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第八話『Age.10をもういちど』
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「ダスラ、またお嬢様のところへ行くの」
「はい、仕事ですから」
私は気鬱を隠せずに、足早にナーサティヤ・ラーセン公爵令嬢のお部屋に向かう。
「失礼します」
お嬢様の部屋にノックして入ると、さっそくティーカップが飛んできた。私は素早く、二本の指でそれを巧みにつかみ取ってみせる。ただ中身が入っていたようで、それが私のエプロンを紅茶色に染めた。
私にカップをぶつけることに失敗したのが気にくわないのだろう、お嬢様はイラ立ちを隠せないでいる。
「ダスラ、お茶がぬるいわ! 取り換えてちょうだい!」
「お嬢様がお淹れになったお茶でしょう? ご自分で淹れ直しては?」
「なっ⁉」
うーん。こうして他者の視線で見ると、『昔の私』はかなりの愚物だったのだと思い知らされる。
二十三年前のあの日、私の首は確かに断頭台から転げ落ちたのだ。首を斬られてほんの数秒だったか、目の前の世界が回転する景色を私は確かに見た。
そしてナーサティヤとしての短い生を終えて、気づいたら――。
「ダスラ、私は命令しているの!」
人が追憶にひたってんのに、邪魔しないでくれませんかね。
「命令より先に私に言わなければいけないコト、ありますよね?」
「え?」
私はつかつかとお嬢様に歩みよると、女性としてはわりと長い手指を広げる。そしてお嬢様の顔面をガッとつかみ、渾身の力で握りつぶす。
「いだだだだだだっ‼」
「人に中身入りのカップを投げつけといて、『ごめんなさい』はしないのですか?」
そしてそのまま、吊るし上げるように腕を上方に持って行く。お嬢様は椅子に座ったままだったんだけど、強引に立たせられてさらにはつま先立ちになる。
「はっ、放しなさい! ダスラ! 不敬よ不敬……いだだだだっ!」
「ごめんなさいは?」
「うぐぅ……ご、ごめんなさいダスラ」
「はい、よろしい」
お嬢様から思い通りの言葉を引き出せて、私は手を離してやった。お嬢様は面白くなさそうな表情で、左右のこめかみをさすりながらこちらを狂犬のようににらむ。
これが十歳がする顔かな?
「お茶、お淹れしますね」
私は地団駄を踏むお嬢様を尻目に、改めてお茶を淹れ直す。後ろからお嬢様がゲシゲシと私のお尻を蹴ってくるのが鬱陶しいが、ここはあえて堪えてみた。
私のダスラがそうだったように、私もまた身体を鍛えているのだ。十歳のバカガキの蹴りぐらいでは、びくともしない体幹を誇る。
「むぅっ……」
「入りましたよ」
私はそう言ってティーカップをテーブルの上に乗せるのだけども。
「私に言わなければいけないこと、ありますよね?」
「こ、今度はなによっ⁉」
「熱いお湯を扱っている最中の人のお尻を、ガシガシと蹴ってらっしゃいました」
「うっ……」
私は無言で、再度お嬢様の顔面の前で手のひらをかざす。
「わわわわ、待って待って! ごめんなさい、ごめんなさいダスラ!」
「よろしい」
私を舐めんな、前のダスラとは違うのだ。
(だけどガス抜きも必要だよねぇ)
その大事さは、ほかならぬ自分がよくわかっている。
「お嬢様! お願いがあります」
「今度はなんなの⁉」
いや、お願いつーたんですけど。ちょっとやり過ぎたかな?
「お嬢様のこと、ナーシャ様って呼んでいいですか?」
「ひっ……え?」
また私になにかされると思ったのだろう、ビクッとして身を引きかけてなさる。うーん、ごめんね。
「ナーシャって、呼びたいの?」
「はい」
前のダスラが私のときにこれお願いしてきたの、いくつのときだったかな。
「い、いいわよ?」
私の質問の真意がわからなくて、それでも了承してくれるお嬢様。少しだけ嬉しそうなのが、なんか可愛いかもしれない。
だってね、私のときも嬉しかったんだ。
「そうだ!」
「ひぃっ! さっきからなんなのよ‼」
いや、なにもしてないでしょーが……いや、したか(てへぺろ)。
「鞭を買いに行きましょう」
「へっ?」
意味がわからないといった風でキョトンとしていたお嬢様だったけど、なにを勘違いしたのかどんどん青ざめていく。
「わ、わわ、私を叱るために?」
いやいや、違いますってば。
「私を叱るためです」
「ダスラを?」
「はい。いくらお嬢様の……じゃなかった、ナーシャ様の教育のためとはいえ、脳天締めはやり過ぎだと思うんです」
「自覚あったのね……」
さーせん。
「だから私が今後もそういうことをしたとき、鞭でしばきたくないですか?」
「……それはそうね?」
私がダスラをしばくための鞭を買うことを思いついたのは、十一歳のときだった。それを私から言いだしたときのダスラのこの世の終わりを迎えたかのような表情は、何度思い出しても笑える。
「じゃあ善は急げ、ですね! 明日二人で街に出ましょう」
「善とは……」
いや、それまだ十歳の女の子が考えるようなことじゃないのでね。気楽にいきましょう、気楽に。
そして翌日、お嬢様に精一杯のおめかしをして。私はメイド服……ではなく、お嬢様にカラーを合わせたシンプルなドレスにした。
「メイド服以外のダスラ、初めて見たかも」
いやいや、あなたどれだけ私に興味がないんですか。休日のときぐらいは私服ですし、私の居室は邸内にあるんですけどね⁉
「こうしてると、姉妹みたいですよね」
「そ、そう?」
お嬢様は、まんざらでもないご様子。一人っ子だからね、本当は弟か妹がほしかったろう。
(いや違うな、私が欲しかったのは……)
十四歳のときだったかな、ダスラと二人で街にお忍びで領内視察に出たことがあった。お忍びだから身分を隠す必要があって、そのときに確か――。
「ナーシャ様が領主である公爵様の令嬢だとばれたら、下手に耳目を集めてしまって面倒くさいことになるかもしれません」
「そうなったら帰るわよ」
まぁ、そうですね。
「姉妹、ってことにしませんか?」
「姉妹?」
「そう、お出かけの間だけでも。私はナーシャ様をナーシャって呼び捨てにして、ナーシャ様は私をお姉ちゃんて呼ぶんです。いかがでしょうか」
「それいい!」
両手をポンと叩いて、瞳をキラキラさせながらお嬢様が賛同する。そう、私はお姉ちゃんが欲しかったんだ……ダスラみたいな、さ。
ただお忍びの目的が私をしばく鞭を買いにいくのだという一点だけは、どう考えても奇異だがそれは私が言い出したことなので。
「ではナーシャ、行こうか?」
とノリノリで私は声をかけるのだけど、
「……まだ邸内よ?」
子どもか! いや、子どもだったわ。
「もうしわけありません」
まぁお嬢様のおっしゃることももっともなので、ここは素直に頭を下げる。明日からは、 これが鞭一発に変わるのだろう。
(どのくらい痛いんだろうか)
自分で言いだしといてなんだが、私は今から戦慄するのであった。
馬車は奴隷ギルドに。私はお嬢様の手を引いてカッカッカッと足早に歩く。
なんつーか、ちょっとお嬢様を引きずってる気がしないでもない。そして奴隷を御する鞭を売ってるコーナーに行くと、あの日ダスラがウンウン唸ってた商品が陳列されているテーブルへ一直線。
なんだっけ、確か――。
『こっちは、叩かれたような痛みで広範囲に痕が残る……こっちは刺されたような痛みでミミズ腫れになるのか』
なんて言いながら、どっちがマシかを真剣な表情で悩んでた。でもね、私は悩まないよ?
