84 / 125
84.エラルド(1)
しおりを挟むノックの音に返事をすると、顔を出したのはヘンリクだった。
「うわぁ、お前、派手にやられたな!?」
「うるせぇ、用がねぇなら消えろ」
「飯持って来てやったのにその態度かよ」
「歩けるから持って来なくていい」
「あーあ。バアルさんが悲しむなぁ。お前の好きな血も滴る超レアステーキなのに」
「そういうことなら早く入れ」
ヘンリクは大股で入って来ると、ベッドヘッドにもたれていたエラルドの前にトレーを置いた。
焼いた直後だとわかる香りが部屋中に充満した。
「お前は肉食えば治るってバアルさんが言ってたぞ」
「頭が上がんねぇな。いただきます」
ナイフで大きめのひと口に切り分けた肉を頬張った。
ほぼ生ともいえる美味しいステーキだ。
昔からバアルは、エラルドやヘンリクが怪我したとき、必ず大ぶりの肉を焼いてくれる。
「お前、ゾラさんと一緒の部屋なのか?」
「まあねー。新婚だからねー」
「へー」
聞くんじゃなかった。
なんだこの満足気な顔は。
この部屋で泣きながら大奥さまとゾラの間で揺れ動いてたのは、つい最近のことだというのに。
「俺は普段シレッと澄ましてるゾラが、可愛く喘ぐとこが好きなのよ」
「お前サイテーだな。嫁との閨事なんか人に話すなよ」
「お前にしか言わねぇよ」
「うざ。とっとと食べ終えて、皿を持って行かせよーっと」
残りの肉を次々と口にいれた。
いい肉は、するする喉を通っていく。
「お前、ちゃんと噛めよ?」
「おまへにひはれはくへえお」
「ふーん。ま、お前もさ。いい歳こいて喧嘩なんかしてないで結婚しろよ。いいもんだぜ、結婚」
「さんざん泣いてたくせに、結婚した途端にうぜぇな!?」
肉を咀嚼し終えたエラルドは盛大に悪態を吐いた。
「俺はレイさまを失うかもしれなかったんだよ。元から結婚するつもりもねぇし、願望もねぇ。しかも自分が生きていることにも大した執着がねぇ。そんな俺でもレイさまだけは大切なんだ」
レイが王太子なんかになってしまったら、自分の居場所なんかなくなってしまう。
平民のエラルドに王太子の側近など務まらないからだ。
杞憂はそれだけじゃない。
あの陛下の周りの側近たちはどうにもキナ臭かった。
(アイツらの瞳は主を崇拝しているような瞳なんかじゃなかった)
もっと淀んでいて薄暗い何かだ。
そんな奴らの中にレイが放り出されればどんなことになるか、火を見るよりも明らかだ。
手が足りなかったのか雑魚だと思われていたのか、エラルドの部屋の前に見張りすら付かなかったことがより一層癪に障った。
苛々しながら眠れない夜を過ごし、まだ夜が明けきらぬころ現れたミケロに声をかけられて、うっかり挑発してしまったのはそのせいだった。
(結構驚いたけどな? 部屋の天井が急に開くし)
開いたところで、エラルドでは落ちることはできても降りることはできない。
ましてや梯子がなければ登ることなんてできない。
しかも開いた天井は、どう目を凝らしても開くような造りには見えなかった。
影って本当にいるんだな――
最初の感想はそんなものだった。
黒髪に赤い瞳のミケロは、異様な気配を放っていた。
エラルドも昔は狂犬なんていう恥ずかしい二つ名をもっていたが、それでも足がすくんだ。
ヨアンで慣れていたつもりだったが対峙してみたら全く違った。
ヨアンは普段、相当おさえているのだろう。
足はすくむのに、口だけは挑発を続けた。
ミケロはエラルドのことを知っているようだったし、普通に話したがっていただけだったというのに、エラルドは勝ち目のない相手に無意味な喧嘩を売っていた。
「あんた、死にたいの?」
殴られる前に聞かれた。
(レイさまのいない世界で生きていてもな)
そんなことを思っていたのだから、確かに死にたかったのかもしれない。
エラルドの頭のよさに気付いたレイは、自分が家庭教師に学んだことを陰でずっとエラルドに教え続けてくれた。
(あの人がいなかったら俺の人生なんて、そこらに落ちているゴミ同然の人生だったんだ……)
だから、本音を言えばヘンリクが大奥さまに惚れる気持ちもわかっていた。
ヘンリクも大奥さまの護衛になって、ようやく人として生きることができるようになったからだ。
「レイさまが俺の主でいてくれるだけで、俺は幸せなんだよ」
城から屋敷に帰ってきて、レイの綺麗な顔を見たとき、憑き物が落ちたみたいにスッキリしてしまった。
エラルドが今まで張っていた予防線や虚栄――平民だからと舐められないように、脇が甘いと見くびられないように開けてきた人との距離、その他もろもろ全てが無駄だとわかった。
(レイさまがいなきゃそんなもの、何の意味もねぇ)
「ふーん。ま、わかるよ」
「だろ?」
女なんか要らない、ましてや結婚なんて。
そう思う気持ちは今でもある。
ただ絶対にと思うほどのエネルギーは無くなってしまった。ヘンリクにそれを言うつもりはないが。
ヘンリクはその後、何も言わずにトレーを持って部屋を出て行った。
大旦那さまに振り回されたのは気の毒だったが、今が幸せならよかった。
(なーんて、絶対言ってやらねぇけどな)
無精髭を剃り、髪も切って整えたヘンリクは精悍な顔つきになった。
身なりに気を使っているあたり、ゾラに嫌われたくないと思っているのがわかる。
「下品なのは相変わらずだけどな」
ヘンリクが聞いたら文句の一つも言いそうなことを呟きながら、ベッドサイドに置いてあった水を飲んだ。
* * *
0
お気に入りに追加
492
あなたにおすすめの小説
【完結】婚約者を譲れと言うなら譲ります。私が欲しいのはアナタの婚約者なので。
海野凛久
恋愛
【書籍絶賛発売中】
クラリンス侯爵家の長女・マリーアンネは、幼いころから王太子の婚約者と定められ、育てられてきた。
しかしそんなある日、とあるパーティーで、妹から婚約者の地位を譲るように迫られる。
失意に打ちひしがれるかと思われたマリーアンネだったが――
これは、初恋を実らせようと奮闘する、とある令嬢の物語――。
※第14回恋愛小説大賞で特別賞頂きました!応援くださった皆様、ありがとうございました!
※主人公の名前を『マリ』から『マリーアンネ』へ変更しました。
【完結】不誠実な旦那様、目が覚めたのでさよならです。
完菜
恋愛
王都の端にある森の中に、ひっそりと誰かから隠れるようにしてログハウスが建っていた。
そこには素朴な雰囲気を持つ女性リリーと、金髪で天使のように愛らしい子供、そして中年の女性の三人が暮らしている。この三人どうやら訳ありだ。
ある日リリーは、ケガをした男性を森で見つける。本当は困るのだが、見捨てることもできずに手当をするために自分の家に連れて行くことに……。
その日を境に、何も変わらない日常に少しの変化が生まれる。その森で暮らしていたリリーには、大好きな人から言われる「愛している」という言葉が全てだった。
しかし、あることがきっかけで一瞬にしてその言葉が恐ろしいものに変わってしまう。人を愛するって何なのか? 愛されるって何なのか? リリーが紆余曲折を経て辿り着く愛の形。(全50話)
〘完〙前世を思い出したら悪役皇太子妃に転生してました!皇太子妃なんて罰ゲームでしかないので円満離婚をご所望です
hanakuro
恋愛
物語の始まりは、ガイアール帝国の皇太子と隣国カラマノ王国の王女との結婚式が行われためでたい日。
夫婦となった皇太子マリオンと皇太子妃エルメが初夜を迎えた時、エルメは前世を思い出す。
自著小説『悪役皇太子妃はただ皇太子の愛が欲しかっただけ・・』の悪役皇太子妃エルメに転生していることに気付く。何とか初夜から逃げ出し、混乱する頭を整理するエルメ。
すると皇太子の愛をいずれ現れる癒やしの乙女に奪われた自分が乙女に嫌がらせをして、それを知った皇太子に離婚され、追放されるというバッドエンドが待ち受けていることに気付く。
訪れる自分の未来を悟ったエルメの中にある想いが芽生える。
円満離婚して、示談金いっぱい貰って、市井でのんびり悠々自適に暮らそうと・・
しかし、エルメの思惑とは違い皇太子からは溺愛され、やがて現れた癒やしの乙女からは・・・
はたしてエルメは円満離婚して、のんびりハッピースローライフを送ることができるのか!?
