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前半
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ざわざわと人の多いパーティー会場で、私は一人…シャンパンを飲んでいた。
本来であれば、隣にいるはずの婚約者であるエディッド・リーパー侯爵令息は会場内にはいないらしい。
「まぁ…マナベル様はお一人なのね…」
「そりゃエディッド様は今頃あの方と一緒に愛を語り合っているのでしょう」
「そうよね、エディッド様が愛しているのはスザンナ様ですもの…」
「いくら公爵令嬢だからって、愛し合う二人を引き裂くなんて…。リズバーグ公爵は娘の我儘は何でも聞いてしまうから…」
「リーパー家の弱みにつけ込んだらしいわよ」
ヒソヒソ、こそこそと囁かれる令嬢達のくだらない噂話も今日の私は笑いながら聞き流せるわ。
それに、私が彼の顔が好きだったのは確かだけれど婚約云々はリーパー家から懇願されて結ばれた物よ。
詐欺にあって借金まみれになった没落寸前のリーパー家に、誰も見向きもしなかったのをこの国の宰相であるお父様だけが手を差し伸べた事によってリーパー家からどうしても息子との婚約をと言われたのだ。
お父様は最初断ろうとしていたが、私が受けるわと言ったから渋々受け入れたに過ぎない。
「それが私の我儘…ねぇ?」
ちろりと目線だけを動かして、噂をしている令嬢を見る。
ダイナス子爵家、メロウ伯爵家のご令嬢達…どちらもスザンナの取り巻きじゃないの。
自分が同じ事をされてもそうやって笑っていられるのかしら?
あなた達の婚約者も…まぁ、いいわ。
そんな事を言われるのも今日でおしまい。
何故なら、私は今日…。
「マナベル、ごめんよ、一人にさせてしまって」
走って来たのか髪が乱れているご婚約者様が笑顔で声を掛けて来る。
ごめんよ、と言いながら私の物とは違う香水の香りをさせている。
彼、エディッド・リーパーはご令嬢達に非常に人気がある。
柔らかな蜂蜜色の髪に、深い緑の目、整った顔立ち。
それなりに鍛えた躯。
見た目だけかなりのイケメンだ。
中身は浮気するクズ男なんだけれど。
「いいえ?慣れておりますので大丈夫ですよ」
「そんな…いつも君を放っているみたいじゃないか…。俺が愛してるのは君だけなのに」
「まぁ…そうだったのね、知らなかったわ」
まるで舞台俳優のように演技掛かった台詞で、私が信じると本気で思っているのかしら?
本当…良いのは見た目だけね…。
「俺はマナベルを愛してるよ」
あらあら、襟元にピンクの口紅が付いていてよ?
全く隠す気があるのかないのか…。
私はにこりと笑みを浮かべてしまう。
この男は浮気の言い訳を何と言うのか。
想像したら笑えて来る。
私は、彼の浮気を知っていた。
「スザンナ…俺、君の事がどうしようもなく好きなんだ」
「エディッド様…嬉しい…!でもエディッド様には婚約者が…」
「あんなの親が決めた婚約だ!俺はあんな冷たそうな女より、可愛らしく優しい君が……!」
「あぁエディッド様…!私も…私もお慕いしています…!」
その場で抱き合い激しくキスを交わす二人を見たのは、約三ヶ月前。
私と婚約を結んで半年が経過した時だった。
パーティーで姿を消したエディッドを探しに庭園に出た時、偶然にも見てしまったのだ。
確かに私は冷たい印象なのだろう。
黒髪にアイスブルーの瞳は見る人を威圧してしまう。
加えて背も高く吊り目がちな私がどれだけ笑顔を向けたとしても、薄ピンク色の髪と目でふわふわと笑う華奢なスザンナの方が庇護欲を掻き立てられるに違いない。
私はフラフラと会場に戻り、ぼぅっとその光景を思い返していたのだが。
考えれば、考えるほど。
言い様のない怒りが湧き出て来て。
一瞬にして彼への好意が砕け散ったのだ。
それはもう見事に粉々に。
その時、私は決意した。
然るべき場で然るべき罰を受けて貰うと。
私は目線だけを動かし、すぐ近くにスザンナがいる事を確認した。
「マナベル?どうしたの?やっぱり一人にしてしまったから、怒ってる?」
「いいえ?怒ってなんていませんわ。例えあなたがスザンナ様と浮気をしていたとしても!!」
今度は私が舞台女優のように声量を上げて話し出す。
突然の暴露に周りは騒めき、注目が私達に集中した。
「なっ…何を言ってるんだ、マナベル!俺は浮気なんて…」
目に見えて慌て出すエディッドが、滑稽で思わず笑ってしまいそうになるけれど我慢よ!!
今はとにかく悲しげにしなければ!!
公爵令嬢の本気を見せてあげるわ!!
「いいえ!エディッド様は浮気しています!!スザンナ様と…!!酷いわ!!婚約者の私が居るのに!!」
私はポロポロと大粒の涙を零しながら女優を続行中だ。
一週間前に天に召された猫のディーバを思い出せばいくらでも涙が溢れて来る。
18年も生きてくれてありがとう!!
貴女との思い出は一生の宝物だわ!!
「スザンナ嬢とは何でもないよ!!たまに話す程度の女だ!!こんなに美人なマナベルに敵うわけないだろ!?あんな女!!」
ぽっと頬を染めて私を見つめるエディッド。
初めて見る婚約者の涙にドキドキしちゃった?
でも…いいのかしら?
スザンナがそこで目を見開いて固まっているわよ。
エディッドはそこにスザンナがいる事を知らないのでしょうね。
それにしても…なんて陳腐な言い訳なのかしら。
たまに話す程度で、襟元に口紅なんか付かないのに。
馬鹿はやっぱり馬鹿なのね。
私はすぅ、と息を吸った。
「でも、私と違う香水の香りをぷんぷんさせて…襟元に口紅まで…浮気以外考えられないわあああああ!!」
響き渡る私の叫び声。
集まって来た貴族達の冷たい視線がエディッドとスザンナに突き刺さる。
「まぁ…本当に口紅が付いているわ…!マナベル様は赤い口紅なのに…ピンクの口紅ね…」
「ほら…スザンナ嬢の口紅と同じ色よ…マナベル様の言っている事は本当なのよ…」
「何て事だ…リーパー家はリズバーグ家に大恩があるのに…あの息子のせいで仇で返したのか…」
「あのまま没落させていた方が良かったんじゃないのか…マナベル様が可哀想だ…しかし、息子もクズだがカダル家の令嬢もダメだな…人の婚約者に手を出すなんて…」
ひそひそと周りの貴族達が囁き出す。
そうそう!その調子でもっと言って?
ついでに国中に広めてちょうだい!
私は今日という日を待っていた。
三ヶ月前からずっと。
王宮主催のパーティーで、一番貴族が多く集まる日を狙ってこの茶番劇を仕掛けようと決めたのだ。
「ち、違う!!違うんだよマナベル!!俺は断ったけど、あの女が誘って来て…!」
あぁ、もう認めちゃうのね。
誘った誘われたはどうでも良いのよ。
乗ったのは自分でしょうに、何を被害者面しているのやら…。
上がりそうになる口角を扇で隠して、しくしくと泣く可哀想な令嬢を演じ切る。
「ちょっと!先に告白して来たのはエディッドでしょ!?嘘つかないでよ!!」
「なっ…君が先に擦り寄って来たんじゃないか!!」
スザンナ登場!!
何ていいタイミングで登場してくれるの!!
もしかして劇団員なの!?
ダメだわ、笑いを堪え過ぎて顔が痛いわ。
この二人、自分の保身に必死になり過ぎてお互いしか見えてないのね。
自分達にスポットライトが当たってるって事に。
もう独壇場よ!!
一歩引いた所で私は周りの人垣と同化して、辺りを観察する。
そこでふと目に付いたのは、さっき私を貶していた令嬢二人と、その近くで無になっている令息二人。
まぁまぁ、ここにも劇団員が居るじゃないの。
是非とも後ほど出演してもらいましょ?
「あら…」
会場隅の扉が開いて、お父様が慌てた様子で走って来るのが見えた。
お父様、ごめんね、ちょっと騒ぎを起こしてしまったけれど仕方ないのよ。
私はまたすぅ、と息を吸う。
「もう止めて下さい!私が…私が悪いんです!!」
私は悲劇のヒロインスイッチをオンにした。
相変わらずポロポロと涙を流しながら、そう叫んだ事でしん…と静まり返ったみんなの目線が私に戻る。
「私が居なければ…彼らは結ばれていたのに…。私が婚約破棄に踏み切れなかったせいで…!!ごめんなさい!エディッド様…スザンナ様…!」
「マナベル…違…違うんだよ…」
「ダイナス子爵令嬢とメロウ伯爵令嬢もそう言っていたわ!エディッド様が愛しているのはスザンナ様だって!!」
「そ、そうよ!あなたの我儘で私達は引き裂かれたのよ!」
スザンナ、責任転嫁にも程があるでしょ。
政略結婚も多いこの世界で、婚約者がいるのを知った上で近付き…破棄なりなんなりをしない上で関係を結ぶのは御法度なのよ?
頭の中が男の事ばかりでわからないのかしら?
そして、まさか自分達が出演すると思ってなかったご令嬢二人は真っ青になっている。
くだらない噂をするからこうなるのよ。
またの飛び入り参加をお待ちしていますわ!
「マナベル!!これはどうなってるんだ!?」
はい、お父様到着!!
いらっしゃいませ、お父様。
お怒りお父様コースになさいます?それとも冷淡宰相コースになさいます?
「あ…お父様…エディッド様が…う、浮気を…!」
精一杯の上目遣いでの涙ポロポロ。
頑張れ私!!
もうすぐ山場よ!!
「なっ…!!マナベルが泣いている…だと!??」
驚愕の表情になったお父様を見て呆れる。
失礼ね、普段冷静な私だって泣く時くらいあるわよ。
ディーバが亡くなった時を忘れたの!?
ずっと泣き通してご飯すら食べれなかったのに!
あぁ…ディーバ…最後に二人で眠った日の事忘れないわ…!
「お父様…うっ…ううっ…!」
最後にディーバは私の指を舐めてくれたのよ!!
あぁ…ディーバ…会いたいわ…。
ぼたぼたと涙は止まらない。
周りの女性は釣られたのか目元をハンカチで押さえている人もいた。
私は大丈夫。
侍女のアリに涙を流しても崩れないメイクにしてもらっているから!
「マナベル…辛かったな…!で?エディッド君、君は…浮気を?そのお嬢さんと?」
お父様は私を背に庇ってエディッドに厳しい声色で詰問している。
エディッドが回らない頭をフル回転して、導き出した答えはまた…愚かな一言で。
「しょ、証拠がありません!俺が浮気したっていう証拠が!俺が愛しているのはマナベルです!」
「なっ…!マナベルなんて金の為に結婚するんだって言ってたじゃない!」
「うるさい!君の虚言はもういい!」
「何ですって!?」
また言い合いが始まって、ギャラリーは顔を顰めて聞いている。
「…黙りなさい。証拠がない…か。マナベル、これだけの事をここでするんだから、もちろんあるんだろう?証拠は」
「もちろんですわ、お父様」
証拠がないわけがない。
三ヶ月前に、私はとある新聞記者を数名雇い入れた。
破格の雇用額に、すっかりご機嫌になった彼らは非常に良い仕事をしてくれている。
まぁ、馬鹿二人の浮気証拠なんてあっという間に集まり過ぎるくらいあったのだが。
彼らはそれ以外にも色々と集めて来たのだ。
「今、それは手元にあるかい?」
「えぇ、もちろん」
私は会場の外に控えていた記者達に合図を出した。
すると、彼らは黒いローブ姿で姿を現し、記録水晶を取り出した。
記録水晶はとても高価で、他国で売り出されている物だ。
文字通り、映像と音声を記録する事が出来る。
私はそれを三つ購入し、彼らに渡していたのだが。
一生触れる事のない代物を渡された彼らは張り切って取材をした。
「お嬢様、いつでも大丈夫です」
「じゃあ、お願い」
「はい!」
ぶぅん…と音がして映し出された映像は想像を軽く超える生々しい物で。
薄暗い森の中で激しく交わるエディッドとスザンナの場面から始まった。
「あっ…あぁっ…すごいっ…いぃっ…エディッド様ぁっ!!」
「はぁっ…はぁっ…スザンナ…締まる…締まるよ…っ!」
「もっと…もっとしてぇっ…!イク…もうイッちゃう!!ああああ!!」
グチュグチュ、パンパンと肉のぶつかる音をさせながら後ろから貫かれるスザンナ達の映像は進んでいく。
目を逸らす婦人達、興味津々で見る令嬢、令息達。
反応は様々だが、みんなの目は映像に釘付けだ。
私も初めて映像を見たが、獣みたいで気持ち悪くなって来た。
「も、もうやめてぇ!!止めて!止めてよ!」
「うわあああ!止めろ!止めてくれえぇ!!」
見事に息ぴったりな二人が同時に騒ぎ出す。
まぁ、二人共お顔が真っ青。
エディッド様なんて汗と涙と唾が…汚いわ。
スザンナ様も泣いているけどいつもの庇護欲をそそる顔じゃないわね、醜いわ。
「…スザンナ嬢凄いな…でも…あんな外で…」
ぼそりと呟かれた一言が重い。
そうよねぇ、あんな外で。
人目を避けるとああなるのねぇ。
その時、背後に誰か来たが目の前の面白すぎる光景から目が離せなかった。
その時、パッと映像が変わり、どこかのホテルの一室で絡み合う男女が映し出される。
「スザンナのここは、何が欲しい?」
足を広げた女の股を手で弄りながら男が問う。
「ステファン様のが欲しいです…!」
「俺の何?」
「あっ…ステファン様のおちんちんが…っ…欲し…っ…」
「ふふ…いいよ…」
ステファンと呼ばれた男がぐっと腰を進めると、スザンナから嬌声が上がる。
私はさっき、ご登場頂いたダイナス子爵令嬢を見た。
唖然とした顔で映像を見ているが、ステファンは彼女の婚約者…アゼッシュ伯爵家のご令息だ。
続いてまた違う男性との情事が映し出されると、今度はメロウ伯爵令嬢の婚約者であるメイソン侯爵令息が事もあろうにスザンナを縄で縛って励んでいたのだ。
隠された性癖をまさかこんな所で暴露されると誰が思うだろうか。
二人の令嬢、令息はガタガタと震えるばかりで、飛び入り出演はもう出来そうにない。
「あら…みんな呆然としちゃって…浮気の事実が結婚前に解って良かったじゃないの…」
ぼそりと呟くと、背後にいた人物がふ、と笑った気がした。
「止めて!もう止めてよぉっ!この悪魔!!」
スザンナが私に向かって叫ぶが、果たして悪魔なのはどちらかしらね?
「…エディッド君、君とマナベルの婚約は破棄する」
「ま、待ってくださ…」
「エディッド!!この馬鹿者!!!」
バシンと凄い音がして、エディッドが身体を折り曲げ膝を突く。
見ればリーパー侯爵が、杖で思い切りエディッドのお腹を殴っていたのだ。
リーパー侯爵…なかなか激しいのね。
「ち、父う…げぼっ…」
「この馬鹿者!!貴様何をしたのか解っているのか!!」
リーパー侯爵は真っ赤な顔で杖を振り上げ何度もエディッドを殴りつける。
エディッドは頭を手で庇ったまま、蹲ってしまった。
…それ以上は死んじゃうんじゃない?
まだ怒りの冷めやらぬ彼はさらに杖を振り上げるが、そのまま動きはぴたりと止まった。
「もう止めとけ」
私の背後から掛かった一言によって。
私はびくりと肩を揺らした。
聞き覚えのあるその声は、まさか…まさか……。
「お前、婚約破棄したんだな?」
恐る恐る振り返ると、明かりに煌めく銀髪が見えた。
「おい、答えろ。婚約破棄したんだよな?」
じろりと赤い目で見下ろされる感覚にぞわりと背中が寒くなる。
「…ルシフェル…殿下…」
「マナベル、俺の質問に答えろ」
「…見ていたなら、解るのでは?」
「お前の口から聞きたい。婚約破棄、したんだな?」
「……えぇ。したわよ。笑いに来たの?パーティー嫌いがこんな所にいるなんて」
ぷいと顔を背ける。
殿下、と呼ばれる人にどうして私がこんな態度で許されるのか…それは。
銀髪を煌めかせ、眼光鋭い赤い目を持つこの国の第一王子…ルシフェル・アーガスタの幼馴染だからだ。
「今さっき戦場から帰って来たら、面白そうな余興が見えてな」
ふっとルシフェルが笑うときゃあっと黄色い声が上がる。
国内でぶっちぎり一位の人気を誇る彼は、ただ笑うだけで明日の新聞は飛ぶように売れるだろう。
それだけの美貌をお持ちなのだ、それは認める。
ただ、中身がとんでもなく意地悪。
私は小さな頃から散々な目に遭ってきた。
何もしていないのにいきなり噴水に突き落とされたり。
蛇を投げられたり、他にも数えればキリがない。
あれから私は蛇がダメになり、あの噴水には近付いていない。
「人の不幸を面白いなんて…相変わらず捻じ曲がった性格ね」
「何だよ、アイツと俺なら付き合い長いのは俺だし、お前の事解ってんのも俺だろ?」
「あんたが私の何を解ってると言うのよ」
ニヤリと意地悪い笑みを浮かべて、ぼそりと耳元で囁いてくるこの男は何を考えているのか。
今現在どんな視線を向けられているのか解っているのか。
「へぇ?じゃあ、アイツと俺ならどっちを選ぶ?」
「…どっちも嫌だ」
「どっちかなら、って例えだろ?ほら、どっちだよ」
「まぁ…まだあんたの方がまだマシね」
「だろ?」
ふふん、と自信たっぷりに言う様が無駄にカッコよくて腹立たしい。
見た目だけは抜群に良いのだ。
それこそ、エディッドなんか鼻で笑えるくらいに。
「見た目も中身も俺のが上だろ?」
確かに。
そりゃそうだけども。
自分で言う!?
「だからお前は俺を選ぶだろ?」
赤い目でじっと見つめられると、条件反射のように頷いてしまう。
小さい頃からの刷り込みに近い。
ルシフェルの言うことは聞かなきゃ終わらない。
いつだってそう。
我儘で俺様なこの男は、自分の望んだ事は全て叶えて来た。
そして、その為の努力は惜しまない。
周りの人は振り回されてばっかりだけど、真っ直ぐな彼に文句を言いながらも笑いながら手を貸してしまうのだ。
そんな彼が好きだった事もあったけれど、今は嫌な思い出しか出てこない。
「だそうだ、宰相。許可は得た」
「殿下…空気読んで貰えますか。まだ、先の問題が終わっていませんので」
「は?あぁ、まだ映像流してんのか?止めろ。うるさい」
スザンナの痴態は垂れ流されたまま、後ろで聞こえる喘ぎ声の中で普通に話をするこの男の神経が理解できない。
ルシフェルの一言で止められた映像に、スザンナは崩れ落ちあちらこちらで婚約者同士の紛争が巻き起こる。
「何人喰ってんだよ、あの女。やべーな」
「相当な数いるわね…大変ね、浮気者を婚約者に持つと」
「お前もな」
「何よ、見る目がないって言いたいんでしょ!?」
「ねぇな。宰相もな。ほらな?言っただろ、宰相。この選択は間違ってるって」
ルシフェルは何故かお父様に得意げにそう告げた。
お父様は苦虫を噛み潰したような表情でルシフェルを見る。
「だからさっさと準備しろよ?」
「くっ…本人の意思を尊重しますぞ、私は…」
「まだ言ってんのかよ?」
「当然です!」
お父様はルシフェルに何か脅されているんだろうか?
無駄よ、ルシフェルが言い出したら絶対にそうなるのよ。
私は溜息を吐く。
「マナベル、さっき俺が良いって言ったよな?」
「え?そうなるのかしら?」
「選ぶか?って聞いたら頷いただろ?」
「そうね」
ほぼ条件反射でね。
あんな時は是を示さないと後が怖いのよ。
とんでもない状況に追い込まれて是を示すように持っていかれるだけなんだから。
「ほら、宰相。もういいだろ?」
「マナベルに内容は伝えていますか!?」
「俺が良い、が答えだろ?」
「あぁ…何て事だ…」
お父様は天を仰いで深い溜息を吐いている。
それは別に良いんだけれども、皆さん忘れてない?
この状況…どうするの?
みんながぽかんとしてるわよ?
「ねぇ…お父様…これ…」
「あ!そうだった!取り敢えず、リーパー侯爵と私は話をしなければ」
「じゃあ、もう後は俺に任せて行けば良いだろ。上手くまとめてやるよ」
「…不安だ…!不安しかない!!殿下、くれぐれも早まった事だけは止めて下さいよ!!」
「解った解った。ほら、行け行け」
ルシフェルが手を振ると、お父様と顔色を無くしたリーパー侯爵は会場を出て行った。
残されたのは、震えながら蹲るエディッドと、泣きながら座り込むスザンナ。
婚約破棄問題で揉めている家同士…もはやぐちゃぐちゃだ。
「どうまとめるのよ、コレ…」
「あ?そうだな。取り敢えず…衛兵!」
ルシフェルが呼ぶと、さっと二名の衛兵が来て片膝を付く。
「アレとコレを連れて行け。目障りだ」
「はっ!!」
どんな適当な指示よ、それ。
衛兵の二人は慣れたように、エディッドとスザンナを立たせて連れて行こうとしているが。
「ま、待って下さい殿下ぁ!!」
スザンナがいつものうるうる目でルシフェルに話しかけた。
私はあまりの無礼に固まったのだが、ルシフェルは何が楽しいのか笑いながら「何だ?」と聞いている。
やっぱりルシフェルも男なのね。
こういう庇護欲をそそる女にころりと行くのかしら。
私は少しイラッとしたが、素知らぬ顔でそれを見ていた。
「私はっ…マナベル様に陥れられたんです!!」
何を言い出すのかと思えば、この女…。
ポロポロとお得意の泣き落としでルシフェルに縋り付こうとするが、それは衛兵に止められた。
「ほぅ、マナベルに?」
ルシフェルもニコニコと聞いている。
私はそんなルシフェルを目にして、体温がざっと下がった様な気がした。
どうせ、見た目可愛らしいこの女の言い分を信じて「お前、虐めるなよ」とか言うんでしょう。
私はぐっと扇を握る手に力を込める。
「マナベル様はっ…私とエディッド様が仲が良いのを逆恨みして…あんな映像を捏造したんですっ!!」
「なっ…」
「マナベル、待て」
私は堪らず反論しようと口を開いたが、ルシフェルに止められてしまった。
ぐっ…と口を閉ざし、ぎっとルシフェルを睨む。
ルシフェルは変わらず笑顔のまま、スザンナの話を聞く体制だ。
スザンナはルシフェルが味方に付いたと思ったようで、私に勝ち誇ったような顔を見せる。
「マナベル様は私に嫉妬したんです!自分が相手にされてなかったからって!!エディッド様はあんな冷たい顔の女は嫌だ、心臓まで凍ってるんだと言っておられましたわっ!」
スザンナはエディッドとの事や、私の見た目の冷たさ等に触れ、ルシフェルに語って聞かせている。
ルシフェルは、それを微笑みながら聞いていて一体どちらが断罪されているのか解らなくなって来た。
私の怒りはじわじわと熱を帯び、止めるでもないルシフェルにも嫌気が差す。
大体勝手に割り込んで来て、どうしてこいつにまとめて貰わなきゃいけないの?
ギリギリと握りしめる扇にびしりとヒビが入った時。
とうとう私の怒りは頂点に達する。
「マナベル様なんて男性に好かれるわけないのよ、美人だけど冷たいし、笑顔も少ない。それでもマナベル様がいいって言う人は頭がおかしいのよ!女は笑顔で癒しを与える存在じゃないと!婚約者にまであんな言われ方して、恥ずかしくないのかしら!?」
「…マナベル、まだ待て」
ルシフェルが私に声を掛けるが、そんな事はどうでもいい。
冷たいと言われるならば、そのようにしてあげるわ。
ルシフェルだって、それを止めずに聞いていたのだから同罪よ。
ひゅっと私の顔から表情が抜け落ちる。
それが感情のない、人形みたいだとみんなが言う顔なんだろう。
「あら…ルシフェル殿下、どうして止めようとするのかしら?私はこんなに侮辱をされても黙っていなければならないの?」
「マナベル…ちょっと落ち着け、な?」
ルシフェルから笑顔が消えて焦った時の顔になった。
今更遅いわ。
止めるならもっと早くに止めるべきよ。
「…スザンナ・ユーリスベル伯爵令嬢、そのよく回る口を閉じなさい」
「なっ、何よ!偉そうに!!」
すっと姿勢を正し、上から見下ろすとびくりと肩を揺らしたスザンナが怯えた表情になる。
どうせこの表情に「守ってやりたい」と思う馬鹿な男達が湧いてくるのだろう。
全員纏めて罰してやりたい。
「あなた…さっきから何を言っているのか解った上で発言しているの?」
静かにそう告げると、しん…と周りが静かになる。
「じ、事実じゃないの!!みんなの前で言われたからって、自分だってあんな…あんな映像を捏造して…!」
「捏造…?私がそんな事をするとでも?それに…あの映像が事実な事は、あなたが一番良く知っているんじゃなくて?」
「し、知らないわよ!あんな人達とあんな事…するわけ無いじゃない!!」
「へぇ?じゃあ、男性の方にも聞いてみようかしら?」
私はコツコツとヒールを鳴らし、青ざめる一人の男性の前に立ち、にっこりと微笑んだ。
男は頬を赤く染め、照れ臭そうに目を逸らす。
「あなた…あれは捏造なの?」
じっと見つめながらその男に聞けば、「い、いえ!あれは本当です!!相談があるからって部屋に行ったら…!」と素直に答えた。
「まぁ…どうして応じちゃったの?婚約者が居たんでしょう?」
悲しげな表情を作りそう聞くと、「それが…甘い臭いを嗅いだら…止まらなくなって…つい…」と薄らと涙を浮かべている。
そうなのだ。
スザンナは禁制の媚薬を使っている可能性があったのだ。
記録水晶に、男が部屋に来る前に香を焚いていたのが映っていた。
そして、その部屋に男を通した後、彼女はしばらく席を外す。
「まぁ…もしかしたら、薬を使われていたのかも知れないわね…お気の毒様…」
「おい、マナベル。それ…」
ルシフェルが口を挟んでくるが、私は無視した。
あんたなんて、その色狂いの女と笑顔で話をしていれば良いじゃないの。
「今、この方が言った様に、何等かの理由で呼び出されて、甘い臭いを嗅いで止まらなくなった方…他にもいらっしゃる?」
私は出来るだけ穏やかな笑みを浮かべ、周りをぐるりと見渡した。
すると、蟻の行列の様に長い列をなして映像に出ていた男性が私に泣きながら懺悔をしていくという謎の現象が起きたのだ。
「婚約者の事を本当に愛しているのに…俺は何て事を…聖母様…お赦しください…」
私は笑みを浮かべながら、内心では慌てていた。
ちょっと!?
私は聖母でも何でもないただの公爵令嬢よ!?
どうして私に謝るのよ!!?
「何でみんな謝ってるのよ!!?私が好きだって言ったじゃない!!」
スザンナはきぃきぃと喚いているが、衛兵に腕を掴まれている為に動けない。
そうこうしているうちに最後の一人の懺悔が終わった。
「私ではなく、愛している人に真摯に向き合い懺悔なさい」
私はそれっぽく言葉を発した。
もうこれで終わりにしたかった。
懺悔をしていた人達はそれぞれの婚約者の元に行き、誠心誠意謝罪をしていた。
それで、許すか許さないかは相手が決めれば良い。
「マナベル、お前…微笑みすぎだろ。それに俺を無視しやがって…」
さっきとは違ってムッとしているルシフェルがぶつぶつと呟いてくるが、私はまた無視してスザンナの元へ行く。
「靡かない男性に禁制の薬を使っていたとは驚いたけれど…あなた、罪人になる覚悟はあって?」
「罪人ですって!?あれはお父様が渡してくれたもので……そ、そう言えばお父様は!?お父様はどこ!?」
「今頃は牢の中かしらね?不思議に思わなかったのかしら?普通、あんな映像が流れたら親は一番に飛んでくるものだけれど…来なかった事に疑問すら浮かばなかったの?」
「この…悪魔!!全部仕組んでいたのね!?」
「まぁ…言いがかりはやめて下さる?あなたが他人の婚約者に手を出すからこうなったんでしょう?自業自得よ」
「このクソ女!!殺してやる!!ずっと気に食わなかったのよ!!自分は人とは違う、みたいな澄ました顔が!!」
あらあら、とうとう猫を被ることすら忘れちゃったのね。
ルシフェルが一応後ろにいるのだけれど。
というより、何で近くに来るのよ。
あっち行きなさいよ!
「…殺してやる…ね。侮辱に殺害予告?凄いわね、自ら罪を跳ね上げるなんて。私には出来ないわ」
パチパチと手を叩いて、凄い凄いと褒めてやると更に色んな言葉が飛び出した。
「…衛兵、もう連れて行け。聞くに耐えん。色々罪はあるだろうが、王族に対する不敬罪が一番重いかな?あぁ、媚薬を使用したのもあったか」
「わ、私…王族の方に何も言ってません!!どうして…!!」
一発処刑の不敬罪が出た瞬間、スザンナの顔は色を無くした。
私もあれ?と思う。
ルシフェルが侮辱された訳でもないのに、なぜ?と。
「最後に一つ、教えてやるよ。お前が散々侮辱したマナベルは、俺の婚約者なんだ。未来の王太子妃に対するあの発言は見逃せない。俺が笑ってたから味方になったと思った?マナベルがキレなきゃ更に罪を上乗せ出来たのに」
「は!!え?あの女がルシフェル殿下の婚約者!?」
半ばパニックになったスザンナよ、もっと聞きなさい。
私も今、びっくりしすぎて質問が浮かんでこないから!!
「よぉ、エディッド。今までマナベルの虫除けありがとな。まぁ、お前が一番害虫だったんだけど、俺にとっては」
ルシフェルは蹲るエディッドにそう話し掛けた。
エディッドは、びくりと顔を上げ情けない表情でルシフェルと私を交互に見ている。
「マナベル…俺…本当にマナベルの事…」
「気持ち悪いから、名前を呼ばないで」
ぶるぶる震える手を私に伸ばすエディッドを、気持ちが悪いと思うのは仕方ないと思う。
加えてあの映像後よ?
せめて室内にしなさいよね…と呆れた。
「衛兵、こいつも連れて行け」
「はっ!殿下、牢で良いでしょうか?」
「あぁ、牢でもいいし…そうだな、森で致すのが好きみたいだから二人纏めて森でもいいぞ」
森って…夜は獣の宝庫じゃないの。
あんな所にいたら明日には跡形もなく食い散らかされるわよ。
「まぁ、とりあえず…牢で」
獣が集まるといけないからな!と笑いながら言うコイツには人の心はあるんだろうか。
いや…きっと、ないな。
というより、婚約者って…何?
私、いつルシフェルと婚約したの…?
突拍子のない話で意味が解らない。
「おい、マナベル、行くぞ」
「え、ひゃあっ!」
ぐっと手を引かれ、ずんずんと数段上の王族スペースに連れて来られた。
私は訳がわからないまま、ルシフェルにがっちり腰をホールドされて立っている。
「ちょっと…婚約者って何なの!?」
ひそりとルシフェルに聞いても、「黙ってろ」と言われて仕方なく黙る。
どうやら彼は怒っているらしい。
むっつりとしたままこちらを見ない。
無視し続けたから、機嫌を損ねたのかしら。
面倒な人…!
自分だって私を黙らせてあの女の話をニコニコしながら聞いてたくせに。
そりゃ罪の上乗せしようと思惑があったのはわかったけれど…!!
それでもあんな女に笑顔を見せたことが気に入らないわ。
「もう離して、私、帰るわ」
「は?ダメに決まってんだろ。今からセレモニーがあるんだよ」
「はぁ!?何のよ!?」
私にセレモニーなんて関係ないでしょ!?
逃げたいのに、がっちり腰を掴まれたら動けないじゃないの!!
馬鹿力!!
「そんなの決まってる。俺とお前の婚約発表だ」
「…は…?」
「さっき言ったろ?初耳みたいな顔すんな」
「じょ、冗談でしょ?私、承諾してな…」
じっと見据える赤い目が、私を射抜く。
私は喉が張り付いたみたいに、声が出せなかった。
「さっき、俺を選んだだろ?」
「そ……んな……婚約なんて…言わなかった…でしょ」
「じゃあ、今言う」
「え……?」
ルシフェルは、すっと膝を突き私の手を取る。
ざわざわと騒がしかった階下が、しんと静まり返った。
会場にいる全員の視線を浴びている。
「マナベル・リズバーグ公爵令嬢、出会った時から好きでした。俺と、結婚して下さい」
呼吸を、するのを忘れた。
真っ直ぐな眼差し。
よく通る声。
今までに見た事のないほど真剣な表情を向けられてのプロポーズに、ときめかない筈がない。
いつだってそう。
昔からずっとそう。
本当に叶えたい事の時だけ。
ルシフェルはこの表情をするんだ。
「狡い…そんなの…断れるわけ…ない…」
顔に、身体に、熱が篭る。
発熱したみたいに、頬が熱い。
二倍速になる鼓動がこれは本物の恋だと知らせてくる。
こんなの、知らない。
「ふっ…顔真っ赤。りんごみてぇ」
「う、うるさい…」
ふいと逸らした視線の先に、固唾を飲んで見守る貴族達。
公開プロポーズだったと思った瞬間に、ますます赤くなる私の顔。
ルシフェルは私の手にキスをして、すっと立ち上がる。
「今、ここに、ルシフェル・アーガスタとマナベル・リズバーグの婚約が成立した事を報告する!」
会場に響き渡るルシフェルの声。
しん、とした会場に割れんばかりの歓声と、拍手が巻き起こった。
「こらルシフェル、皆への宣言は私の仕事だろう」
「父上、戦場から無事に帰還しました」
「報告が遅い。お前は騎士団の総指揮官だろう」
「報告より大事な事がありましたので」
はっとして後ろを見ると、陛下と王妃様が二人並んで立っていた。
「王国の太陽と月にご挨拶申し上げます」
カーテシーでの挨拶を行えば、階下の皆さんも一斉に陛下と王妃様に挨拶を行った。
壇上から見るその光景は見事なもので、圧倒されてしまう。
「先にルシフェルから報告があったようだが、本日めでたくも王太子ルシフェルの婚約が整った!また、隣国との諍いをルシフェル率いる王立騎士団が鎮圧した!皆、今宵は存分にパーティーを楽しんでくれ!」
陛下がそう告げると、また歓声が巻き起こる。
というより、正式な書類も交わしてはいないのに、私が婚約者でいいのかしら…?
やっぱりやーめた!とかにならない?これ。
だってルシフェルよ?
意地悪な俺様ルシフェルよ?
「おい、何をそんなに考え込んでるんだ?」
「…え…」
「今更婚約を無かった事になんてさせないからな、絶対…」
「…何をそんなにピリピリしてるのよ。あんたこそ、私が婚約者でいいの?」
だって、あなたは……。
いつもの調子でそう言うと、ルシフェルは一瞬だけ無表情になってすぐにまた笑顔に戻った。
「父上、母上、俺は着替えて来ます。戦場からそのまま来たもんで。マナベルも連れて行くので、衣装を変えた後で二人で登場します」
「そうだな、お前のその格好はいかんな」
「マナベルちゃんも着替えれば?どうせならルシフェルと衣装を合わせて来なさいな」
「あ、は…はい…」
うふふ、と笑う王妃様とニヤニヤしている陛下に違和感しかないけど。
あれは何か面白がってる時の顔だわ…!
小さい頃からずっと見ているから、間違いない。
「行くぞ、マナベル」
「あ、はい」
ぐっと手を引かれて誰も居ない廊下に出る。
ここは王族しか使わない廊下だから、当然だけれど。
すたすたと歩くルシフェルは、さっきから何故か無言。
私、何か怒らせる様な事をしたかしら…。
「ほら、入れよ」
「わぁ、ルシフェルの部屋は久しぶりに来るわね!」
そう、小さい頃から王宮に良く来ていた私は、ルシフェルの部屋にもよく来ていた。
何故か一緒に勉強をしたり、剣術を習ったりと二人でよく過ごしていたのだ。
でも、私の婚約が17歳で決まってからはパタリと来なくなり、ルシフェルは戦場に好んで良く行く様になってしまった。
約一年振りに来る部屋は、前とあまり変わっていない。
というより、生活感がない部屋になっていた。
「あんまり変わってないというより、生活感がまるでないわね…」
「あぁ…この一年、ほとんど戦場に居たからな」
「そんなに戦が好きだったっけ?」
「…ここに居たく無かっただけだよ」
「え?何で?」
「………」
後ろにいたルシフェルがふいに黙ったのが気になって、振り返るといきなり強く抱き締められた。
「わっ…!ちょっ…!」
「お前が…マナベルが…他の奴と婚約したから…ここに居たく無かった…」
「え…?え!?」
低く唸る様に呟くルシフェルは、はぁ、と溜息に似た吐息を漏らす。
それが妙に色気を含んでいて、背中がもぞもぞとしてしまう。
「さっき…私が婚約者でいいのって…聞いただろ?あれ、死ぬほどムカついた」
「え!?そ、そうなの?ごめんね…?」
「意味も解って無いのに謝ってんじゃねーよ、バカ」
「だって…じゃ、じゃあ理由を教えて…?」
私はルシフェルの熱い胸板に手を付き、彼の顔を見上げた。
ルシフェルはその美貌を崩し切なげな表情をした後、私の頭を撫でてまた抱き締める。
「ずっと…ずっと前からお前が好きで…やっと婚約出来たのに…私で良いじゃない…マナベルが良いんだ」
「あ、ありがと…」
「だから…もう絶対離さない…」
いつもは強く飄々としているこの俺様が、酷く弱々しく見えた。
私はぎゅっと心臓を掴まれたような気持ちになる。
ずっと好きだったから、ここに居たく無かったと彼は言った。
私はどうだっただろうか。
エディッドの浮気を見た時に思った事は、然るべき処罰を!とだけ。
あの時、ルシフェルに婚約者が出来ていたら…私は…手放して祝福してあげられただろうか。
…出来るわけが無かった。
私は、ルシフェルが好きだったから。
「そんなに私が好きなの?」
試すみたいに問い掛けた。
期待半分、疑い半分。
今以上に距離を詰めようと思えば、ふいに不安が顔を出す。
「…あんなにストレートに好意を示してたのに、気付いてないお前が鈍いんだよ」
「…虐められた記憶しかないんだけど…噴水に落とされたりとか…」
それに……あともう一つ。
「あれは…泣いた顔が見たくなって…俺に助けを求めて欲しくて…」
「ふふ…嫌われるわよ、そんなやり方じゃ…」
「嫌い、なのか?今も?」
ルシフェルの赤い瞳が不安げに揺れる。
どんな戦に行く時もそんな顔した事ないくせに。
たかが一人の女にそんな顔するなんて。
反則にも程があるでしょ…。
ほわほわと柔らかい気持ちになって、この困った男をどうやって甘やかしてやろうかと考える。
これが本物の恋…なのね。
自覚するのが遅いけど、私もまた…ルシフェルが好きだったんだなぁと再確認した。
「好きよ、今も、昔も」
「…違う奴と婚約したくせに…」
「ちょっと、拗ねないでよ」
「だから、俺のだってお前自身に解らせないとな」
「え?それはどういう…」
言いかけて、目を見開いた。
目の前には端正な顔。
唇に当たる柔らかな感触。
ふと開けられた赤い瞳に、思考は全て奪われた。
本来であれば、隣にいるはずの婚約者であるエディッド・リーパー侯爵令息は会場内にはいないらしい。
「まぁ…マナベル様はお一人なのね…」
「そりゃエディッド様は今頃あの方と一緒に愛を語り合っているのでしょう」
「そうよね、エディッド様が愛しているのはスザンナ様ですもの…」
「いくら公爵令嬢だからって、愛し合う二人を引き裂くなんて…。リズバーグ公爵は娘の我儘は何でも聞いてしまうから…」
「リーパー家の弱みにつけ込んだらしいわよ」
ヒソヒソ、こそこそと囁かれる令嬢達のくだらない噂話も今日の私は笑いながら聞き流せるわ。
それに、私が彼の顔が好きだったのは確かだけれど婚約云々はリーパー家から懇願されて結ばれた物よ。
詐欺にあって借金まみれになった没落寸前のリーパー家に、誰も見向きもしなかったのをこの国の宰相であるお父様だけが手を差し伸べた事によってリーパー家からどうしても息子との婚約をと言われたのだ。
お父様は最初断ろうとしていたが、私が受けるわと言ったから渋々受け入れたに過ぎない。
「それが私の我儘…ねぇ?」
ちろりと目線だけを動かして、噂をしている令嬢を見る。
ダイナス子爵家、メロウ伯爵家のご令嬢達…どちらもスザンナの取り巻きじゃないの。
自分が同じ事をされてもそうやって笑っていられるのかしら?