「これにしましょう‼」
あの日、ダスラが選んだ鞭を迷いもせずに手に取る。なんだか懐かしくて、マジ涙が出てきそうなんだけど。
「え? うん、はい?」
半ば私の思いつきで強引に連れてきたのもあって、お嬢様のノリは悪い……って思ってた時期が私にもありました。
「うーん、でも? こっちのがもっと痛いと思うのよね?」
そう言ってお嬢様が少し離れた陳列棚まで歩いて手にしたのは……。
「この先端に螺子がついてるものとトゲトゲがついてるの、どちらも素敵じゃない?」
「……その二択は、やめてもらえませんか」
なんてこった。わかっちゃいたけど、こいつもかつての私だったわ。
「死ね」
「は?」
「すいません、本音がもれました。ただ、その二つはやめていただきたいというか……」
「しょうがないわね?」
困ったように、嘲るように笑うお嬢様。思うに、前のダスラの反応からするとダスラ専用鞭ってのは『私の代』から始まったのだと推測する。
ただ、ただね?
(私のダスラも乱暴だったけど、今の私ほど毒舌じゃなかった。そしてそれを、お嬢様は咎めもせずに楽しんでらっしゃる)
確実に私は前のダスラとは違う道を、時の流れを歩んでいる。だからお嬢様が処刑される末期は、変えられるのかもしれない。
(でもなんで? なんで?)
なんで、ってそりゃ当たり前だろう。こいつもかつての私なのだ、私もまた……その禍々しい鞭の二択をダスラに強制して愉しんでたよね?
(歴史は変えられるのか、繰り返されるのか)
ダスラァ……今、あなたにものすごく相談したいよ。私、どうすればいい?
「ふふふ、これがダスラ専用の鞭なのね」
帰りの馬車の中、お嬢様のテンションは高い。その気持ち、すっげーよくわかるので複雑だ。
「はぁ……」
もう、ため息しかでない。自分から誘導しといてなんだけどさ。
「馬車が進みませんね?」
「そうね?」
なんでか知らないけど先ほどから馬車が進まないので、ふと口にする。進まないというか止まってる。
「申し訳ありません、この先で事故があったようなので……」
様子を見に行った御者が帰ってきて、ビクビクしながらそう報告してくれた。お嬢様がそれに対してどう暴発するのかが怖いのだろう。
「ふーん?」
だがお嬢様は、あまり興味がないご様子。ていうか興味を示してほしかった!
だって、だってね?
「じゃあ暇だし、この鞭の試し打ちをしてみましょうか」
「……かしこまりました」
私、なんも悪いことしてない……私、前のダスラにそこまで理不尽なことはしなかったよ?(多分) もう涙目で、そでをめくって上腕を差し出す。
「お手柔らかにお願いします」
そう声を振り絞るのだけどね?
さっきから気になってた。お嬢様が、チラチラとずっと窓の外を気にしてるのを。
「ナーシャ様?」
「あ……うん、鞭の試し打ちでしたわね」
で、まぁふつーに鞭の試し打ちで私の上腕は真っ赤に腫れ上がったわけですよ。ねぇ、ダスラ……あんた、こんなのよく受けてたね?
(っていうかマジごめん、ダスラ)
と前世十六歳で死んでダスラに転生して二十ウン年、初めて反省する私だ。だけどその後も、止まった馬車の中から窓の外をしきりに疑うお嬢様……どうしたんだろう?
「ねぇ、ダスラ?」
「なんでしょうか?」
「ここ、うちの直轄の孤児院よね?」
そう促されて私も窓の外を見やるのだけど。
(ここは……)
かつてダスラに、『高貴なる者の責任と義務』を諭されたときに訪れた孤児院。孤児たちに対する理不尽な虐待と、院長による支援金の横領を暴いたあの孤児院の真横で馬車は停まっていたのだ。
「まだ陽は高いのに、誰ひとり園庭に出ていないわ?」
怪訝そうに、眉をひそめてお嬢様がそうおっしゃる。
(私はダスラに教えてもらえるまでに、領内にはなんの興味も示せなかったのに)
あれは私がいつのときだった?
「十四歳のときだ……」
「え?」
「いえ、なんでも」
思わず声にしまったので、慌てて取り繕ってごまかす。
(あれは私が十四歳のとき……今のお嬢様はまだ十歳だ)
まだ早い、とも思う。言っちゃなんだが、そこらへんの十歳よりはお嬢様はまだ精神的に成熟してないつーか猿並みつーか。
(でも……)
前世で十四歳のとき、私もダスラもこの理不尽な不祥事に気づいていなかっただけ。すでにこのころから『それ』は常態化してたのだとしたら。
「まぁ孤児院ですからね、公爵令嬢であるお嬢様がお気になさることではないですよ」
挑発するでもなく、さほど興味を示さないようにぶっきらぼうに進言してみせた。ワガママ怪獣は天の邪鬼なのだ、だからあえて誘ってみた。
「本当にダスラは、役立たずで不細工で行き遅れなのね⁉」
ガチギレしたお嬢様が、鞭を片手に殺気立っていらっしゃる。いや、あえて試したとはいえ……そこまでおっしゃる⁉
「ではお嬢様は、こちらの孤児院の孤児たちが正当な扱いをされていないのではと疑ってるのですか?」
あまり先走って教えすぎると、カンニングになってしまう。というか、まだ十歳のお嬢様にこの『教材』は早いのじゃないかという危惧がある。
自分の感覚で気づいてもらうこと、これが大事だと思うから。
(いずれは教えるつもりだったけど)
そう、前のダスラがそうしてくれたように。
「調べるに越したことはないじゃない?」
「わがままをおっしゃらないでください」
私の職務的には、そう言うしかない。ないのだけど。
「わかった。じゃあ私だけ下ろしてちょうだい!」
そう言って、馬車の内扉の鍵をガチャガチャと手にかけるお嬢様。あぁもうっ、しょうがないな⁉
「私も参りますので、まずはおとなしくしろゴリラが」
やっべー、本音出た。
「私も参りますので、ここはおまかせください」
と言い直して、御者に耳打ち。扉を開けてもらう。
「では参りましょう、ナーシャ様」
「ゴリラ様の間違いじゃなくて?」
「⁉」
お嬢様の目が、笑ってらっしゃらない。おそらく今宵は、お嬢様の鞭が私の鮮血で真っ赤に染まるんだろうなぁ……。
お嬢様が活躍なさるせっかくの好機ってもあるし、前世で孤児院の待遇改善事業に粉骨砕身した身もあって、徹底的に調査をすることにした。とりあえずその日は、周囲の評判を聞きまわるだけに留めておく。
お嬢様はまだ十歳の御身だし、もうすぐ日が暮れる。急いては事を仕損じる。
「ダスラ、なんでよ!」
もう片手間に軽く訊きまわっただけの段階ですら、ほぼ黒いグレー。あの院長、とんでもない奴だなとは思ったが、まずは証拠固めが大事。
「そしてどこにも逃げられなくなった状態で、『追い込む』んです」
「だけどっ、こうしている間にも……」
気持ちはわかる。ていうかあなた、こんなにいい子だったのねなんて。
だけど公爵令嬢、領主の娘とはいえど十歳の少女と平民メイド。証拠はばっちり固めておかないとリスクも高いのだ。
「聞き分けのないゴリラですね? 気がすまないのなら私を好きなだけ鞭打っていいから、ここは落ち着いていただけませんか」
「……うん」
そう言うと、おとなしく……なってくれるわけがもちろんなくて。
「またゴリラって言った!」
「そうでしたか?」
これから始まる折檻が怖いのもあって、妙にハイテンションな私。どうせ打たれるのだから、一つ二つへらず口を追加したっていいだろう。
「では、お願いします」
そう言って私は、エプロンを外してメイド服のワンピを脱ぐ。上下の下着のみになった私の白い肌が顕わになる。
「な、なにしてるの⁉」
「なにとは。鞭打つのでしょう? 服の上からだと、服が破けてしまいます」
「あ、はい」
そういや私のダスラがそれを嫌って、でもいちいち下着姿になるのはイヤだからってダスラのメイド服だけ上下別にした経緯あったな。
(私もお願いしとこう)
そしてブラが落ちないように手で押さえ、背中のホックを外してお嬢様に背を向けて両膝をつく。
「どうぞ」
初めての鞭打ち、正直震えがくる。今世のダスラである私が自分で言いだしたことなのだけど、前世の私が言い出したことでもあるのだ。
(ダスラ、本当にごめん……)
反省はつきない。
「ど、どうぞって……」
お嬢様の、惑う声が背中から聴こえる。そっか、さすがに十歳の公爵令嬢だものね。
(人を鞭打つのは抵抗あるか)
と思った時期が私にもありました。
「そこは、『お願いします』じゃないの?」
悪魔かなんかか、あんたは。そしてギリギリと悔しさいっぱいで歯ぎしりしながら私、
「お、お願いします! ナーシャ様」
そう言ってギュッと目をつぶる。そして最初の一発が、私の背中に振り下ろされた。
「ぎゃあっ! 痛いっ……」
思わず前のめりにつっぷして、床におでこが落ちる。胸を抑えたままパンツ一丁で土下座したみたいになってる私、これでも元・公爵令嬢なのだが。
「ダスラ、早く背を起こして?」
「は、はひぃ……」
十歳でも悪魔は悪魔だったらしい。結局その晩は、都合十回鞭打たれて私は前のめりに悶絶して失神寸前。
(こんなに痛かったのか……)
知らなかったわけじゃないが、いや知らなかったわ。もう涙目、というか泣きながら絨毯の感触を頬で確かめてたら、背中にヒンヤリとする感触。
「‼」
ちょっと沁みるような感覚を覚えて、思わず上半身を起こそうとするのだけど。
「ダスラ、動かないで! 今、軟膏を塗ってるんだから」
「え?」
あれ? 『歴史的』に軟膏はダスラがお嬢様にプレゼントしたのが成り立ちだったはず。お嬢様から用意してくれた?
「あ、ありがとうございます……でもお嬢様が手ずからなさならくても、ほかの者に命じていただければ」
「私の周りにいるメイドって、ダスラしかいないんだもん」
ちょっと自虐的に笑いながら、そうお嬢様はおっしゃる。確かにそうかもしれないがそれでもこの屋敷のお嬢様なのだ、命令すれば誰も逆らえないのだけど。
「ダスラがこの姿、ほかのみんなに見られてもいいならそうするけど?」
私は別に構わなかったし、前世では自分でやっといてなんだが公爵令嬢が使用人に手ずからやっていいことじゃない。だけど……。
「いえ、ナーシャ様以外には塗ってもらいたくないです」
「え……」
いや、顔真っ赤にして照れないでください。こっちまで恥ずかしいじゃないですか。
でもこれは偽らざる本音だ。まず、お嬢様以外の人に手当してもらうと『鞭打っただけの令嬢』に成り下がってしまうだろう。
そして使用人たちの間でお嬢様の評判はさらにだだ下がりして、悪役令嬢街道まっしぐらだ。前のダスラが私を矯正するべく教育に尽力してくれたように、私もお嬢様にそうしたい。
でもこれは建前かもしれない。こうしてお嬢様に軟膏を塗ってもらっていると、ダスラに塗ってあげてたあの時間を思い出して心がポカポカするの。
(背中はヒリヒリとするんだけど)
そう思って、思わず吹き出してしまった。
「なにがおかしいのよ!」
「いや……鞭打った人に手当してもらうのって、なんかその」
「そういえばそうね?」
キョトンとしてそれに気づいたお嬢様も、一瞬の間を置いて吹き出した。
「そうだわ! 今後はいちいち全裸に剥くのもなんだから、背中を開けやすい制服にしましょう‼」
「え?」
はっきり言って酷いこと言われてるのだけど、いやいやそうじゃない。鞭打ち用に制服のリメイクを言い出したのは、私のときはダスラだった。
(なんかいろいろとこんがらがってる?)
前世でお嬢様が起こした言動を、現世でダスラが実行している。かと思うと逆に前世でのダスラの行動を、現世でのお嬢様が起こしてらっしゃるのだ。
「歴史は、変えられるのかもしれない……」
そこまで思い立ち、でも逆の可能性にもぶち当たる。それすなわち――片方が実際の言動をあえて起こすまいとした場合に、もう片方が代わりに実行するという『歴史の強制力』。
いや、変えなくちゃいけない。この鬱陶しいメビウスの環を断ち切らないと、お嬢様が次代のダスラになってしまうのだ。
「ダスラ、なにか言った?」
「かの孤児院のことなんですけど」
「うん」
このお嬢様も、前世の私と同じくご両親との関係はよろしくない。ダスラは自分が母代わり姉代わりになってくれたが、私は別のアプローチをしてみようか。
「旦那様に手を借りては?」
「パパに?」
「そうです。もちろん、すべてを丸投げするわけじゃなくて。やれるとこまで頑張ってみて、子どもの力だけでどうにもならない部分は助力を乞うてみては」
「……」
まぁ悩むよね。あの人ら、ほんとお嬢様にあまり興味を示さないのだもの。
(どうするのが一番いいんだろう?)
私のときは、ダスラと二人で殴り込んでほぼ解決したけど『事後処理』はどうしても領主にして公爵であるパパの力が必要だった。ダスラに説得されて、初めてパパに頭を下げて力になってもらえるようお願いしたの。
そして結果的にそれが、父娘関係の改善に繋がったのだ。だけどお嬢様は十四歳じゃなくて十歳だし、私も二十七歳じゃなくて二十三歳……まだ『あの二人』に比べて私たちは色々と足りない。
「仮に、あの孤児院の不正を暴いたとします。ですがあちらは口八丁手八丁で言い逃れをしてくるでしょうし、ナーシャ様に危害をくわえてでも抵抗したり逃亡をはかったりする可能性があります」
「……うん」
「また二人で現場を抑えても、その後に証拠を隠滅させられたら……私たちが『言いがかりをつけた』という状況をあちらが作り出すこともでできちゃうんですね」
「そ、それは……確かに」
もう一つ、修正したい歴史がある。ためしに、というか分岐点だったんじゃないかと思う出来事があったんだ。
「でも怖いわ」
「なにがですか?」
「だって……子どものやることじゃないとか、相手にされなかったら」
「……そのときは、おまかせください」
「どうするの?」
どうしよう?
「そうですね。旦那さまをぶん殴ってでも、ナーシャ様のお願いを叶えてもらいます」
「ダスラ、暴力はダメよ!」
「ナーシャ様が言う?」
つい今しがた、お嬢様にしばかれて軟膏塗ってもらってる現状ですよ? ブーメランはヤメロ。
「あ、それは……えへへ」
笑ってごまかすお嬢様、これはこれで可愛いけど憎たらしい。
「とりあえず現場にて証拠の軽い分析、そして押収。そして被疑者の確保と連行……この人手は必要です」
どこに証拠の書類を仕舞ってあって、なにが書かれているか私は知っている。ってもこれから四年後の世界の話だったから、それは絶対じゃないだろうけど。
(私のときは、ダスラが一人で院長や関係者をボコして縛り上げてたなぁ)
今の私にそれができるだろうかっていうと、身体を鍛えてるけども実戦経験がない。だからどうしても、孤軍奮闘はリスクが高くなる。
なにより、お嬢様を守らないといけない。
(そういやダスラって、レッグホルダーに暗器を隠し持ってたっけ)
ヒラリとスカートをめくってそれを手に取り、私を狙う刺客をことごとく投げナイフで討ち取っていた姿は本当に格好良かった。頬の返り血をぬぐいながら、
『ナーシャ様、大丈夫ですか?』
そう言ってニッコリと笑うの。私は今、ダスラみたいになりたいと心の底から思っている。
「では、善は急げです。まいりましょうか!」
「どこに⁉」
「旦那様の書斎です。本日は、先ほどご帰宅なさってますから」
「あ……」
私は手早くメイド服を着……うぅ、服が擦れて痛い。それでも我慢して着ると、お嬢様の手を引いて強引に部屋を出る。
「ちょ、ちょっと待ってダスラ、早い!」
あ、さーせん。でももう旦那様の書斎の前だ、ここは勢いが肝心だよね。
『コンコン!』
「ちょ、待っ……‼」
私は無言でノックをする。心の準備どころじゃないお嬢様は、軽くパニックになってらっしゃる模様。
「旦那さま、ダスラでございます。ナーシャ様をお連れしました」
「ナーサティヤを? ……入りたまえ」
部屋内から許可をいただけたので、私は扉を開ける。開いたのは父娘間の扉でもあってほしいな、なんてちょっとだけ思った。
「珍しいね、ナーサティヤが私を訪ねてくるなんて。まぁかけたまえ」
そう言って旦那様は、ローテーブル前のソファーを手で指ししめす。お嬢様は、なんだかちょっとムッとしてるな。
(あ、そうか)
その気持ち、すっごいよくわかった。わかったんだけど……まぁいいや、言っちゃえ!
「お言葉ですが旦那様、旦那様がナーシャ様を訪ねるのも滅多にないことですよね?」
一介の平民メイドが、公爵様に雇い主になんて暴言だろう。でも我慢できなかった、言わずにはいらなかった。
「ちょっと、ダスラ! 口がすぎるわ‼」
怒色満面でお嬢様が怒鳴るのだけど、私に対する怒りとかそういうんじゃなくてこれは……私が旦那様に罰せられたり、下手すると解雇になるのを懸念してのことだ。
(考えすぎかな?)
「すいませんでした。でも罰なら、ナーシャ様のお手でお願いいたします」
「へ?」
「え?」
ポカーンとした顔は、父娘そっくりだなおい!
「ダスラ、なにを言って……」
「まぁダスラの言うことももっともだ、不問にしよう。ところでナーサティヤ、私になんの用件だい?」
笑って許してくれたのはありがたいですけどね?
「娘が父親に会いにくるのに用件が必要なのですか⁉」
やべぇ私、ヘンなスイッチが入っちゃってるわ。
「ダスラ、いい加減になさい!」
さすがにこの怒りは、私に対してのものだ。ツカツカとお嬢様がソファー後ろで控えてる私のところまで歩み寄ってきたので、私もその場に両膝をついて両目を閉じる。
『パーン! パーン! パーン!』
旦那様の書斎に、破裂音が響き渡る。私の右頬を左頬を、お嬢様のもみじのような小さな手がなんどもフルスイングで蹂躙していく。
私のへらず口で最初はちょっとムッとした表情を見せた旦那さまだったけど、さすがに十発を超えたあたりで――。
「ナーサティヤ、もういい! 私は怒ってないからやめてあげなさい!」
そう言ってお嬢様を背後から羽交い絞めにする。
「ごめんなさいお父様、ダスラにはあとできつく叱っておきますから……お願いですから、ダスラを罰さないでください!」
羽交い絞めが解かれて、お嬢様が深く頭を下げて旦那様に哀願し始めた。私は、お嬢様が『他人のために自分が頭を下げる』という信じられない光景を目の当たりにして顔面が硬直してしまう。
そしてそれは旦那様も同じくで、私と目を見合わせてパチクリだ。
「わかった、ダスラの罰は君にまかそう」
「ありがとうございます、お父様!」
「いや……」
ふっと一瞬だけ、優しいパパの顔を旦那様が見せる。そしてお嬢様の頭に手を置くと、肩を抱いてソファーまで。
私は両頬をパンパンに腫らしたまま立ち上がり、なにごともなかったかのようにすまし顔だ。
「それでナーサティヤ、ただ会いに来てくれただけでもそれはそれで嬉しいよ」
そう言って私の顔をチラッと見るパパ……もとい旦那様。ちょっと私も意地悪を言いました、ごめんなさい。
気まずくていたたまれなくて、ついつい視線を逸らしてしまう。
「実はパパに、お願いがあってきたの」
「私に? ドレスかい? それともなにか欲しいものが……」
愛娘からのおねだりだと思ったのだろう。でもそれでも没交渉気味だった父娘だったのだ、旦那さまの表情もすこぶるほころぶ。
そもそもお嬢様は、欲しいものがあってもメイドたち(ここ近年は私のみ)を通じてというのがルーティンだった。だからお嬢様が、自らの口でおねだりなさるのが嬉しかったのかもしれない。
「そうじゃなくて、力を貸してほしいのです」
「え?」
不審そうに、私のほうへ顔を向ける旦那様。ふむ、ここは私の出番ですね?
「実は本日、ナーシャ様がご領内にて不正が行われているであろう現場を目撃しまして。今はまだ見聞きした情報でしかないのですが、詳しく調べてみる必要があるとナーシャ様がおっしゃるのです」
嘘は言ってない。そう考えるように誘導はしたかもしれないけど。
なにより、孤児院の園庭の様子から最初に違和感を感じたのは私じゃなくてお嬢様だった。
「本来ならば旦那さまにご報告申し上げてそれで済ませるべきだとは思うのですが、ナーシャ様はどなたかに似て直情型なところがありますからね。ご自分の手で成敗なさりたいようです」
「ちょっ……ダスラあなた、また!」
ティグリス・ラーセン――この王国きっての武闘派公爵で、曲がったことが大嫌いな硬骨漢だ。こうと決めたら真っすぐに、道を逸れない重戦車タイプ。
そこらへんお嬢様に、そして前世の私に大変よく似ていらっしゃるものだからつい(てへ)。だけど、私の口の悪さは不問にしていただけたようで。
「いいだろうナーサティヤ、詳しく話してみたまえ」
旦那さまがニヤッと口角を上げて、不敵に微笑んでみせた。
「はい、仕事ですから」
私は気鬱を隠せずに、足早にナーサティヤ・ラーセン公爵令嬢のお部屋に向かう。
「失礼します」
お嬢様の部屋にノックして入ると、さっそくティーカップが飛んできた。私は素早く、二本の指でそれを巧みにつかみ取ってみせる。ただ中身が入っていたようで、それが私のエプロンを紅茶色に染めた。
私にカップをぶつけることに失敗したのが気にくわないのだろう、お嬢様はイラ立ちを隠せないでいる。
「ダスラ、お茶がぬるいわ! 取り換えてちょうだい!」
「お嬢様がお淹れになったお茶でしょう? ご自分で淹れ直しては?」
「なっ⁉」
うーん。こうして他者の視線で見ると、『昔の私』はかなりの愚物だったのだと思い知らされる。
二十三年前のあの日、私の首は確かに断頭台から転げ落ちたのだ。首を斬られてほんの数秒だったか、目の前の世界が回転する景色を私は確かに見た。
そしてナーサティヤとしての短い生を終えて、気づいたら――。
「ダスラ、私は命令しているの!」
人が追憶にひたってんのに、邪魔しないでくれませんかね。
「命令より先に私に言わなければいけないコト、ありますよね?」
「え?」
私はつかつかとお嬢様に歩みよると、女性としてはわりと長い手指を広げる。そしてお嬢様の顔面をガッとつかみ、渾身の力で握りつぶす。
「いだだだだだだっ‼」
「人に中身入りのカップを投げつけといて、『ごめんなさい』はしないのですか?」
そしてそのまま、吊るし上げるように腕を上方に持って行く。お嬢様は椅子に座ったままだったんだけど、強引に立たせられてさらにはつま先立ちになる。
「はっ、放しなさい! ダスラ! 不敬よ不敬……いだだだだっ!」
「ごめんなさいは?」
「うぐぅ……ご、ごめんなさいダスラ」
「はい、よろしい」
お嬢様から思い通りの言葉を引き出せて、私は手を離してやった。お嬢様は面白くなさそうな表情で、左右のこめかみをさすりながらこちらを狂犬のようににらむ。
これが十歳がする顔かな?
「お茶、お淹れしますね」
私は地団駄を踏むお嬢様を尻目に、改めてお茶を淹れ直す。後ろからお嬢様がゲシゲシと私のお尻を蹴ってくるのが鬱陶しいが、ここはあえて堪えてみた。
私のダスラがそうだったように、私もまた身体を鍛えているのだ。十歳のバカガキの蹴りぐらいでは、びくともしない体幹を誇る。
「むぅっ……」
「入りましたよ」
私はそう言ってティーカップをテーブルの上に乗せるのだけども。
「私に言わなければいけないこと、ありますよね?」
「こ、今度はなによっ⁉」
「熱いお湯を扱っている最中の人のお尻を、ガシガシと蹴ってらっしゃいました」
「うっ……」
私は無言で、再度お嬢様の顔面の前で手のひらをかざす。
「わわわわ、待って待って! ごめんなさい、ごめんなさいダスラ!」
「よろしい」
私を舐めんな、前のダスラとは違うのだ。
(だけどガス抜きも必要だよねぇ)
その大事さは、ほかならぬ自分がよくわかっている。
「お嬢様! お願いがあります」
「今度はなんなの⁉」
いや、お願いつーたんですけど。ちょっとやり過ぎたかな?
「お嬢様のこと、ナーシャ様って呼んでいいですか?」
「ひっ……え?」
また私になにかされると思ったのだろう、ビクッとして身を引きかけてなさる。うーん、ごめんね。
「ナーシャって、呼びたいの?」
「はい」
前のダスラが私のときにこれお願いしてきたの、いくつのときだったかな。
「い、いいわよ?」
私の質問の真意がわからなくて、それでも了承してくれるお嬢様。少しだけ嬉しそうなのが、なんか可愛いかもしれない。
だってね、私のときも嬉しかったんだ。
「そうだ!」
「ひぃっ! さっきからなんなのよ‼」
いや、なにもしてないでしょーが……いや、したか(てへぺろ)。
「鞭を買いに行きましょう」
「へっ?」
意味がわからないといった風でキョトンとしていたお嬢様だったけど、なにを勘違いしたのかどんどん青ざめていく。
「わ、わわ、私を叱るために?」
いやいや、違いますってば。
「私を叱るためです」
「ダスラを?」
「はい。いくらお嬢様の……じゃなかった、ナーシャ様の教育のためとはいえ、脳天締めはやり過ぎだと思うんです」
「自覚あったのね……」
さーせん。
「だから私が今後もそういうことをしたとき、鞭でしばきたくないですか?」
「……それはそうね?」
私がダスラをしばくための鞭を買うことを思いついたのは、十一歳のときだった。それを私から言いだしたときのダスラのこの世の終わりを迎えたかのような表情は、何度思い出しても笑える。
「じゃあ善は急げ、ですね! 明日二人で街に出ましょう」
「善とは……」
いや、それまだ十歳の女の子が考えるようなことじゃないのでね。気楽にいきましょう、気楽に。
そして翌日、お嬢様に精一杯のおめかしをして。私はメイド服……ではなく、お嬢様にカラーを合わせたシンプルなドレスにした。
「メイド服以外のダスラ、初めて見たかも」
いやいや、あなたどれだけ私に興味がないんですか。休日のときぐらいは私服ですし、私の居室は邸内にあるんですけどね⁉
「こうしてると、姉妹みたいですよね」
「そ、そう?」
お嬢様は、まんざらでもないご様子。一人っ子だからね、本当は弟か妹がほしかったろう。
(いや違うな、私が欲しかったのは……)
十四歳のときだったかな、ダスラと二人で街にお忍びで領内視察に出たことがあった。お忍びだから身分を隠す必要があって、そのときに確か――。
「ナーシャ様が領主である公爵様の令嬢だとばれたら、下手に耳目を集めてしまって面倒くさいことになるかもしれません」
「そうなったら帰るわよ」
まぁ、そうですね。
「姉妹、ってことにしませんか?」
「姉妹?」
「そう、お出かけの間だけでも。私はナーシャ様をナーシャって呼び捨てにして、ナーシャ様は私をお姉ちゃんて呼ぶんです。いかがでしょうか」
「それいい!」
両手をポンと叩いて、瞳をキラキラさせながらお嬢様が賛同する。そう、私はお姉ちゃんが欲しかったんだ……ダスラみたいな、さ。
ただお忍びの目的が私をしばく鞭を買いにいくのだという一点だけは、どう考えても奇異だがそれは私が言い出したことなので。
「ではナーシャ、行こうか?」
とノリノリで私は声をかけるのだけど、
「……まだ邸内よ?」
子どもか! いや、子どもだったわ。
「もうしわけありません」
まぁお嬢様のおっしゃることももっともなので、ここは素直に頭を下げる。明日からは、 これが鞭一発に変わるのだろう。
(どのくらい痛いんだろうか)
自分で言いだしといてなんだが、私は今から戦慄するのであった。
馬車は奴隷ギルドに。私はお嬢様の手を引いてカッカッカッと足早に歩く。
なんつーか、ちょっとお嬢様を引きずってる気がしないでもない。そして奴隷を御する鞭を売ってるコーナーに行くと、あの日ダスラがウンウン唸ってた商品が陳列されているテーブルへ一直線。
なんだっけ、確か――。
『こっちは、叩かれたような痛みで広範囲に痕が残る……こっちは刺されたような痛みでミミズ腫れになるのか』
なんて言いながら、どっちがマシかを真剣な表情で悩んでた。でもね、私は悩まないよ?
