112 / 125
112.出産
しおりを挟む厨房を改装すると言い出したレイの説得にはとても骨がおれた。
弁当は無理でもおにぎりなら作れること、厨房の改装が終わるころには子どもが生まれてしまうこと、何より物が傷むのは怖いと説得し、ようやく諦めてくれた。
(私が趣味のお料理を作れないことを心配してくれてるのは嬉しいんだけどねぇ)
というわけで、目下『おからクッキー』を食堂で製作中だ。
妊婦に優しいというより、マイナにしてみるとダイエット食のイメージではあるが仕方がない。
他に思いつかなかった。
(おからが体にいいことは確かだし。この世界でも、豆腐よりは安いしね)
バアルやイーロがかわるがわるマイナに付き従い、おからと小麦粉、玉子や砂糖、塩の分量を少しずつ変えていき、厨房で焼いてもらう。
それを繰り返しながら、一番舌触りのいい分量を探っていく。
試作品作りに追われている間に、エレオノーラによる赤子の涎掛け刺繍会も行われた。
若いご婦人だけでなく、年配のご婦人も孫のためにと集まってくれた。
交流している間に、不安そうだった若い婦人たちの笑い声も聞こえる様になったのを見て、マイナの試作品作りにも自然と熱が入る。
サクサクのクッキーが焼けるようになったころ、エレオノーラが無事に出産した。
艶々の女の子で、エレオノーラそっくりだった。
義母もこの時ばかりは実家に戻り、エレオノーラを見舞った。
マイナも赤ちゃんを抱かせてもらったが、柔らかくて可愛くて、いい香りがした。
ちなみに義父は、戴冠式後は領地とタウンハウスを行き来している。
義母はマイナの出産を見届けてから領地に帰ることになっている。
ヘンリエッタ主催でマイナのおからのクッキーを披露するころには、マイナのお腹もパンパンであった。
毎日レイが、まだかまだかとソワソワする日々が続いたあと「明日はあなたのお父さまがお休みの日ですよ」とお腹に向かって話しかけた途端、陣痛が始まった。
レイが慌てふためいている中、冷静に産婆と医者を呼べと指示を出した。
ニコとミリアは夜通し湯を沸かし、マイナのベッドはいつ生まれてもいいようにシーツが敷き詰められた。
徐々に陣痛の感覚が狭まり、途切れ途切れになってゆく意識の合間に、ヴィヴィアン殿下とレイと戯れた日々の記憶が蘇ってきた。
(なぜ、今なのよ!?)
痛みに息を荒くしながら、マイナは目を見開くしかなかった。
閉じると二人との記憶がどんどん流れてくるのだ。
無事に終えるまでは、出産に意識を向けていなければいけない。
後で聞いた話では、このときのマイナの顔は相当怖かったらしい。
レイが少々怯えながら、それでもずっとマイナの手を握ってくれていた。
いざ産まれる、という瞬間だけは、さすがにレイには退出してもらったけれど。
産声をあげてくれた我が子の顔を見た瞬間、マイナは目を閉じた。
記憶の渦の濁流に呑まれ、意識が遠のく。
そうしてマイナが次に目覚めたとき、ようやく性別が男の子であったことを知ったのだ。
(よかった……)
マイナは務めを果たせたことに安堵していた。
考えないようにしていたが、やはりプレッシャーは感じていたのだ。
再びマイナの手を握ってくれていたレイが、子どもとマイナの無事を喜んでくれる。
お疲れさまと、頬を撫でる手が震えていた。
その手に自分の手を重ねながら、体を起こそうと身じろぎをすると、レイが反対の手で体を支えてくれた。
「レイさま、わたくしのこと、本当に大好きですよね?」
「もちろん」
「今のわたくしにはわかりますよ。レイさまが、ヴィヴィアン殿下の……陛下の付き添いだとか、お兄さまに会いに来たといいつつ、わたくしに会いに来てくださっていたことなど、全て」
「……それって」
「ええ、わたくし思い出しました。ハッキリと。以前のわたくしってば何をしていたのかしら。レイさまは必死で隠していましたけれど、丸わかりでした。だってわたくしの可笑しな発言をあんなにも面白がって、陛下が顔を引き攣らせるような料理でも、必ず一番に食べてくれて。しかも絶対に美味しいって言ってくださるんです。フィッシュバーガーを手づかみで食べたときなんて、本当に驚きました。お兄さまでさえ、最初は戸惑っていたというのに……わたくしはレイさまに、ずっと溺愛されていましたよね?」
以前のマイナは可笑しいぐらい鈍感だった。
いくら第六感を対価に差し出したからといって、あれはない。
そう思って笑っていたマイナにレイが抱き着く。
まるで、子どもが母親に甘えるような、そんな仕草にも見えた。
「記憶が欠けていても、何も損なうことはないと、自分に言い聞かせてきたけれど、欠けた記憶がどう作用するのかわからなくて、それは不安だった」
震えるレイの背を、マイナはゆっくり撫でた。
「よかった。マイナ、ありがとう。私たちの子を産んでくれて。マイナも無事でいてくれて。しかも記憶まで戻って」
「ご心配をおかけしました」
「本当に無事でよかった。こういうとき、男って本当に何もできないんだね」
「そんなことはありませんよ。傍にいてくれたので心強かったです」
マイナの言葉に照れたように笑うレイが、少し幼く見えた。
子供はどういうわけかマイナに似てしまい、レイそっくりの男の子というわけにはいかなかったが、健康そのものの、ぷっくりした可愛らしい子だ。
今はスヤスヤと、ベビーベッドでおとなしく寝ている。
「レイさま。思い出したついでにお願いがあるんですが」
「なに? 今ならなんでも聞くよ」
「そんなこと言って後悔しませんか?」
「絶対しない」
「それじゃあ」
マイナは、本来であれば通らないはずの願いを口にした。
レイは一瞬考えたあと、なんとかすると頷いた。
「無理のない程度に無理してくださいね」
「そういうの、なんかいいね」
「そうですか? 我がままじゃありません?」
「私はマイナに我がままを言われたかったみたいだ。以前のマイナは、もどかしいほど遠慮がちだったからね」
そう言って笑ったレイは、マイナを慈しむように口づけた。
10
お気に入りに追加
492
あなたにおすすめの小説
本日、私の大好きな幼馴染が大切な姉と結婚式を挙げます
結城芙由奈
恋愛
本日、私は大切な人達を2人同時に失います
<子供の頃から大好きだった幼馴染が恋する女性は私の5歳年上の姉でした。>
両親を亡くし、私を養ってくれた大切な姉に幸せになって貰いたい・・・そう願っていたのに姉は結婚を約束していた彼を事故で失ってしまった。悲しみに打ちひしがれる姉に寄り添う私の大好きな幼馴染。彼は決して私に振り向いてくれる事は無い。だから私は彼と姉が結ばれる事を願い、ついに2人は恋人同士になり、本日姉と幼馴染は結婚する。そしてそれは私が大切な2人を同時に失う日でもあった―。
※ 本編完結済。他視点での話、継続中。
※ 「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載しています
※ 河口直人偏から少し大人向けの内容になります
離縁の脅威、恐怖の日々
月食ぱんな
恋愛
貴族同士は結婚して三年。二人の間に子が出来なければ離縁、もしくは夫が愛人を持つ事が許されている。そんな中、公爵家に嫁いで結婚四年目。二十歳になったリディアは子どもが出来す、離縁に怯えていた。夫であるフェリクスは昔と変わらず、リディアに優しく接してくれているように見える。けれど彼のちょっとした言動が、「完璧な妻ではない」と、まるで自分を責めているように思えてしまい、リディアはどんどん病んでいくのであった。題名はホラーですがほのぼのです。
※物語の設定上、不妊に悩む女性に対し、心無い発言に思われる部分もあるかと思います。フィクションだと割り切ってお読み頂けると幸いです。
※なろう様、ノベマ!様でも掲載中です。
継母の心得 〜 番外編 〜
トール
恋愛
継母の心得の番外編のみを投稿しています。
【本編第一部完結済、2023/10/1〜第二部スタート☆書籍化 2024/11/22ノベル5巻、コミックス1巻同時刊行予定】
そろそろ前世は忘れませんか。旦那様?
