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12、騎士王と雨月の冠

227、お飾り大使殿下、『撫でポでキュン』の上位に出会うの巻

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 エインヘリアの離宮に住む愛玩動物ペット、ほこほこした毛並みの子猫、シャトンが散乱した紙に飛び込んだりして遊んでいる。レネンが保管してくれていた情報の束だ。

 怠惰な時間に別れを告げるようにして、ざっと紙の束に目を通した部屋の主、クレイは悄然としていた。
「僕、レネンに愛想尽かされたのではないだろうか。帰ってこいと手紙に書いても全然お返事すら寄越さないとは……」
「ついに見放されましたか」
「見放されたんだろうか……死んでたりしないかな……」
「坊ちゃんは最悪の想定がお好きですね」

 テオドールと一緒にノロノロと着替えをしていると、扉をノックしたメイドのマナが慣れた様子で「『騎士王』陛下が……」と言いかけて止める。視線を向ければ噂の『騎士王ニュクスフォス』本人がそこにいて、四季咲きの白花をさりげなくマナに渡していた。
「おおクレイ様、お出かけですかなクレイ様! お国の外務卿のみならず、貴方様までもが妙な事をおっしゃると配下が知らせて来ましたぞクレイ様、大使を交代したいやら帰国なさるやら戯言が過ぎるご様子で?」
 大仰に手を振り嘆くような口振りを背景にテオドールが問いかけるような視線を向けてくる。不躾な格上相手にどう対応したものかという気配は、レネンと違って初々しい。離宮に拾い物があってレネンが隠した時も、悩ましそうにしつつも迷った末に教えてくれたのがテオドールだった。
「テオドールは、下がってよろしい」
「はっ」
 従者らしく応えて下がる所作は迎えた当初と比べれば上品で、好ましい。

(それにしても僕は花を貰った事がないな)
 ふと思うのはそんな事だった。
 一時はシェリなどと言ったものだが、薄い本どころか接吻キスのひとつもない。混沌騎士団はハーレムではないようだし、やはりミハイの言葉は嘘なのだ。ユージェニーの本じゃあるまいし。こっちは現実を生きているのだ。
(そして陛下は、相変わらずマナが気に入っていらっしゃる……先日などはマナの頬にキスをしていた。僕は見ていたぞ)
 もう、はっきりしているではないか。
 自分は扱いやすい『子ども』なのだ。
 からかって遊ぶと勝手にひとりで盛り上がって、敬う態度をとる。
 それで『騎士王ニュクスフォス』は立場が変わって偉くなった自分を認識して気持ちよくなれる――きっと、そんな存在なのだ。
 
「やはり未熟な僕に外交は荷が重いようで……」
 
(父子ごっこやらなにやら散々黒歴史をつくったが、そろそろ綺麗な思い出として切り上げても好いのではあるまいか)
 エインヘリアはたいそう居心地がよく、ニュクスフォスは夢を魅せてくれた。けれど、やはり夢ばかり見ているわけにもいかないのだ。
 オスカーが求めていた黒竜も加護も見せることができて、喜ばせることもできて、けれどその先に何かがあるのかというと別段、何もなかった。それは以前諦めた少女への恋と同じく、やはり遅かったのだと思うのだ。行き場も頼るつてもなく落ちてる者なら軽率に拾えるが、敵対国家を支援する他国の皇帝ともなれば。
 
「陛下にはこれまでたくさんお世話になりまして、僕は感謝しています」
 殊勝に言ってみれば、部屋にずかずかと踏み込むニュクスフォスは眉をあげた。
「前が留められてませんよ。はしたない」
「留めようとしていたら先触れも断りもなく陛下が入ってきたので」
 いつもは寝衣で寝そべっていてもあやすようなノリだと言うに、今日のニュクスフォスはあまり機嫌が麗しくないようだ――気圧されたようにクレイが一歩下がれば、ニュクスフォスは「何をやってるのか」といった顔でずいっと迫ってくる。曖昧な笑顔でおもねるようにして下がってそのまま数歩下がれば、背が壁についてギクリとした。耳もとで不穏な空気が騒いで、『騎士王』のアイザール系の血を想起させる褐色の手が顔のすぐ真横につけられる――頭を囲い込むように、逃げ場を塞ぐように、両側に。
 壁に縫い付けるように、上から閉じ込めるように、シルエットを重ねるように――触れそうな近さでニュクスフォスにぐっと顔が寄せられれば、クレイの心臓が大きく跳ねた。
「……っ!」
 引き結ばれた唇、整った鼻梁、ぞくりとする切ない色を湛えた眼差し――視線がぶつかって、弾かれるように逸らしたのは、なんだか見てはいけない気がして。
(――なんか、なんか。なんだ? その眼はなに?)
「クレイ」
「あ……っ」
 名を囁かれると、おかしなほど心が乱れた。両脇のあたりがぶわりと熱を佩き、脚の力が危うく抜けかけて、壁に押し付けられた腰が震えるようで。
(な、なんだこれ。なんか危険なやつだ)
 だいたい、この『成り上がり者』が名を呼び捨てにする時は自分が対等か上位存在だと定めて上から接する時なのだ。
(僕、触れられてすらいない。これじゃあ『撫でポでキュン』ですらない。『名だけでキュン』ではないか。ちょろいのにも限度があるだろう……!?)
 自分が恐ろしい。
 自分がわからない――、
(い、いや待て。これは妹が言っていた『壁ドン』というやつかな。そう考えると、『撫で』の上位と言えるのではないか。……ドンって感じではないなユージェニー、それほど粗暴な音はしなかった!) 
 現実から逃避するようにどぎまぎと思考が巡る。
(そして僕はまたひとりで盛り上がっているわけだ――なんということだ。これがバレたら、とても恥ずかしい!)
 表情を取り繕えなくなりそうで、顔を見られたくなくてクレイは俯いた。情緒が不安定になっている――熱があるみたいに頭の中がふわふわしながら、そろそろと片手の甲で口元を隠すのは――妙にゆるゆるとしてしまうから。距離が近すぎて、息をするのも躊躇ってしまいそうだから。
 
 ニュクスフォスは切々と何かを語っている。
「俺はてっきり、いと賢きファーリズの王甥殿下におかれてはご自分のお立場をよくわかっておられると思っていたのですが……今更お国の側が返してほしいと言ってきても、貴方が帰りたいと仰っても、俺が帰したくないと思う限り貴方は帰れないのですよ。かの国と喧嘩しても、俺は貴方を放しませんよ」
 なにやらとんでもない事を言っている。とてつもない問題発言を聞かされている。これは、本気なのかまた揶揄われているのか。またその声が普段と違って微妙に余裕のない切々と迫る響きがあるものだから。
「かの国は情勢不安も続いていますし、うちのほうが安全で、居心地がよいでしょう? 不自由はさせていないはずですよ。外交など、ただの名目なのだから何も気にせず……きいています?」
「うん……うん……っ」
 完全に目を閉じてこくこくと頷けば、ふと心配するような気配が降りてくる。
「ご気分がすぐれないのですか?」
 それが真実、驚いたような調子なのでクレイはムッとした。
(……どのくちがそれを申すか! お前のせいではないかっ)

「僕は、僕は……」
 ――僕は、断固として『お前の色香にあてられました』などとは申したくない!
 クレイは涙目になった。
「僕は、疲れた。ずっと同じ姿勢で立ったままで長話につきあうのは、疲れる。それくらいわかるだろ。僕は座りたい――僕は休憩を所望する!」
「な、なんと体力のない……っ、その軟弱極まりない物言い、嘆かわしいと申さずにはいられませんな……」
 心底驚いたように言って、ニュクスフォスはクレイを抱えて椅子に座らせてくれた。

「学院にも通えますし、お好きに自由に遊びまわってもよいのですよ……ここを家だと思って、帰る場所だと思ってくだされば」
 未練がましくそんなことを言いながら、青年の手がシャツの前を留めてくれる。
「それで頷いたら、お前はまた僕のことを『ちょろい』って思うのだろう……」
「よく覚えておいでで。そんでもって、さては根に持っていらっしゃる」
「『家』なんて、思えば何故そこまでよくしてくれるの。僕は、シャトンみたいな生き物なのかな」
 ぽつりと疑問を零せば、機嫌を取るような笑顔をつくってニュクスフォスがあやしげな言葉を連ねた。
「友を助けたいと思うのは、おかしなことでしょうか? 父が子を慈しみ守りたいと、兄が弟の世話を焼きたいと思うのは、自然でしょう? シ……シェリを放したくないと思うのは、当たり前の……」

 ――出たな、シェリとやら!

「ぼ、僕は、その単語の意味をよく知らない」
 ふるふると首を振れば、ニュクスフォスは微妙にうろたえるような気配を見せた。
「ほ、ほう……、辞書をもってきましょうか? あ、いや……わからないなら、まあ、それはそれでいいんですがね」
 
(それはそれでいい、とはなんだ……散々僕を惑わして、そんなことを申す!?)
 火のような憤りが胸中に湧く。
「わからないならそれはそれでいい?」
 クレイは眦を釣りあげて、激昂のまま声を荒げた。
「だったら、最初から言うな!」

 部屋の隅では、人間たちの諍いなどまるで理解せぬ様子で、無垢なシャトンがクッションに爪を立てて伸びをしている。
 やがてテオドールが部屋に呼び戻されてみると、主人である王甥は「僕はやり返す――壁ドンを習得して、やり返してみせる!」と妙なやる気を出していたのだった。
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