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第一話『Age.10』
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悔いの多い人生だったように思う。
今私は、寒くて暗い牢獄の中。明日、私は処刑される。
ラーセン公爵家の長女にして一人娘の、ナーシャことナーサティヤ。ナーサティヤ・ラーセンが私の名前だ。
まばゆいばかりのホワイトブロンドのヘアー、翡翠のような透き通ったグリーンの大きな瞳。ボディだって常にストイックに自主管理して、蠱惑的なラインを保ち続けてきたのだけど。
「お嬢様……」
思えば、きっかけはささいなことだった。婚約者の第二王子・アシュヴィン殿下はその眉目秀麗さから『白薔薇の君』なんて呼ばれるほどの美形で、周囲にはいつも綺麗な女性が入れ代わり立ち代わりそばにいた。
「お嬢様っ!」
私は常に気が気じゃなくて、いつも悋気の炎を瞳に宿していたように思う。だけど公爵家の令嬢として……さっきから私を小声で呼んでるのは誰?
「お嬢様ってば‼」
「ダスラ⁉ どうしてここに?」
くすんだダークグレーの髪と瞳、低い鼻にそばかす。センスのない赤いフレームの地味な眼鏡で女としては正直終わってる私のメイド、行き遅れのダスラだ。
そのダスラがなぜか目の前に、牢獄にいる。といっても、私とダスラの間には太くて冷たい鉄格子が二人を隔てているのだけど。
「お嬢様、お身体の具合はいかがですか?」
「具合もなにも、どうでもいいでしょう? 私は明日、断頭台に登るのですから」
というか、なぜダスラがここにいるのか。仮にも王城地下なのだ、一介のメイドが入ってこられるような場所ではないはずなのに。
「もうしわけありません……」
本当に、もうしわけなさそうに目を潤ませて頭を下げるダスラ。私はもう終わった人間なのだ、いったいなんの用があるというのか。
だがダスラが謝っているのは、私の具合を訊くという不毛な発言のことではないようで。
「それよりもあなた、どうしてここに?」
ダスラは悲壮な表情で鉄格子を両手で握りしめたまま、うつむいたままで顔を上げてくれない。
「この無限に続くメビウスの環を今度こそ……断ち切ってさしあげたかった」
「なんのこと?」
だがダスラは私の問いかけには応えない。どうしてこのポンコツメイドは、私の質問をことごとく無視するのか。
「それよりもダスラ、こたえなさい。なぜあなたがここにいるのですか?」
「……」
「ダスラ!」
一応見えない場所ではあるが、看守がいるのだ。あまり声を立てないようにしたいのだけど、ダスラがしどろもどろなものだからどうしても声が大きくなる。
「私は『また』、お嬢様より先に神のもとへまいります。この終わりのない、永遠に続く時の流れが変わらないのだとしたら」
「はぁ……」
なにを言っても、意味不明な言葉しか返ってこない。昔からこのメイドはこうなのだ、いつもいつも暗い顔をして私を憐れむかのような視線を向けてくる。
でもわがままで癇癪持ちの私から多くのメイドが去っていく中、このダスラだけはいつもそばにいてくれた。私に罵倒されても、蹴られても殴られても。
(私が死ぬ最期のときまで、一緒にいてくれるのね)
ちょっとホロリとしかけたが、さっきダスラはなんて言った?
「私より先に神のもとへ、って……ダスラ⁉」
まさか自害でもするのだろうか。それとも、家人もろとも連座で処刑される?
アシュヴィン殿下の浮気相手・スーリヤ伯爵令嬢を階段から突き落とした罪で拘束され、自室からは猛毒の入った瓶が出てきた。時同じくして、王子の食事に毒が盛られ……。
毒見役が代わりに死んで難を逃れたものの、同じ毒が使われたとのこと。はっきり言って、どちらも身に覚えがない。
そりゃスーリヤに厳しくあたることもあれば、パーティーの場でワインをぶっかけたこともある。だけどせいぜいがそのくらいで、二人を殺害しようなんて考えたこともなかった。
しかしスーリヤ令嬢はともかく、アシュヴィン殿下への殺害未遂。これは我が家・ラーセン家から公爵位の剥奪という重い罰が課せられ、一家全員が平民の身分に落とされて。
そして私は冤罪であるにも関わらず『罪を認めること』と引き換えに家族の命乞いを、私以外に累が及ばないように哀訴したのだ。そのかいあって、私以外の家人はせいぜいがとこ職を失っただけですんだはず。
「お嬢様、今出してさしあげます」
そう言ってダスラは、エプロンのポケットから鍵を取り出す。そしておもむろに、鉄格子の鍵穴にさしこんで。
「私を逃がそうというの?」
確かに逃げたい。逃げたいが、そうなると父は? 母はどうなる?
「だめよ、ダスラ! 看守に気づかれてしまうわ‼」
私はそう言って、今にも鍵を回そうとするダスラの手首を掴む。
「大丈夫です、それについてはご安心を」
「なにを言って……」
そのときだった。
「おい、死んでるぞ⁉」
「ダスラはこっちへ行ったのか?」
「早く令嬢を確保するんだ!」
通路の角を曲がったあたりから、男たちの声。
「あぁっ、また……また、『同じ』‼」
絶望的な表情でダスラは鍵を回して開錠すると、乱暴に鉄格子の扉を開ける。そして私がなかなか出てこないのにしびれを切らせたのか、中に入ってきて。
「お嬢様、このままではお嬢様は無実の罪で処刑されてしまうのですよ⁉」
「だけどっ……」
私が罪を認める代わりに父や母、兄と妹は平民堕ちだけで許してもらっているのだ。ダスラを始めとする家人も、次の職を見つければいい。
でも私が逃げてしまったら? たちまちのうちに彼らは再度拘束されるだろう。そして私が出頭しないかぎりは、その身に安全の保障はない。
「というか、ダスラ? 私のこと、冤罪だと……⁉」
「もちろんです! だって私は、なにもしていなかったんですもの」
ダスラがなにを言っているのかわからない。そりゃダスラはなにもしていないはずだ。
(まぁ私も、殿下やスーリヤ令嬢へのそれは冤罪なのだけど)
ダスラは私の手を引いて、強引に牢から引きずり出す。そして牢の前に延びる通路を、一目散に走って。
「待って、ダスラ。私は逃げ出すわけには……」
「お嬢様、走ってください!」
いや、走っているのだけどね?
私は身長が一五〇センチほどしかない。ひょろガリのダスラは一七〇センチを超す長身で、うらやましくなるくらい足も長いのだ。
私はそのダスラの足の長さがうらやましくて、『少し短くしなさいよ!』とノコギリを片手に追い回したことがあった。といっても、私が十歳くらいの話よ?
