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11、三国同盟と魔王の時代

180、橋の上、姫と夜光の問答

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 妖精界の橋を来た時と逆方向に歩いていく。今回はシャボン玉がふわふわ浮かんでいた。
 数度、言葉として聞き取り出来ない何事かを呟いてからダスティンが目を開く。
「うう……」
「気が付かれまして?」
 そっと問いかける。
「わたくしの言葉はお分かりになります? あいにく、エインヘリアの言葉には詳しくないのですけれど」
 迎賓館では流暢にファーリズの言葉で喋っていたので、大丈夫だろうと思いながら語りかければ、ティミオスの腕の中の彼は、熱に浮かされたようなぼんやりとした顔に理解の色を浮かべていた。
「わたくしたちは、ファーリズのラーフルトンです。夜のお散歩中に偶然、倒れている貴方を見つけましたの」
 青年の篝火めいた瞳がネネツィカに向いた。様々な感情の煮詰まった色だった。
「離宮の近くに倒れていたのですわ。それで、たまたま離宮に知人がいたものですから、貴方を見逃して貰って……」
 滔々と話す言葉は、けれど最後まで続かなかった。シャボン玉がひとつ弾ける音がして、人が実体を得たみたいに重力を感じさせる靴音を立てて橋に降り立つ気配がしたから。

「何故、助ける?」
 背後から聞き覚えのある声が発せられる。短く低く、感情は薄く、ただ気になって問うてみた――そんな声だった。
(この声は……)
 ネネツィカはくるりと振り向いた。すると、そこには見覚えのある人物が立っていた。

「……オスカーではありませんか!」
 褐色の肌に雪のような髪、眼差しは燃ゆる焔に似て以前より少し苛烈さと奥深さを増した風情の――剣術大会の後、学院を辞めて旅に出てそれきりだったオスカー・ユンクが、以前より少し大人びた印象でそこにいた。一瞬、ネネツィカはその見知った人物に少しだけ以前と違う気配を感じてどきりとした。けれど。

「やあやあレディ! 久しぶりだな!」
 華やかな笑顔を浮かべて旧知の温度で紡がれる声はそんな警戒をあっさりと和ませた。
 ニコニコとした端正な笑顔には敵意も害意もなく、機嫌の良い猛獣といった様相。けれど、本当は機嫌が悪いのだろうとネネツィカには感じられた。
「こんな所で会うとは思いませんでしたわ」
 ここは、妖精の世界なのに。
 ――そう考えれば、友好的で無害そうな笑顔でいるのが如何にもあやしく得体の知れない感じがした。

「どうしてここにいらっしゃるの?」
 ネネツィカはそっとダスティンを庇い隠すように前に出た。渡しませんよというように。

「俺が妖精族と仲が良いのをご存知だろう。俺は、デミルを支援して学校も作ったし馬車も作った……」
「そういえば、そうね」
 オスカーは腰に剣を佩いている。それが気になって、ネネツィカはソワソワとした。

「その男は、主人の後を追いたいんだ。自分は主人に忠義を尽くしたんだ、主人のために戦ったんだ、って思いこみながら死ぬのが理想なのさ」
「テロリストと聞いていますわ」
 うんうん、と頷いて、ネネツィカは背後の執事と怪我人を意識した。

「早めにサクッと死なせてあげた方が苦しむ事も無くなって、本人のためじゃないか? 喜ぶんじゃないか?」
「やっぱり、そういうお話ですのね」
「罪人でもある。ほっとくと罪を重ねるだろう」
 オスカーは肩をすくめた。
「そいつは爆弾魔だ。建物も壊すし、人も巻き込むし、さっきも俺を庇ってシュナが怪我をしたんだぜ。離宮の方角に逃げていって、俺がどれだけ肝を冷やしたと思う? クレイが襲われていたかも知れないんだぞ」
「シュナは貴方と一緒でしたのね。戦争のごたごたに紛れていつの間にかエンジョイ・フレンドが解散していたとは聞いていたのですが」
 怪我は大丈夫ですか、と問えば頷きが返される。

「逆になんでそれを助けようってんだ? アレか、目の前で死にそうなのをほっとけないってお綺麗でお優しいお姫様の感傷か」
「割とそれですが」
「ははあ……なるほどねえ。じゃあ、殺しませんよとでも言ってやればそいつを俺にくれるかい」
 オスカーは芝居がかった仕草で優美に一礼してみせた。
「おお、いと麗しく心優しき妖精の姫君におかれましては……」
「見せしめになさるの? 罪を犯したら処罰されますよ、と」
 遮るように問えば、少し残念そうな気配が返された。
「まあ、そんな感じだな」

 背後でやり取りを見守る気配がある。それが強く意識されて、ネネツィカは首を傾げた。確認しなければ、と思いながら。
 
「『騎士王』ニュクスフォス夜光……」
「良い名だろう」
 それは端的な肯定だった。
 ならば、ここには加害者と被害者がいる。
「貴方は襲われた側で、狙われる側。けれど、遡れば彼の主人を弑した……」
「さらに遡れば、女帝は大陸各国に戦争を振っかけて魔物を差し向けた」

 罪人が裁かれるのは、別におかしくない。他人を害する意図で、殺意を持ち人を襲ったのだから、結果処刑されても可哀想とは言えない。

 けれど、ティミオスは『拾い物』と言ったのだ。
 勇者はあの時、言ったのだ。

『ラーフルトン君』

『勇者はね、犠牲を好まないんだ……』

 彼は手の届く範囲はいつも守ろうとして、ワイストン・ラーフルトンはそんな彼と一緒に冒険したのだ。

「わたくしが救える、救いたいと感じた何かが失われるなら、それはわたくしにとっての『犠牲』なのだわ」

 ネネツィカは眉を寄せた。今はこう応えているけれど、もしかしたらもう少し大人になったら、「そうね、この人は裁かなきゃ」と答えるのかもしれない。そんな思いを抱きながら。

「妖精は人のルールに縛られなくて、お友達の望みを叶えるのは、好き。これをしなくちゃいけない、ではなくてこれをしたい、で人を助けるの」

 扇を広げると、少し強気になれる。『悪役令嬢』――頭の中にイメージみたいなのがあるのだ。
 一度憂鬱そうにまつ毛を伏せて、優雅さを意識する。この時に思い浮かんだのは何故かクレイで、同時に謎の敗北感が湧き上がる。儚く愁うようなあの独特のちょっとズルい雰囲気が真似しても出来ないと思うから、強気に顎を上げて昂然と微笑んだ。

「わたくし、わがままで物の道理を知らない妖精混じりのお姫様よ。ですから、今夜わたくしが拾ったものは手放さないの。そうしたくない気分なのですわ」

 オスカーが面白がるような眼を見せている。
 ネネツィカはユージェニーとヘレナの言葉、ティミオスの自称魔法を思い出した。
 『おもしれえやつとか言っちゃう』

 ――オスカーは、感情で動く。
 貴族の美徳にはあまり縛られる事がない。
 アンモラルな行動も……。

「だって、この方が生きてた方が刺激的ではなくて? わたくしは、この方の今後の人生にとても興味がありますの。何をして、誰とどう関わって、周囲にどんな影響を与えるか――わたくしはここで終わりにするより、生かした方が貴方も楽しいと思うのですわ」

 言ってから、思いついて言い直す。レネンはああ言っていたけれど。

「あの場でこれを拾ったのがクレイだったら、この外交官を殺して終わりにするよりも拾いたいと思うのじゃないかしら?」

 ネネツィカは不思議だった。
 レネンは、どうしてクレイがこの人を見捨てると思ったのかしら――『あの子なら、こんな傷だらけの行き場のない人、率先して拾うに決まってるのに』。

「もう襲わないと約束させたら、助けてあげられないかしら? 死ぬんじゃなくて生きたいと思わせたら?」

 わたくしがそうさせてみせますわ――そう高らかに宣言すれば、オスカーは静かに頷いて引き下がっていった。現在の彼の拠点、エインヘリアの帝都シュテルンツエレへと。捨て台詞みたいなものは、残したけれど。

「大切なものを失った――死にたがりに生きたいと思わせるのは、難しいと思うけどな」





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