18 / 72
10-2 居たい場所
しおりを挟むフェリクスが吐息と共に言葉を落とす。どうやら、奏の――いわゆる我が儘を、今回は聞いてくれるらしい。
実際の所、今まで何度も城下で食事をしているし、手袋を汚すのが嫌なので食事の際は手袋を外しているのだが、一度も体調が悪くなったことはない。城下で、しかも足のつきやすい食べ物に、毒物を混ぜるような人達は存在しないのだろう。
だから、恐らく――今回も、問題は無いはずだ。ただ、絶対にそう、とは言い切れない所があるにはある。
だからこそ、触れて渡すことで、フェリクスが多少なり安心して口に含むことが出来るのならば、それは良いことだと、奏は思う。
「美味しいお店を知っているんです。一緒に買いに行きませんか?」
「はいはい。仰せのままに」
手を差し伸べて、奏は立ち上がる。フェリクスが少しばかり呆れたような声音で奏の手を握った。
奏の好きな店は、少し歩いた場所にある。様々な惣菜を売っているお店で、パンも売っている。
甘いジャムやクリームの入った菓子パンや、具だくさんの野菜や肉類がみっちりと詰め込まれたパンやキッシュのような食べ物もあり、品揃えが豊富で、いつ来ても新しいものを手に取ることが出来る。
店を訪ね、そこでいくつかのパンを購入し、奏は店先にあるイートイン用の椅子に腰を下ろす。フェリクスも同じように腰を下ろした。
手袋を外して、奏はパンを半分に千切る。ちょっとでも変に力をかけてしまったら、とろ、とした具だくさんのホワイトソースが中から溢れ出してきそうだ。
「どうぞ! フェリクス殿下!」
「……ありがとう。頂くよ。体調は?」
「悪くありません。むしろ今、物凄く良いです」
「そう。なら良いけどね」
フェリクスは静かに言葉を続けると、奏の手からパンを受け取った。そうして、端のほうからゆっくりと口に運び始める。奏も同じようにパンに口を寄せた。
「はあ、美味しい……」
「なら良かったよ」
軒先で、聖女と第二王子が二人してパンを食べている――というのは、なんだか珍しい光景なのか、行き交う人々がまじまじと奏たちに視線を寄せる。そのままパン屋へ吸い込まれるように入っていく人も多い。
聖女と第二王子が食べているなら自分も食べてみよう、といった所なのかもしれない。
「……こうやって誰かと外で食べるのなんて、久しぶりかもしれないな」
「そうなんですか?」
「そうだよ。僕を食事に誘う人なんて、ほとんど居ないからね」
奏はパンを咀嚼する。そもそもフェリクスは第二王子であるので、こうやって人々の間に入って食事する、なんてことは確かに少なそうだ。
晩餐会に呼ばれるとしても、それはごく少数の、気の知れた相手と食事をするのであって、不特定多数に見られながら食事をすることはあまり無いのかもしれない。
「すみません、誘っておいてなんですけれど、迷惑でしたか?」
「迷惑だったらそう言ってるよ。何度言ったらキミは安心するの?」
息を零すようにして笑い、フェリクスは首を振った。パンを食べ終えて、手元を濡れたタオルで拭く。そうしてぼんやりとした様子で、周囲に視線を向けた。
奏も同じように視線を向ける。沢山の人々が行き交う姿が視界を埋める。
子ども達や大人、はたまた家族であろう人々を見つめていると、不意にフェリクスが「キミは」と囁いた。
「元の世界のことを、思い出すことはある?」
「それはもちろん。多少なり、やっぱり愛着がありますから」
元の世界が今、どのようになっているかはわからないが、ここと同じ時間が流れているのであれば、そろそろ四ヶ月が経つ。
確実に会社からは父母へ連絡が行っているだろうし、失踪届も出されている可能性がある。家族のことを思うと、焦燥感のようなものがじっとりと泥のように足下に張り付いてくるような気がした。
帰らなくちゃいけない、と思う。多分それは、家族に対する責務だとか、今まで二十年以上過ごしてきた世界に対する、愛着のようなものがあるからだ。
奏の言葉に、何を思ったのかはわからない。フェリクスは瞳から一切の感情をこそぎ落としたようにして、「そう」とだけ言う。
掠れた声音だった。自覚して、感情を抑えつけているような声音だ。
「家族や友人、……恋人や大切な人が居たりしたの?」
「家族は居ましたよ。友人も」
「恋人は?」
「やけに聞いてきますね……。居ません、居ませんでした」
どうしてそんなに聞いてくるのか。わざと濁した所だったというのに。奏は首を振る。
フェリクスは口元に手を当てた。そう、と囁く声が僅かに弾んで聞こえる。
「フェリクス殿下こそどうなんですか?」
「家族はキミも知る通り、兄上、父上。母上はボクが生まれた時に死去したよ。恋人は居ない。そもそも王家に類するものに自由恋愛が許されると思う?」
さらさら、と物凄く重い言葉があふれ出てきて、奏は一瞬呆けてしまう。どう考えても日常会話のついでのような形で口にするような話ではない。
奏は眉根を寄せる。
「……暴食をします」
「どうして」
「フェリクス殿下がご自分のことを大事にしていない気がしたので」
「何それ。どの辺りが?」
「全部。全部ですよ!」
ぐ、と拳を握ると、フェリクスは笑った。そうして「キミって本当、馬鹿みたいだよね」と続ける。
喧嘩を売っているのだろうか。奏はフェリクスを見る。だが、言葉の強さに比べて、フェリクスが奏を見る目はひどく優しい。甘い感情を煮詰めたような、――熱された蜂蜜のような、美しい彩りが目にはいって、奏は息を飲む。
「そういうところ、可愛いと思うよ」
「……褒めてます?」
「褒めてるよ。褒めてる。でも、暴食はやめて。僕が、キミの保護責任を問われるから」
さらさらと紡がれる言葉は、穏やかに響く。鼓膜をそっと濡らすような熱を宿した声音に、奏はフェリクスを見つめた。
「なんにせよ、キミに帰りたい場所や、居たい場所があるなら、良いことだとは思うよ」
まるで、フェリクスには『帰りたい場所』や『居たい場所』が無いように聞こえる。いや、実際、そうなのかもしれない。
第二王子として生まれ、王位継承権を持つが故に毒物で暗殺されかけ、継承権を放棄したとしても王家に類するものとして、その身を狙われ続ける。
その心労は、計り知れない。
いつか、――いつか、フェリクスにも、大切な人が出来ると良い、と奏は思う。
その人の傍に居たいと思って、帰りたいと思う場所が。
「パン、美味しかったですか?」
「うん。そうだね。美味しかったよ」
「なら、ここ、また来たいですか?」
「機会があればね」
「……なら、一時的に、ここを『居たい場所』にしましょう」
奏の言葉に、フェリクスが呆けた顔をする。なに、と囁く声が耳朶を打った。
「居たい場所、帰りたい場所、いくつあっても良いですから。私にとって、このパン屋さんは居たい場所ですし、フェリクス殿下の傍も居たい場所ですよ。何せ、フェリクス殿下が自分を大事にするところを私は見守らなければならないので」
「……は。キミ、本当、急だよね。何もかも全部。聖女って、急に現れるし急に去ると言われているから、急なことをするのが得意なの?」
「し、失礼すぎやしませんか? 私も別に急に何かをしようと思ってしているわけではないんですけど……!」
なんなら急にこの世界に現れたのは、奏としても別に望んだことではないのだが。去るのが急だっていうのも、奏からしたらどうしようもないことである。
文句を言ってやろう、と奏はフェリクスを見つめる。
フェリクスは喉を鳴らすようにして笑っていた。心底楽しそうに、肩を微動させている。
そんなにツボに入る部分なんて、どこにも無かったような気がするのだが。思わぬ反応に、怒ってやる、という気持ちが一瞬にして萎んでいく。フェリクスは口元を隠すようにして笑い、それから「そうだね」と囁いた。
「ふ。あは。わかった。じゃあ、ここをとりあえず、居たい場所――帰りたい場所にしようかな」
「そうしてください……、あの、笑いすぎです」
「ごめん。でも、わかっている? ここを帰りたい場所にするなら、奏が居ないといけないんだよ。奏が居なければ、僕はパンを一つ食べるのだって不自由するんだから」
フェリクスは笑いながら言葉を続ける。だから、と囁くようにフェリクスは眦を赤く染めた。
「奏。傍に居て」
聖女としての力を求められているようである。奏は頷いた。
「出来る限り努力はします」
「出来る限り、じゃなくて、絶対に、だよ。わかっている?」
「わかってますって! 聖女の力に甘えてください!」
奏は胸を張る。フェリクスが一瞬、真顔になった。
「……キミって、なんて言うか、……何?」
「な、何って。人間ですけれど」
「実は違ったりしない?」
「なんてこと言うんですか!」
思わず声を上げると、フェリクスは笑った。
21
お気に入りに追加
346
あなたにおすすめの小説
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました
東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。
攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる!
そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。
大嫌いな次期騎士団長に嫁いだら、激しすぎる初夜が待っていました
扇 レンナ
恋愛
旧題:宿敵だと思っていた男に溺愛されて、毎日のように求められているんですが!?
*こちらは【明石 唯加】名義のアカウントで掲載していたものです。書籍化にあたり、こちらに転載しております。また、こちらのアカウントに転載することに関しては担当編集さまから許可をいただいておりますので、問題ありません。
――
ウィテカー王国の西の辺境を守る二つの伯爵家、コナハン家とフォレスター家は長年に渡りいがみ合ってきた。
そんな現状に焦りを抱いた王家は、二つの伯爵家に和解を求め、王命での結婚を命じる。
その結果、フォレスター伯爵家の長女メアリーはコナハン伯爵家に嫁入りすることが決まった。
結婚相手はコナハン家の長男シリル。クールに見える外見と辺境騎士団の次期団長という肩書きから女性人気がとても高い男性。
が、メアリーはそんなシリルが実は大嫌い。
彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。
しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。
どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。
そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。
――もしかして、これは嫌がらせ?
メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。
「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」
どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……?
*WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
【R18】聖女のお役目【完結済】
ワシ蔵
恋愛
平凡なOLの加賀美紗香は、ある日入浴中に、突然異世界へ転移してしまう。
その国には、聖女が騎士たちに祝福を与えるという伝説があった。
紗香は、その聖女として召喚されたのだと言う。
祭壇に捧げられた聖女は、今日も騎士達に祝福を与える。
※性描写有りは★マークです。
※肉体的に複数と触れ合うため「逆ハーレム」タグをつけていますが、精神的にはほとんど1対1です。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
【R18】「媚薬漬け」をお題にしたクズな第三王子のえっちなお話
井笠令子
恋愛
第三王子の婚約者の妹が婚約破棄を狙って、姉に媚薬を飲ませて適当な男に強姦させようとする話
ゆるゆるファンタジー世界の10分で読めるサクえろです。
前半は姉視点。後半は王子視点。
診断メーカーの「えっちなお話書くったー」で出たお題で書いたお話。
※このお話は、ムーンライトノベルズにも掲載しております※
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる