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21.父

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「……は?」

 侍従のエラルドが早朝に話があるというので執務室の椅子に座った。
 細々とした報告を受けたあと、最後に切り出された話に耳を疑った。

「……私の頭が寝起きで働いてないからかな。理解に苦しむ」

「いえ……レイさまの反応は正常かと」

 確かに、ここのところマイナを腕に抱いて寝ているせいか、よく眠れているので頭はスッキリしているはずだが。
 人によっては眠れないであろう状況でもレイは眠れる。
 精神力と疲れによる賜物である。

「あの人は本当に……」

 あの人、とは父のことである。
 王弟殿下と呼ばれていた時代はもっと酷かったらしい。
 最近はそれなりに落ち着いてきたと思っていたが。

(絶対に口に出せないが王太子殿下もかなりおかしい。絶対王家の血のせいだ)

 自分にもその血が流れていることは綺麗さっぱり流すレイである。

「領地に娯楽が少なくて暇なせいか?」

「恐らくは、それもあるかとは思いますが……」

 エラルドが昨晩、ヘンリクから聞いた話らしい。

「母上に嫉妬してもらうためと、ヘンリクをそろそろ結婚させるためだと? 理解できん。母上に嫉妬させたいというのはいつものことだから理解したくはないが、できる。だがなぜそこでヘンリクの結婚が出てくる?」

 昔から父は、母に嫉妬させるために浮気を繰り返した。
 頭がおかしいとしか言いようがないが「リュシエンヌは油断するとブスになるからな」などと言って。
 そして父がヘンリクを挑発するのもいつものことだが、やはり話が繋がらない。

「今回は浮気を匂わせただけのようですが、奥さまは泣きながら領地を出立したそうです」

 それはそうだろう。
 あんな父なのに、なぜか母は一途なのだ。
 母の実家の侯爵家が、父へ嫁がせるために男とはそういうものだと言い聞かせて育てたお嬢さまだから、父に女がいるのは当たり前だと思っている。

(でも実際は泣いてるんだよなぁ)

 気の毒だとは思うが、父の頭のおかしさについては王家の男だからとしか言いようがないのだ。
 母に執着すればするほど、ろくでもないことを繰り返す。

(陛下も大概らしいけど、王太子殿下ほどではないらしい……そう考えるとヴィヴィアン殿下はかなりまともだな)

「なぜ母上に横恋慕するヘンリクを刺激する?」

 エラルドは紅茶をレイの前に出しながら、うんざりという顔をした。

「私も認めたくはないんですが、今回はゾラさんのためらしいです」

「はーーーー!?」

「落ち着いて聞いて下さい」

「嫌だ」

「大丈夫です。私も一応、正気を保ってますので」

「嫌だ!!」

「ゾラさんはどうやらヘンリクのことがずっと好きだったとか」

「ゾラー!! 引き返すなら今だー!!」

「お気持ちはわかります。侍女の鏡と言われている彼女が、あんな馬鹿のことを? なんて思うと複雑な心境で……ヘンリクを潰すつもりが、うっかり、私まで深酒をしてしまいました」

「あのゾラだぞ!? 父上の勘違いだろう!? それならまだヨアンにデレデレのニコほうが想像つくぞ!? いや待て、まさか母上のほうがついでってことか!?」

「そうらしいです。大旦那さまは、大奥さまを焦らしに焦らしたあと、迎えに来るらしいです。そして、その帰りの馬車でヘンリクとゾラさんをひとつの馬車に押し込んで、ご自分は別の馬車で大奥さまと盛り上がる予定だと」

「二人きりにしたところで、何も起こらないのでは?」

「そうとも言い切れないのです。かなりヘンリクのストレスが溜まっていますから。この屋敷は既にレイさまの領域。敵対しているわけではないですが、人員がかなり変更されていて、昔のようには安心できない。外に出て遊ぼうにも、大奥さまを残して遊びに行くのも不安。つまり、ストレスマックスの状態なわけです」

