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しおりを挟む子どもの泣く声が聞こえた。暗闇の中、反響するように響くそれは、どこから零れてきているのか、わからない。
冬里は瞬く。そうして、夢を見ていることを直ぐに察した。生ぬるい暑気の滲む、なんともいえない空気が足下を掠めていく。不意に、暗闇の中に明滅する光が出てきた。電灯だ。
等間隔に設置されたそれが、暗闇をぼんやりと照らし始める。砂利のある道が浮かんで、街灯に群がるように虫が飛んでいるのが見える。
一歩、踏み出してみると、ぱ、と遠くに光が灯るのが見えた。歩け、ということなのだろう。合点をつけて、冬里はゆっくりと歩き始める。
夢の中なのに、足下の地面がやけに生々しく感じられた。子どもの泣き声は少しずつ大きくなる。空を見てみると、本来は星が輝いているべき場所が、帳を落としたように何の光も見せない。
歩く内に、徐々に視界が低くなっていくことに気付く。見てみると、いつのまにか、手の平が小さくなっていた。
身鏡などはここにはないが、恐らくは小学生くらいになってしまったのではないだろうか。現に、冬里は小学生の頃、好んで良く来ていた服を着用しているようである。今はもうサイズが入らなくなって、遠い昔に捨ててしまったものだ。
子どもの歩幅で歩く内に、泣き声の発生源のような場所に行き着く。街灯の下で、冬里は、泣いている子どもに「どうしたの」と声をかける。
稚さを宿した声だった。子どもが小さくしゃくりを上げる。しゅるしゅる、という音と、生臭い匂いが鼻腔を掠めた。
「――誰もいれてくれない」
子どもが答えた。泣き濡れた声は枯れている。
「いれて、って、お願いをしているのに、いれてくれない」
「お父さんとお母さんは?」
冬里が意識するよりも先に、口が勝手に動いて言葉を発する。子どもは僅かに息を詰めて、そうしてから「そんなもの、いない」とだけ続けた。
自分の体が、なんだか、自分のものではない感覚があった。冬里の口が、「それは大変だね」と僅かに舌足らずに告げる。そうしてから、暗闇に向かって、手を差し伸べた。
「おいで。私が、一緒にいれてくれる場所を探してあげる」
「……? 君が?」
「そう。大丈夫だよ。あのね、私、お姉ちゃんになるんだよ。だから、手伝いだって得意なんだから」
これは、夢だ。
多分、遠い昔の、夢だ。
子どもの泣き声が静かになる。さがしてくれるの、と問う声が、震えていた。涙に濡れたそれを元気づけるように、冬里は頷く。
「でも、もし、見つからなかったら?」
「その時は、うちにおいで。うちの子にしてあげるよ」
「……」
暗闇の中、手が伸びてくる。子どもの手だ。ただ、それが普通のものと違うのは、鱗がついている、ということだろうか。
まるで蛇のような、鱗が――。
小さく息を詰まらせて、冬里は目を覚ます。
今日の夢は淫夢ではなかった。それにほっとしながら、同時に、あの夢は、一体なんだったのだろう、と、心中で疑問がもたげる。
恐らくは幼い頃の夢だろう。けれど、本当に、一切の覚えが無かった。
ここまで記憶に無いということは、あの後、冬里は多分、その思い出を忘れたくなるような目に遭ったのではないか、と考えるのが一番納得出来るだろう。何かがあって、だから、その前後の記憶を意識的に封じているのではないだろうか。
冬里の母は、『火が付いたように泣いていた』と言っていた。幼い頃、冬里はそこまで涙を零すような子どもではなかった。それこそ、一人で祖母の家にやられても問題ないと思われるくらいには。
何かがあったのだろう。――きっと、忘れてしまっている、何かが。
ベッドの上に腰掛けながら、冬里はそっと息を吐く。淫夢を見ていない、とは言え、どうしてか体は重い。動かすのが少し億劫だったので、そのまま携帯を動かして、ニュースを見たり、友人のアカウントを見てみたりというようなことをしてから、ようやく、冬里は寝間着から普段着へ着替えた。
朝ご飯を食べて、テレビでニュースを眺める。いつもなら、もう少しもしたら呼び鈴が鳴るだろう。だが、今日は一緒に過ごさないと決めている。
流石に、そう、なんというか――流されすぎだろう、と自分でも思った。加賀が悪いわけではない。雰囲気に流されて、体を許しかけている自分が、なんだか怖い。
このまま今日も顔を合わせたら、なんだか恥ずかしさで埋まってしまいそうだ――なんて考えていると、ブザー音が鳴った。玄関口まで向かうと、「こんにちは、いれてください」という聞き知った声が耳朶を打つ。
冬里はノブに触れて、それからそっと息を吐いた。そうして「ごめん」と続ける。
「今日は一人で過ごしたくて。来てもらってなんだけれど、……今日は、一人にしてくれないかな」
「――」
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