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 レナータの実家のジナステラ侯爵家は、古臭い貴族らしい家だった。
 両親と顔をあわせるのは、年に数度という環境でレナータは育った。

 あるとき王太子殿下の婚約者候補と側近候補が一同に集められ、茶会が開かれた。
 レナータはそこで初めてラッセルに出会い、レナータに一目ぼれしたというラッセルに家を通して婚約の打診をされた。

「高位貴族の子息が集まる茶会に、金をかけてドレスを新調して、わざわざ出席させてやったというのに、野蛮なカヌレ伯爵家からしか婚約を申し込まれないとは。やはりその髪のせいか?」

 久しぶりに会った父はレナータを叱責した。

 赤い髪はなぜか両親からではなく、母方の祖母から受け継いでしまった。
 少々身分の低い人だったせいか、父はことさら祖母を嫌っていた。
 レナータが赤い髪で生まれたせいで父から冷遇されたと言われ、母からも疎まれていた。

(お父様とお母様が不仲なのは私のせい……)

 何を言われても俯き、耐えることしかできない。
 そんなレナータを見て、馬鹿にしたように鼻を鳴らした父は「闘うことしか能のない野蛮な獣の婚約者ぐらいが、お前には似合いだ」と吐き捨てるように言った。

 単に派閥の関係で王太子妃になられると面倒だから、適当な家格の子息と婚約させるために茶会に出したに過ぎない父は、それすらレナータのせいであるかのように突き放した。

 評判の悪い王太子殿下の婚約者選びは難航しており、急がないとレナータに打診がくる可能性がある。
 家での口調とは裏腹に、父はカヌレ伯爵に媚びへつらった。
 カヌレ家は代々続く名門で、資産は公爵家並みと言われているからだ。

 婚約を結んだのが八歳の時、ラッセルは十歳だった。
 婚約してからはカヌレ伯爵家に何度も招かれ、エディットからは本当の娘のように可愛がられ、愛情を注がれた。醜いはずの赤い髪をエディットとラッセルは美しいと褒めてくれる。

 空っぽだったレナータの心が、カヌレ伯爵家の愛で埋まっていった。
 父が獣と蔑むカヌレ伯爵家は皆、誰もが心根の美しい人ばかりだったのだ。

 そのレナータが明日嫁ぐという日。
 父が紙切れを渡し、こう告げた。

「獣の相手が嫌になったら毒を飲むか離婚でもしろ。その方法を伝授しておく。ちなみに死ぬつもりがないのであれば、北にあるジョルダンという修道院に入れ。そこなら獣も、お前を取り戻しには来れない。わかったな?」

 頷く以外なかった。

(古びた思い出と紙が、今ごろになって役に立つなんて……)

 町医者と便宜上呼んでいるが、実際は闇医者だ。
 大金を払えばこちらが願った通りの診断書を書く。
 心神喪失のため自殺の危険あり、療養されたし、と書かれた診断書をマリーに渡した。

 これさえあれば、教会は離婚届の書類を発行してくれる。
 受理してもらうには夫のサインがいるが、サインしてもらえなければ毒を飲めばいいし、サインしてもらえれば『ジョルダン』へ行く。
 寒く、貧しい修道院は、衛生環境も悪いらしい。
 行けば必ず死が訪れるだろう。

 どのみち死ぬのであれば、どちらでもいい。

 貴族女性には決して教えることのない、監獄とも呼ばれる修道院の名を心で呟きながら、レナータは瞼を閉じた。


 その日から、何度扉をノックされてもラッセルを受け入れることはなかった。


 正しい夫は決して、無理に部屋に入ろうとはしない。


* * *


 離婚届と毒薬が届き、ロジェとクリスティーヌの結婚式が行われたあとのこと。
 相変わらず定期的にレナータの元を訪れるラッセルを、離婚届を渡すために受け入れるべきか、毎日悩んでいた。

 しかし、ここにきてルーカスがレナータに顔を見せるようになったこともあり、もう少し我が子の姿を見ていたいと思ってしまった。

 マノロ殿下だけでなく、陛下の体調も悪くなり、急遽行われる第二王子ヴィヴィアン殿下の戴冠式も近付いている。

(お祝いムード一色のときに、死ぬ騒ぎを起こしたら迷惑よね……)

 それに毒薬を飲んで妻が死んだとなれば、ラッセルの婚約は一年以上あける必要が出てくる。

(毒は最終手段だわ。慎重に離婚を切り出してサインしてもらわなくては。離婚が成立してからジョルダンに行くべきね……厚手の下着を用意しておきたいし……)


 そんなことを言い訳に、いつまで経っても離婚を申し出なかったのがいけなかったのだろう――

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