あなた達の婚約者も…まぁ、いいわ。
そんな事を言われるのも今日でおしまい。
何故なら、私は今日…。
「マナベル、ごめんよ、一人にさせてしまって」
走って来たのか髪が乱れているご婚約者様が笑顔で声を掛けて来る。
ごめんよ、と言いながら私の物とは違う香水の香りをさせている。
彼、エディッド・リーパーはご令嬢達に非常に人気がある。
柔らかな蜂蜜色の髪に、深い緑の目、整った顔立ち。
それなりに鍛えた躯。
見た目だけかなりのイケメンだ。
中身は浮気するクズ男なんだけれど。
「いいえ?慣れておりますので大丈夫ですよ」
「そんな…いつも君を放っているみたいじゃないか…。俺が愛してるのは君だけなのに」
「まぁ…そうだったのね、知らなかったわ」
まるで舞台俳優のように演技掛かった台詞で、私が信じると本気で思っているのかしら?
本当…良いのは見た目だけね…。
「俺はマナベルを愛してるよ」
あらあら、襟元にピンクの口紅が付いていてよ?
全く隠す気があるのかないのか…。
私はにこりと笑みを浮かべてしまう。
この男は浮気の言い訳を何と言うのか。
想像したら笑えて来る。
私は、彼の浮気を知っていた。
「スザンナ…俺、君の事がどうしようもなく好きなんだ」
「エディッド様…嬉しい…!でもエディッド様には婚約者が…」
「あんなの親が決めた婚約だ!俺はあんな冷たそうな女より、可愛らしく優しい君が……!」
「あぁエディッド様…!私も…私もお慕いしています…!」
その場で抱き合い激しくキスを交わす二人を見たのは、約三ヶ月前。
私と婚約を結んで半年が経過した時だった。
パーティーで姿を消したエディッドを探しに庭園に出た時、偶然にも見てしまったのだ。
確かに私は冷たい印象なのだろう。
黒髪にアイスブルーの瞳は見る人を威圧してしまう。
加えて背も高く吊り目がちな私がどれだけ笑顔を向けたとしても、薄ピンク色の髪と目でふわふわと笑う華奢なスザンナの方が庇護欲を掻き立てられるに違いない。
私はフラフラと会場に戻り、ぼぅっとその光景を思い返していたのだが。
考えれば、考えるほど。
言い様のない怒りが湧き出て来て。
一瞬にして彼への好意が砕け散ったのだ。
それはもう見事に粉々に。
その時、私は決意した。
然るべき場で然るべき罰を受けて貰うと。
私は目線だけを動かし、すぐ近くにスザンナがいる事を確認した。
「マナベル?どうしたの?やっぱり一人にしてしまったから、怒ってる?」
「いいえ?怒ってなんていませんわ。例えあなたがスザンナ様と浮気をしていたとしても!!」
今度は私が舞台女優のように声量を上げて話し出す。
突然の暴露に周りは騒めき、注目が私達に集中した。
「なっ…何を言ってるんだ、マナベル!俺は浮気なんて…」
目に見えて慌て出すエディッドが、滑稽で思わず笑ってしまいそうになるけれど我慢よ!!
今はとにかく悲しげにしなければ!!
公爵令嬢の本気を見せてあげるわ!!
「いいえ!エディッド様は浮気しています!!スザンナ様と…!!酷いわ!!婚約者の私が居るのに!!」
私はポロポロと大粒の涙を零しながら女優を続行中だ。
一週間前に天に召された猫のディーバを思い出せばいくらでも涙が溢れて来る。
18年も生きてくれてありがとう!!
貴女との思い出は一生の宝物だわ!!
「スザンナ嬢とは何でもないよ!!たまに話す程度の女だ!!こんなに美人なマナベルに敵うわけないだろ!?あんな女!!」
ぽっと頬を染めて私を見つめるエディッド。
初めて見る婚約者の涙にドキドキしちゃった?
でも…いいのかしら?
スザンナがそこで目を見開いて固まっているわよ。
エディッドはそこにスザンナがいる事を知らないのでしょうね。
それにしても…なんて陳腐な言い訳なのかしら。
たまに話す程度で、襟元に口紅なんか付かないのに。
馬鹿はやっぱり馬鹿なのね。
私はすぅ、と息を吸った。
「でも、私と違う香水の香りをぷんぷんさせて…襟元に口紅まで…浮気以外考えられないわあああああ!!」
響き渡る私の叫び声。
集まって来た貴族達の冷たい視線がエディッドとスザンナに突き刺さる。
「まぁ…本当に口紅が付いているわ…!マナベル様は赤い口紅なのに…ピンクの口紅ね…」
「ほら…スザンナ嬢の口紅と同じ色よ…マナベル様の言っている事は本当なのよ…」
「何て事だ…リーパー家はリズバーグ家に大恩があるのに…あの息子のせいで仇で返したのか…」
「あのまま没落させていた方が良かったんじゃないのか…マナベル様が可哀想だ…しかし、息子もクズだがカダル家の令嬢もダメだな…人の婚約者に手を出すなんて…」
ひそひそと周りの貴族達が囁き出す。
そうそう!その調子でもっと言って?
ついでに国中に広めてちょうだい!
私は今日という日を待っていた。
三ヶ月前からずっと。
王宮主催のパーティーで、一番貴族が多く集まる日を狙ってこの茶番劇を仕掛けようと決めたのだ。
「ち、違う!!違うんだよマナベル!!俺は断ったけど、あの女が誘って来て…!」
あぁ、もう認めちゃうのね。
誘った誘われたはどうでも良いのよ。
乗ったのは自分でしょうに、何を被害者面しているのやら…。
上がりそうになる口角を扇で隠して、しくしくと泣く可哀想な令嬢を演じ切る。
「ちょっと!先に告白して来たのはエディッドでしょ!?嘘つかないでよ!!」
「なっ…君が先に擦り寄って来たんじゃないか!!」
スザンナ登場!!
何ていいタイミングで登場してくれるの!!
もしかして劇団員なの!?
ダメだわ、笑いを堪え過ぎて顔が痛いわ。
この二人、自分の保身に必死になり過ぎてお互いしか見えてないのね。
自分達にスポットライトが当たってるって事に。
もう独壇場よ!!
一歩引いた所で私は周りの人垣と同化して、辺りを観察する。
そこでふと目に付いたのは、さっき私を貶していた令嬢二人と、その近くで無になっている令息二人。
まぁまぁ、ここにも劇団員が居るじゃないの。
是非とも後ほど出演してもらいましょ?
「あら…」
会場隅の扉が開いて、お父様が慌てた様子で走って来るのが見えた。
お父様、ごめんね、ちょっと騒ぎを起こしてしまったけれど仕方ないのよ。
私はまたすぅ、と息を吸う。
「もう止めて下さい!私が…私が悪いんです!!」
私は悲劇のヒロインスイッチをオンにした。
相変わらずポロポロと涙を流しながら、そう叫んだ事でしん…と静まり返ったみんなの目線が私に戻る。
「私が居なければ…彼らは結ばれていたのに…。私が婚約破棄に踏み切れなかったせいで…!!ごめんなさい!エディッド様…スザンナ様…!」
「マナベル…違…違うんだよ…」
「ダイナス子爵令嬢とメロウ伯爵令嬢もそう言っていたわ!エディッド様が愛しているのはスザンナ様だって!!」
「そ、そうよ!あなたの我儘で私達は引き裂かれたのよ!」
スザンナ、責任転嫁にも程があるでしょ。
政略結婚も多いこの世界で、婚約者がいるのを知った上で近付き…破棄なりなんなりをしない上で関係を結ぶのは御法度なのよ?
頭の中が男の事ばかりでわからないのかしら?
そして、まさか自分達が出演すると思ってなかったご令嬢二人は真っ青になっている。
くだらない噂をするからこうなるのよ。
またの飛び入り参加をお待ちしていますわ!
「マナベル!!これはどうなってるんだ!?」
はい、お父様到着!!
いらっしゃいませ、お父様。
お怒りお父様コースになさいます?それとも冷淡宰相コースになさいます?
「あ…お父様…エディッド様が…う、浮気を…!」
精一杯の上目遣いでの涙ポロポロ。
頑張れ私!!
もうすぐ山場よ!!
「なっ…!!マナベルが泣いている…だと!??」
驚愕の表情になったお父様を見て呆れる。
失礼ね、普段冷静な私だって泣く時くらいあるわよ。
ディーバが亡くなった時を忘れたの!?
ずっと泣き通してご飯すら食べれなかったのに!
あぁ…ディーバ…最後に二人で眠った日の事忘れないわ…!
「お父様…うっ…ううっ…!」
最後にディーバは私の指を舐めてくれたのよ!!
あぁ…ディーバ…会いたいわ…。
ぼたぼたと涙は止まらない。
周りの女性は釣られたのか目元をハンカチで押さえている人もいた。
私は大丈夫。
侍女のアリに涙を流しても崩れないメイクにしてもらっているから!
「マナベル…辛かったな…!で?エディッド君、君は…浮気を?そのお嬢さんと?」
お父様は私を背に庇ってエディッドに厳しい声色で詰問している。
エディッドが回らない頭をフル回転して、導き出した答えはまた…愚かな一言で。
「しょ、証拠がありません!俺が浮気したっていう証拠が!俺が愛しているのはマナベルです!」
「なっ…!マナベルなんて金の為に結婚するんだって言ってたじゃない!」
「うるさい!君の虚言はもういい!」
「何ですって!?」
また言い合いが始まって、ギャラリーは顔を顰めて聞いている。
「…黙りなさい。証拠がない…か。マナベル、これだけの事をここでするんだから、もちろんあるんだろう?証拠は」
「もちろんですわ、お父様」
証拠がないわけがない。
三ヶ月前に、私はとある新聞記者を数名雇い入れた。
破格の雇用額に、すっかりご機嫌になった彼らは非常に良い仕事をしてくれている。
まぁ、馬鹿二人の浮気証拠なんてあっという間に集まり過ぎるくらいあったのだが。
彼らはそれ以外にも色々と集めて来たのだ。
「今、それは手元にあるかい?」
「えぇ、もちろん」
私は会場の外に控えていた記者達に合図を出した。
すると、彼らは黒いローブ姿で姿を現し、記録水晶を取り出した。
記録水晶はとても高価で、他国で売り出されている物だ。
文字通り、映像と音声を記録する事が出来る。
私はそれを三つ購入し、彼らに渡していたのだが。
一生触れる事のない代物を渡された彼らは張り切って取材をした。
「お嬢様、いつでも大丈夫です」
「じゃあ、お願い」
「はい!」
ぶぅん…と音がして映し出された映像は想像を軽く超える生々しい物で。
薄暗い森の中で激しく交わるエディッドとスザンナの場面から始まった。
「あっ…あぁっ…すごいっ…いぃっ…エディッド様ぁっ!!」
「はぁっ…はぁっ…スザンナ…締まる…締まるよ…っ!」
「もっと…もっとしてぇっ…!イク…もうイッちゃう!!ああああ!!」
グチュグチュ、パンパンと肉のぶつかる音をさせながら後ろから貫かれるスザンナ達の映像は進んでいく。
目を逸らす婦人達、興味津々で見る令嬢、令息達。
反応は様々だが、みんなの目は映像に釘付けだ。
私も初めて映像を見たが、獣みたいで気持ち悪くなって来た。
「も、もうやめてぇ!!止めて!止めてよ!」
「うわあああ!止めろ!止めてくれえぇ!!」
見事に息ぴったりな二人が同時に騒ぎ出す。
まぁ、二人共お顔が真っ青。
エディッド様なんて汗と涙と唾が…汚いわ。
スザンナ様も泣いているけどいつもの庇護欲をそそる顔じゃないわね、醜いわ。
「…スザンナ嬢凄いな…でも…あんな外で…」
ぼそりと呟かれた一言が重い。
そうよねぇ、あんな外で。
人目を避けるとああなるのねぇ。
その時、背後に誰か来たが目の前の面白すぎる光景から目が離せなかった。
その時、パッと映像が変わり、どこかのホテルの一室で絡み合う男女が映し出される。
「スザンナのここは、何が欲しい?」
足を広げた女の股を手で弄りながら男が問う。
「ステファン様のが欲しいです…!」
「俺の何?」
「あっ…ステファン様のおちんちんが…っ…欲し…っ…」
「ふふ…いいよ…」
ステファンと呼ばれた男がぐっと腰を進めると、スザンナから嬌声が上がる。
私はさっき、ご登場頂いたダイナス子爵令嬢を見た。
唖然とした顔で映像を見ているが、ステファンは彼女の婚約者…アゼッシュ伯爵家のご令息だ。
続いてまた違う男性との情事が映し出されると、今度はメロウ伯爵令嬢の婚約者であるメイソン侯爵令息が事もあろうにスザンナを縄で縛って励んでいたのだ。
隠された性癖をまさかこんな所で暴露されると誰が思うだろうか。
二人の令嬢、令息はガタガタと震えるばかりで、飛び入り出演はもう出来そうにない。
「あら…みんな呆然としちゃって…浮気の事実が結婚前に解って良かったじゃないの…」
ぼそりと呟くと、背後にいた人物がふ、と笑った気がした。
「止めて!もう止めてよぉっ!この悪魔!!」
スザンナが私に向かって叫ぶが、果たして悪魔なのはどちらかしらね?
「…エディッド君、君とマナベルの婚約は破棄する」
「ま、待ってくださ…」
「エディッド!!この馬鹿者!!!」
バシンと凄い音がして、エディッドが身体を折り曲げ膝を突く。
見ればリーパー侯爵が、杖で思い切りエディッドのお腹を殴っていたのだ。
リーパー侯爵…なかなか激しいのね。
「ち、父う…げぼっ…」
「この馬鹿者!!貴様何をしたのか解っているのか!!」
リーパー侯爵は真っ赤な顔で杖を振り上げ何度もエディッドを殴りつける。
エディッドは頭を手で庇ったまま、蹲ってしまった。
…それ以上は死んじゃうんじゃない?
まだ怒りの冷めやらぬ彼はさらに杖を振り上げるが、そのまま動きはぴたりと止まった。
「もう止めとけ」
私の背後から掛かった一言によって。
私はびくりと肩を揺らした。
聞き覚えのあるその声は、まさか…まさか……。
「お前、婚約破棄したんだな?」
恐る恐る振り返ると、明かりに煌めく銀髪が見えた。
「おい、答えろ。婚約破棄したんだよな?」
じろりと赤い目で見下ろされる感覚にぞわりと背中が寒くなる。
「…ルシフェル…殿下…」
「マナベル、俺の質問に答えろ」
「…見ていたなら、解るのでは?」
「お前の口から聞きたい。婚約破棄、したんだな?」
「……えぇ。したわよ。笑いに来たの?パーティー嫌いがこんな所にいるなんて」
ぷいと顔を背ける。
殿下、と呼ばれる人にどうして私がこんな態度で許されるのか…それは。
銀髪を煌めかせ、眼光鋭い赤い目を持つこの国の第一王子…ルシフェル・アーガスタの幼馴染だからだ。
「今さっき戦場から帰って来たら、面白そうな余興が見えてな」
ふっとルシフェルが笑うときゃあっと黄色い声が上がる。
国内でぶっちぎり一位の人気を誇る彼は、ただ笑うだけで明日の新聞は飛ぶように売れるだろう。
それだけの美貌をお持ちなのだ、それは認める。
ただ、中身がとんでもなく意地悪。
私は小さな頃から散々な目に遭ってきた。
何もしていないのにいきなり噴水に突き落とされたり。
蛇を投げられたり、他にも数えればキリがない。
あれから私は蛇がダメになり、あの噴水には近付いていない。
「人の不幸を面白いなんて…相変わらず捻じ曲がった性格ね」
「何だよ、アイツと俺なら付き合い長いのは俺だし、お前の事解ってんのも俺だろ?」
「あんたが私の何を解ってると言うのよ」
ニヤリと意地悪い笑みを浮かべて、ぼそりと耳元で囁いてくるこの男は何を考えているのか。
今現在どんな視線を向けられているのか解っているのか。
「へぇ?じゃあ、アイツと俺ならどっちを選ぶ?」
「…どっちも嫌だ」
「どっちかなら、って例えだろ?ほら、どっちだよ」
「まぁ…まだあんたの方がまだマシね」
「だろ?」
ふふん、と自信たっぷりに言う様が無駄にカッコよくて腹立たしい。
見た目だけは抜群に良いのだ。
それこそ、エディッドなんか鼻で笑えるくらいに。
「見た目も中身も俺のが上だろ?」
確かに。
そりゃそうだけども。
自分で言う!?
「だからお前は俺を選ぶだろ?」
赤い目でじっと見つめられると、条件反射のように頷いてしまう。
小さい頃からの刷り込みに近い。
ルシフェルの言うことは聞かなきゃ終わらない。
いつだってそう。
我儘で俺様なこの男は、自分の望んだ事は全て叶えて来た。
そして、その為の努力は惜しまない。
周りの人は振り回されてばっかりだけど、真っ直ぐな彼に文句を言いながらも笑いながら手を貸してしまうのだ。
そんな彼が好きだった事もあったけれど、今は嫌な思い出しか出てこない。
「だそうだ、宰相。許可は得た」
「殿下…空気読んで貰えますか。まだ、先の問題が終わっていませんので」
「は?あぁ、まだ映像流してんのか?止めろ。うるさい」
スザンナの痴態は垂れ流されたまま、後ろで聞こえる喘ぎ声の中で普通に話をするこの男の神経が理解できない。
ルシフェルの一言で止められた映像に、スザンナは崩れ落ちあちらこちらで婚約者同士の紛争が巻き起こる。
「何人喰ってんだよ、あの女。やべーな」
「相当な数いるわね…大変ね、浮気者を婚約者に持つと」
「お前もな」
「何よ、見る目がないって言いたいんでしょ!?」
「ねぇな。宰相もな。ほらな?言っただろ、宰相。この選択は間違ってるって」
ルシフェルは何故かお父様に得意げにそう告げた。
お父様は苦虫を噛み潰したような表情でルシフェルを見る。
「だからさっさと準備しろよ?」
「くっ…本人の意思を尊重しますぞ、私は…」
「まだ言ってんのかよ?」
「当然です!」
お父様はルシフェルに何か脅されているんだろうか?
無駄よ、ルシフェルが言い出したら絶対にそうなるのよ。
私は溜息を吐く。
「マナベル、さっき俺が良いって言ったよな?」
「え?そうなるのかしら?」
「選ぶか?って聞いたら頷いただろ?」
「そうね」
ほぼ条件反射でね。
あんな時は是を示さないと後が怖いのよ。
とんでもない状況に追い込まれて是を示すように持っていかれるだけなんだから。
「ほら、宰相。もういいだろ?」
「マナベルに内容は伝えていますか!?」
「俺が良い、が答えだろ?」
「あぁ…何て事だ…」
お父様は天を仰いで深い溜息を吐いている。
それは別に良いんだけれども、皆さん忘れてない?
この状況…どうするの?
みんながぽかんとしてるわよ?
「ねぇ…お父様…これ…」
「あ!そうだった!取り敢えず、リーパー侯爵と私は話をしなければ」
「じゃあ、もう後は俺に任せて行けば良いだろ。上手くまとめてやるよ」
「…不安だ…!不安しかない!!殿下、くれぐれも早まった事だけは止めて下さいよ!!」
「解った解った。ほら、行け行け」
ルシフェルが手を振ると、お父様と顔色を無くしたリーパー侯爵は会場を出て行った。
残されたのは、震えながら蹲るエディッドと、泣きながら座り込むスザンナ。
婚約破棄問題で揉めている家同士…もはやぐちゃぐちゃだ。
「どうまとめるのよ、コレ…」
「あ?そうだな。取り敢えず…衛兵!」
ルシフェルが呼ぶと、さっと二名の衛兵が来て片膝を付く。
「アレとコレを連れて行け。目障りだ」
「はっ!!」
どんな適当な指示よ、それ。
衛兵の二人は慣れたように、エディッドとスザンナを立たせて連れて行こうとしているが。
「ま、待って下さい殿下ぁ!!」
スザンナがいつものうるうる目でルシフェルに話しかけた。
私はあまりの無礼に固まったのだが、ルシフェルは何が楽しいのか笑いながら「何だ?」と聞いている。
やっぱりルシフェルも男なのね。
こういう庇護欲をそそる女にころりと行くのかしら。
私は少しイラッとしたが、素知らぬ顔でそれを見ていた。
「私はっ…マナベル様に陥れられたんです!!」
何を言い出すのかと思えば、この女…。
ポロポロとお得意の泣き落としでルシフェルに縋り付こうとするが、それは衛兵に止められた。
「ほぅ、マナベルに?」
ルシフェルもニコニコと聞いている。
私はそんなルシフェルを目にして、体温がざっと下がった様な気がした。
どうせ、見た目可愛らしいこの女の言い分を信じて「お前、虐めるなよ」とか言うんでしょう。
私はぐっと扇を握る手に力を込める。
「マナベル様はっ…私とエディッド様が仲が良いのを逆恨みして…あんな映像を捏造したんですっ!!」
「なっ…」
「マナベル、待て」
私は堪らず反論しようと口を開いたが、ルシフェルに止められてしまった。
ぐっ…と口を閉ざし、ぎっとルシフェルを睨む。
ルシフェルは変わらず笑顔のまま、スザンナの話を聞く体制だ。
スザンナはルシフェルが味方に付いたと思ったようで、私に勝ち誇ったような顔を見せる。
「マナベル様は私に嫉妬したんです!自分が相手にされてなかったからって!!エディッド様はあんな冷たい顔の女は嫌だ、心臓まで凍ってるんだと言っておられましたわっ!」
スザンナはエディッドとの事や、私の見た目の冷たさ等に触れ、ルシフェルに語って聞かせている。
ルシフェルは、それを微笑みながら聞いていて一体どちらが断罪されているのか解らなくなって来た。
私の怒りはじわじわと熱を帯び、止めるでもないルシフェルにも嫌気が差す。
大体勝手に割り込んで来て、どうしてこいつにまとめて貰わなきゃいけないの?
ギリギリと握りしめる扇にびしりとヒビが入った時。
とうとう私の怒りは頂点に達する。
「マナベル様なんて男性に好かれるわけないのよ、美人だけど冷たいし、笑顔も少ない。それでもマナベル様がいいって言う人は頭がおかしいのよ!女は笑顔で癒しを与える存在じゃないと!婚約者にまであんな言われ方して、恥ずかしくないのかしら!?」
「…マナベル、まだ待て」
ルシフェルが私に声を掛けるが、そんな事はどうでもいい。
冷たいと言われるならば、そのようにしてあげるわ。
ルシフェルだって、それを止めずに聞いていたのだから同罪よ。
ひゅっと私の顔から表情が抜け落ちる。
それが感情のない、人形みたいだとみんなが言う顔なんだろう。
「あら…ルシフェル殿下、どうして止めようとするのかしら?私はこんなに侮辱をされても黙っていなければならないの?」
「マナベル…ちょっと落ち着け、な?」
ルシフェルから笑顔が消えて焦った時の顔になった。
今更遅いわ。
止めるならもっと早くに止めるべきよ。
「…スザンナ・ユーリスベル伯爵令嬢、そのよく回る口を閉じなさい」
「なっ、何よ!偉そうに!!」
すっと姿勢を正し、上から見下ろすとびくりと肩を揺らしたスザンナが怯えた表情になる。
どうせこの表情に「守ってやりたい」と思う馬鹿な男達が湧いてくるのだろう。
全員纏めて罰してやりたい。
「あなた…さっきから何を言っているのか解った上で発言しているの?」
静かにそう告げると、しん…と周りが静かになる。
「じ、事実じゃないの!!みんなの前で言われたからって、自分だってあんな…あんな映像を捏造して…!」
「捏造…?私がそんな事をするとでも?それに…あの映像が事実な事は、あなたが一番良く知っているんじゃなくて?」
「し、知らないわよ!あんな人達とあんな事…するわけ無いじゃない!!」
「へぇ?じゃあ、男性の方にも聞いてみようかしら?」
私はコツコツとヒールを鳴らし、青ざめる一人の男性の前に立ち、にっこりと微笑んだ。
男は頬を赤く染め、照れ臭そうに目を逸らす。
「あなた…あれは捏造なの?」
じっと見つめながらその男に聞けば、「い、いえ!あれは本当です!!相談があるからって部屋に行ったら…!」と素直に答えた。
「まぁ…どうして応じちゃったの?婚約者が居たんでしょう?」
悲しげな表情を作りそう聞くと、「それが…甘い臭いを嗅いだら…止まらなくなって…つい…」と薄らと涙を浮かべている。
そうなのだ。
スザンナは禁制の媚薬を使っている可能性があったのだ。
記録水晶に、男が部屋に来る前に香を焚いていたのが映っていた。
そして、その部屋に男を通した後、彼女はしばらく席を外す。
「まぁ…もしかしたら、薬を使われていたのかも知れないわね…お気の毒様…」
「おい、マナベル。それ…」
ルシフェルが口を挟んでくるが、私は無視した。
あんたなんて、その色狂いの女と笑顔で話をしていれば良いじゃないの。
「今、この方が言った様に、何等かの理由で呼び出されて、甘い臭いを嗅いで止まらなくなった方…他にもいらっしゃる?」
私は出来るだけ穏やかな笑みを浮かべ、周りをぐるりと見渡した。
すると、蟻の行列の様に長い列をなして映像に出ていた男性が私に泣きながら懺悔をしていくという謎の現象が起きたのだ。
「婚約者の事を本当に愛しているのに…俺は何て事を…聖母様…お赦しください…」
私は笑みを浮かべながら、内心では慌てていた。
ちょっと!?
私は聖母でも何でもないただの公爵令嬢よ!?
どうして私に謝るのよ!!?
「何でみんな謝ってるのよ!!?私が好きだって言ったじゃない!!」
スザンナはきぃきぃと喚いているが、衛兵に腕を掴まれている為に動けない。
そうこうしているうちに最後の一人の懺悔が終わった。
「私ではなく、愛している人に真摯に向き合い懺悔なさい」
私はそれっぽく言葉を発した。
もうこれで終わりにしたかった。
懺悔をしていた人達はそれぞれの婚約者の元に行き、誠心誠意謝罪をしていた。
それで、許すか許さないかは相手が決めれば良い。
「マナベル、お前…微笑みすぎだろ。それに俺を無視しやがって…」
さっきとは違ってムッとしているルシフェルがぶつぶつと呟いてくるが、私はまた無視してスザンナの元へ行く。
「靡かない男性に禁制の薬を使っていたとは驚いたけれど…あなた、罪人になる覚悟はあって?」
「罪人ですって!?あれはお父様が渡してくれたもので……そ、そう言えばお父様は!?お父様はどこ!?」
「今頃は牢の中かしらね?不思議に思わなかったのかしら?普通、あんな映像が流れたら親は一番に飛んでくるものだけれど…来なかった事に疑問すら浮かばなかったの?」
「この…悪魔!!全部仕組んでいたのね!?」
「まぁ…言いがかりはやめて下さる?あなたが他人の婚約者に手を出すからこうなったんでしょう?自業自得よ」
「このクソ女!!殺してやる!!ずっと気に食わなかったのよ!!自分は人とは違う、みたいな澄ました顔が!!」
あらあら、とうとう猫を被ることすら忘れちゃったのね。
ルシフェルが一応後ろにいるのだけれど。
というより、何で近くに来るのよ。
あっち行きなさいよ!
「…殺してやる…ね。侮辱に殺害予告?凄いわね、自ら罪を跳ね上げるなんて。私には出来ないわ」
パチパチと手を叩いて、凄い凄いと褒めてやると更に色んな言葉が飛び出した。
「…衛兵、もう連れて行け。聞くに耐えん。色々罪はあるだろうが、王族に対する不敬罪が一番重いかな?あぁ、媚薬を使用したのもあったか」
「わ、私…王族の方に何も言ってません!!どうして…!!」
一発処刑の不敬罪が出た瞬間、スザンナの顔は色を無くした。
私もあれ?と思う。
ルシフェルが侮辱された訳でもないのに、なぜ?と。
「最後に一つ、教えてやるよ。お前が散々侮辱したマナベルは、俺の婚約者なんだ。未来の王太子妃に対するあの発言は見逃せない。俺が笑ってたから味方になったと思った?マナベルがキレなきゃ更に罪を上乗せ出来たのに」
「は!!え?あの女がルシフェル殿下の婚約者!?」
半ばパニックになったスザンナよ、もっと聞きなさい。
私も今、びっくりしすぎて質問が浮かんでこないから!!
「よぉ、エディッド。今までマナベルの虫除けありがとな。まぁ、お前が一番害虫だったんだけど、俺にとっては」
ルシフェルは蹲るエディッドにそう話し掛けた。
エディッドは、びくりと顔を上げ情けない表情でルシフェルと私を交互に見ている。
「マナベル…俺…本当にマナベルの事…」
「気持ち悪いから、名前を呼ばないで」
ぶるぶる震える手を私に伸ばすエディッドを、気持ちが悪いと思うのは仕方ないと思う。
加えてあの映像後よ?
せめて室内にしなさいよね…と呆れた。
「衛兵、こいつも連れて行け」
「はっ!殿下、牢で良いでしょうか?」
「あぁ、牢でもいいし…そうだな、森で致すのが好きみたいだから二人纏めて森でもいいぞ」
森って…夜は獣の宝庫じゃないの。
あんな所にいたら明日には跡形もなく食い散らかされるわよ。
「まぁ、とりあえず…牢で」
獣が集まるといけないからな!と笑いながら言うコイツには人の心はあるんだろうか。
いや…きっと、ないな。
というより、婚約者って…何?
私、いつルシフェルと婚約したの…?
突拍子のない話で意味が解らない。
「おい、マナベル、行くぞ」
「え、ひゃあっ!」
ぐっと手を引かれ、ずんずんと数段上の王族スペースに連れて来られた。
私は訳がわからないまま、ルシフェルにがっちり腰をホールドされて立っている。
「ちょっと…婚約者って何なの!?」
ひそりとルシフェルに聞いても、「黙ってろ」と言われて仕方なく黙る。
どうやら彼は怒っているらしい。
むっつりとしたままこちらを見ない。
無視し続けたから、機嫌を損ねたのかしら。
面倒な人…!
自分だって私を黙らせてあの女の話をニコニコしながら聞いてたくせに。
そりゃ罪の上乗せしようと思惑があったのはわかったけれど…!!
それでもあんな女に笑顔を見せたことが気に入らないわ。
「もう離して、私、帰るわ」
「は?ダメに決まってんだろ。今からセレモニーがあるんだよ」
「はぁ!?何のよ!?」
私にセレモニーなんて関係ないでしょ!?
逃げたいのに、がっちり腰を掴まれたら動けないじゃないの!!
馬鹿力!!
「そんなの決まってる。俺とお前の婚約発表だ」
「…は…?」
「さっき言ったろ?初耳みたいな顔すんな」
「じょ、冗談でしょ?私、承諾してな…」
じっと見据える赤い目が、私を射抜く。
私は喉が張り付いたみたいに、声が出せなかった。
「さっき、俺を選んだだろ?」
「そ……んな……婚約なんて…言わなかった…でしょ」
「じゃあ、今言う」
「え……?」
ルシフェルは、すっと膝を突き私の手を取る。
ざわざわと騒がしかった階下が、しんと静まり返った。
会場にいる全員の視線を浴びている。
「マナベル・リズバーグ公爵令嬢、出会った時から好きでした。俺と、結婚して下さい」
呼吸を、するのを忘れた。
真っ直ぐな眼差し。
よく通る声。
今までに見た事のないほど真剣な表情を向けられてのプロポーズに、ときめかない筈がない。
いつだってそう。
昔からずっとそう。
本当に叶えたい事の時だけ。
ルシフェルはこの表情をするんだ。
「狡い…そんなの…断れるわけ…ない…」
顔に、身体に、熱が篭る。
発熱したみたいに、頬が熱い。
二倍速になる鼓動がこれは本物の恋だと知らせてくる。
こんなの、知らない。
「ふっ…顔真っ赤。りんごみてぇ」
「う、うるさい…」
ふいと逸らした視線の先に、固唾を飲んで見守る貴族達。
公開プロポーズだったと思った瞬間に、ますます赤くなる私の顔。
ルシフェルは私の手にキスをして、すっと立ち上がる。
「今、ここに、ルシフェル・アーガスタとマナベル・リズバーグの婚約が成立した事を報告する!」
会場に響き渡るルシフェルの声。
しん、とした会場に割れんばかりの歓声と、拍手が巻き起こった。
「こらルシフェル、皆への宣言は私の仕事だろう」
「父上、戦場から無事に帰還しました」
「報告が遅い。お前は騎士団の総指揮官だろう」
「報告より大事な事がありましたので」
はっとして後ろを見ると、陛下と王妃様が二人並んで立っていた。
「王国の太陽と月にご挨拶申し上げます」
カーテシーでの挨拶を行えば、階下の皆さんも一斉に陛下と王妃様に挨拶を行った。
壇上から見るその光景は見事なもので、圧倒されてしまう。
「先にルシフェルから報告があったようだが、本日めでたくも王太子ルシフェルの婚約が整った!また、隣国との諍いをルシフェル率いる王立騎士団が鎮圧した!皆、今宵は存分にパーティーを楽しんでくれ!」
陛下がそう告げると、また歓声が巻き起こる。
というより、正式な書類も交わしてはいないのに、私が婚約者でいいのかしら…?
やっぱりやーめた!とかにならない?これ。
だってルシフェルよ?
意地悪な俺様ルシフェルよ?
「おい、何をそんなに考え込んでるんだ?」
「…え…」
「今更婚約を無かった事になんてさせないからな、絶対…」
「…何をそんなにピリピリしてるのよ。あんたこそ、私が婚約者でいいの?」
だって、あなたは……。
いつもの調子でそう言うと、ルシフェルは一瞬だけ無表情になってすぐにまた笑顔に戻った。
「父上、母上、俺は着替えて来ます。戦場からそのまま来たもんで。マナベルも連れて行くので、衣装を変えた後で二人で登場します」
「そうだな、お前のその格好はいかんな」
「マナベルちゃんも着替えれば?どうせならルシフェルと衣装を合わせて来なさいな」
「あ、は…はい…」
うふふ、と笑う王妃様とニヤニヤしている陛下に違和感しかないけど。
あれは何か面白がってる時の顔だわ…!
小さい頃からずっと見ているから、間違いない。
「行くぞ、マナベル」
「あ、はい」
ぐっと手を引かれて誰も居ない廊下に出る。
ここは王族しか使わない廊下だから、当然だけれど。
すたすたと歩くルシフェルは、さっきから何故か無言。
私、何か怒らせる様な事をしたかしら…。
「ほら、入れよ」
「わぁ、ルシフェルの部屋は久しぶりに来るわね!」
そう、小さい頃から王宮に良く来ていた私は、ルシフェルの部屋にもよく来ていた。
何故か一緒に勉強をしたり、剣術を習ったりと二人でよく過ごしていたのだ。
でも、私の婚約が17歳で決まってからはパタリと来なくなり、ルシフェルは戦場に好んで良く行く様になってしまった。
約一年振りに来る部屋は、前とあまり変わっていない。
というより、生活感がない部屋になっていた。
「あんまり変わってないというより、生活感がまるでないわね…」
「あぁ…この一年、ほとんど戦場に居たからな」
「そんなに戦が好きだったっけ?」
「…ここに居たく無かっただけだよ」
「え?何で?」
「………」
後ろにいたルシフェルがふいに黙ったのが気になって、振り返るといきなり強く抱き締められた。
「わっ…!ちょっ…!」
「お前が…マナベルが…他の奴と婚約したから…ここに居たく無かった…」
「え…?え!?」
低く唸る様に呟くルシフェルは、はぁ、と溜息に似た吐息を漏らす。
それが妙に色気を含んでいて、背中がもぞもぞとしてしまう。
「さっき…私が婚約者でいいのって…聞いただろ?あれ、死ぬほどムカついた」
「え!?そ、そうなの?ごめんね…?」
「意味も解って無いのに謝ってんじゃねーよ、バカ」
「だって…じゃ、じゃあ理由を教えて…?」
私はルシフェルの熱い胸板に手を付き、彼の顔を見上げた。
ルシフェルはその美貌を崩し切なげな表情をした後、私の頭を撫でてまた抱き締める。
「ずっと…ずっと前からお前が好きで…やっと婚約出来たのに…私で良いじゃない…マナベルが良いんだ」
「あ、ありがと…」
「だから…もう絶対離さない…」
いつもは強く飄々としているこの俺様が、酷く弱々しく見えた。
私はぎゅっと心臓を掴まれたような気持ちになる。
ずっと好きだったから、ここに居たく無かったと彼は言った。
私はどうだっただろうか。
エディッドの浮気を見た時に思った事は、然るべき処罰を!とだけ。
あの時、ルシフェルに婚約者が出来ていたら…私は…手放して祝福してあげられただろうか。
…出来るわけが無かった。
私は、ルシフェルが好きだったから。
「そんなに私が好きなの?」
試すみたいに問い掛けた。
期待半分、疑い半分。
今以上に距離を詰めようと思えば、ふいに不安が顔を出す。
「…あんなにストレートに好意を示してたのに、気付いてないお前が鈍いんだよ」
「…虐められた記憶しかないんだけど…噴水に落とされたりとか…」
それに……あともう一つ。
「あれは…泣いた顔が見たくなって…俺に助けを求めて欲しくて…」
「ふふ…嫌われるわよ、そんなやり方じゃ…」
「嫌い、なのか?今も?」
ルシフェルの赤い瞳が不安げに揺れる。
どんな戦に行く時もそんな顔した事ないくせに。
たかが一人の女にそんな顔するなんて。
反則にも程があるでしょ…。
ほわほわと柔らかい気持ちになって、この困った男をどうやって甘やかしてやろうかと考える。
これが本物の恋…なのね。
自覚するのが遅いけど、私もまた…ルシフェルが好きだったんだなぁと再確認した。
「好きよ、今も、昔も」
「…違う奴と婚約したくせに…」
「ちょっと、拗ねないでよ」
「だから、俺のだってお前自身に解らせないとな」
「え?それはどういう…」
言いかけて、目を見開いた。
目の前には端正な顔。
唇に当たる柔らかな感触。
ふと開けられた赤い瞳に、思考は全て奪われた。
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