「これにしましょう‼」
あの日、ダスラが選んだ鞭を迷いもせずに手に取る。なんだか懐かしくて、マジ涙が出てきそうなんだけど。
「え? うん、はい?」
半ば私の思いつきで強引に連れてきたのもあって、お嬢様のノリは悪い……って思ってた時期が私にもありました。
「うーん、でも? こっちのがもっと痛いと思うのよね?」
そう言ってお嬢様が少し離れた陳列棚まで歩いて手にしたのは……。
「この先端に螺子がついてるものとトゲトゲがついてるの、どちらも素敵じゃない?」
「……その二択は、やめてもらえませんか」
なんてこった。わかっちゃいたけど、こいつもかつての私だったわ。
「死ね」
「は?」
「すいません、本音がもれました。ただ、その二つはやめていただきたいというか……」
「しょうがないわね?」
困ったように、嘲るように笑うお嬢様。思うに、前のダスラの反応からするとダスラ専用鞭ってのは『私の代』から始まったのだと推測する。
ただ、ただね?
(私のダスラも乱暴だったけど、今の私ほど毒舌じゃなかった。そしてそれを、お嬢様は咎めもせずに楽しんでらっしゃる)
確実に私は前のダスラとは違う道を、時の流れを歩んでいる。だからお嬢様が処刑される末期は、変えられるのかもしれない。
(でもなんで? なんで?)
なんで、ってそりゃ当たり前だろう。こいつもかつての私なのだ、私もまた……その禍々しい鞭の二択をダスラに強制して愉しんでたよね?
(歴史は変えられるのか、繰り返されるのか)
ダスラァ……今、あなたにものすごく相談したいよ。私、どうすればいい?
「ふふふ、これがダスラ専用の鞭なのね」
帰りの馬車の中、お嬢様のテンションは高い。その気持ち、すっげーよくわかるので複雑だ。
「はぁ……」
もう、ため息しかでない。自分から誘導しといてなんだけどさ。
「馬車が進みませんね?」
「そうね?」
なんでか知らないけど先ほどから馬車が進まないので、ふと口にする。進まないというか止まってる。
「申し訳ありません、この先で事故があったようなので……」
様子を見に行った御者が帰ってきて、ビクビクしながらそう報告してくれた。お嬢様がそれに対してどう暴発するのかが怖いのだろう。
「ふーん?」
だがお嬢様は、あまり興味がないご様子。ていうか興味を示してほしかった!
だって、だってね?
「じゃあ暇だし、この鞭の試し打ちをしてみましょうか」
「……かしこまりました」
私、なんも悪いことしてない……私、前のダスラにそこまで理不尽なことはしなかったよ?(多分) もう涙目で、そでをめくって上腕を差し出す。
「お手柔らかにお願いします」
そう声を振り絞るのだけどね?
さっきから気になってた。お嬢様が、チラチラとずっと窓の外を気にしてるのを。
「ナーシャ様?」
「あ……うん、鞭の試し打ちでしたわね」
で、まぁふつーに鞭の試し打ちで私の上腕は真っ赤に腫れ上がったわけですよ。ねぇ、ダスラ……あんた、こんなのよく受けてたね?
(っていうかマジごめん、ダスラ)
と前世十六歳で死んでダスラに転生して二十ウン年、初めて反省する私だ。だけどその後も、止まった馬車の中から窓の外をしきりに疑うお嬢様……どうしたんだろう?
「ねぇ、ダスラ?」
「なんでしょうか?」
「ここ、うちの直轄の孤児院よね?」
そう促されて私も窓の外を見やるのだけど。
(ここは……)
かつてダスラに、『高貴なる者の責任と義務』を諭されたときに訪れた孤児院。孤児たちに対する理不尽な虐待と、院長による支援金の横領を暴いたあの孤児院の真横で馬車は停まっていたのだ。
「まだ陽は高いのに、誰ひとり園庭に出ていないわ?」
怪訝そうに、眉をひそめてお嬢様がそうおっしゃる。
(私はダスラに教えてもらえるまでに、領内にはなんの興味も示せなかったのに)
あれは私がいつのときだった?
「十四歳のときだ……」
「え?」
「いえ、なんでも」
思わず声にしまったので、慌てて取り繕ってごまかす。
(あれは私が十四歳のとき……今のお嬢様はまだ十歳だ)
まだ早い、とも思う。言っちゃなんだが、そこらへんの十歳よりはお嬢様はまだ精神的に成熟してないつーか猿並みつーか。
(でも……)
前世で十四歳のとき、私もダスラもこの理不尽な不祥事に気づいていなかっただけ。すでにこのころから『それ』は常態化してたのだとしたら。
「まぁ孤児院ですからね、公爵令嬢であるお嬢様がお気になさることではないですよ」
挑発するでもなく、さほど興味を示さないようにぶっきらぼうに進言してみせた。ワガママ怪獣は天の邪鬼なのだ、だからあえて誘ってみた。
「本当にダスラは、役立たずで不細工で行き遅れなのね⁉」
ガチギレしたお嬢様が、鞭を片手に殺気立っていらっしゃる。いや、あえて試したとはいえ……そこまでおっしゃる⁉
「ではお嬢様は、こちらの孤児院の孤児たちが正当な扱いをされていないのではと疑ってるのですか?」
あまり先走って教えすぎると、カンニングになってしまう。というか、まだ十歳のお嬢様にこの『教材』は早いのじゃないかという危惧がある。
自分の感覚で気づいてもらうこと、これが大事だと思うから。
(いずれは教えるつもりだったけど)
そう、前のダスラがそうしてくれたように。
「調べるに越したことはないじゃない?」
「わがままをおっしゃらないでください」
私の職務的には、そう言うしかない。ないのだけど。
「わかった。じゃあ私だけ下ろしてちょうだい!」
そう言って、馬車の内扉の鍵をガチャガチャと手にかけるお嬢様。あぁもうっ、しょうがないな⁉
「私も参りますので、まずはおとなしくしろゴリラが」
やっべー、本音出た。
「私も参りますので、ここはおまかせください」
と言い直して、御者に耳打ち。扉を開けてもらう。
「では参りましょう、ナーシャ様」
「ゴリラ様の間違いじゃなくて?」
「⁉」
お嬢様の目が、笑ってらっしゃらない。おそらく今宵は、お嬢様の鞭が私の鮮血で真っ赤に染まるんだろうなぁ……。
お嬢様が活躍なさるせっかくの好機ってもあるし、前世で孤児院の待遇改善事業に粉骨砕身した身もあって、徹底的に調査をすることにした。とりあえずその日は、周囲の評判を聞きまわるだけに留めておく。
お嬢様はまだ十歳の御身だし、もうすぐ日が暮れる。急いては事を仕損じる。
「ダスラ、なんでよ!」
もう片手間に軽く訊きまわっただけの段階ですら、ほぼ黒いグレー。あの院長、とんでもない奴だなとは思ったが、まずは証拠固めが大事。
「そしてどこにも逃げられなくなった状態で、『追い込む』んです」
「だけどっ、こうしている間にも……」
気持ちはわかる。ていうかあなた、こんなにいい子だったのねなんて。
だけど公爵令嬢、領主の娘とはいえど十歳の少女と平民メイド。証拠はばっちり固めておかないとリスクも高いのだ。
「聞き分けのないゴリラですね? 気がすまないのなら私を好きなだけ鞭打っていいから、ここは落ち着いていただけませんか」
「……うん」
そう言うと、おとなしく……なってくれるわけがもちろんなくて。
「またゴリラって言った!」
「そうでしたか?」
これから始まる折檻が怖いのもあって、妙にハイテンションな私。どうせ打たれるのだから、一つ二つへらず口を追加したっていいだろう。
「では、お願いします」
そう言って私は、エプロンを外してメイド服のワンピを脱ぐ。上下の下着のみになった私の白い肌が顕わになる。
「な、なにしてるの⁉」
「なにとは。鞭打つのでしょう? 服の上からだと、服が破けてしまいます」
「あ、はい」
そういや私のダスラがそれを嫌って、でもいちいち下着姿になるのはイヤだからってダスラのメイド服だけ上下別にした経緯あったな。
(私もお願いしとこう)
そしてブラが落ちないように手で押さえ、背中のホックを外してお嬢様に背を向けて両膝をつく。
「どうぞ」
初めての鞭打ち、正直震えがくる。今世のダスラである私が自分で言いだしたことなのだけど、前世の私が言い出したことでもあるのだ。
(ダスラ、本当にごめん……)
反省はつきない。
「ど、どうぞって……」
お嬢様の、惑う声が背中から聴こえる。そっか、さすがに十歳の公爵令嬢だものね。
(人を鞭打つのは抵抗あるか)
と思った時期が私にもありました。
「そこは、『お願いします』じゃないの?」
悪魔かなんかか、あんたは。そしてギリギリと悔しさいっぱいで歯ぎしりしながら私、
「お、お願いします! ナーシャ様」
そう言ってギュッと目をつぶる。そして最初の一発が、私の背中に振り下ろされた。
「ぎゃあっ! 痛いっ……」
思わず前のめりにつっぷして、床におでこが落ちる。胸を抑えたままパンツ一丁で土下座したみたいになってる私、これでも元・公爵令嬢なのだが。
「ダスラ、早く背を起こして?」
「は、はひぃ……」
十歳でも悪魔は悪魔だったらしい。結局その晩は、都合十回鞭打たれて私は前のめりに悶絶して失神寸前。
(こんなに痛かったのか……)
知らなかったわけじゃないが、いや知らなかったわ。もう涙目、というか泣きながら絨毯の感触を頬で確かめてたら、背中にヒンヤリとする感触。
「‼」
ちょっと沁みるような感覚を覚えて、思わず上半身を起こそうとするのだけど。
「ダスラ、動かないで! 今、軟膏を塗ってるんだから」
「え?」
あれ? 『歴史的』に軟膏はダスラがお嬢様にプレゼントしたのが成り立ちだったはず。お嬢様から用意してくれた?
「あ、ありがとうございます……でもお嬢様が手ずからなさならくても、ほかの者に命じていただければ」
「私の周りにいるメイドって、ダスラしかいないんだもん」
ちょっと自虐的に笑いながら、そうお嬢様はおっしゃる。確かにそうかもしれないがそれでもこの屋敷のお嬢様なのだ、命令すれば誰も逆らえないのだけど。
「ダスラがこの姿、ほかのみんなに見られてもいいならそうするけど?」
私は別に構わなかったし、前世では自分でやっといてなんだが公爵令嬢が使用人に手ずからやっていいことじゃない。だけど……。
「いえ、ナーシャ様以外には塗ってもらいたくないです」
「え……」
いや、顔真っ赤にして照れないでください。こっちまで恥ずかしいじゃないですか。
でもこれは偽らざる本音だ。まず、お嬢様以外の人に手当してもらうと『鞭打っただけの令嬢』に成り下がってしまうだろう。
そして使用人たちの間でお嬢様の評判はさらにだだ下がりして、悪役令嬢街道まっしぐらだ。前のダスラが私を矯正するべく教育に尽力してくれたように、私もお嬢様にそうしたい。
でもこれは建前かもしれない。こうしてお嬢様に軟膏を塗ってもらっていると、ダスラに塗ってあげてたあの時間を思い出して心がポカポカするの。
(背中はヒリヒリとするんだけど)
そう思って、思わず吹き出してしまった。
「なにがおかしいのよ!」
「いや……鞭打った人に手当してもらうのって、なんかその」
「そういえばそうね?」
キョトンとしてそれに気づいたお嬢様も、一瞬の間を置いて吹き出した。
「そうだわ! 今後はいちいち全裸に剥くのもなんだから、背中を開けやすい制服にしましょう‼」
「え?」
はっきり言って酷いこと言われてるのだけど、いやいやそうじゃない。鞭打ち用に制服のリメイクを言い出したのは、私のときはダスラだった。
(なんかいろいろとこんがらがってる?)
前世でお嬢様が起こした言動を、現世でダスラが実行している。かと思うと逆に前世でのダスラの行動を、現世でのお嬢様が起こしてらっしゃるのだ。
「歴史は、変えられるのかもしれない……」
そこまで思い立ち、でも逆の可能性にもぶち当たる。それすなわち――片方が実際の言動をあえて起こすまいとした場合に、もう片方が代わりに実行するという『歴史の強制力』。
いや、変えなくちゃいけない。この鬱陶しいメビウスの環を断ち切らないと、お嬢様が次代のダスラになってしまうのだ。
「ダスラ、なにか言った?」
「かの孤児院のことなんですけど」
「うん」
このお嬢様も、前世の私と同じくご両親との関係はよろしくない。ダスラは自分が母代わり姉代わりになってくれたが、私は別のアプローチをしてみようか。
「旦那様に手を借りては?」
「パパに?」
「そうです。もちろん、すべてを丸投げするわけじゃなくて。やれるとこまで頑張ってみて、子どもの力だけでどうにもならない部分は助力を乞うてみては」
「……」
まぁ悩むよね。あの人ら、ほんとお嬢様にあまり興味を示さないのだもの。
(どうするのが一番いいんだろう?)
私のときは、ダスラと二人で殴り込んでほぼ解決したけど『事後処理』はどうしても領主にして公爵であるパパの力が必要だった。ダスラに説得されて、初めてパパに頭を下げて力になってもらえるようお願いしたの。
そして結果的にそれが、父娘関係の改善に繋がったのだ。だけどお嬢様は十四歳じゃなくて十歳だし、私も二十七歳じゃなくて二十三歳……まだ『あの二人』に比べて私たちは色々と足りない。
「仮に、あの孤児院の不正を暴いたとします。ですがあちらは口八丁手八丁で言い逃れをしてくるでしょうし、ナーシャ様に危害をくわえてでも抵抗したり逃亡をはかったりする可能性があります」
「……うん」
「また二人で現場を抑えても、その後に証拠を隠滅させられたら……私たちが『言いがかりをつけた』という状況をあちらが作り出すこともでできちゃうんですね」
「そ、それは……確かに」
もう一つ、修正したい歴史がある。ためしに、というか分岐点だったんじゃないかと思う出来事があったんだ。
「でも怖いわ」
「なにがですか?」
「だって……子どものやることじゃないとか、相手にされなかったら」
「……そのときは、おまかせください」
「どうするの?」
どうしよう?
「そうですね。旦那さまをぶん殴ってでも、ナーシャ様のお願いを叶えてもらいます」
「ダスラ、暴力はダメよ!」
「ナーシャ様が言う?」
つい今しがた、お嬢様にしばかれて軟膏塗ってもらってる現状ですよ? ブーメランはヤメロ。
「あ、それは……えへへ」
笑ってごまかすお嬢様、これはこれで可愛いけど憎たらしい。
「とりあえず現場にて証拠の軽い分析、そして押収。そして被疑者の確保と連行……この人手は必要です」
どこに証拠の書類を仕舞ってあって、なにが書かれているか私は知っている。ってもこれから四年後の世界の話だったから、それは絶対じゃないだろうけど。
(私のときは、ダスラが一人で院長や関係者をボコして縛り上げてたなぁ)
今の私にそれができるだろうかっていうと、身体を鍛えてるけども実戦経験がない。だからどうしても、孤軍奮闘はリスクが高くなる。
なにより、お嬢様を守らないといけない。
(そういやダスラって、レッグホルダーに暗器を隠し持ってたっけ)
ヒラリとスカートをめくってそれを手に取り、私を狙う刺客をことごとく投げナイフで討ち取っていた姿は本当に格好良かった。頬の返り血をぬぐいながら、
『ナーシャ様、大丈夫ですか?』
そう言ってニッコリと笑うの。私は今、ダスラみたいになりたいと心の底から思っている。
「では、善は急げです。まいりましょうか!」
「どこに⁉」
「旦那様の書斎です。本日は、先ほどご帰宅なさってますから」
「あ……」
私は手早くメイド服を着……うぅ、服が擦れて痛い。それでも我慢して着ると、お嬢様の手を引いて強引に部屋を出る。
「ちょ、ちょっと待ってダスラ、早い!」
あ、さーせん。でももう旦那様の書斎の前だ、ここは勢いが肝心だよね。
『コンコン!』
「ちょ、待っ……‼」
私は無言でノックをする。心の準備どころじゃないお嬢様は、軽くパニックになってらっしゃる模様。
「旦那さま、ダスラでございます。ナーシャ様をお連れしました」
「ナーサティヤを? ……入りたまえ」
部屋内から許可をいただけたので、私は扉を開ける。開いたのは父娘間の扉でもあってほしいな、なんてちょっとだけ思った。
「珍しいね、ナーサティヤが私を訪ねてくるなんて。まぁかけたまえ」
そう言って旦那様は、ローテーブル前のソファーを手で指ししめす。お嬢様は、なんだかちょっとムッとしてるな。
(あ、そうか)
その気持ち、すっごいよくわかった。わかったんだけど……まぁいいや、言っちゃえ!
「お言葉ですが旦那様、旦那様がナーシャ様を訪ねるのも滅多にないことですよね?」
一介の平民メイドが、公爵様に雇い主になんて暴言だろう。でも我慢できなかった、言わずにはいらなかった。
「ちょっと、ダスラ! 口がすぎるわ‼」
怒色満面でお嬢様が怒鳴るのだけど、私に対する怒りとかそういうんじゃなくてこれは……私が旦那様に罰せられたり、下手すると解雇になるのを懸念してのことだ。
(考えすぎかな?)
「すいませんでした。でも罰なら、ナーシャ様のお手でお願いいたします」
「へ?」
「え?」
ポカーンとした顔は、父娘そっくりだなおい!
「ダスラ、なにを言って……」
「まぁダスラの言うことももっともだ、不問にしよう。ところでナーサティヤ、私になんの用件だい?」
笑って許してくれたのはありがたいですけどね?
「娘が父親に会いにくるのに用件が必要なのですか⁉」
やべぇ私、ヘンなスイッチが入っちゃってるわ。
「ダスラ、いい加減になさい!」
さすがにこの怒りは、私に対してのものだ。ツカツカとお嬢様がソファー後ろで控えてる私のところまで歩み寄ってきたので、私もその場に両膝をついて両目を閉じる。
『パーン! パーン! パーン!』
旦那様の書斎に、破裂音が響き渡る。私の右頬を左頬を、お嬢様のもみじのような小さな手がなんどもフルスイングで蹂躙していく。
私のへらず口で最初はちょっとムッとした表情を見せた旦那さまだったけど、さすがに十発を超えたあたりで――。
「ナーサティヤ、もういい! 私は怒ってないからやめてあげなさい!」
そう言ってお嬢様を背後から羽交い絞めにする。
「ごめんなさいお父様、ダスラにはあとできつく叱っておきますから……お願いですから、ダスラを罰さないでください!」
羽交い絞めが解かれて、お嬢様が深く頭を下げて旦那様に哀願し始めた。私は、お嬢様が『他人のために自分が頭を下げる』という信じられない光景を目の当たりにして顔面が硬直してしまう。
そしてそれは旦那様も同じくで、私と目を見合わせてパチクリだ。
「わかった、ダスラの罰は君にまかそう」
「ありがとうございます、お父様!」
「いや……」
ふっと一瞬だけ、優しいパパの顔を旦那様が見せる。そしてお嬢様の頭に手を置くと、肩を抱いてソファーまで。
私は両頬をパンパンに腫らしたまま立ち上がり、なにごともなかったかのようにすまし顔だ。
「それでナーサティヤ、ただ会いに来てくれただけでもそれはそれで嬉しいよ」
そう言って私の顔をチラッと見るパパ……もとい旦那様。ちょっと私も意地悪を言いました、ごめんなさい。
気まずくていたたまれなくて、ついつい視線を逸らしてしまう。
「実はパパに、お願いがあってきたの」
「私に? ドレスかい? それともなにか欲しいものが……」
愛娘からのおねだりだと思ったのだろう。でもそれでも没交渉気味だった父娘だったのだ、旦那さまの表情もすこぶるほころぶ。
そもそもお嬢様は、欲しいものがあってもメイドたち(ここ近年は私のみ)を通じてというのがルーティンだった。だからお嬢様が、自らの口でおねだりなさるのが嬉しかったのかもしれない。
「そうじゃなくて、力を貸してほしいのです」
「え?」
不審そうに、私のほうへ顔を向ける旦那様。ふむ、ここは私の出番ですね?
「実は本日、ナーシャ様がご領内にて不正が行われているであろう現場を目撃しまして。今はまだ見聞きした情報でしかないのですが、詳しく調べてみる必要があるとナーシャ様がおっしゃるのです」
嘘は言ってない。そう考えるように誘導はしたかもしれないけど。
なにより、孤児院の園庭の様子から最初に違和感を感じたのは私じゃなくてお嬢様だった。
「本来ならば旦那さまにご報告申し上げてそれで済ませるべきだとは思うのですが、ナーシャ様はどなたかに似て直情型なところがありますからね。ご自分の手で成敗なさりたいようです」
「ちょっ……ダスラあなた、また!」
ティグリス・ラーセン――この王国きっての武闘派公爵で、曲がったことが大嫌いな硬骨漢だ。こうと決めたら真っすぐに、道を逸れない重戦車タイプ。
そこらへんお嬢様に、そして前世の私に大変よく似ていらっしゃるものだからつい(てへ)。だけど、私の口の悪さは不問にしていただけたようで。
「いいだろうナーサティヤ、詳しく話してみたまえ」
旦那さまがニヤッと口角を上げて、不敵に微笑んでみせた。
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