【完結】 悪役令嬢は『壁』になりたい
tea
恋愛
愛読していた小説の推しが死んだ事にショックを受けていたら、おそらくなんやかんやあって、その小説で推しを殺した悪役令嬢に転生しました。
本来悪役令嬢が恋してヒロインに横恋慕していたヒーローである王太子には興味ないので、壁として推しを殺さぬよう陰から愛でたいと思っていたのですが……。
人を傷つける事に臆病で、『壁になりたい』と引いてしまう主人公と、彼女に助けられたことで強くなり主人公と共に生きたいと願う推しのお話☆
本編ヒロイン視点は全8話でサクッと終わるハッピーエンド+番外編
第三章のイライアス編には、
『愛が重め故断罪された無罪の悪役令嬢は、助けてくれた元騎士の貧乏子爵様に勝手に楽しく尽くします』
のキャラクター、リュシアンも出てきます☆
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
虜囚の王女は言葉が通じぬ元敵国の騎士団長に嫁ぐ
あねもね
恋愛
グランテーレ国の第一王女、クリスタルは公に姿を見せないことで様々な噂が飛び交っていた。
その王女が和平のため、元敵国の騎士団長レイヴァンの元へ嫁ぐことになる。
敗戦国の宿命か、葬列かと見紛うくらいの重々しさの中、民に見守られながら到着した先は、言葉が通じない国だった。
言葉と文化、思いの違いで互いに戸惑いながらも交流を深めていく。
お飾り王妃の受難〜陛下からの溺愛?!ちょっと意味がわからないのですが〜
湊未来
恋愛
王に見捨てられた王妃。それが、貴族社会の認識だった。
二脚並べられた玉座に座る王と王妃は、微笑み合う事も、会話を交わす事もなければ、目を合わす事すらしない。そんな二人の様子に王妃ティアナは、いつしか『お飾り王妃』と呼ばれるようになっていた。
そんな中、暗躍する貴族達。彼らの行動は徐々にエスカレートして行き、王妃が参加する夜会であろうとお構いなしに娘を王に、けしかける。
王の周りに沢山の美しい蝶が群がる様子を見つめ、ティアナは考えていた。
『よっしゃ‼︎ お飾り王妃なら、何したって良いわよね。だって、私の存在は空気みたいなものだから………』
1年後……
王宮で働く侍女達の間で囁かれるある噂。
『王妃の間には恋のキューピッドがいる』
王妃付き侍女の間に届けられる大量の手紙を前に侍女頭は頭を抱えていた。
「ティアナ様!この手紙の山どうするんですか⁈ 流石に、さばききれませんよ‼︎」
「まぁまぁ。そんなに怒らないの。皆様、色々とお悩みがあるようだし、昔も今も恋愛事は有益な情報を得る糧よ。あと、ここでは王妃ティアナではなく新人侍女ティナでしょ」
……あら?
この筆跡、陛下のものではなくって?
まさかね……
一通の手紙から始まる恋物語。いや、違う……
お飾り王妃による無自覚プチざまぁが始まる。
愛しい王妃を前にすると無口になってしまう王と、お飾り王妃と勘違いしたティアナのすれ違いラブコメディ&ミステリー
悪女役らしく離婚を迫ろうとしたのに、夫の反応がおかしい
廻り
恋愛
王太子妃シャルロット20歳は、前世の記憶が蘇る。
ここは小説の世界で、シャルロットは王太子とヒロインの恋路を邪魔する『悪女役』。
『断罪される運命』から逃れたいが、夫は離婚に応じる気がない。
ならばと、シャルロットは別居を始める。
『夫が離婚に応じたくなる計画』を思いついたシャルロットは、それを実行することに。
夫がヒロインと出会うまで、タイムリミットは一年。
それまでに離婚に応じさせたいシャルロットと、なぜか様子がおかしい夫の話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる