女性――マリンはにっこりと微笑むと、クリップボードの『新規』にマルを付ける。
「会話はできますか?」
可愛く首をかしげてマリンは問うが、返ってくるのは気味の悪いうなり声だけだ。
「ふむ……」
おもむろに『会話』の欄、『不可』にチェックを入れる――次の瞬間、キングトロールがこん棒を振り上げて襲いかかってきた。それが確実にマリンの頭蓋を砕いた……かと思えた瞬間には、いつの間にかキングトロールの背後にマリンは回り込んでいる。
「せっかちですねぇ……言っておきますが私、すごく強いですよ?」
そこからは、キングトロールが攻撃してはマリンが巧みに返す流れが延々と続いた。
キングトロールは何十何百とこん棒で攻撃をしかけてくるのに、マリンはクリップボードとペンで両手が塞がったまま軽快にヒョイヒョイとかわしていく。
「ほーい!」
「ふふふん♪」
「ぬーん!」
「ホイ、ホイッと」
まるで小馬鹿にするようなコミカルなかけ声でキングトロールのこん棒をかわしながら、
「ふむふむ、『攻撃力』は『Aクラス』ですね」
そう言ってクリップボードにペンを走らせ、
「『敏捷性』はちょっとイマイチなので、『Cランク』かもです?」
とつぶやいてはペンを走らせる。
「『知力』と『魔力』はほとんどないので、ランクは付けられないです」
少し引き気味の視線を寄こしながら、面白くもなさそうに言葉を紡ぐ。
「じゃあ次は『体力』と『気力』を視ますね」
そう言ってマリンは、左手に持ったペンをクリップボードに留めようとする。
好機到来とばかりに、マリンの脚を薙ぎ払うかのようにサイドからこん棒を振ってきたキングトロールだったが、次の瞬間にマリンはその場で大きくジャンプしてかわしてみせた。そのまま中空で後ろ方向にのけぞるように一回転して、キングトロールが空振ったこん棒の上にストンと着地。
そのアクロバティックで予想もできないトリッキーな動きにキングトロールは虚をつかれ、こん棒ごとマリンを持ったまま呆然としている。
マリンは再びこん棒の上から後方宙がえりをしながらジャンプして少し後方に着地すると、クリップボードをポーチにしまい、続いて眼鏡を取った。
――禍々しい藍色の殺気を帯びた切れ長の瞳が、洞窟入り口からわずかに差し込む光を反射して妖しくキラリと光る。
マリンは静かにゆっくりと空いた両手を小さく広げながら、
「『構築』」
何の抑揚もなくそう口ずさむと、無数の金色の光の粒がマリンの手のひらを覆う。その光量で、うす暗い洞窟内がまばゆい輝きで満たされた。
光はすぐに治まり、マリンの両手には禍々しい青紫色の太い鞭がいつのまにか握られていて。
マリンは静かに両手の二本の鞭を足元に置くと、その先端をすばやく引き寄せる。
先端から五〇センチのあたりを二本まとめて右手で持ち替えて、左手でポーチから小さなガラス瓶を取り出した。親指だけで瓶の蓋を飛ばすと、中に入っていた粉末を二本の鞭の先端にまんべんなく振りかけていく。
「この粉、何かご存じ?」
自分の倍以上も大きい魔物を前にして臆することなく淡々と語るマリンに、キングトロールは戸惑いを隠せない。
「カーコック地方名産の大陸最凶最悪と云われる唐辛子、『女郎鬼』のパウダーに『ビンカンダケ』の胞子やらを私独自のレシピでブレンドしたものですの」
マリンは得意げにドヤ顔で、頬を何故か赤く染めてホクホクしている。
「あぁ、『ビンカンダケ』ってのはキノコの一種でして。粘膜に付着すると痛覚が最低でも十倍はマシマシになる凶悪な香辛料で、この国では所持は合法なんですが使用は違法とされているんですよね」
そう言って二本の先端を足元に落とすと、再び元の柄に持ち替えた。
「この鞭にはもう一つ秘密があるんですが……それは追々教えますね?」
しびれを切らせたキングトロールが再度こん棒を振り上げて襲いかかってくるのと、マリンが駆け出すのが同時だった。
『グルルルルアアアアアッッ!』
「ヒャッハーッ!」
雄たけびをあげながら突進していくマリナの藍色の瞳は、ギラリと禍々しく『狂気』の光を帯びている。左側の口角がいやらしくクイッと上がり『ニチャァ』と妖艶に嗤うその表情は、ウットリとして瞳の焦点が定まっていない。
もはやマリンは、トリップ状態にあった。キングトロールが渾身の力で振り下ろしたこん棒を紙一重でかわして駆けぬくと、振り向きざまに両手の鞭を俊敏にしならせる。
――『ビュンッ』という空気が鳴動する風切り音が聴こえた次の瞬間だった。
『グエッ⁉ グエエエエェッッ‼』
キングトロールの断末魔の悲鳴が、洞窟内をこだまして響き渡る。地面に倒れて七転八倒の嗚咽を漏らすソレを、マリンは嗤いをこらえられないといった表情で見下ろしていた。
鞭をキングトロールの体躯に軽く巻き付けているだけなのに、先端が接着したように貼りついたまま離れない。マリンは鞭を軽く持っているだけなので、特に何かをしている様子もない。
「ふふ……あの鞭の先端は釣り針のような小さな『返し』が無数に付いてますので、簡単には抜けないようにできてるんですよ。くわえて『女郎鬼』パウダーと『ビンカンダケ』の胞子を塗布してありますからね、すごくすっごーく痛いですよね?」
マリンは見慈悲の笑みを見せてそう言うと、渾身の力を込め――。
「そぉいっ!」
かけ声と同時に鞭を全力で引き寄せ抜く。キングトロールの体躯から、鞭が『バリバリ』と皮膚と筋肉を引き裂く音と同時に離れた。
『……ッ⁉ アグッ……グゥ……!?!?』
キングトロールの体躯から、螺旋状に大量の鮮血がほとばしる。まるで血液のカーテンというかオーロラというか。
――キングトロールは倒れたまま弱々しい声でうめくだけで、もう抵抗する気力もなさそうである。それを目視で確かめたマリンは、
「『分解』」」
と唱える。両手に握られていた鞭が、光の粒となって分解されて消えていき、やがてその全容が完全に消失した。
そしてポーチから眼鏡を取り出して着用。続いてクリップボードを取り出すと、
「『体力』はBクラス、『気力』はCクラスですかねぇ」
とつぶやきながらペンを走らせる。書き終えてペンをクリップボードに留めたあとに、
「ランク計算しますので、少々お待ちくださいね?」
とグロッギー気味のキングトロールにいうと、思案顔で何やら指折り数えたりなんかしつつ。
「おめでとうございます! 審査の結果、この度あなたをBランクモンスターに認定します!」
そう言いながら、ポーチから薬瓶を取り出す。
「今回は『討伐』が目的じゃないので、ご安心くださいな。これ、治癒薬ですのでお早めに飲んでくださいね。直接患部にかけたほうが治りが早いんですけど、今回は傷が大きいのでこれだけじゃ足りないんです」
そう言って、倒れたまま苦しそうに呻いているキングトロールの前に薬瓶をおく。
きびすを返してその場をあとにしようとして、
「ほうじゃ、忘れちょった!」
マリナの足がピタッと止まる。てくてくと倒れているキングトロールの顔の前に移動してしゃがみこむと、ポーチから数本の色鉛筆をまとめて取り出した。
「今スケッチしてますので、じっとしててください」
左手一本で起用に持ち替えながら、キングトロールの全体像をすばやく模写していく。
「そうそう、あなたの『名称』ですけど『キングトロール』だけだとほかにいた場合にややこしいので……そうですね、『キントロ親父(仮)』としておきますけどいいでしょうか?」
どこに親父要素があったのか。マリンはネーミングセンスが皆無であった。
模写を終えて立ち上がり、クリップボードにペンを留めてポーチにしまう。
「さて、そろそろおいとましますか……もし『名称』がご不満でしたら、ガンマのハンターギルドに七営業日以内に来ていただけますか? 連絡がない場合、『(仮)』が取れて正式名称になるので、忘れないでくださいね」
キントロ親父(仮)のデータ収集を終え、足早に洞窟の出口へ急ぐマリン。
こうしてマリンが持ち帰ったデータは、ハンターギルドの依頼票に『攻略方法』として記載されるのだ。誰が言ったか『カンニングギルド』、今日もマリンはダンジョンを駆け巡っている。
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