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15-2 一生触れていたい
しおりを挟むそっと押し寄せるようにして指輪の箱を手元に渡され、奏は瞬く。受け取って良いのだろうか。
首を傾げて、不意に、手袋を受け取った時のことを思い出す。
あの時、手袋は親しい間柄の相手にしか渡さない、婚姻のしるしのようなものだと、フェリクスは嘘を吐いた。実際の所、手袋は親しい間柄の相手に渡すものではあるが、それを渡されたからと結婚や婚姻に結びつくものではないようだった。
でも、そう、確か。あの時調べた文言には、関連した語句として指輪があげられていた。
――僕達は婚姻の契約に手袋を渡し合う。そして、結婚の際には、お互いに手袋を付けて列席する。魔法が無くなったとしても、この人となら幸せになれる、という祈りを込めて。
フェリクスはそういっていた。あの言葉の手袋は、そのまま指輪に置き換えることが出来る。ルーデンヴァールでは、婚姻の契約に、指輪を贈り合うのだと。
奏はそっと箱を握る。今までもずっとフェリクスは優しかったが、流石に指輪を受け取るのは、駄目だ。
「いえ、お返しします」
「どうして。キミは知らないかもしれないけれど、ルーデンヴァールで指輪を贈り合うのは別段強い意味を持つものではないよ」
「嘘ですよね、それ」
奏はフェリクスを見つめる。フェリクスは一瞬瞬いて、それから眉根をそっと寄せた。だませない、とすぐに観念したような表情だ。
「……勉強熱心だね、奏は」
「とにかく、指輪は駄目です。その……、……誤解、されてしまいます」
「誤解? 誰に?」
「誰って、その、例えば……フェリクスの、……」
婚約者とか。
囁くように言葉を口にすると、フェリクスは目を丸くした。僅かな間を置いて、「居ないよ」と静かに答える。
「僕には居ない。今はね。ただ、今後、国益の為に誰かと婚約をする可能性は、ある」
「……」
「……嫌?」
「えっ」
「嫌そうな顔をしているから。少しうぬぼれてしまいそうなくらいには」
フェリクスは笑う。奏は自身の頬に触れた。そんなに変な顔をしていただろうか。わからない。
鏡も何も無い状況で、自分の様子を窺うのは難しい。ただ、――確かに、国益の為に誰かと婚約する可能性はある、と言われた瞬間、胸がずん、と重たくなったような気がした。
「……」
「ねえ、……気になっていたの? 僕に婚約者がいるかどうか」
「それは……」
「どうして?」
すり、とフェリクスの指が奏の指に触れる。爪先から節の部分にかけて、撫でるように指先が動いた。くすぐったさと、それ以上に、背筋がぞく、と震える。
「それは、その、だって、……ほ、保護してもらっているので、もし婚約者の方が居たら、ご迷惑かなと思って居て」
「それだけ? 本当に?」
フェリクスが一歩、奏に距離を詰めてくる。慌てて後ずさると、フェリクスは楽しげに息を零した。
心底嬉しそうな顔で、奏を壁際にまで追い詰める。逃げられないようにか、片手を壁について、もう片方の手を奏の腰辺りに寄せる。
「居ない、という返答は、キミを安心させるものだった?」
「……、ち、ちか、い、です」
「ふ。耳も頬も赤い。奏は色が白いから、わかりやすいね」
「……それを言うならフェリクスだって頬が赤くなってますけれど……!」
「奏の熱が移っちゃったんじゃないかな」
フェリクスはくすくすと喉を鳴らすと、奏の首元に額を寄せた。息を零すようにして笑う。
「ねえ、受け取ってよ。指輪。キミに持っていてもらいたい」
「……」
「少しの間で良いよ。……キミが元の世界に戻ったときに、捨てても良い。だから、少しだけ……。今だけで良いから」
ふ、とフェリクスが笑う。少しだけ泣き出しそうに見えたのは、多分、奏の見間違いなのだろう。
「……少しって……」
「――嫌?」
「嫌、というか。……手袋貰った時もそうですけれど、私は貰ったものを大事にする派なんですよ」
奏は頬に集まる熱を必死に追いやるようにして、手の甲で自身の顔に触れる。熱い。
「だから、渡されたら、一生捨てないつもりですけれど、それでも良いんですか?」
「……一生」
「私に物を渡すということは、私がそれを一生大事に、大切にする! ということを理解しておいてください」
少し言いつのるように言葉を続けると、フェリクスは呆けた顔をした。そうしてから、笑う。
楽しげに声を弾ませて、「一生?」と語尾を持ち上げた。問いかけのような言葉に、奏は重々しく頷く。
「一生!」
「そう。一生ね。ふ。あは。指輪や手袋が羨ましくなってきたな……」
「え、あげませんよ……!?」
「違うよ。僕があげたものなのに、どうして欲しいとか言うと思うわけ? キミに、一生、大事にされるのが羨ましいって話なんだけど。わかってる? キミは言葉にしないときちんとわかってくれない節があるから、きちんと言っているんだよ。僕が羞恥で壊れたらまず間違い無くキミのせいだ」
早口に紡がれた言葉に奏は瞬く。そ、そこまで言わなくとも良いのでは無いだろうか。思わず戦いて、奏は息を零すようにして笑った。
フェリクスが寄せてきた箱を手に取り、蓋を開く。
「……魔法使う時、傍に居てくれますか?」
「居るよ。奏一人に魔法を使わせたら、大変なことになりそうだし、そもそも魔法の使い方、知らないんだろう? 教えるよ」
「ありがとうございます。じゃあ、これは大事にしますね」
「……うん。そうして。一生、ね」
フェリクスが笑う。穏やかな眼差しが、甘い感情を乗せて奏を見つめる。
僅かな間を置いたあと、「それじゃあ」とフェリクスは奏の傍から体を離した。触れあっていた部分が、急に空気を孕んで、少しだけ冷たい。
もっと、触れていたかった、かもしれない。
考えて、奏は心中で首を振る。何を考えているのだろうか。離れていった分の距離を埋めるように手を伸ばしてしまい、慌てて自身で制止をする。危なかった。理性が無ければ確実にフェリクスの服の裾なり、指先なり、掴んでいただろう。
ほっと一息を零すのと同時に、フェリクスが奏の耳元に口を寄せた。
ちゅ、と――音がして、熱が灯る。
「ねえ。煽らないで。……我慢強さを試しているの? それなら僕は全く適任じゃ無いよ。直ぐに、キミの体に触れたいと思ってしまう」
「……へっ、え?」
「おやすみ。奏、良い夢を見てね」
「なっ、なに、いま、なに……!?」
「なんだと思う? 明日の朝まで考えていたら? 僕のことを考えて、眠れない夜を過ごしてくれたら、僕としても今までの溜飲が下がるんだけど」
にこにこと笑みを浮かべながら、フェリクスは踵を返す。その背中が室内から出て行くのを見守って、奏は耳を押さえてその場にへたり込んだ。
指先で耳の輪郭を撫でる。与えられた熱が、灯るように指先に滲むのがわかった。
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