それはともかく、当然ながら走る速度もダスラのほうがコンパスが長いので……私はつんのめりながらも必死にダスラに引きずられつつ。
「待ってダスラ、この先には看守が!」
「大丈夫です、お嬢様」
「ダスラ⁉」
走りながらダスラは弱々しい笑みを浮かべて振り返る。そしてエプロンのポケットから……血濡れたナイフを取り出した。
「もう看守は、息をしておりません」
「なにを……したの」
だがダスラはそれには応えず、すぐに前を向いて。この通路は、私が収監された牢からまっすぐ前に延びている。
そして突き当り、左右に道がわかれて。そしてダスラはやっと止まってくれた。
「こっちだ、急げ!」
「ダスラ、どこだ‼」
右方向、奥のほうは暗くてなにも見えないけれど複数の人間が走ってくる音と怒声。
「くっ……」
ダスラは苦虫を噛み潰したような渋面で舌打ちをすると、
「こっちです!」
そう言って私の手を引いて左へと走り出す。
「ちょっ、待っ……」
私はダスラに引っ張られる、というか引きずられるようにしてそのあとをついていくのが精いっぱいで。どのくらい走っただろうか、ダスラが不意に止まった。
「はぁ……はぁ……はぁ……ダスラ?」
両手をひざについて荒い息の私。いつのまにか、後ろから追ってきているであろう人たちの足音も怒声も聴こえなくなっていた。
「あぁっ、『また』なのっ⁉」
「え、ダスラ?」
ダスラの血を吐くがごとくの絶叫で、私は顔を上げる。するとそこには……。
「ナーサティヤ、僕の慈悲で家族は助けてあげようっていうのに逃げるのかい?」
「あ、殿下……」
アシュヴィン殿下だ。私の、婚約者……もう『元』がつくのだろう。
「お嬢様、お下がりください」
ダスラはそう言うが早いが、私の手首を掴んでいた手を離して血濡れたナイフを構える。
「やれやれ、仕方ない……」
殿下はそう言って肩をすくめると、
「おい、ナーサティヤは生け捕りにしろ。メイドは殺せ」
と傍で殿下を庇うように立っていた衛兵たちに命じる。
「はっ!」
そして彼らが、ダスラに一斉に襲いかかった。
「お嬢様、逃げてください!」
そう言ってダスラはナイフを振り上げて突進していくのだけど、その小さなナイフで、女だてらになにができるというの? 衛兵たちの持っている鋭利に尖った槍の穂先が、一本二本……三本四本とダスラの体躯を貫いていく。
「あぐっ⁉」
「ダスラッ‼」
そしてそれらが一本ずつ引き抜かれていく。そのたびにダスラの体躯から、次々と鮮血がシャワーのように吹き出して。
私は、動けなかった。だってどうすればいいというのか。
(私が逃げたら、家族にも累がおよぶ……)
でももしダスラと一緒に王城を抜け出すことに成功していたなら、私は幸せになれたんだろうか。ふとそんなことを考えた。
ゆっくりとダスラは倒れていく。ヒューヒューと、木枯らしのような呼吸音を立ててダスラは首だけをゆっくりとこちらに向けた。
「私『も』、ダメだった……」
「なにを……言って……」
ダスラの両目から、血が混じった涙があふれ出てくる。
あぁなぜこのメイドは、私なんかを助けにきたんだろう。思えば癇癪持ちでわがままで、つまらないことで因縁をつけては理不尽な暴力を振るう私から片時も離れることはなくて。
「捕まえろ! 怪我させてもいいが殺すな!」
殿下の、殺気立った怒声が響く。瞬間的に私は両手を拘束され、背中を押されてダンッと地面に抑えつけられてしまう。
「ダスラ、どうして?」
「……」
ダスラの私を見る目はうつろだ。口元がわずかに動いているが、血液に染まった赤い唾液の泡が出てくるだけでもうなにを言っているのかわからない。
思えばダスラは、いつも私のそばに寄り添ってくれていた。
健やかなるときも、病めるときも。喜びのときも、悲しみのときも……それこそ、死が二人を別つまで。
「ふふ……」
まるで結婚の義で宣誓する言葉のようだと、自嘲気味な笑いが思わずでてきてしまった。
今私は、笑っている。ダスラの死を哀しんでいるのかどうかはわからないが、涙の一滴すらでてこないのだ。
(こんな悪女の末路、断頭台が妥当なのかもしれないですね)
もうすっかり観念しているので、抵抗する気もおきない。もとより、逃げるつもりはなかったのだ。
(だからダスラ、あなたは犬死になのです)
衛兵たちが、ダスラの物言わぬ躯を引きずっていく。
私が罪を、処刑を受け入れることと引き換えに家族の安寧があるのだ。たとえ平民堕ちしてその行く道が、棘の道であったとしても。
哀れなメイド、ダスラ。あなたはその命を賭してでも私を救おうとその最期まで足掻き、そして派手にその花を散らしてしまった。
「え?」
これは頬に、涙がつたう感触? 私は……泣いているの?
「ダスラ……」
思えば私が癇癪を起して手を上げても、ダスラは抵抗もしなければ父やメイド長に訴えでることもしなかった。だけどダスラ以外の他人に対しての粗暴な振る舞いだけは、諫めようとしてくれた。
それでダスラの諫言にしたがうこともあれば、主人に対して無礼だと聞く耳をもたなかったこともある。そんな私にダスラは、必ず決まってこう言うのだ。
「お嬢様は、本当はお優しい心根を持った方です」
なぜ罵倒され殴られ蹴られながらも、私をそんなふうに見誤れるのか。一度それをじっくり訊いてみたかったが、それはもう叶わない。
そして翌日未明――私の首は、断頭台から転がり落ちた。
「ダスラ、またお嬢様のところへ行くの」
「はい、仕事ですから」
私はポケットに消毒薬とガーゼと包帯を忍ばせつつ、ナーサティヤ・ラーセン公爵令嬢のお部屋に向かう。
(はぁ……また殴られるんだろうか)
正直気が滅入るけど、そうも言ってられない。
「失礼します」
お嬢様の部屋にノックして入ると、さっそくティーカップが飛んできた。よけるべきかどうか逡巡したが、よけたらさらにお嬢様の機嫌をそこねてしまうだろうな。
「痛っ!」
ティーカップが、私のこめかみを直撃した。中身が入っていたようで、それが私のエプロンを紅茶色に染める。
「ダスラ、お茶がぬるいわ! 取り換えてちょうだい!」
「……はい、かしこまりました」
うーん。こうして他者の視線で見ると、『昔の私』はかなりの愚物だったのだと思い知らされる。
二十三年前のあの日、私の首は確かに断頭台から転げ落ちたのだ。首を斬られてほんの数秒だったか、目の前の世界が回転する景色を私は確かに見た。
そしてナーサティヤとしての短い生を終えて、気づいたら――。
「ダスラ! ダスラ⁉ 返事をなさい、ダスラ!」
「あ、はい。なんでしょうかお嬢様」
いったいなにがどうしてこんなことになっているのか、私はダスラとして転生している。そして今、私の目の前にいるのは『元・私』ことナーサティヤお嬢様。
あれは私が十六歳のときだったか、いつもどおりお嬢様の癇癪に辟易する毎日を送っていた。その日もお嬢様は絶好調で、お部屋はお嬢様の癇癪の余波をくらい廃墟のような有様だった。
なにが気に食わなかったのか、椅子を振り上げての破壊活動。窓は割れ、家具は壊れ、布団はビリビリに破られていて。
(これが三歳の女児がやることかな)
本当に心の底から戦慄したものだ。そして右手にモップ、左手に箒を持ってふとドレッサーの前を通ったとき。
「え……ダスラ?」
いや、ダスラは私だ。私なのだけど、その姿見の鏡に映った自分が自分のような気がしなかった。
「ダスラ⁉ どうしてここに?」
そんなことを言いながら、鏡に歩み寄る。
(あ、ダスラは私か)
モップの柄と箒の柄を掴んだ私の姿が、あの日のダスラに重なった。牢の前に現れて、鉄格子を両手で掴んで私に語りかけたダスラに。
そしてそのえもいわれぬ既視感に刺激されて、私は前世のすべてを思い出したのだ。
「私……ダスラになってる⁉」
しかも、過去に遡っているではないか。こんなことをやらかした神だか悪魔だかは知らないが、なんであんなパッとしない容姿の行き遅れ女に転生したのかと憤慨したのを覚えている。
人はこれを、自虐といいます。そして前世の記憶を思い出して早七年、現在私は二十三歳でお嬢様は御年十歳。
「これ、あげるわ!」
そう言って、お嬢様は白いハンカチを私にさしだす。
「?」
「カップが当たったところ、血が出てるから」
ハンカチを出した手を伸ばしたまま、ふてくされつつも照れながら顔を背けるお嬢様。ツンデレかな?