「えげつない。そこまで計算している父上が鬼畜過ぎてヘンリクに同情しそうになる」

「放っておいたらゾラさんは絶対に認めないわけですよ、ヘンリクのことが好きだなんて。本来なら間違いなど起きようもない」

「そうだろうな」

「そこは大旦那さまです。嗅覚がですね、半端ないわけです。この屋敷で気を張り、ストレス状態が続いているのはゾラさんも同じです。何も起こらないとは言えなくなるわけです。弱ってるところで、ヘンリクへの想いを漏らさないとも限らない。私も冷静に思い返してみれば、二人に関しては思い当たることがあるんですよ。なんたって二人は大奥さま至上主義なわけです。実は気が合うんです。そしてヘンリクも、口では奥さま奥さま言いつつもですね、長年のアレコレもあり憎からず思っているところはあるし、ゾラさんから慕われていることも密かに感じている。あれだけの美人ですし、性格だっていい、慕われて悪い気はしない。相変わらず大奥さまは大旦那さまが大好きで、迎えに来てくれるのを今か今かと待っているのが手に取るようにわかる。そんな大奥様を毎日見ているストレスと一緒に溜まるものがある、つまりですね……」

「もういい……みなまで言うな」

 レイは頭を抱えた。
 父の計算通りになる確率は高いということだ。

 父はレイがマイナに対して無自覚だったころ「お前はマイナ嬢と結婚する」と言い切った。
 当時は何を言ってるんだと思っていた。

(なんなんだあの人の、そういうことにだけに働く無駄な能力は)

 しかし。

「そこでゾラの気持ちや父上の画策をヘンリクが知っていたら無意味では? あいつもさすがに抵抗するだろう?」

「それが大旦那さまの本当に酷いところで……」

 エラルドは、間をあけて頷いた。
 レイも紅茶を飲み、ひと呼吸おく。

「そのほうがヘンリクが長い時間、大奥さまへの想いとゾラさんからの想いに振り回されて、旦那さまが楽しめるからと。しかも万が一、何も起こらなくとも二人には結婚を命じるつもりらしいです」

「やりそうだなとは思うが、わかりたくない。そこまでまるっとヘンリクに言う残酷さがえげつない」

 あんな父親で心底うんざりする。
 だから距離をあけている。
 どういうわけか、マイナには必要以上に接触しないでいてくれるので助かってはいるが。

「ヘンリクはそれであんなに荒れてたのか」

「繊細な男なんで」

「いや、ヘンリクじゃなくともなぁ。父上がそう言うからには、二人がどれだけ反発しようとも結婚させられるのだろう」

 ゾラも気の毒だ。
 彼女は一生、結婚しないつもりだろうし。

「私は今回ほどレイさまの侍従でよかったと思ったことはありません」

「……私にもあの人の血が流れているんだが」

「いえ!! レイさまの血は大奥さまの血です、きっと。一途ですし!!」

「慰めはいいよ。私も最初はまるっと流して無視したけど、自分が危ないことを自覚しないといけない」

「レイさまは大丈夫です。どうか気を確かに。今日の予算会議も揉めること間違いなしですから、しっかり!!」

 濃い隈をこさえた黒縁眼鏡のエラルドが、その茶色い瞳を潤ませていた。

「なんだ、疲れ目か?」

「はい!! 毎日寝不足の上に書類仕事が多くて」

「そうだよなー。お前、こういうとき泣くようなやつじゃないもんな。安心したよ。私はもう一度マイナの顔を見て心を落ち着かせてから食堂へ行く。バアルに早めの朝食を頼んでおいてくれ」

「かしこまりました」

 フラフラと執務室を出て、寝室前の護衛を労ってから部屋に入った。

 眠るマイナに近付き、顔を寄せる。

 こっそりキスをして顔をあげたら、目を開けたマイナと目が合ってしまった。

「…………」
「…………」

 唇へのキスは結婚式以来である。

 どんなに同衾しようとも、自制心と共に欲望を抑えつけ、余裕を見せつけてきたというのに。

(しまった……寝顔が可愛いすぎてつい……)

 呆然と見上げてくるマイナの頬を撫で、心の声を悟られないよう、ニッコリ微笑むレイであった。



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