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12、騎士王と雨月の冠

208、紅薔薇の仮面舞踏会、アリクトラットは旗に集いて

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 ハートモア侯爵家の紋章であるハートモアローズ紅薔薇が装飾として凝らされた門にぞろぞろと馬車が並んで入っていく。警備は物々しいが、眩い光が濃く影を落とすように不穏な種は芽吹こうとしていて、呪術で姿を隠した一団が身を潜めている。南方訛りのある数人が囁く声が魔法の風に拾い上げられる。エリックの恋人が「覚えたてですの」と自慢げにニコニコしている――可愛らしい。自分の未来を掴んだ感覚を教えてくれた、そんな少女だった。
 
(彼女を俺のヒロイン恋人とする――そんな俺の意思があった)
 エリックの絶対的な味方、白竜ティーリーにはそんな12歳の王子の想いが伝わっていただろう。
(ああ、兄上。ティーリー、ミハイではない、俺こそが『我儘プリンス』なのだ)
 
 ひんやりと冷えた脳が思考を巡らせ、黒竜を伴う友人クレイを見る。
(こいつに負けるのでは、奪われるのではと恐れていた……今も心の隅で恐れている)
 エリックを愛する白竜ティーリーは、14歳の王子の不安と恐れを感じただろう。
 
 夜陰に煌めく友人の紫色の瞳がエリックを見て、悪戯に笑む。
「君のお兄さんってさ、被害者なのはわかるけど」
 感情をオブラートに包むのをやめたような少年の声が空気に溶けていくようだった。
「僕は、嫌い」
 エリックはその顔をまじまじと見つめた。そして、やんちゃで何にも遠慮せぬ子どものように、くしゃりと微笑んだ。
「実は、俺も」
 彼女に会うまでは、ちいさな箱庭のような王子の部屋でよくだらだらと他愛もない時間を過ごしていたものだった。
 将来は一緒にシリル国王の臣下として、血統を次世代に繋ぐ子どもを義務的につくって、平穏に死ぬんだねとか。
 そんなレールが敷かれた先の未来を、二人一緒になってつまらなそうに見ていた気がする。
 
 風が声を運んでくれる。
「第二王子は少し遅れるらしい」
「殿下が……」
 
(……あの者たちは、俺を暗殺しようというのだ)
 エリックの心が刃で突かれたようにずきりと痛んだ。
 それは、あのエクノ男爵領でティーリーが現れて「敵意を向ける者がいる」と告げた時を思い出させた。
(ちなみにあの時、クレイも敵意を向ける者に含まれていたのだろうか……?)
 そんなことを考えながら、首を振る。
(ええい。今は、これからのことを考えようじゃないか)
「エリックは誰よりも立派で綺麗なキングだよ」
 励ますようにそんな声がかけられるから、エリックは当然と頷いた。
「当たり前だろう。俺が一番だ」
 
 幾つも燈された灯りが夜に逆らうように地上を明るく照らしている。
 白銀の髪を煌々と灯りに艶めかせ、エリックは仮面を手に深呼吸をひとつして、恋人に微笑んだ。
「それじゃあ、行ってくる――終わった後で、ダンスを踊る約束をしても?」
 
 空気は夏の余韻を残すようでいて、ひしひしと秋への移ろいを感じさせる。
 虫の鳴き声が聞こえる。
 姿を気にする事もなく、その鳴き声もともすれば意識外に追いやってしまいそうな人外の生き物たち。
 知らぬ間に生きて、いつの間にか消えているような存在――だが、エリックは「そんな虫たちの存在も忘れないようにしたいな」などと思うのだった。
 
(俺は、創造の神々に特別な存在としてつくられた)
 足が大地を踏む。
 靴音は立てて、世界に存在を報せるように。

 ――俺は、ここにいる。ここで生きてる。

(俺は、あの白竜に愛された)

 今はいない『母』のような温もりを想う。
 ああ、大人しくしていてくれと思って口にした――それをティーリーはどんな気持ちできいていたのかな。
 ああ、俺のために暴走した。クレイに挑発されて暴走した。あいつ、やりやがって……、

(俺は、優しくて、強い)
 
 女の子が安心してくれるように。
 心を癒されてくれるように。
 また明日も頑張ろうって、思ってくれるように。
 ああ、なんて難しいんだろう? そんな物語のヒーローみたいな、綺麗で立派で、完全無欠なんて……生身の人間には無理だと思ってしまう弱さがある。
 だけど、目指したい。

(俺は、くじけない。俺は光たらん――、非現実的に綺麗で、嘘みたいにきらきらして、冗談みたいに理想を魅せよう)
 
 借りた妖精を伴って、一団に近付く。誰何の声に物怖じする事なく、妖精の囀りを背景にして凛然と声をかける。
 取り巻き『薔薇班』はいつものように、けれどいつもとは異なって黒薔薇を撒いている。ハッキリ言って、夜目には目立たないのだが。

(君たちの演出、俺は無駄にはしないとも)
 呪術で薔薇そのものを仄かに発光させれば、なかなか美しく神秘的ではないか。
 エリックは深く息を吸い、「この薔薇に似合うように」と眼光を鋭くして声を低く言い放つ。
「俺は憂国の秘密結社ファーブラのエーリッヒ」
 数人が血気盛んに武器を取り、向かってくる。
(俺がお前たちに負けるものか)
 傲慢に笑い、呼吸の合間に身を沈めて当身をくらわせて無力化していく。
(俺はもともと『ハイスペック』に生まれたらしいが、それだけでは決してない。オーガストが丁寧に俺に武術を仕込んでくれたんだ。俺は、地道に努力をしてきたんだ)

 ――だから、これを安易にチートなんて呼ばせない。

 エリックは昂然と微笑んだ。
 自分には迷いがなく、自分はこの場にいる誰よりも『わかっていて』、拾い上げてやって、求めるゴールに導いてあげる者なのだ。そんな目で男たちを順に視た。
「今はまだ事を起こす時ではない、武器を引き、忍ぶのだ。俺と共に来い! シリル王子よりも、君たちに相応しい旗頭が――主君が待っている。君たちを迎えに来たのだ、同志諸君!!」
 

  ◇◇◇
 
(ああ、なんて煌びやかで華やかな社交の場であろうか)
 ラーシャの子、クレイは白を基調とした貴族衣装と仮面に身を包み、呪術師を伴って光華咲く絢爛の舞踏会に紛れていた。
(ファーリズのアーサー王は、民衆から愛されし希少な加護持ちの妹姫ラーシャの血を『覆らぬ白の臣』コルトリッセンの血で封じたのだ。可憐で純真で優しく、愛され大事にされて然るべき貴きラーシャは、本命正妻のいるアクセルに押し付けられて愛される事無く冷え冷えとした義務遂行の果てに臣下としてのを遺して逝った……)
 
 美しく物語をかたり、劇にして慕い敬い、持ち上げる民の声が脳内を巡る。
 あれの一節を唱えてお前も竜を呼んでみせよと言う声が何度あったろう。
 そして、静寂が幾たび訪れただろう。
 
(アスライトは何故ラーシャを助けてくれなかったの。ああ、僕は答えを知っているのだ)
 ラーシャの子が乙女ゲームに登場するから。
 コルトリッセンの名を持ち、王族ではなく貴族の令息として、一番の王道ヒーローエリックの脇を固める、あるいは当て馬のような存在で、ヒロインユージェニーの絶対的な味方で都合のよいサポートキャラのような薄っぺらい兄として。
 
 
 ファーリズ王国中央、ハートモア侯爵家邸では、目元をマスカレードマスクで覆っての仮面舞踏会がひらかれている。仮面を着用しているが故に基本的に会場で誰がどんな振る舞いをしても外で問題となることはないが、招待客は比較的互いが誰なのかを認識しているし、名も遠慮せず呼び合っている。わかった上での無礼講、という遊びなのだ。
 ネネツィカの学院での友達コーデリアはクヴェルレ家の一員としてそこに参加している。姉リーガンは嫋やかな笑顔を浮かべて、国一と言われる呪術師を伴う年下の派閥貴族令息、クレイをもてなしていた。
「殿下が派閥の集まりに積極的にご参加くださって嬉しいですわ」
「貴方に喜んで頂けて僕も嬉しいです」
 素直な声色でそう言って微笑む令息は、現在は他国に滞在する身の上――妖精の幻想馬車を使い、毎日王都に往復しているが。
 会場中が囁きを交わして注目し、仮面をつけつつもはっきりと名乗って挨拶する者が絶えないのは、その令息が肩に小さなサイズの黒竜を乗せているからだった。
「メルギン伯、ルフォーク伯……」
 紫水晶めく瞳が周囲を巡り、少年の声が名を紡ぐ。白髭の見事な老メルギン伯爵が仮面の下の眼差しを少年に熱く注ぐ。ルフォーク伯は初めて見る竜に目を奪われていた。
「おお、王甥殿下が守護竜の加護をご披露くださるとは、長生きはするものですのう」
「王国の叡智、夜の黒竜に初めてお目にかかります――白竜不在の今はまさに夜の時代といえましょう」
「ふふ、そんな伯らのために参ったと申しても過言ではない。僕のアスライトが、いつも僕に良くしてくださる皆さんに言葉を賜りたいと」
 少年がそう言えば、流れていた音楽さえ止まり会場中が静寂に包まれた。
 居並ぶ顔が目を剥き、固唾を呑んで竜と少年を見つめている。

 黒翼を一度ふぁさりと伸ばしてから、竜は赤い瞳に超然とした煌めきを魅せ、良く響く声を貴族たちにきかせた。
 
 『ファーリズの竜血諸氏、気高き権門勢家アリクトラット、貞実なる御旗に叡智の導きは燈るであろう。さて、ボクの王子は……そんな諸氏に力を貸してほしいと、話したい事があるらしい』
 ひとことで『支持者』はおおいに高揚する目を交わし合い、どよめきを生んだ。
 こんな空気を何度見ただろう。
 だいたいはエリックが齎した雰囲気だったろうか。

(ああ、いと貴き、くそったれの貴族どもめ)
 僕の薄汚れた駒どもめ――クレイは艶やかに微笑んだ。この場に充ちる空気、視線、感情の渦が心地よく高揚を誘い、気持ち悪くてたまらないのだ。


「僕の頼りにする諸氏諸卿、僕を守り盛り立ててくださる竜血の忠臣諸氏、諸卿。僕は……」

 僕は裏切らないのです。
 僕はそういう家柄なのです。
 そんなくだらない性質を魂に刻まれて、生まれながらに決められているのです。

「僕は、国を憂うのである」
 
 ああ諸氏諸卿、僕は、こんなことを言いたくないのです。
 僕は、フィニックスとスローライフをしたいな。妖精の世界でお姫さまと戯れて過ごしたいな。
 こんな世界、嫌いなんだ。
 こんな人の社会は、反吐が出るんだ。

「今、シリル王子は他国の旗下にて祖国を狙い、エリック王子は魔素に冒され無軌道ぶりを呈しているときく。魔王軍など、とんでもない――」
 舌の良く回る事――クレイは睫毛を伏せて薄く息を紡いだ。
 
 詐欺師だ。
 僕はすっかり嘘塗れで、それが得意になってしまって、この口から吐きだされる言葉は汚れていて、薄っぺらくて、紡ぐたび価値がなくなっていくよう。
 
 幼く頼りない風情で言葉を吐く――、

「ああ、僕と皆さんが愛する竜の国ファーリズが今、脅かされている。僕は、それが悲しい。僕は、この故国を救いたい――僕は、それを望む。僕が、それを望む」

 瞳という瞳が爛々と輝き、意気付く声があがって厚き音の層を生んでいく。
 熱気が異様に高まっていた。
 
「王国の叡智、王国の夜――黒竜アスライトは此処にあり。白竜なき国を支えるは、我らなり」
 ――場の空気が染まり、盛り上がる。口々に讃える声が、殿下の呼称が誤魔化しようもなく心地よい――劇がそんな感覚を起こすのは確かなのだった。
(エンターテインメントだ)
 そこにいる者達の心が侵食され、染まっていく。
 夢を見ている。
 皆で、心地よく刺激的で、楽しい夢に酔いしれている――背中を少しずつ駆け上る快感めいたものに胸の鼓動が騒いでならなかった。脳内麻薬めいた興奮が歓声の中で生まれるようで、言葉を間違えないようにと言い聞かせないといけなかった。
(ええい、エリックめ。僕にこんなことをさせて)
「僕は、友でもある親愛なるエリック殿下をお救いしたいのだ」
 そのひとことがとても大切なのだ。
 言えてよかった――クレイは息を浅く繰り返し、微笑んだ。
 
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