「ありがとうございます」
私は決めたのだ。ダスラとして再びやり直しの機会が神様から与えられたのだとしたら、今度こそ悔いのない人生を送ろうと。
そして今度こそ、お嬢様を救ってみせる。
(今度こそ、というのはヘンか)
だってそうだ。これまでに失敗してきたダスラは、私じゃないのだから。
そして私は思い出す……かの牢獄で、『前のダスラ』が言っていた言葉を。
『この無限に続くメビウスの環を今度こそ……断ち切ってさしあげたかった』
メビウスの環――帯状の紙をねじって貼り合わせる。そうすると、外側と内側がつながった不可思議な環ができあがるのだ。
外側は内側に、内側は外側に……それが終わることなく続く。
つまり私がよく知るダスラも、その前世はナーサティヤお嬢様だったのだ。そして前のダスラがナーシャだったときのダスラの前世も、またそうなのだろう。
今の私と同じようにお嬢様に虐げられつつもその成長を見守りながら、冤罪で処刑されてしまうお嬢様を救おうとして短い生を終えた。
これから六年後、お嬢様が十六歳になるときだったから享年二十九歳?
(そういえば……)
ナーサティヤだったときの私、ダスラのことを確か……。
『地味な眼鏡で女としては正直終わってる私のメイド、行き遅れのダスラ』
思わず吹き出してしまった。いま目の前にいる『私』は、こんなことを思っているのかと。
「何が可笑しいのよ! ハンカチはいるの、いらないの⁉」
「あ、すいません。お借りします」
よく考えてみれば二十九歳なら、立派な行き遅れだ。つまりあれか、今代のダスラである私も二十九歳まで結婚もできないと。
「貸すんじゃないわよ、あげるの! たとえ洗ったとしても、返してくれなくていいからね‼」
「私の血がついたハンカチなんて、気持ち悪いですもんね」
「よくわかってるじゃない」
ハンカチをお借りして、こめかみをにあてる。確かに一瞬ピリッとした痛みが走ったので、切ってしまったのだろう。
(ガーゼ、持ってきてたんだけどな)
「では、お茶をお淹れなおしますね」
私はそう言って、ティーワゴンのもとへ。そもそもお茶がぬるいって、淹れたのはお嬢様なのでは……うーん、理不尽!
「ねぇ、ダスラ」
「なんでしょうか?」
「どうしてダスラは、私がなにをしても怒らないの?」
ああ、そういや私がナーサティヤだったころによくダスラに訊いたな。そしてダスラは決まってこう答えるのだ。
「私にあたることでお嬢様の心の安寧が保てるのならば、それでよいのです」
「ふーん、頭おかしいんじゃないの?」
そしてお嬢様がそう返すのも同じ。でもここからは、私の知らないダスラ劇場の始まりである。
「そうかもしれませんね。でもお嬢様ほど、おかしくはないつもりです」
さて、鬼が出るか蛇が出るか。
「……今、なんて言ったの?」
静かにキレてらっしゃるな。よく考えたら、出てくるのは鬼でも蛇でも迷惑だ。
「そうですね、お嬢様の頭は私よりおかしいと申しました」
そして私は冷徹な視線で、お嬢様を見下ろす。
「ねぇ、ダスラ」
「なんでしょうか?」
「そこに両膝をついて目をつぶりなさい」
やれやれ。まぁそうなるでしょうね……また殴られるのかしらん?
お嬢様の前まで歩み寄って傅く。そしてギュッと目をつぶって。
目をつぶっているのでわからないが、お嬢様が席を立つ音が聴こえた。そしてすぐに戻ってくる足音。
「‼ 熱いっ⁉」
頭からビシャーッとかけられたのは、淹れたての熱々のお茶。
声をたてたら、みながやってくる。さすがにこの蛮行は旦那さまたちに告げ口されてしまうだろう……そう思って、ばれないように両手で口を押さえて床をのたうち回る。
「(ウーッ! ムーッ‼)」
「あははは‼ おっかしい~」
熱さにもがき苦しむ私を指さして、泣き笑いのお嬢様。本当にこいつはクソだな。
どのくらい経っただろうか、苦しみ疲れて私は息も絶え絶えだ。殴られるか蹴られるかは覚悟していたが、まさか熱々のお茶を頭からかけられるとは。
「誰か、誰かいますか‼」
お嬢様がほかのメイドを呼ぶ声がする。いやいや、お嬢様の狼藉を秘匿するために私は熱さによる痛みを我慢したんですけど⁉
「ダスラが頭からお茶をかぶっちゃったみたいなの。すぐに手当てをしてあげてちょうだい」
「かしこまりました! ダスラ、大丈夫⁉」
仲間のメイドたちが、慌てて私のメイド服を脱がす。ワンピース型の制服だから、お嬢様の部屋で私はパンツ一丁にひん剥かれてしまい。
「背中が赤く腫れてるわ。ダスラ、歩ける?」
「なんとか……」
私が頭からお茶をかぶった? いや間違ってはないが、まるで自分で自分の頭にかけたみたいな言い方ではないか。
(そんな芸人みたいなこと、するわけないでしょ!)
と言いたかったが、ここは心に留め置く。
お尻やふともも裏、ふくらはぎにも熱いお茶がかかっているので後背全体がピリピリと痛む。
結局、仲間のメイド二人に肩を借りてお嬢様の部屋を退出。医務室までとはいえ、屋敷の中をパンツ一丁で歩くのは結構な背徳感だ。
医務室への途で、ここで働く何人かの男性とすれちがう。みな一様にギョッとして二度見したあと、あわてて背中を向ける。
結局、ポーションで治療してもらい表面的には無傷に戻ったものの……熱くて痛かった記憶までが消えるわけじゃない。しばらくの休憩が必要だと、私はベッドから出してもらえなかった。
「ダスラ、いる?」
「お嬢様?」
ベッドで暇していると、扉が開いてピョコッと顔を出したのはほかならぬお嬢様。なにしにきたんだろ?
「どこかお怪我、それとも具合が悪いのですか?」
私はそう言いながらベッドから出ようとして、慌てて駆け寄ってきたお嬢様に押し戻された。
「ダメよ、寝てなきゃ! あなた、火傷しているのよ⁉」
お前が言うか。
「そのダスラ……」
ちょっとしょぼくれた表情のお嬢様、タタタッと扉のところまで駆け寄って廊下の左右をチェック。誰も近くにいないことを確認して、戻ってきた。
「さっきはごめんなさい、ダスラ。でもあれはダスラがいけないのよ?」
「ですね。お嬢様、もうしわけありませんでした」
ベッドの上で上半身を起こしている私、そのまま深々と頭を下げる。そして、
「お嬢様は、本当はお優しい方なのですね」
前のダスラの口癖だ。
「え?」
「だって、お見舞いにきてくださったではないですか」
「! ちっ、違……」
前のダスラは、私に不敬な言葉を一度も吐かなかった。そりゃ他人に対する不当な狼藉にだけは、諫言を呈してきたけれど。
でも、それだけだった。それとて、怒るというよりは諭す感じで。
(とはいえ、ダスラに対しての暴力だけは怒られなかったんだよね)
前のダスラがなにを思いなにを考えそういう方針で当時の私に臨んだのかは今となっては知る由もないが、私は私でダスラと違うダスラを演ってみようと。
なので今日みたいに、言いたいことは言ってのける。その代わり、罰も甘んじて受けようと。
(まぁ今の私は平民のメイドだしね)
公爵令嬢といえば、身分制度の頂点近くに住まう生き物だ。平民の私の命なんて、その前ではとてもとても軽い。
で、そういうのを繰り返していけばいずれ解雇になるだろう。そうなったらそうなったで、お嬢様を助けるというのはきれいさっぱり諦めてダスラとして幸せになる道を模索しよう。
……なんて薄情なことを考えていたのに、全然そうなる気配がない。なんでだ?
「でも自分の淹れたお茶がぬるいと言って、メイドの頭に中身が入ったティーカップをぶつけるのはお優しくありませんね?」
ちょっと嫌味ったらしく言ってみる。
「ダスラ、あんたねぇっ‼」
お嬢様は憤って椅子を立ったが、チラと私のこめかみを見て……。
「まぁ、その悪かったわよ」
ムスッとしながらも、再び椅子に腰を下ろすお嬢様。そしてまたなにか言おうとしているのだが、躊躇ってなかなか口が開かないようで。
「頭からお茶をかけられたことに関して、私は怒っていません。あれは罰なのですから」
「そ、そう?」
少し気まずそうだな? ちょっと可愛いかもしれない。
「それよりお嬢様にお願いがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「なに? 交換条件てこと?」
「交換条件?」
なんの話だろうか。
「私が怪我を負わせたこと、パパとママに黙っててもらうというか」
それは考えなかったな。元より、そのつもりはないのだけど。
(ここは乗っかるか)
「で、なによ? さっさと言いなさいよ!」
いらちだなぁ。昔の自分を見ているみたいで恥ずかしい、というか昔の自分を見ているわけで。
「これまでお嬢様のことを『お嬢様』とお呼びしてきた件ですが」
「うん」
「今度から『ナーシャお嬢様』と呼びたく……その、許可をいただければと」
「え⁉」
前のダスラと同じことをやっていたら、あのバッドエンディングも同じようにやってくるだろう。そう思って、いろいろと試してみようと思う。
それはつまり、『前のダスラがやらなかったこと』をやってみようと。これがなんのトリガーになるかはわからないが、とりあえずは呼び方の変更から。
自分で言っちゃなんだけど、これでも前のダスラとは違うつもり。私のよく知る陰キャのダスラは、いつも元気がなくて。
いつもいつも暗い顔をして私を憐れむかのような視線を向けてくるダスラだったけど、私は私で私なりのダスラを演る。演ってみせる。
私の前世の記憶が蘇ったのは、十六歳のとき。そのときすでに、私はお嬢様のメイドだった。
今のように専属ではなかったけど、三歳のお嬢様はそりゃもう可愛くなくてどうしようもなかった。まるで昔の自分を見ているみたいで、すごく恥ずかしかったのを覚えている。
(いや、昔の自分を見ていたわけだけど)
そこで腹が立って腹が立って、お嬢様の『他人に対する』理不尽にだけは厳しく諭してきた。誰も見ていないところでは、多少暴力的なこともしたかもしれない。
その代わりといってはなんだが、自分への八つ当たりや反撃は無条件に受けることにした。ガス抜きって必要だしね。
そうすることによって、いつのまにかお嬢様に説教からの反撃をくらうというルーティンができあがる。私のときよりも、ダスラと一緒にいる時間が長くなっていく。
そしてそれの影響は結果的に、思ってもみない部分で歴史の修正が行われてしまったかもしれない。
(旦那様と奥様とは、お嬢様との仲が悪いんだよね)
前世でナーサティヤだった私は、パパとママの命と引き換えに冤罪を認めてまで守ろうとした。それは、愛するパパとママを守るためだ。
そりゃ悪いことをしたら叱られたが、優しい両親だったのは間違いない。いつもナーシャ、ナーシャと呼んで可愛がってくれた。
だがなにがどうしてそうなったのか、今世のお嬢様は両親に愛されていないのだ。
(私が歴史を変えてしまったのだろうか)
それはわからないけど、結果的にお嬢様を『ナーシャ』と愛称で呼ぶ人がいなくなってしまった。だから、だから。
「ダメでしょうか?」
そうならそうで構わない。何ごとも、とりあえずたくさんの可能性を試してみること。
(それに今のお嬢様、私がナーシャだったときとはちょっと違う気がする)
私は私で、前のダスラと違うように。
前世の私はダスラに怪我を負わせても、見舞いにいくなんてしなかった。むしろ、医務室で安静にしているダスラを呼びつけてまでいたような気がするんだ。
「……どうして、そう呼びたいの?」
訝し気な表情で、お嬢様が訊いてきた。まぁそりゃそうだ、あまりにも突然だもんね。
「お嬢様と、お友達になりたいのです」
「へ?」
お嬢様、ポカーンとしてらっしゃる。そりゃね、私は平民ですもん。
(それが貴族、公爵令嬢と友達になりたいなんて……しかも主従の間柄。こりゃまたキレられるかな?)
それは覚悟の上だ。こうやって何度もいろいろ試しフラグをへし折って、歯車も取り換えてみよう。
「ほら、お嬢様ってお友達がいないじゃないですか」
そしてとどめを刺す私、もうあとは野となれ山となれ。解雇じゃなければ万々歳だ。
だけどお嬢様の返事は、私には意外すぎる内容だった。
「友達は……無理よ。だって私は貴族で、ダスラは平民じゃない」
ちょっと困ったように、お嬢様はおっしゃる。なんというか、『そのお願いはかなえてあげたいけれど』という苦渋の決断に見えるのは気のせいだろうか。
「だけど、ナーシャって呼ぶのはいいわよ? ただ平民が呼び捨てにすると……ちょっと外聞が悪いわ、ダスラまで誤解されちゃう」
いや、呼び捨てする権利まではお願いしてないのですが……。
「だから『ナーシャお嬢様』なら。どう?」
「ありがとうございます、ナーシャお嬢様!」
正直、嬉しかったな。だからそれが顔に出たんだろう。
「そんなことで嬉しいなんて、ダスラは変わってるわね!」
そう憎まれ口を叩くお嬢様もまた、口角がニヤついてますよ。
「ところで、ダスラ」
「なんでしょうか?」
お嬢様はおもむろに立ち上がると、医療機器が入っている戸棚を無断で開ける。そして……あれは医療のどこに使うのだろう、抜歯かな?
お嬢様の手に握られているのは、大きなペンチ。それを手にツカツカと戻ってきたお嬢様、寝ている私の太ももを思いっきりペンチで捻り上げた。
「くぁwせdrftgyふじこlp⁉」
「誰が友達がいないですってっ‼ 余計なお世話よ!」
痛い……痛すぎる……。油断してたのもあって、手を口で覆う暇もなかった。
というか、やっぱりその発言に対しては怒ってらっしゃいましたか。まぁ私だって怒るだろうな。
今私は、寒くて暗い牢獄の中。明日、私は処刑される。
ラーセン公爵家の長女にして一人娘の、ナーシャことナーサティヤ。ナーサティヤ・ラーセンが私の名前だ。
まばゆいばかりのホワイトブロンドのヘアー、翡翠のような透き通ったグリーンの大きな瞳。ボディだって常にストイックに自主管理して、蠱惑的なラインを保ち続けてきたのだけど。
「お嬢様……」
思えば、きっかけはささいなことだった。婚約者の第二王子・アシュヴィン殿下はその眉目秀麗さから『白薔薇の君』なんて呼ばれるほどの美形で、周囲にはいつも綺麗な女性が入れ代わり立ち代わりそばにいた。
「お嬢様っ!」
私は常に気が気じゃなくて、いつも悋気の炎を瞳に宿していたように思う。だけど公爵家の令嬢として……さっきから私を小声で呼んでるのは誰?
「お嬢様ってば‼」
「ダスラ⁉ どうしてここに?」
くすんだダークグレーの髪と瞳、低い鼻にそばかす。センスのない赤いフレームの地味な眼鏡で女としては正直終わってる私のメイド、行き遅れのダスラだ。
そのダスラがなぜか目の前に、牢獄にいる。といっても、私とダスラの間には太くて冷たい鉄格子が二人を隔てているのだけど。
「お嬢様、お身体の具合はいかがですか?」
「具合もなにも、どうでもいいでしょう? 私は明日、断頭台に登るのですから」
というか、なぜダスラがここにいるのか。仮にも王城地下なのだ、一介のメイドが入ってこられるような場所ではないはずなのに。
「もうしわけありません……」
本当に、もうしわけなさそうに目を潤ませて頭を下げるダスラ。私はもう終わった人間なのだ、いったいなんの用があるというのか。
だがダスラが謝っているのは、私の具合を訊くという不毛な発言のことではないようで。
「それよりもあなた、どうしてここに?」
ダスラは悲壮な表情で鉄格子を両手で握りしめたまま、うつむいたままで顔を上げてくれない。
「この無限に続くメビウスの環を今度こそ……断ち切ってさしあげたかった」
「なんのこと?」
だがダスラは私の問いかけには応えない。どうしてこのポンコツメイドは、私の質問をことごとく無視するのか。
「それよりもダスラ、こたえなさい。なぜあなたがここにいるのですか?」
「……」
「ダスラ!」
一応見えない場所ではあるが、看守がいるのだ。あまり声を立てないようにしたいのだけど、ダスラがしどろもどろなものだからどうしても声が大きくなる。
「私は『また』、お嬢様より先に神のもとへまいります。この終わりのない、永遠に続く時の流れが変わらないのだとしたら」
「はぁ……」
なにを言っても、意味不明な言葉しか返ってこない。昔からこのメイドはこうなのだ、いつもいつも暗い顔をして私を憐れむかのような視線を向けてくる。
でもわがままで癇癪持ちの私から多くのメイドが去っていく中、このダスラだけはいつもそばにいてくれた。私に罵倒されても、蹴られても殴られても。
(私が死ぬ最期のときまで、一緒にいてくれるのね)
ちょっとホロリとしかけたが、さっきダスラはなんて言った?
「私より先に神のもとへ、って……ダスラ⁉」
まさか自害でもするのだろうか。それとも、家人もろとも連座で処刑される?
アシュヴィン殿下の浮気相手・スーリヤ伯爵令嬢を階段から突き落とした罪で拘束され、自室からは猛毒の入った瓶が出てきた。時同じくして、王子の食事に毒が盛られ……。
毒見役が代わりに死んで難を逃れたものの、同じ毒が使われたとのこと。はっきり言って、どちらも身に覚えがない。
そりゃスーリヤに厳しくあたることもあれば、パーティーの場でワインをぶっかけたこともある。だけどせいぜいがそのくらいで、二人を殺害しようなんて考えたこともなかった。
しかしスーリヤ令嬢はともかく、アシュヴィン殿下への殺害未遂。これは我が家・ラーセン家から公爵位の剥奪という重い罰が課せられ、一家全員が平民の身分に落とされて。
そして私は冤罪であるにも関わらず『罪を認めること』と引き換えに家族の命乞いを、私以外に累が及ばないように哀訴したのだ。そのかいあって、私以外の家人はせいぜいがとこ職を失っただけですんだはず。
「お嬢様、今出してさしあげます」
そう言ってダスラは、エプロンのポケットから鍵を取り出す。そしておもむろに、鉄格子の鍵穴にさしこんで。
「私を逃がそうというの?」
確かに逃げたい。逃げたいが、そうなると父は? 母はどうなる?
「だめよ、ダスラ! 看守に気づかれてしまうわ‼」
私はそう言って、今にも鍵を回そうとするダスラの手首を掴む。
「大丈夫です、それについてはご安心を」
「なにを言って……」
そのときだった。
「おい、死んでるぞ⁉」
「ダスラはこっちへ行ったのか?」
「早く令嬢を確保するんだ!」
通路の角を曲がったあたりから、男たちの声。
「あぁっ、また……また、『同じ』‼」
絶望的な表情でダスラは鍵を回して開錠すると、乱暴に鉄格子の扉を開ける。そして私がなかなか出てこないのにしびれを切らせたのか、中に入ってきて。
「お嬢様、このままではお嬢様は無実の罪で処刑されてしまうのですよ⁉」
「だけどっ……」
私が罪を認める代わりに父や母、兄と妹は平民堕ちだけで許してもらっているのだ。ダスラを始めとする家人も、次の職を見つければいい。
でも私が逃げてしまったら? たちまちのうちに彼らは再度拘束されるだろう。そして私が出頭しないかぎりは、その身に安全の保障はない。
「というか、ダスラ? 私のこと、冤罪だと……⁉」
「もちろんです! だって私は、なにもしていなかったんですもの」
ダスラがなにを言っているのかわからない。そりゃダスラはなにもしていないはずだ。
(まぁ私も、殿下やスーリヤ令嬢へのそれは冤罪なのだけど)
ダスラは私の手を引いて、強引に牢から引きずり出す。そして牢の前に延びる通路を、一目散に走って。
「待って、ダスラ。私は逃げ出すわけには……」
「お嬢様、走ってください!」
いや、走っているのだけどね?
私は身長が一五〇センチほどしかない。ひょろガリのダスラは一七〇センチを超す長身で、うらやましくなるくらい足も長いのだ。
私はそのダスラの足の長さがうらやましくて、『少し短くしなさいよ!』とノコギリを片手に追い回したことがあった。といっても、私が十歳くらいの話よ?
それはともかく、当然ながら走る速度もダスラのほうがコンパスが長いので……私はつんのめりながらも必死にダスラに引きずられつつ。
「待ってダスラ、この先には看守が!」
「大丈夫です、お嬢様」
「ダスラ⁉」
走りながらダスラは弱々しい笑みを浮かべて振り返る。そしてエプロンのポケットから……血濡れたナイフを取り出した。
「もう看守は、息をしておりません」
「なにを……したの」
だがダスラはそれには応えず、すぐに前を向いて。この通路は、私が収監された牢からまっすぐ前に延びている。
そして突き当り、左右に道がわかれて。そしてダスラはやっと止まってくれた。
「こっちだ、急げ!」
「ダスラ、どこだ‼」
右方向、奥のほうは暗くてなにも見えないけれど複数の人間が走ってくる音と怒声。
「くっ……」
ダスラは苦虫を噛み潰したような渋面で舌打ちをすると、
「こっちです!」
そう言って私の手を引いて左へと走り出す。
「ちょっ、待っ……」
私はダスラに引っ張られる、というか引きずられるようにしてそのあとをついていくのが精いっぱいで。どのくらい走っただろうか、ダスラが不意に止まった。
「はぁ……はぁ……はぁ……ダスラ?」
両手をひざについて荒い息の私。いつのまにか、後ろから追ってきているであろう人たちの足音も怒声も聴こえなくなっていた。
「あぁっ、『また』なのっ⁉」
「え、ダスラ?」
ダスラの血を吐くがごとくの絶叫で、私は顔を上げる。するとそこには……。
「ナーサティヤ、僕の慈悲で家族は助けてあげようっていうのに逃げるのかい?」
「あ、殿下……」
アシュヴィン殿下だ。私の、婚約者……もう『元』がつくのだろう。
「お嬢様、お下がりください」
ダスラはそう言うが早いが、私の手首を掴んでいた手を離して血濡れたナイフを構える。
「やれやれ、仕方ない……」
殿下はそう言って肩をすくめると、
「おい、ナーサティヤは生け捕りにしろ。メイドは殺せ」
と傍で殿下を庇うように立っていた衛兵たちに命じる。
「はっ!」
そして彼らが、ダスラに一斉に襲いかかった。
「お嬢様、逃げてください!」
そう言ってダスラはナイフを振り上げて突進していくのだけど、その小さなナイフで、女だてらになにができるというの? 衛兵たちの持っている鋭利に尖った槍の穂先が、一本二本……三本四本とダスラの体躯を貫いていく。
「あぐっ⁉」
「ダスラッ‼」
そしてそれらが一本ずつ引き抜かれていく。そのたびにダスラの体躯から、次々と鮮血がシャワーのように吹き出して。
私は、動けなかった。だってどうすればいいというのか。
(私が逃げたら、家族にも累がおよぶ……)
でももしダスラと一緒に王城を抜け出すことに成功していたなら、私は幸せになれたんだろうか。ふとそんなことを考えた。
ゆっくりとダスラは倒れていく。ヒューヒューと、木枯らしのような呼吸音を立ててダスラは首だけをゆっくりとこちらに向けた。
「私『も』、ダメだった……」
「なにを……言って……」
ダスラの両目から、血が混じった涙があふれ出てくる。
あぁなぜこのメイドは、私なんかを助けにきたんだろう。思えば癇癪持ちでわがままで、つまらないことで因縁をつけては理不尽な暴力を振るう私から片時も離れることはなくて。
「捕まえろ! 怪我させてもいいが殺すな!」
殿下の、殺気立った怒声が響く。瞬間的に私は両手を拘束され、背中を押されてダンッと地面に抑えつけられてしまう。
「ダスラ、どうして?」
「……」
ダスラの私を見る目はうつろだ。口元がわずかに動いているが、血液に染まった赤い唾液の泡が出てくるだけでもうなにを言っているのかわからない。
思えばダスラは、いつも私のそばに寄り添ってくれていた。
健やかなるときも、病めるときも。喜びのときも、悲しみのときも……それこそ、死が二人を別つまで。
「ふふ……」
まるで結婚の義で宣誓する言葉のようだと、自嘲気味な笑いが思わずでてきてしまった。
今私は、笑っている。ダスラの死を哀しんでいるのかどうかはわからないが、涙の一滴すらでてこないのだ。
(こんな悪女の末路、断頭台が妥当なのかもしれないですね)
もうすっかり観念しているので、抵抗する気もおきない。もとより、逃げるつもりはなかったのだ。
(だからダスラ、あなたは犬死になのです)
衛兵たちが、ダスラの物言わぬ躯を引きずっていく。
私が罪を、処刑を受け入れることと引き換えに家族の安寧があるのだ。たとえ平民堕ちしてその行く道が、棘の道であったとしても。
哀れなメイド、ダスラ。あなたはその命を賭してでも私を救おうとその最期まで足掻き、そして派手にその花を散らしてしまった。
「え?」
これは頬に、涙がつたう感触? 私は……泣いているの?
「ダスラ……」
思えば私が癇癪を起して手を上げても、ダスラは抵抗もしなければ父やメイド長に訴えでることもしなかった。だけどダスラ以外の他人に対しての粗暴な振る舞いだけは、諫めようとしてくれた。
それでダスラの諫言にしたがうこともあれば、主人に対して無礼だと聞く耳をもたなかったこともある。そんな私にダスラは、必ず決まってこう言うのだ。
「お嬢様は、本当はお優しい心根を持った方です」
なぜ罵倒され殴られ蹴られながらも、私をそんなふうに見誤れるのか。一度それをじっくり訊いてみたかったが、それはもう叶わない。
そして翌日未明――私の首は、断頭台から転がり落ちた。
「ダスラ、またお嬢様のところへ行くの」
「はい、仕事ですから」
私はポケットに消毒薬とガーゼと包帯を忍ばせつつ、ナーサティヤ・ラーセン公爵令嬢のお部屋に向かう。
(はぁ……また殴られるんだろうか)
正直気が滅入るけど、そうも言ってられない。
「失礼します」
お嬢様の部屋にノックして入ると、さっそくティーカップが飛んできた。よけるべきかどうか逡巡したが、よけたらさらにお嬢様の機嫌をそこねてしまうだろうな。
「痛っ!」
ティーカップが、私のこめかみを直撃した。中身が入っていたようで、それが私のエプロンを紅茶色に染める。
「ダスラ、お茶がぬるいわ! 取り換えてちょうだい!」
「……はい、かしこまりました」
うーん。こうして他者の視線で見ると、『昔の私』はかなりの愚物だったのだと思い知らされる。
二十三年前のあの日、私の首は確かに断頭台から転げ落ちたのだ。首を斬られてほんの数秒だったか、目の前の世界が回転する景色を私は確かに見た。
そしてナーサティヤとしての短い生を終えて、気づいたら――。
「ダスラ! ダスラ⁉ 返事をなさい、ダスラ!」
「あ、はい。なんでしょうかお嬢様」
いったいなにがどうしてこんなことになっているのか、私はダスラとして転生している。そして今、私の目の前にいるのは『元・私』ことナーサティヤお嬢様。
あれは私が十六歳のときだったか、いつもどおりお嬢様の癇癪に辟易する毎日を送っていた。その日もお嬢様は絶好調で、お部屋はお嬢様の癇癪の余波をくらい廃墟のような有様だった。
なにが気に食わなかったのか、椅子を振り上げての破壊活動。窓は割れ、家具は壊れ、布団はビリビリに破られていて。
(これが三歳の女児がやることかな)
本当に心の底から戦慄したものだ。そして右手にモップ、左手に箒を持ってふとドレッサーの前を通ったとき。
「え……ダスラ?」
いや、ダスラは私だ。私なのだけど、その姿見の鏡に映った自分が自分のような気がしなかった。
「ダスラ⁉ どうしてここに?」
そんなことを言いながら、鏡に歩み寄る。
(あ、ダスラは私か)
モップの柄と箒の柄を掴んだ私の姿が、あの日のダスラに重なった。牢の前に現れて、鉄格子を両手で掴んで私に語りかけたダスラに。
そしてそのえもいわれぬ既視感に刺激されて、私は前世のすべてを思い出したのだ。
「私……ダスラになってる⁉」
しかも、過去に遡っているではないか。こんなことをやらかした神だか悪魔だかは知らないが、なんであんなパッとしない容姿の行き遅れ女に転生したのかと憤慨したのを覚えている。
人はこれを、自虐といいます。そして前世の記憶を思い出して早七年、現在私は二十三歳でお嬢様は御年十歳。
「これ、あげるわ!」
そう言って、お嬢様は白いハンカチを私にさしだす。
「?」
「カップが当たったところ、血が出てるから」
ハンカチを出した手を伸ばしたまま、ふてくされつつも照れながら顔を背けるお嬢様。ツンデレかな?
「ありがとうございます」
私は決めたのだ。ダスラとして再びやり直しの機会が神様から与えられたのだとしたら、今度こそ悔いのない人生を送ろうと。
そして今度こそ、お嬢様を救ってみせる。
(今度こそ、というのはヘンか)
だってそうだ。これまでに失敗してきたダスラは、私じゃないのだから。
そして私は思い出す……かの牢獄で、『前のダスラ』が言っていた言葉を。
『この無限に続くメビウスの環を今度こそ……断ち切ってさしあげたかった』
メビウスの環――帯状の紙をねじって貼り合わせる。そうすると、外側と内側がつながった不可思議な環ができあがるのだ。
外側は内側に、内側は外側に……それが終わることなく続く。
つまり私がよく知るダスラも、その前世はナーサティヤお嬢様だったのだ。そして前のダスラがナーシャだったときのダスラの前世も、またそうなのだろう。
今の私と同じようにお嬢様に虐げられつつもその成長を見守りながら、冤罪で処刑されてしまうお嬢様を救おうとして短い生を終えた。
これから六年後、お嬢様が十六歳になるときだったから享年二十九歳?
(そういえば……)
ナーサティヤだったときの私、ダスラのことを確か……。
『地味な眼鏡で女としては正直終わってる私のメイド、行き遅れのダスラ』
思わず吹き出してしまった。いま目の前にいる『私』は、こんなことを思っているのかと。
「何が可笑しいのよ! ハンカチはいるの、いらないの⁉」
「あ、すいません。お借りします」
よく考えてみれば二十九歳なら、立派な行き遅れだ。つまりあれか、今代のダスラである私も二十九歳まで結婚もできないと。
「貸すんじゃないわよ、あげるの! たとえ洗ったとしても、返してくれなくていいからね‼」
「私の血がついたハンカチなんて、気持ち悪いですもんね」
「よくわかってるじゃない」
ハンカチをお借りして、こめかみをにあてる。確かに一瞬ピリッとした痛みが走ったので、切ってしまったのだろう。
(ガーゼ、持ってきてたんだけどな)
「では、お茶をお淹れなおしますね」
私はそう言って、ティーワゴンのもとへ。そもそもお茶がぬるいって、淹れたのはお嬢様なのでは……うーん、理不尽!
「ねぇ、ダスラ」
「なんでしょうか?」
「どうしてダスラは、私がなにをしても怒らないの?」
ああ、そういや私がナーサティヤだったころによくダスラに訊いたな。そしてダスラは決まってこう答えるのだ。
「私にあたることでお嬢様の心の安寧が保てるのならば、それでよいのです」
「ふーん、頭おかしいんじゃないの?」
そしてお嬢様がそう返すのも同じ。でもここからは、私の知らないダスラ劇場の始まりである。
「そうかもしれませんね。でもお嬢様ほど、おかしくはないつもりです」
さて、鬼が出るか蛇が出るか。
「……今、なんて言ったの?」
静かにキレてらっしゃるな。よく考えたら、出てくるのは鬼でも蛇でも迷惑だ。
「そうですね、お嬢様の頭は私よりおかしいと申しました」
そして私は冷徹な視線で、お嬢様を見下ろす。
「ねぇ、ダスラ」
「なんでしょうか?」
「そこに両膝をついて目をつぶりなさい」
やれやれ。まぁそうなるでしょうね……また殴られるのかしらん?
お嬢様の前まで歩み寄って傅く。そしてギュッと目をつぶって。
目をつぶっているのでわからないが、お嬢様が席を立つ音が聴こえた。そしてすぐに戻ってくる足音。
「‼ 熱いっ⁉」
頭からビシャーッとかけられたのは、淹れたての熱々のお茶。
声をたてたら、みながやってくる。さすがにこの蛮行は旦那さまたちに告げ口されてしまうだろう……そう思って、ばれないように両手で口を押さえて床をのたうち回る。
「(ウーッ! ムーッ‼)」
「あははは‼ おっかしい~」
熱さにもがき苦しむ私を指さして、泣き笑いのお嬢様。本当にこいつはクソだな。
どのくらい経っただろうか、苦しみ疲れて私は息も絶え絶えだ。殴られるか蹴られるかは覚悟していたが、まさか熱々のお茶を頭からかけられるとは。
「誰か、誰かいますか‼」
お嬢様がほかのメイドを呼ぶ声がする。いやいや、お嬢様の狼藉を秘匿するために私は熱さによる痛みを我慢したんですけど⁉
「ダスラが頭からお茶をかぶっちゃったみたいなの。すぐに手当てをしてあげてちょうだい」
「かしこまりました! ダスラ、大丈夫⁉」
仲間のメイドたちが、慌てて私のメイド服を脱がす。ワンピース型の制服だから、お嬢様の部屋で私はパンツ一丁にひん剥かれてしまい。
「背中が赤く腫れてるわ。ダスラ、歩ける?」
「なんとか……」
私が頭からお茶をかぶった? いや間違ってはないが、まるで自分で自分の頭にかけたみたいな言い方ではないか。
(そんな芸人みたいなこと、するわけないでしょ!)
と言いたかったが、ここは心に留め置く。
お尻やふともも裏、ふくらはぎにも熱いお茶がかかっているので後背全体がピリピリと痛む。
結局、仲間のメイド二人に肩を借りてお嬢様の部屋を退出。医務室までとはいえ、屋敷の中をパンツ一丁で歩くのは結構な背徳感だ。
医務室への途で、ここで働く何人かの男性とすれちがう。みな一様にギョッとして二度見したあと、あわてて背中を向ける。
結局、ポーションで治療してもらい表面的には無傷に戻ったものの……熱くて痛かった記憶までが消えるわけじゃない。しばらくの休憩が必要だと、私はベッドから出してもらえなかった。
「ダスラ、いる?」
「お嬢様?」
ベッドで暇していると、扉が開いてピョコッと顔を出したのはほかならぬお嬢様。なにしにきたんだろ?
「どこかお怪我、それとも具合が悪いのですか?」
私はそう言いながらベッドから出ようとして、慌てて駆け寄ってきたお嬢様に押し戻された。
「ダメよ、寝てなきゃ! あなた、火傷しているのよ⁉」
お前が言うか。
「そのダスラ……」
ちょっとしょぼくれた表情のお嬢様、タタタッと扉のところまで駆け寄って廊下の左右をチェック。誰も近くにいないことを確認して、戻ってきた。
「さっきはごめんなさい、ダスラ。でもあれはダスラがいけないのよ?」
「ですね。お嬢様、もうしわけありませんでした」
ベッドの上で上半身を起こしている私、そのまま深々と頭を下げる。そして、
「お嬢様は、本当はお優しい方なのですね」
前のダスラの口癖だ。
「え?」
「だって、お見舞いにきてくださったではないですか」
「! ちっ、違……」
前のダスラは、私に不敬な言葉を一度も吐かなかった。そりゃ他人に対する不当な狼藉にだけは、諫言を呈してきたけれど。
でも、それだけだった。それとて、怒るというよりは諭す感じで。
(とはいえ、ダスラに対しての暴力だけは怒られなかったんだよね)
前のダスラがなにを思いなにを考えそういう方針で当時の私に臨んだのかは今となっては知る由もないが、私は私でダスラと違うダスラを演ってみようと。
なので今日みたいに、言いたいことは言ってのける。その代わり、罰も甘んじて受けようと。
(まぁ今の私は平民のメイドだしね)
公爵令嬢といえば、身分制度の頂点近くに住まう生き物だ。平民の私の命なんて、その前ではとてもとても軽い。
で、そういうのを繰り返していけばいずれ解雇になるだろう。そうなったらそうなったで、お嬢様を助けるというのはきれいさっぱり諦めてダスラとして幸せになる道を模索しよう。
……なんて薄情なことを考えていたのに、全然そうなる気配がない。なんでだ?
「でも自分の淹れたお茶がぬるいと言って、メイドの頭に中身が入ったティーカップをぶつけるのはお優しくありませんね?」
ちょっと嫌味ったらしく言ってみる。
「ダスラ、あんたねぇっ‼」
お嬢様は憤って椅子を立ったが、チラと私のこめかみを見て……。
「まぁ、その悪かったわよ」
ムスッとしながらも、再び椅子に腰を下ろすお嬢様。そしてまたなにか言おうとしているのだが、躊躇ってなかなか口が開かないようで。
「頭からお茶をかけられたことに関して、私は怒っていません。あれは罰なのですから」
「そ、そう?」
少し気まずそうだな? ちょっと可愛いかもしれない。
「それよりお嬢様にお願いがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「なに? 交換条件てこと?」
「交換条件?」
なんの話だろうか。
「私が怪我を負わせたこと、パパとママに黙っててもらうというか」
それは考えなかったな。元より、そのつもりはないのだけど。
(ここは乗っかるか)
「で、なによ? さっさと言いなさいよ!」
いらちだなぁ。昔の自分を見ているみたいで恥ずかしい、というか昔の自分を見ているわけで。
「これまでお嬢様のことを『お嬢様』とお呼びしてきた件ですが」
「うん」
「今度から『ナーシャお嬢様』と呼びたく……その、許可をいただければと」
「え⁉」
前のダスラと同じことをやっていたら、あのバッドエンディングも同じようにやってくるだろう。そう思って、いろいろと試してみようと思う。
それはつまり、『前のダスラがやらなかったこと』をやってみようと。これがなんのトリガーになるかはわからないが、とりあえずは呼び方の変更から。
自分で言っちゃなんだけど、これでも前のダスラとは違うつもり。私のよく知る陰キャのダスラは、いつも元気がなくて。
いつもいつも暗い顔をして私を憐れむかのような視線を向けてくるダスラだったけど、私は私で私なりのダスラを演る。演ってみせる。
私の前世の記憶が蘇ったのは、十六歳のとき。そのときすでに、私はお嬢様のメイドだった。
今のように専属ではなかったけど、三歳のお嬢様はそりゃもう可愛くなくてどうしようもなかった。まるで昔の自分を見ているみたいで、すごく恥ずかしかったのを覚えている。
(いや、昔の自分を見ていたわけだけど)
そこで腹が立って腹が立って、お嬢様の『他人に対する』理不尽にだけは厳しく諭してきた。誰も見ていないところでは、多少暴力的なこともしたかもしれない。
その代わりといってはなんだが、自分への八つ当たりや反撃は無条件に受けることにした。ガス抜きって必要だしね。
そうすることによって、いつのまにかお嬢様に説教からの反撃をくらうというルーティンができあがる。私のときよりも、ダスラと一緒にいる時間が長くなっていく。
そしてそれの影響は結果的に、思ってもみない部分で歴史の修正が行われてしまったかもしれない。
(旦那様と奥様とは、お嬢様との仲が悪いんだよね)
前世でナーサティヤだった私は、パパとママの命と引き換えに冤罪を認めてまで守ろうとした。それは、愛するパパとママを守るためだ。
そりゃ悪いことをしたら叱られたが、優しい両親だったのは間違いない。いつもナーシャ、ナーシャと呼んで可愛がってくれた。
だがなにがどうしてそうなったのか、今世のお嬢様は両親に愛されていないのだ。
(私が歴史を変えてしまったのだろうか)
それはわからないけど、結果的にお嬢様を『ナーシャ』と愛称で呼ぶ人がいなくなってしまった。だから、だから。
「ダメでしょうか?」
そうならそうで構わない。何ごとも、とりあえずたくさんの可能性を試してみること。
(それに今のお嬢様、私がナーシャだったときとはちょっと違う気がする)
私は私で、前のダスラと違うように。
前世の私はダスラに怪我を負わせても、見舞いにいくなんてしなかった。むしろ、医務室で安静にしているダスラを呼びつけてまでいたような気がするんだ。
「……どうして、そう呼びたいの?」
訝し気な表情で、お嬢様が訊いてきた。まぁそりゃそうだ、あまりにも突然だもんね。
「お嬢様と、お友達になりたいのです」
「へ?」
お嬢様、ポカーンとしてらっしゃる。そりゃね、私は平民ですもん。
(それが貴族、公爵令嬢と友達になりたいなんて……しかも主従の間柄。こりゃまたキレられるかな?)
それは覚悟の上だ。こうやって何度もいろいろ試しフラグをへし折って、歯車も取り換えてみよう。
「ほら、お嬢様ってお友達がいないじゃないですか」
そしてとどめを刺す私、もうあとは野となれ山となれ。解雇じゃなければ万々歳だ。
だけどお嬢様の返事は、私には意外すぎる内容だった。
「友達は……無理よ。だって私は貴族で、ダスラは平民じゃない」
ちょっと困ったように、お嬢様はおっしゃる。なんというか、『そのお願いはかなえてあげたいけれど』という苦渋の決断に見えるのは気のせいだろうか。
「だけど、ナーシャって呼ぶのはいいわよ? ただ平民が呼び捨てにすると……ちょっと外聞が悪いわ、ダスラまで誤解されちゃう」
いや、呼び捨てする権利まではお願いしてないのですが……。
「だから『ナーシャお嬢様』なら。どう?」
「ありがとうございます、ナーシャお嬢様!」
正直、嬉しかったな。だからそれが顔に出たんだろう。
「そんなことで嬉しいなんて、ダスラは変わってるわね!」
そう憎まれ口を叩くお嬢様もまた、口角がニヤついてますよ。
「ところで、ダスラ」
「なんでしょうか?」
お嬢様はおもむろに立ち上がると、医療機器が入っている戸棚を無断で開ける。そして……あれは医療のどこに使うのだろう、抜歯かな?
お嬢様の手に握られているのは、大きなペンチ。それを手にツカツカと戻ってきたお嬢様、寝ている私の太ももを思いっきりペンチで捻り上げた。
「くぁwせdrftgyふじこlp⁉」
「誰が友達がいないですってっ‼ 余計なお世話よ!」
痛い……痛すぎる……。油断してたのもあって、手を口で覆う暇もなかった。
というか、やっぱりその発言に対しては怒ってらっしゃいましたか。まぁ私だって怒るだろうな。
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※ここまでのあらすじは序章の内容に当たります。
※乙女ゲームのバッドエンド後の話になりますので、ゲーム内容については殆ど作中に出てきません。
「悪役令嬢の追憶」及び「悪役令嬢の徘徊」を若干の手直しをして統合しています。
「追憶」「徘徊」「慟哭」はそれぞれ雰囲気が異なります。
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