63 / 99
2章、ヒーローはオメガバースに抗いたい。
番外編:兎の花嫁と亡びの蛇(3)
しおりを挟む
更夜が亡くなったのは、雨が続いた月の末、雨がもうじきあがる頃。
彼の守る地域に水妖の群れがやってきて、兎の集落を襲おうとしたから。
集落を守ろうとして群れに立ち向かい、その果てに撃退しつつの落命だった。
無力な兎だったランは、倒れた蛇をただ抱きしめることしかできなかった。
蛇は森色の瞳を瞬かせて、彼の愛しい番を見つめた。
そして、掠れた声で詫びるのだった。
「ごめんね。ごめんね、兎さん。俺の可愛い花嫁さん」
――君をひとりにしてしまう。
夜が明けて世界は雨上がりを迎えた。
雲の隙間から金色の光が幾筋も差し込んで、神々しい。
「更夜、更夜……っ」
番がどれほど名を呼んでも、冷たい骸はもう応えない。
身体は強張って、人というより人形のよう。
呼吸もない。鼓動もない。
物みたいになってしまっている。
そう感じる自分は、死を理解しているのだ。
「い、いやです。いや……っ」
ほろり、ぱたりと透明な涙が溢れて、こぼれて、止まらない。
手が震えて、頭がくらくらする。
大切なものが零れてしまった。
取返しのつかない事が起きてしまった。
たったひとり、そんな現実の中にいる。
彼はもう二度と起きないのだ。
眼を開けることはないのだ。
優しく微笑む顔はもう見れなくて、名前を呼んでもらうこともなくて――死んでしまったのだ。
……最期に未練の瞳をみせて、哀し気に悔しそうに、謝りながら死んだのだ!
(そんな、そんなの、ひどい)
ランはぶんぶんと首を横に振った。
(あの温かで優しいひとが、そんな風に終わるなんて。わ、私は、どうしてなにもいえなかったの。どうして何もできなかったの。どうして何もできないの……)
胸には無力感が溢れていた。
朝がきて、夜がきて、また朝がきて。
世界でただひとつの大切なものが失われても、時は淡々と過ぎて、世界は動き続けた。
(諦めなければいけない。受け入れなければならない。送ってあげなければ……)
そんな想いと共に、相反する意思が高まっていく。
(――このまま終わりにしない。私は、この状態から現実に抗ってみせる。彼を私が助ける……)
――不可能だ。
もう、どうしようもない。
氷の塊が臓腑にぎゅうぎゅうと詰められたみたいに、絶望が全身を支配している。
諦めないといけない。
現実は、動かないのだ。
どんなに頑張っても、もう無理なのだ。
それを認めないといけない……、
『尚山に向かった群れがこっちに合流したんだけど、彼らはとても強くなっていて、魔人と呼ばれる存在になっていた』
追い詰められた脳裏に、天啓めいて声が蘇る。
「ま、……魔人……――」
ランはのろのろと顔をあげた。
魔人は、外道の術を使うのだ。
世の理に反して、人の道を外れて、現実に抗って欲望を叶える――それを良しとする輩なのだ。
「尚山に行けば、私も力を得られる……?」
――呟く声は、狂気の始まり。
「ああ、私の番。私の更夜。私が助けます、貴方を。私は諦めません、貴方を。私、私は……死に抗う。貴方の死に抗います」
兎はそう呟いて、胸のうちで絶望と希望を戦わせながら口の端を歪めた。
「何年、何十年、何百年かかっても……諦めない。私は認めない。私は貴方を取り戻す……!!」
こうして兎のランは『疯狂』――変人とか変態とか魔人たちに呼ばれる泰然になったのだった。
彼の守る地域に水妖の群れがやってきて、兎の集落を襲おうとしたから。
集落を守ろうとして群れに立ち向かい、その果てに撃退しつつの落命だった。
無力な兎だったランは、倒れた蛇をただ抱きしめることしかできなかった。
蛇は森色の瞳を瞬かせて、彼の愛しい番を見つめた。
そして、掠れた声で詫びるのだった。
「ごめんね。ごめんね、兎さん。俺の可愛い花嫁さん」
――君をひとりにしてしまう。
夜が明けて世界は雨上がりを迎えた。
雲の隙間から金色の光が幾筋も差し込んで、神々しい。
「更夜、更夜……っ」
番がどれほど名を呼んでも、冷たい骸はもう応えない。
身体は強張って、人というより人形のよう。
呼吸もない。鼓動もない。
物みたいになってしまっている。
そう感じる自分は、死を理解しているのだ。
「い、いやです。いや……っ」
ほろり、ぱたりと透明な涙が溢れて、こぼれて、止まらない。
手が震えて、頭がくらくらする。
大切なものが零れてしまった。
取返しのつかない事が起きてしまった。
たったひとり、そんな現実の中にいる。
彼はもう二度と起きないのだ。
眼を開けることはないのだ。
優しく微笑む顔はもう見れなくて、名前を呼んでもらうこともなくて――死んでしまったのだ。
……最期に未練の瞳をみせて、哀し気に悔しそうに、謝りながら死んだのだ!
(そんな、そんなの、ひどい)
ランはぶんぶんと首を横に振った。
(あの温かで優しいひとが、そんな風に終わるなんて。わ、私は、どうしてなにもいえなかったの。どうして何もできなかったの。どうして何もできないの……)
胸には無力感が溢れていた。
朝がきて、夜がきて、また朝がきて。
世界でただひとつの大切なものが失われても、時は淡々と過ぎて、世界は動き続けた。
(諦めなければいけない。受け入れなければならない。送ってあげなければ……)
そんな想いと共に、相反する意思が高まっていく。
(――このまま終わりにしない。私は、この状態から現実に抗ってみせる。彼を私が助ける……)
――不可能だ。
もう、どうしようもない。
氷の塊が臓腑にぎゅうぎゅうと詰められたみたいに、絶望が全身を支配している。
諦めないといけない。
現実は、動かないのだ。
どんなに頑張っても、もう無理なのだ。
それを認めないといけない……、
『尚山に向かった群れがこっちに合流したんだけど、彼らはとても強くなっていて、魔人と呼ばれる存在になっていた』
追い詰められた脳裏に、天啓めいて声が蘇る。
「ま、……魔人……――」
ランはのろのろと顔をあげた。
魔人は、外道の術を使うのだ。
世の理に反して、人の道を外れて、現実に抗って欲望を叶える――それを良しとする輩なのだ。
「尚山に行けば、私も力を得られる……?」
――呟く声は、狂気の始まり。
「ああ、私の番。私の更夜。私が助けます、貴方を。私は諦めません、貴方を。私、私は……死に抗う。貴方の死に抗います」
兎はそう呟いて、胸のうちで絶望と希望を戦わせながら口の端を歪めた。
「何年、何十年、何百年かかっても……諦めない。私は認めない。私は貴方を取り戻す……!!」
こうして兎のランは『疯狂』――変人とか変態とか魔人たちに呼ばれる泰然になったのだった。
0
お気に入りに追加
199
あなたにおすすめの小説
完結・虐げられオメガ側妃なので敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン溺愛王が甘やかしてくれました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!
キンモクセイは夏の記憶とともに
広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。
小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。
田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。
そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。
純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。
しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。
「俺になんてもったいない!」
素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。
性描写のある話は【※】をつけていきます。
夢見がちオメガ姫の理想のアルファ王子
葉薊【ハアザミ】
BL
四方木 聖(よもぎ ひじり)はちょっぴり夢見がちな乙女男子。
幼少の頃は父母のような理想の家庭を築くのが夢だったが、自分が理想のオメガから程遠いと知って断念する。
一方で、かつてはオメガだと信じて疑わなかった幼馴染の嘉瀬 冬治(かせ とうじ)は聖理想のアルファへと成長を遂げていた。
やがて冬治への恋心を自覚する聖だが、理想のオメガからは程遠い自分ではふさわしくないという思い込みに苛まれる。
※ちょっぴりサブカプあり。全てアルファ×オメガです。
ふしだらオメガ王子の嫁入り
金剛@キット
BL
初恋の騎士の気を引くために、ふしだらなフリをして、嫁ぎ先が無くなったペルデルセ王子Ωは、10番目の側妃として、隣国へ嫁ぐコトが決まった。孤独が染みる冷たい後宮で、王子は何を思い生きるのか?
お話に都合の良い、ユルユル設定のオメガバースです。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
【完結】幼馴染から離れたい。
June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。
βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。
番外編 伊賀崎朔視点もあります。
(12月:改正版)
大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!
みづき
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。
そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。
初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが……
架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる