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「この本、最後まで読んだらどうなるんだろう。もう彼には会えなくなるのかな」
 毎日少しずつページをめくる僕が不安に思うのは、そんなことだった。

 この関係は、いつか終わりがくる。二度と会えなくなる。
 そう思うと、怖かった。

 本のページがどんどん進んでいく。
 だって、顔を見たいんだ。会いたいんだ。
 
 笑顔が好きなんだ。
 僕が何か言ったとき「聞こえないよ」ってちょっと困ったような表情になるのが、楽しいんだ。
 大袈裟に身振り手振りして、一生懸命伝えてくれるのが嬉しいんだ。
 僕に手を伸ばして触れようとして、触れられなくて寂しそうにする姿に、胸が熱くなるんだ。

 だから、僕はまた今日も本のページをめくる。
 大学が終わって、バイトをして、急いで帰ってきて。
 会いたい、会いたいって思いながら。本に向かう。
 
 ……――そして、息を呑んだ。


 その日、本のページに現れたのは板チョコだった。
 綺麗な色をしていて、平たくて、割りやすいようにブロック状にデコボコしてる、板チョコだった。

「……え?」

 僕が戸惑っていると、板チョコはゆらゆらと体を左右に揺らした。
 その動きは愛嬌たっぷりで、とても現実味が薄くて、……どことなく彼を思わせる気配があった。

「君なの?」
 声は聞こえないだろうと思いながら僕が手を振ると、板チョコは止まった。そして、ちょっと前に倒れるみたいな角度になった。
 その姿が困っているように見えて、僕の脳裏で彼の困っていた姿と重なった。

「君なんだね」
 声が聞こえないだろうと思いつつ、やっぱり独り言をつぶやいてしまいながら。
 僕は板チョコになった彼といつものように時間を過ごした。

 動く板チョコは、見ていると結構楽しい。

 彼の整った顔立ちや、キラキラ輝く金髪や、僕を見つめてくれる青い瞳を思い出して、僕は「今日はたまたま板チョコだったんだな」「明日には元の姿に戻っているかもしれない」と自分に言い聞かせた。
 けれど、翌日も彼は板チョコだった。

「……」
 僕は、本当のことをいうと、彼の外見にとても惹かれていた。
 というか、外見以外に彼のことをあまり知らないし。もちろん、笑顔とか、身振り手振りを一生懸命にしてくれるところとかも、大好きなのだけど。やっぱり、言葉で話したこともなければどんな人物なのかも知らない相手を好きになった最大の理由は、外見だ。
  
 目の前で、本の中で、板チョコは元気がない僕を気遣ってか、ぴょこぴょこと一生懸命跳ねたり揺れたりしている。その姿をいつかのイケメンな彼に重ねて、僕は笑った。
「……それでも、好きだよ」

 そうだ。
 そのうち元に戻るかもしれないし。
 外見が板チョコでも、中身は彼なんだ。
 
 僕は彼との日々を思い出した。
 日常生活で落ち込んだ日、元気がない僕に気付いて、イケメンが台無しって感じの変なポーズを取ったり、変顔をしたりして、笑わせてくれたこと。
 僕にハートマークをつくってみせてくれたこと。
 投げキッスしてくれたこと。

 ……薄っぺらい付き合いと言われれば反論できないかもしれない。

 でも、毎日毎日、僕たちはそんな時間を共有してきたんだ。明日もまた会おうねって手を振って、言葉を交わしてはいないけど翌日また会って。また会えて嬉しいって一緒になって喜んで。

「名前も知らない君が、声もわからない君が、好きだよ。どんな姿になっても、好きだよ」

 僕は自分の気持ちをギュッと固めて、それが永遠に変わらないようにと祈るように拳を握って。
 ふと、板チョコの彼が何かを見せてくれようとしていることに気が付いた。

 小さくて、丸い――「鏡?」

 僕は眼を見開いて、固まった。
 板チョコの彼が鏡を掲げると、鏡には、板チョコの姿をした僕が映っていた。

 試しに左右に動いてみると、鏡の中の板チョコの僕もゆらゆらと左右に揺れる。これは、間違いない。もしかして、板チョコに見えているのではないだろうか? 
 彼は、「君が板チョコに見えてるよ」と教えようとして鏡を見せてくれたんじゃないだろうか?


「ま、まって。待ってね」

 僕は慌てて自分の部屋にあった鏡を取り、本に向けた。
 すると、とても驚いた様子で本の中の板チョコがぴょーんっとジャンプする。彼も、僕と同じように自分が板チョコに見えていると知らなかったのではないだろうか?

「僕たち、お互いに相手が板チョコに見えてる?」

 
 新たな真実が発覚してから、数日が経った。
 僕たちはずっと、ずっと、板チョコのままだった。本のページはというと、最後が近くなってきている。僕は段々と、ページをめくるのをためらうようになった。  


 だって、ページをめくっても相手には板チョコの僕が見えている。
 
 そう思うと、今日まで付き合ってくれている相手が奇跡のように思えるのだった。

「君、僕と一緒に過ごしてて楽しい……?」

 呟いてみても、その声は届かない。
 いや、もし仮に声が届いたとして、僕の声って、相手の好みだろうか? 

 彼は見るからに美形で、格好良くて、オーバーリアクションで、良い人っぽいなと感じる日々だった。
 きっと声も美声で、会話もうまくて、良い匂いがするんじゃないかなと思っている。

 対する僕は、どうだろう。
 僕は、美声じゃないし、口下手で、会話にもあんまり自信がないよ。それに、デオドラントには気を使っているけど、体臭もたまに自分で気になる瞬間がある。あっ、やばい、汗臭いな、……みたいな。
 誰かと付き合った経験もなくて、体にも自信がない。乳首なんて、陥没乳首だ。コンプレックスなんだ。


 ――思えば、僕が彼と安心して付き合えていたのは、彼が実際に触れ合ったり、匂いをかいだりできなくて、僕と声で会話できなくて、僕の自信がない部分を知られる心配がないから、という理由があったんじゃないだろうか。

 浅くて薄っぺらい付き合いだから、僕でも君と付き合えていたんだ。
 もし僕の恥ずかしい部分をいっぱい知られたら、幻滅されてしまうんだ。
 
 
 ……僕は、そんな思いを抱くようになったのだった。


 
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