氷雨そら
恋愛
結婚式で私のベールをめくった瞬間、旦那様は固まった。たぶん、旦那様は記憶を取り戻してしまったのだ。前世の私の名前を呼んでしまったのがその証拠。
そしておそらく旦那様は理解した。
私が前世にこっぴどく裏切った旦那様の幼馴染だってこと。
――――でも、それだって理由はある。
前世、旦那様は15歳のあの日、魔力の才能を開花した。そして私が開花したのは、相手の魔力を奪う魔眼だった。
しかも、その魔眼を今世まで持ち越しで受け継いでしまっている。
「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。
そして二人で眠った次の朝から、なぜかかつての幼馴染のように、冷酷だった旦那様は豹変した。私を溺愛する人間へと。
お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!
かつての幼馴染は、今度こそ絶対幸せになる。そんな幼馴染推しによる幼馴染推しのための物語。
小説家になろうにも掲載しています。
【本編完結】セカンド彼女になりがちアラサー、悪役令嬢に転生する
にしのムラサキ
恋愛
【本編完結】
「嘘でしょ私、本命じゃなかったの!?」
気が付けば、いつもセカンド彼女。
そんな恋愛運超低めアラサーの「私」、なんと目が覚めたら(あんまり記憶にない)学園モノ乙女ゲームの悪役令嬢に転生してしまっていたのでした。
ゲームでは不仲だったはずの攻略対象くんやモブ男子くんと仲良く過ごしつつ、破滅エンド回避を何となーく念頭に、のんびり過ごしてます。
鎌倉を中心に、神戸、横浜を舞台としています。物語の都合上、現実と違う点も多々あるとは存じますがご了承ください。
また、危険な行為等(キスマーク含む・ご指摘いただきました)含まれますが、あくまでフィクションですので、何卒ご了承ください。
甘めの作品を目指していますが、シリアス成分も多めになります。
R15指定は保険でしたが途中から保険じゃなくなってきた感が……。
なお、途中からマルチエンディングのために分岐が発生しております。分岐前の本編に注意点に関するお知らせがございますので、分岐前にお目通しください。
分岐後はそれぞれ「独立したお話」となっております。
分岐【鹿王院樹ルート】本編完結しました(2019.12.09)番外編完結しました
分岐【相良仁ルート】本編完結しました。(2020.01.16)番外編完結しました
分岐【鍋島真ルート】本編完結しました(2020.02.26)番外編完結しました
分岐【山ノ内瑛ルート】本編完結しました(2020.02.29)番外編完結しました
分岐【黒田健ルート】本編完結しました(2020.04.01)
「小説家になろう」の方で改稿版(?)投稿しています。
ご興味あれば。
https://ncode.syosetu.com/n8682fs/
冒頭だけこちらと同じですが途中から展開が変わったのに伴い、新規のお話が増えています。
あなたたちのことなんて知らない
gacchi
恋愛
母親と旅をしていたニナは精霊の愛し子だということが知られ、精霊教会に捕まってしまった。母親を人質にされ、この国にとどまることを国王に強要される。仕方なく侯爵家の養女ニネットとなったが、精霊の愛し子だとは知らない義母と義妹、そして婚約者の第三王子カミーユには愛人の子だと思われて嫌われていた。だが、ニネットに虐げられたと嘘をついた義妹のおかげで婚約は解消される。それでも精霊の愛し子を利用したい国王はニネットに新しい婚約者候補を用意した。そこで出会ったのは、ニネットの本当の姿が見える公爵令息ルシアンだった。
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
姿を偽った黒髪令嬢は、女嫌いな公爵様のお世話係をしているうちに溺愛されていたみたいです
鳴宮野々花@初書籍発売中【二度婚約破棄】
恋愛
王国の片田舎にある小さな町から、八歳の時に母方の縁戚であるエヴェリー伯爵家に引き取られたミシェル。彼女は伯爵一家に疎まれ、美しい髪を黒く染めて使用人として生活するよう強いられた。以来エヴェリー一家に虐げられて育つ。
十年後。ミシェルは同い年でエヴェリー伯爵家の一人娘であるパドマの婚約者に嵌められ、伯爵家を身一つで追い出されることに。ボロボロの格好で人気のない場所を彷徨っていたミシェルは、空腹のあまりふらつき倒れそうになる。
そこへ馬で通りがかった男性と、危うくぶつかりそうになり──────
※いつもの独自の世界のゆる設定なお話です。何もかもファンタジーです。よろしくお願いします。
※この作品はカクヨム、小説家になろう、ベリーズカフェにも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる